第17話 先の無い計画

セウヤの頭の中は、『ゆずり葉の指輪を見つける』その一つの目的で占められた。

 

 父上が兄上を殺し、自分までも殺そうとした。

 セウヤの心はその結論を受け入れがたく、父上はそんなことをしないと否定したい自分がいる。

 

 されど、自分が集めた証拠や状況を並べれば、父が兄を殺したのだと結論付けるしかない。

 答えが出たら、次にすることは決まっている。


 父に、兄を殺した報いを受けさせる。


 セウヤの心は今、剣となって、父を切りつけようとしている。

 だが、その剣はドロドロに溶けた鉄の塊となって、セウヤの手にこぼれてくる。


 己がすべきことは分かっている、だが、心が追い付かず、溶けた鉄は彼の手を溶かし、腕を焼き、彼の躰を壊していく。頭と心が分離していく感覚がある。自分はいったい何者なのか、分からなくなっていく。


 父を追いつめる、そのためには兄を殺した決定的な証拠を突き付けたい、それが『ゆずり葉の指輪』


 今までの自分が失われていく絶望の中で、『ゆずり葉の指輪を見つける』その方法を考えているときは、意識を冷静に保てるような気がした。


 さりとて、父に気づかれず、父の持ち物を調べ上げて指輪を探すことは困難な命題だった。

 指輪の在りかを考え続けた。食べることも、眠ることも厭わしかった。


 そして、セウヤは答えを遂に見出した。


「アツリュウ、お前に大切な任務を与える」


 夜、離宮の寝室で、いつものようにアツリュウと二人きりになり、切り出した。

 隠し扉を見つけた日から、8日間考えに考え続けて、遂にたどり着いた方法。


 アツリュウは、かゆの入った小鉢が載った盆を卓に置いて、セウヤの前に|膝を付いた。

 セウヤがこの頃ほとんど食べないのを心配して、側仕えが用意した粥、アツリュウに食べるよう勧められたがそんな物を食べている暇はない。


「指輪を見つけ出す方法が分かったのだ」

「さようでございますか」

 

 意外にも、アツリュウは驚きの反応も見せない。


「私は、父に見つからないように、極秘裏ごくひりに指輪を見つけ出す方法ばかり考えていた。そして、それは非常に難題だった。だが、気づいたのだ、そもそもの条件が間違っていたのだと」


 このひらめきの素晴らしさに、思わず笑いがこぼれてくる。

「私は本当に馬鹿者だった、私は今まで、まず指輪を探し出し、その指輪を突き付けて、父を罰してやろうと考えていた。違うんだ、逆にすれば簡単なことだった」


 頭の中がすっきりしてくる。この数日間、靄がかかったように働かなかった頭が、力でみなぎって高揚してくる。


「まず、父上を殺し、それから指輪を見つければよいのだ。ああもう、指輪なんてどうだってよかったのだ、父上を殺せばそれでいいだけなのだ。私は何を思い悩み、指輪にこだわっていたのだろう」


 今までの己の愚かさに笑いがこみ上げ、声をあげて笑った。

「そこでだ、アツリュウ。明日か明後日にも父との昼食の席を設定する。そこで、私を父上の隣に座らせろ。お前が車椅子で私を運ぶんだ。それから小刀を用意しろ。隠し持っていく」


 アツリュウは返事をしてこなかった、眉間にしわを寄せ、何か言いたそうな顔をしているが、今は聞いてやる気にならない。


「小刀で、父を刺そうと考えている。私は剣の稽古などもしてこなかったから、刀の扱いは知らない。だが、相手が全く予期していない状態で、不意を突けば、私でも父を刺すことはできるだろう。そう思わないかアツリュウ。ああしかし、お前の意見も参考に聞いておこう。小刀で殺すためには、心臓を刺す方がいいか、それとも、首を切った方がいいか、どちらがより失敗がないか?」


 アツリュウは明らかに辛そうな顔をした。自分がこんなにも気分が爽快であるのに、アツリュウには己の喜びが伝わっていないようだった。


「そうですね、まず首がよろしいかと。切るときは、やみくもに切りつけてはいけません。狙いを定め、刃をまず首に押し付けて、それから力を込めて刀を引く。そして、次に胸や腹を狙ってできるだけ数多く刺すことで、殺傷の成功は高くなります」


 彼が感情のこもらない声でそう教えてきた。満足のいく答えだった。

 その時の父の姿を思い描いた。血を噴き出して、苦しみわめいて死ねばいいと思う。

 その後で、自分は死のうが投獄されて極刑になろうが、どうでもいい。私が欲しいのは、父が死ぬことだけだ。


 アツリュウに寝台に抱いて運ぶように指示した。

 この頃は、腕を使って、自力で車椅子から寝台へ移動することができるようになっていた。だが今夜は頭ばかり冴えて、体には少しも力がでなかった。


 車椅子で生きていくために、アツリュウと二人でいろいろ動きを試して、腕の力を使って自分でできることをが増やそうとしていた。公務でも、父のために働くことが、リュウヤ兄を喜ばせいていると思い真面目に向き合っていた。そしてそんな日々が充実して楽しいと感じることもあった。


 ああでも、それらはもはや遠い昔のことのようだ。


 なんて馬鹿馬鹿しい。


 私は必死であがいて、何かをしようとしていた。


 リュウヤ兄上がいなければ、私にはどちらに進めばいいのかも、何をすればいいのかも、分からないのだから。兄上がいない私に意味などないのだ。どうしてそれを忘れていたんだろう。


 まだ進める道が残っているなどど。

 私がすることは、兄上を殺した人間を殺すだけ。それだけ。


 とても気持ちがすっきりしている。早くそれができる日がくるといい。


 計画してから翌々日、昼に父ハリーヤと食事を取る機会を得た。


 シンライガとスオウが、心配して付き添うと言ってきた。

 この頃周りの者が食事をしてくださいと、やけにうるさい。


 側仕えに、わざわざ鏡で顔を見せられた。目の周りが真っ黒になって、唇が渇いて白くひび割れた己の顔が映っていた。


 だから何だと言うのだ。

 どうせ私は、父を殺した後死ぬのだから、もうそれ以外はどうでもいいのだ。


 あまりにしつこいので、シンライガとスオウは廊下に控えさせた。

 従者も下がらせ、部屋にはアツリュウに車椅子を押させて後ろに控えさせた。


 父と二人で食事をするなど、思い出すことができないほど昔のことだ。自分に宮廷の公務をすべて押し付けている自覚があるのだろう、グイド王のことで重大な話があると持ち掛けると、父は渋々ながら二人で会うことを了承した。


 離宮の鈴の間、庭園が良く見える、上品な部屋は、小さな餐会によく使われる。

 ヒルディルド国の伝統的な料理が並んだ卓を中心に向かい合わせに座った。もはや自分にとって父ではなくなり、殺害する対象でしかない男を眺める。

 年を経るごとに太って、首は肉に埋もれて無くなっている。この肉の塊でも、刀を引けば綺麗に切れるだろうか。

 

 この男に一体どれだけの価値があったというのだろう。

 領地のことも顧みず、女を何人も囲って通うのに忙しくしているだけ。


 この男は肝心な時に国軍を動かし王権を取り戻すこともできず。

 無謀むぼうに始めた『ハイシャン』との戦争でシュロムの領土を失い。


 ムラド王がせっかく死んで『月の色読み』があったのに、あっさり負けてたった22歳のグイドに王権をもっていかれた。

 無能なだけのお前がなぜ死なず、どうしてリュウヤ兄上が死ななければならなかったのか。


「話とは何だ」

「実は父上にお見せしたいものがあるのです。お近くでお話する必要があります」


 指示をせずとも、アツリュウがすぐに来て、車椅子をいったん後ろに下げ、ぐるりと大きく回って、ぴったりと、ハリーヤの椅子の左に車椅子を並べるように置いた。


 ハリーヤが、急に隣に来た息子をいぶかしんで、不快な顔で何だと聞く。

 アツリュウはすぐに後ろの壁際に下がった。本来なら、自分の後ろに控えていた彼が、ぐるりと回ったことで、正面に見えた。


 ハリーヤの体温を隣に感じる。この男の体に入っている血の全てが、吹き出るまで、刺してやる。

 右手を背に回し、小刀を探った。

 硬い感触があるはずだった。しかしいくら探っても何も無い。

 

 何故だ小刀が無い!


 戸口に控えるアツリュウを見た、彼の静かな眼差し、真っすぐに見返してくる。

 私が動じているのに気づいているはずだ。


 アツリュウ、小刀を隠したのか!


「セウヤ、早くしろ、何を見せるのだ。おい、聞いているのか?」


 心の中で、何かが崩れていく。山が土砂崩れを起こして、怒涛の勢いで、すべての感情をなぎ倒していく。

「アツリュウ……」


 絞り出すようにしか声が出ない、お前よくも……

 よくもやってくれたな、すべてを台無しに……


 ああーと大声で叫んだ。体をのけぞらせ、天を仰いて、叫びまくった。

「アツリュウ、アツリュウ、何をした! アツリュウ」


 セウヤの大声に、廊下で控えていたシンライガ団長とスオウ副団長が駆けつける、すぐに車椅子が後ろに引かれて、ハリーヤから離されていく。

「おい、何が起きた、こいつをどうにかしろ」


 ハリーヤの焦る声、殿下どうなさいましたかと問うシンライガの声、その向こうに、アツリュウが元の場所から一歩も動かず自分を見ている。


 真っすぐに静かな目で私を見ている。


 何故だアツリュウ、どうして私を裏切った。


  警護が使う控えの間に車いすごと運び込まれた。

 心配して覗き込んでくるシンライガを腕で払いのけた。


「アツリュウ来い、今すぐだ、私の前に来い」

 怒鳴りつけると、冷静な顔のままのあいつが目の前に来た。


「何故だ、何故刀を隠した」

 アツリュウは答えない。髪の毛をつかんで、揺さぶった。


「殿下、刀を隠したとはどういう意味でございますか?」


 シンライガ団長がアツリュウの髪を引っ張る手を止めようとしてくる。激しくシンライガの腕を叩き落とす。アツリュウをさらに激しく揺さぶると、髪の毛がぶちぶちと抜ける感触がある、なおも揺さぶり続ける。


「何故、殺させなかった。私は今日、あの場で、あいつを殺すと言ったはずだ。どうして止めた」

 アツリュウは苦痛に目を閉じながらも、髪の毛を捕まれたまま反応しない。


「殿下、何をなさろうとしていたのです? アツリュウ答えろ、殿下とお前は何を計画していたのだ、まさか」

 シンライガがセウヤの横に膝を付いてのぞきこむ。

「殿下まさか、ハリーヤ殿下を刺すおつもりだったのですか?」


「アツリュウ、お前どうして黙っていた、そんな殿下の生死に関わることを何故黙っていたのだ」

 シンライガが、アツリュウの髪を掴むセウヤの手を抑えつけた。


「アツリュウ、どうして一人で判断した。私たちに何故相談しなかった」

 スオウの問いかけに、アツリュウが小さく答えた。


「殺させたくなかった……のです」

 湧き上がる、怒り。セウヤはシンライガに止められている手に力を込めて、アツリュウの髪を握り締める。


「殺させたくなかっただと。お前は父上の命を守ったというのか? どうしてあんな男の味方をする」

「ハリーヤ殿下の命を守りたいわけではありません。セウヤ殿下」


 アツリュウの言葉にセウヤは手を離した。

「では、どうして私を止めた。どうして父上を殺させなかった」


「姫様が一人になってしまうから」 

 この男は何を言っている? リエリーは関係ない。


「あなたはハリーヤ殿下を殺した後を何も考えていない。あなたは自死するか、処罰されるか、どう転がっても、あなたは父親殺害の後、帰ってこない。そうしたら、姫様は唯一の愛する家族、あなたを失うことになる。姫様は本当の独りになってしまう」


「ふざけるな! お前はいつもそうだ。リエリー、リエリー……お前の頭の中には、リエリーしか無いのか!」

 アツリュウの首に両手を伸ばした、届かずに車椅子からずり落ちる。アツリュウが正面で体を支えてくる、その腕をよじ登って、アツリュウの首に手を掛けた。

 力を込めて、彼の首を絞める。


「殿下、おやめください」

 シンライガと、スオウが引き離そうとしてくる。しかしセウヤは手を離さない。


「許さない。父上を殺させなかったおまえを、私は許さない」

 アツリュウの顔がみるみる赤くなり、唇が紫色になって盛り上がり、手がだらりとさがった。


 叫び声をあげて、首に力を込める。絶対に許さない。

 私は父を殺さねばならなかった。リュウヤ兄上を殺した報いを受けさせねばならなかった。


 それを……、お前が台無しにした。

 お前を私は絶対に許さない。

 アツリュウの顔が赤から、青黒くなっていく。


 シンライガに首を絞める手を、無理やり外され羽交い絞めにされた。離せと命じるのに彼は動かない。

 激しく走った後のように息が苦しい。


 床に転がるアツリュウをスオウが抱え、頬を叩く。

「無事か?」

「意識が落ちているだけです」


「離せシンライガ、こやつを殺す」

「なりません殿下」


「お前私の命令がきけないのか。お前も、しょせん父上の物なのか、私の命は聞けぬというのか」


「セウヤ殿下。私の忠誠はあなた様にのみ捧げております」

 シンライガは羽交い絞めを解くと、セウヤを座らせ、正面の床に頭を付けて伏せた。


「私の忠誠をお疑いでしたら、どうかここでお切りください」

 シンライガは帯刀していた、剣を外して、セウヤに差し出した。


「私はリュウヤ殿下を敬愛し忠誠を捧げてまいりました。リュウヤ様亡きあと、私が命に代えてもお守りいたしますのは、セウヤ殿下あなたでございます。あなたの命をお守りすることが、リュウヤ様の願いであり、私がリュウヤ様からうけたまわった任でございます」

 シンライガが床に頭を付けて平伏する。


 剣士の忠誠を、シンライガはセウヤの前で誓う。私の忠誠はあなたのものだと、その瞳は語り、セウヤは落ち着いてくる呼吸とともに、少しずつ怒りが収まってくるのを感じた。


 床に倒れたままの、青白い顔のアツリュウを見る。

 意識を失いそうになるほどの疲れが、一気に体を襲った。


 座った姿勢を保つのも苦しい。

「分かった……、もうよい」


 帰る……と呟いて、シンライガに抱き上げられたところで、セウヤは気を失った。

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