芥川龍之介の遺書、「唯ぼんやりとした不安」に囚われた少年。【短編】

柊准(ひいらぎ じゅん)

芥川賞を獲るまでの話

 自分って何だろう。

 漠然とした不安が、そのような思考を抱くに至る。

 そもそも不安がどのような現象なのかは考えても判らない。

 芥川龍之介の遺書には「唯ぼんやりとした不安」とあったらしい。

 

 もう一度問う。自分ってなんだ。

 傍若とした意識の集合か。はたまた虚構の魂の連合体か。


 例えばだが人体は水35リットル、炭素20キログラム、アンモニア4リットル、リン800グラム、石灰1・5キログラム、塩分250グラム、硝石100グラム、硫黄80グラム、鉄5グラム、フッ素7・5グラム、ケイ素3グラム、その他少量の15の元素で出来ているという。


 なら魂の錬成も可能だろうか。いや、言葉を変えよう。魂の証明も可能だろうか。

 例えば魂の重さは21グラムという俗説があるという。唯、これはやはり俗説の域を出ないものだ。

 しかし、魂は実在する。それは主観という名の意識により証明されるものである。

 

 ♰♰♰


 少年、安井祐樹は眺望出来ない未来に対し、漠然とした不安を抱いていた。


「あー、俺も芥川のように心中出来たらな」


 右手に持っているカッターナイフの刃を覗いてみる。

 死ねることが出来たらどれだけ楽だろう。


「死」というものは漠然でありながら不安や畏怖の対象でもある。

 校舎の屋上でたたずんでいる安井にとって「死」は近くて遠いものなのだ。

 そしたらギィと誰かが屋上の扉を開けた。見遣ると女子生徒が立っていた。

 安井は一瞬唖然としたが、すぐに「死」への熱は冷め、教室へ戻ろうとした。


「あなた、死のうとしていたの?」

「へ?」

 突然の女子生徒からの問いかけに、固まってしまう安井。

「どうしてそう思うんだ。風を浴びにここにいるのかもしれないのに」

「そうね、じゃあどうしてあなた——」

 そんな絶望の顔色をしているの。

 風が女子生徒の髪を揺らした。安井は言葉を失った。

 自分の顔を触ってみるが判らない。絶望なんて判らないんだ。

 そんな困惑した表情を読み取ったのか、女子生徒は手を差し向けてきた。


「一緒に小説作らない?」

「え、えっと……小説?」

 女子生徒は頷いた。「希死念慮も消えるかもしれないし」

「私の名前は柳田薫。よろしくね」

「安井祐樹です」

 二人は握手をした。


 ♰♰♰


 小説も人体の錬成と同じようなものだろう。ペンという魔法のステッキで人物を描写出来るのだから。

 安井はつねづね思っていた。薫と一緒にいたら不安が消えていたことに。

 そして小説が彼の生きる柱となっていた。

 

 だがそんな安井だったが、とある公募で落選したことをきっかけにダウナーの時期に入る。しんどくて。辛くて。歯がゆくて。

 そんな矢先、ぽろっと言ってしまったんだ。薫に一緒に死んでくれないかって。それほどまでに彼女のことを愛していたんだ。

 薫はどこかから入手してきた睡眠導入剤をオーバードーズし、自殺しようと図ったが未遂に終わった。


 病院で目覚めると両親の目は腫れていた。

 そして警察からの事情聴取を受け、するとあることが判った。

 未遂で終わっていたのは安井だけで、薫は亡くなっていたことを。

 どういうことなんだ、と絶望した。退院したあと、向こう方の両親に謝罪に行くときに薫の父親から殴られて、改めて絶望の意味を知った。


 そしたら自然と誓えた。自分は彼女の分まで生きる、と。彼女の軌跡を自分の小説でたどるのだと。


 十年後。芥川賞受賞の会見で、安井は語った。

「私の小説は、今までもこれからもある恋人に捧げているものです。ですがその小説が、少しでも読者の『不安』を取り除けたら、本望です」

 それが、死から解放された小説家の有るべき姿だろう。

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