第15話 あっけない終わり

「あの馬は、良い」 

 前回の宮殿訪問から1カ月経ち、リュウヤ殿下の月命日という口実で、セウヤ殿下はまた舞台に調査にいくと決めた。


 王宮に向かう馬車の中で二人きりになり、セウヤが嬉しそうな顔を隠しもせず、『お嬢さん』を褒めるのをアツリュウは聞いていた。


 セウヤはとても上機嫌で語った。リエリーは笑顔を見せることも増え、自分とお茶も一緒にするようになり、小さい声ではあるが会話が戻ってきた。喜ばしい、すべてあの特別な馬のお陰だ、あの馬に好物をたくさん与えておけという。


 アツリュウはかしこまりましたと頭を下げた。話はそこで終わりかと思われたが、続きがあった。


「しかし私は、乗馬は許したが、厩舎きゅうしゃにリエリーを連れ込んでいいとは言っていない」

 連れ込む? 嫌な感じの言い回しだった。


「付き添いの従者に報告を受けたが、リエリーは馬の毛を整えたり、おけで水をやったりと馬の世話までしているそうではないか、しかもお前と二人きりで」


 二人きりという言い方はどうかと思う。自分たちの周りには従者に姫の護衛に、姫の侍女にとずらりと控えている。さらに乗馬でも厩舎でも、自分は1度たりとも姫と会話していない、あからさまに見たこともない。つつしみ深くただの馬引きとしててっしているつもりだ。

 

 けれど……

 前回の乗馬での姫の姿が鮮明に頭に浮かぶ……


 姫様が『お嬢さん』に水をあげたいと侍女に言い、侍女経由で良いですよと伝え姫様は初めて馬に水をあげた。


 彼女が木桶に入れた水を、飲みやすいように馬の口元まで持ち上げた。

「お嬢さん、たくさん飲んでね」と可愛らしい声。

 馬が水を飲みだすとその大きな飲み音に彼女が微笑む。馬に何かしてあげることが、彼女にとって大きな喜びなのだ。

 木桶の重さに耐えかねて彼女の腕がふるふると震える。木桶を置けばいいのに、馬のためにと「うーん」と口を結んで頑張る姿が……

 

 可愛い。


 胸が詰まるように苦しい、けれどこの時間がずっと続けばよいと思う。

 眩しい姫を、できるならばいつまでも見ていたい、それは許されることではないのに。


 東屋でセウヤ殿下の後ろから、あなたを見つめたあの日。

 俺は己がしたことの意味を理解していなかった。

 あなたはまるで夢の中の人、手が届くはずもない、別世界に住む妖精のようだった。


 今は分かる、あなたがただの16歳の少女なのだと。


 自分を他人に捧げ続けて、これほど深い傷をおってなお、馬に何かしてあげたいと、それが嬉しいと微笑むあなたを想うと胸が苦しい。どうしようもなく、あなたを守りたいと切望する気持ちを止められない。


 馬の背に隠れながら、あなたがそうっと俺を見ていることを知っている。目が合うとすぐ視線を伏せる、そのしぐさに……


 愚かにも自分が彼女の特別なのだと錯覚さっかくする。

 あの甘い感覚にすぐに溺れてしまう。


 彼女は自分を慕っているのだと、あの瞳が告げている。

 何と愚かで、恐ろしい。

 俺はおかしくなり始めている……



「私は気づいたのだ。あの馬を引くのはお前でなくともよいと。リエリーが望むだけ乗馬は続けさせる。だが、次回から別の者を付ける、お前は護衛の仕事に専念しろ」


 静かに心を満たしたかけがえのない姫との時間。いつかは終わりが来ると知っていた。でもどこかでまだずっと先なのだと楽観していた。明日も、また次も、あなたに会えると……

 今、セウヤの一言で終わりを告げた。


「承知しました」

 考える間もなく、するりとその言葉は出た。

 その後、有難いことに殿下は何も話さず、返事を求められることがなく沈黙が続いた。


 何か問われても、言葉を返す自信がなかった。思った以上に胸がえぐられる。


 ……俺は確かに、過ぎたる幸せを味わいすぎたのだろう。

 また当たり前の日常に戻るだけなのだ。己に必死に言い聞かせる。


 拍子ひょうしよく石畳の路地を蹴っていく、馬の足音に意識を向けて、深く考えないようにした。

 姫様が元気になるのならば、それでいい、そこに自分が居なくても。


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