第48話 才能無き者への選択肢

 教えを請う。

 でも、そのためには最低条件がある。

 それは教えを請うに値する資質を持ち合わせていること。

 資質無き者にはそもそも教えを請う資格すら与えられない。

 残念ながらリョウには教えるに値する素養が無かった。


「アナスタ……エウシュ……」


 リョウは地面に出来た水溜まりを覗き込みながら、何事かを呟いた。


「今日はここまでにしよう……無理をしても何の意味も無い」

「ふぁい……」


 落ち込んでいるな。

 当たり前か……

 でも、その辛さをボクが共有することは出来ない。

 君自身が殻を破るか諦めるしかないんだ。

 そんな日々が一週間二週間と過ぎ去った。

 リョウは口は悪いしメチャクチャなヤツだったけど、意外なことに家事はそつなくこなしていた。

 ただ、まあ、ボクが言えた義理じゃ無いのは重々承知しているけど、料理はあまり得意では無いようだ。

 それでも『置いてもらって世話になってるんだから』そう言って頑張る姿は好感が持てた。

 ……ただ、もういい加減に諦めさせるべきかも知れない。

 リョウは戦うための身体的基礎も無いが、それ以上にもっと大切な基礎の基礎とも言える資質が決定的に欠けていた。

 闘争心――

 メチャクチャな言動こそするが、リョウの性根は戦いとは無縁なほど穏やかだった。

 噛みつきしがみついてでも生にすがり、相手を殺してでも生き残ろうとする気概を持ち合わせていない。

 残念ながら、闘争心は簡単に育つような物じゃ無い。

 そして闘争心こそ、強くなる上で最低限基本となり必要とされる資質だ。

 そう、残念ながらリョウは、その最低限の資格さえ持ち合わせて居なかった。 

 まるで――

 まるで、この世界の人間じゃ無いみたいに穏やかな性格。

 なぁ、キミは本当にこの世界の人間なのか?

 それとも向こうで壊されて帰って来ただけなのか?

 だけど、そう、だね……


 どちらにせよ、潮時だな……


 長く時間をかけたところで、強くなる見込みが無いのなら、早く諦めさせた方が良い。

 ……矛盾、だな。

 リョウに強くなって自分を殺して欲しいと願うボク。

 先生に生きろと言われて返事をしたボク。

 償いとばかりに死んだ人間を刻み続けるだけの無為な日々を送ったボク。

 約束しながら、その心を摘まみ取ろうとするボク……

 何もかもがチグハグで矛盾と嘘の塊。

 ボク自身、そんな迷いを抱えたまま、また数日が過ぎた……


 ドンッ!!


 リョウが鈍い音とともに地面に転がる。


「リョウ……」


 これが現実だよ。

 強くなりたい、その気持ちは認めてあげる。

 でも、気持ちだけではどう足掻いても限界があるんだ。

 受け入れろ……


「ハッキリ言うけどさ、キミは『こっちの世界』の外で生きて行くには弱すぎる」


 願いだけではどうしようも無いんだよ。

 キミにどんな望みがあって強くなりたいのかは分からない。

 でも……


「悪い事は言わない。近くまでなら送ってあげるから南のエルフ族の支配するアルトリア王国に戻って静かに暮らした方が良いよ」


 静かに暮らす?

 本当にそんなことが可能なのか?

 そんな場所が、どこにある?


「強くなるばかりが生きる術じゃ無い、町で住人として平穏に生きるのも選択肢としては賢い生き方なんじゃ無いかな?」


 嘘だ、な……

 恐らく戦渦は止まらない。

 どこに住もうと平穏な場所なんてあるはずが無い。

 でも、ここに居続けるよりは人並みな生活は出来るはずだ。

 仮に短い一生になったとしても……


 しゃくり上げるみたいな息づかいが沈黙の中に鳴り響く。


「ねぇ、キミが強くなりたい理由はなに? 理由なんかは無くて、ただ漠然と強くなりたいだけ?」


 声をかみ殺して無く姿にボクの中のどこかがきしむ。

 悔しいよね……でも、これが現実だ。

 その現実を受け入れられないから、人は悔しくて辛くなる。

 受け入れろ。それが、そうすることがキミの為なんだ。


「怖いんだよ……強くならないと。覚めない悪夢の中にずっと居るみたいで、どうしたら良いのかすらも分からなくて……もがいていないと、『俺』が中から壊れていくのがわかるんだ……」


 その言葉が意味すること、その真の意味は分からない。

 分からないけど、暗闇の中で一人もがく辛さだけはボクにだって分かる。

 未来どころか、今も、どうなるかは分からない深淵の底の底みたいな恐怖。

 彼女はある意味で、もう一人の僕なのかも知れない……


 嗚咽に声を震わせ、ボクにしがみついて泣くリョウ。

 何が正しくて……

 どんな選択肢が正しいのかもわからない……


 でも、そうだ、ね……

 そうです、よね……先生。

 

 彼女に諦めさせようとしているんじゃなく、これはボクがただ勝手に彼女の強さを見限っただけ……

 自分の限界は自分自身で決めれば良い。


「ごめん……記憶が無い人にキツい言い方だったかも知れない。そうだねキミと約束したもんね、時間がかかってももう一度……って、なにするの!?」


 突然、ボクは関節技でも決められたみたいに羽交い締めにされた。


「クンカクンカハァハァ、アル君の匂い落ち着くぅ~」


 うぉいっ!?


「って、キミさっきの嘘泣き?!」


 今のちょっとシリアスっぽい雰囲気どうしてくれやがる!!

 さっきまでの自問自答、ただの独り相撲みたいじゃん!!


「いや、神に誓って本気号泣だよ?」


 なんだ、その雑な誓いは?

 ボク以上に雑すぎないか?

 そんな適当な誓い聞いたことねぇよ!


「でも、なんか、今日のアル君の匂い、いつもより良い匂いで落ち着いて、ハァハァ……正直たまらん!」

「落ち着け! ボクはキミの師匠だぞ!」


 それと、女なんだから男に股をこすりつけるんじゃ無い!!


「師匠だなんて、大人ぶって背伸びするのも可愛い ❤」


 な、なんだ!?

 リョウの目の奥にハートのような物が見えるような。

 って言うか、何で顔を近づ、け……

 むちゅるるるるるるるるるるるるる!!

 訳もわからないまま、恐るべき吸引力で唇を強奪されたのだった……



 ま、何というか人生まだ十数年ながら、なかなかにハードな目に遭った。

 何せ壮絶な呼吸困難に遭わされたのだ。

 首を絞められた訳じゃ無い。

 ただ、肺の空気が空っぽになるほど全力で吸引されるとは思わなかった。

 情熱的で熱烈なキス……というより、昔ボクが帝都で発明した掃除機を喉の奥に突っ込まれた気分だった。


「肺が潰されるかと思った……」


 その元凶も今は二階で寝ていた。

 ま、その他色々あった訳だが……

 まさかあの見た目で女性として成熟してないなんて普通思わないだろ……


 そう、簡潔に説明するならリョウは初潮を迎えたのだ。

 魔術、魔法……

 基本的に子供に使い手がほとんどいないのは、精通・初潮を迎えていないからだ。

 肉体が子供の殻を破り大人にならないと、体内の魔素を上手く循環させることが出来ないためだ。

 まぁ、中にはボクのように子供の頃から魔術や魔力を持っている者も居る。

 べ、別に生まれてすぐに精通していたとかそんなんじゃないからな!

 って、ボクは誰に言い訳してるんだ……

 とにかく、リョウがその実力を発揮するためには、肉体的成長からも不可能だったのだ。

 失念……だった。

 それに、あの発情具合……アールヴの悪い意味での習性だよな。

 どうする?

 もう一度、面倒を見るべきか?

 それともやはり突き放すべきか?

 ボクと一緒に居るべきでは無い……それは、間違いない事実なんだ。


「ああ、くそ! 自分で泣かせておきながら、後悔とか……」


 後悔?


 後悔なら散々してきたじゃないか。

 だったら、ボクがすべきことは何だ?

 彼女を見捨てて、何かあったら……

 ボクは、平然と笑っていられるのか?

 出来ないと思うから、こんなに悩んでいるんだろ。


 答えは――

 自分でも驚くほど素直に出た。

 それは実に自分らしくは無い、非合理的な選択だった。

 そう思いながらも、ボクはまたリョウに手ほどきした。


 意外なと言えば失礼かも知れないが、それからのリョウの成長は目覚ましかった。

 相変わらず魔術を使いこなすのは下手くそだったが、魔術で肉体強化しての戦い方に向いていたのだ。

 リョウはその戦い方を「かいおうけん」と呼んでいた。

 理由を聞いたら『その方がやる気やっきになっからだー』と、何故か普段と違うなまったしゃべり方だったのは彼女なりのこだわりがあるのかもしれない。

 理解は出来ないけど。

 そういや、アイツも何かの影響を受けてしょっちゅう口調が……


「……ふ、あはは」

「ん? どうしたの、師匠? 突然笑って」

「いや、ちょっとね」


 何でだろうな。

 リョウを見ていると、向こうの世界のアイツを思い出す。

 アイツも、本当に突拍子も無いことばかりやって、何時もボクを驚かせてくれたっけな。


 ……最後には大怪我までしてくれやがったけどな。


 リョウを見ていると、ずいぶんと昔のことを思い出すな。

 あ……そうか。

 気が付かなかったけど、ボクはリョウと手合わせするのを楽しいと思うようになっていたんだ……


 地面に寝そべり、肩で息をするリョウを眺めながら、ボクは彼女の横に水差しを置く。


「あ、はぁ、あ……ありがとう……」

「どういたしました」

「んぐんぐんぐ……ごはぁっ!! げへげへ……」

「ああ、ほら……慌てて飲むから気管に」

「げへごほっ! あ、げっ! ありがっ! ごほごほっ!」

「お礼は良いから、深呼吸する」


 彼女の背中をさすりながらこれって介護だよな? とか思ったのは秘密だ。

 口に出したら、むくれるだろうしね。


「し、師匠ってさ、げほがはっ!」

「だから、まずは呼吸を整えて」

「ふぁい……」


 それから数分ほどしてから、リョウがボクに向き直る。


「師匠ってさ、あれだよね」

「あれ?」

「俺よりも若いのに言葉遣いがすごく丁寧だよね」

「そう、なのかい?」

「うん、すごく大人びてる」


 まあ、もしかしたらそうなのかもしれない。

 基本、ボクは言語の習熟に時間をほとんど必要としない。

 それでもその国の言葉をそこに住む人達が使うみたいに使いこなそうとすると、どうしても多人数から会話をラーニングしなければならない。

 ボクが言語を習熟した最初の人間はアイツとあの戦場カメラマンの彼だ。

 もし、ボクの言葉遣いが丁寧だというのなら、あの戦場カメラマンの影響が大きいのだろう。

 逆を言えば、もしボクが出会って見本にした相手がヤクザ者だったらケンカ腰の最悪に粗雑な物になっていたかもしれないし、お上品な女性であったなら、ちょっと笑えない口調になっていたことだろう。

 ま、その時は流石にラーニングする相手は選ぶけど。


「……もし、ボクの言葉遣いが丁寧だとしたら、それは出会って教えてくれた人の言葉遣いの影響だよ」

「へー、良い人と出会ったんだね」

「良い人……そう、だね。信念を持った人達だったよ」


 そうだ、あのカメラマンだけじゃ無い。

 アイツだって、子供だったけど真っ直ぐなヤツだった。

 今は何をしているかも分からないけど、ボクが変わる切っ掛けをくれたのは……間違いなくアイツだった。

 そして先生に会わなければ……


「……さ、続きをやるとしようか」

「も、もう?」

「強くなりたいんだろ?」

「うへぇ~、ドSだよ師匠……」


 ボクが持てる技を、ボクが教えられる技を――

 彼女に伝えよう。


 そう、改めて自分に誓い直してから、また時が流れた。

 良くも悪くもリョウは基礎が無い分だけ身体の動きに余計なクセが無い。

 また生来の性格のおかげだろう、教えたことを素直に学び取りかなりの腕前になっていた。

 ボクが独自開発した魔術というドーピングを使い能力を底上げすれば、熟練の帝国兵数名に囲まれても引けをとらない腕前にまで到達していた。


 あとは戦うと決めたときどこまで覚悟を決められるか。

 無事に生き残れるかはリョウの覚悟次第ということだ。

 まぁ、それが一番問題なんだけどさ……

 だけど、うん……別れの時は近い。

 これ以上ズルズルと時間を引き延ばそうと、これまでみたいな劇的な成長は望めないだろう。

 それならば、あとはリョウ自身が独り立ちして自らの道を歩んだ方が良い。

 ボクが間違えてしまったレールに、彼女まで乗せる訳には行かないのだから。



 最終試練は何が良いだろうか?


 正直、どれほどのお嬢様育ちだったのかは分からないが、リョウは狩りをして捕まえた兎やヤマドリを捕殺して調理する程度のことも青ざめてろくに出来無かった。

 人を殺せるようになれ……何てことは間違っても言わない。

 だけど、憖っかなまじっか武術を囓った者が覚悟も無いままにその力を振るい、結果トドメを刺すせずに怒りを買って逆に殺される……何てのはよく聞く話だ。

 そう、戦いになれば逃げるのが間違いなく一番賢い選択だ。

 だけど、どうしても逃げられずに暴力と向き合わなければならない時が来るかも知れない。

 そうなれば、覚悟の総量こそが生存へ繋がる重要な鍵となる。


「きゅ~……」


 地面に転がるリョウを見詰めながら思案する。

 今も後一歩、いや、あと半歩でも踏み込んでいれば吹き飛ばされて空を仰いでいたのはボクになっていたはずだった。


「ふきゅ~……」


 でも、リョウにはそれが出来無い。

 まぁ出来無いから、珍妙な鳴き声を上げて目を回している訳だが……


 生来の甘さ……いや、優しさが他者への攻撃という行為に理性を挟んでしまう。

 だけど、時と場合によっては、こんな状態の彼女を見守ってあげられるのがボクとは限らない。

 中身は残念だけど、リョウは間違いなく美少女と呼ばれるカテゴリーに入る。

 粗野な連中に負けてしまえば、どんな酷い目に遭わされるかも分からない。

 あの戦争で見せ付けられたみたいな現実は……

 戦場には当たり前に転がっている。


 試練……卒業試験を与えるとするか。


 と、その前にこのボロボロの服だな。

 ボクのローブを貸して着回してるとは言えずいぶん痛んで来たな。

 まぁ、しょっちゅう吹っ飛んでは地面に転がってるんだから当たり前か。

 せめて、少しは野生の獣から身を守れる程度の服ぐらいは用意してあげるとしよう。

 確か……

 魔牛の鞣し革と千年蔦から編んだ糸があったな。

 気に入ってくれるような女物を作る自信は無いけど、ま、頑張るとしよう。


「リョウ、ほら、いつまでも寝てないで。そろそろ家に戻るよ」

「きゅ~……ふぁい……」


 ヨレヨレと、若干死にかけのゾンビ(?)みたいに緩慢な動作で立ち上がる。


「そっちじゃないよ、こっちだよ」

「ふぁ、ふぁ~い……」


 ちょっとだけカウンターが豪快に決まりすぎたようだった。

 し、仕方ないだろ!

 それだけリョウが強くなってて、ボクも加減できるような状況じゃ無かったんだ!

 それもこれも、ボクの手ほどきの恩恵だよな! うん!!

 ……ひとまず、今晩は付きっきりで看病してやるとするか。




 それは、夜中のことだった。


「ありゅ君いる~?」

「居るよ」

「えへへへ~」


 若干幼児退行したみたいに盛大に寝ぼけていた。

 頭の緩そうな笑みを浮かべている姿がちょっとバカな子犬みたいで可愛い――――とか思ったのは秘密だ。


「あのね、あのね、俺さ~」

「うん」

「この世界でアル君に会えてさ~」

「うん」


 ……この世界。

 それは、この広い世界でって意味だろうか。

 それとも、向こうの世界から来たのに出会えたって意味なのか?

 そんなことを考えていたら、不意打ちを食らった。


「俺、すっごく幸せだよ~」

「……そっか」

「むぅ~ホントだよ~」

「あ、うん。わかってるよ」

「なら良い。えへへ~……」


 リョウはそれだけを言うと、幸せそうな顔で寝息を立ててそのまま眠りに落ちた。


 ……

 …………


 頬がやけに熱く感じたのは、たぶん、気のせいだ……

 そうさ、気のせいだ。

 でも、その日の夜はなかなか寝れず、結局、一晩中リョウの衣装を作ってしまったのはもちろん、秘密だ。

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