第46話 出会いと再会

 その剣士は自らをカーズと名乗るだけで多くは語らなかった。


「その名はかつて世界を救った英雄の名だろ。今じゃ神とさえ崇められる最高位の聖人の名じゃないか。名付けることもましてや自称することも禁忌のはずでは?」


 問いかけても、男は薄く微笑むだけ。

 ただ、この剣士がボク如きじゃ足下にも及ばない戦技と見識、知性までをも持ち合わせているのはすぐに分かった。

 そして、何故かボクの事を、


 ――遠き盟約の末裔――


 そう呼び、見ず知らずボクを見捨てることも無く面倒を見てくれた。

 それは親にさえ三歳かそこらで捨てられたボクが、初めて大人から与えられた優しさだった。


 何故カーズという古の聖人の名を名乗りボクを助けたのか……

 彼の真意がどこにあるのかは分からない。

 ただ、その力は古から伝わる英雄王と同一人物なのでは?

 そう思わせるに値する力があった。


「カー……あ、あの、さ……アンタのこと、じゃなくて、あ、貴男のことを、その……先生って呼んでも、良い……ですか?」


 そんな自分らしくもないことを思わず口走ったのは、彼に守られるようになってから十日ほどが過ぎた頃だった。

 この人が、一瞬驚いたような照れたような、そんな顔を見せたのは後にも先にもその一度だけ。

 今思い出しても思わず笑ってしまう。

 それぐらい何時も無表情な人だった。


 彼の元に居た毎日は、ただ楽しい、とも少し違う日々だった。

 それは、初めて充実という言葉の意味を知った毎日――


 戦いの意味を――

 魔術を使う意義を――

 知性を持つ大義を――

 理性を持つ責務を――

 

 ボクの中から失われて久しい人間性の尊さというやつも、


 先生はボクに教え与えてくれた。


 そして、彼はボクが隠している力の使い方までも教えてくれた。

 だけど……

 自分が強くなればなるほど、彼の深淵のように底の見えない強さを思い知らされた。


「先生、貴方は何者ですか?」


 力の差を見せ付けつけられる度、何度彼にそう問いかけただろう。

 その度に彼は薄く微笑み、塔の中の空に浮かぶ巨大な星を眺めながらこう答えたるのだ――


「盟約に縛られた、ただの死に損ないだ」


 と。


 たぶん……

 その声音には悲しみに似た音色を含んでいたと思う。

 だけど、彼は自らを多くを語ることは無かった。

 ただ、ボクに人としての道を教え、


「人として生きろアルフレッド」


 いつも、そう教えてくれた。

 それは、人間としてって意味じゃ無い。

 地上に生を受けた智恵ある者として生きろ――


 先生はそう言ってくれたんだと思う。

 そして――


「アルフレッド、お前の闇は深い。それはここに居て私に師事を続けたとて癒えることは無いだろう。もし、お前がその名に意味を見出せないのであれば、その生に覚悟を見出せる日が来るまで埋伏するのも良いだろう。

 いつの日か、その名が持つ意味を見出してくれる者と出会えたなら、お前の真の人生は産声を上げ、前に進むべき道は開けるはずだ」


 我が師ながら、まるで占い師のように難解な言葉をボクに与えてくれた。

 人生で初めて、充実という意味を知った日々だった……


 先生に教えを請い、振り返れば――

 ずいぶんと時が流れていた。

 青銀色だった髪は全ての魔術が使える象徴とも言える黒髪に変わり果て、ボクの身長もずいぶんと伸びていた。

 ……まだまだチビだとか言うなよ。殺すぞ。



「先生、そろそろこの塔を降りようと思います」

「そうか……自分の過去を受け止めるために歩み出す、か」

「はい。正直、貴方に出会う前のボクだったら、過去の過ちを見つめると言いながら目を背けていたと思います。でも今は、過去を受け止めるという意味を知った……知ることが出来た。そう思えるぐらいの自分には、少しだけ成長出来たと思います」


 そう告白したボクの頭を、先生は優しく撫でてくれた。

 それは……

 母親がボクにまだなけなしの愛情をかけてくれた頃以来の、温もり。


「アルフレッド……お前の罪は確かに重たい。それは、どんなに装飾の言葉を用いたとて、覆い隠すことは出来無い罪だ」

「……はい」

「失ったモノも起きた事実も、全てを無かったことに出来るほどこの世界は優しくは無い。だが起こした間違いにさえも必ず意味はある。現在いまは意義を見出せずとも、遠くない未来には何かを生み出す原動力とはなるだろう。この世に意味の無いことなど、何一つとして無い」

「そう、なのでしょうか……」

「今すぐには誰も知ることは出来まい。だが、決して途切れることのない人の世の流れの中では、何かしらの教訓となるのだ。人の世とはそう言うものだ」


 先生の赤い瞳は天頂に浮かぶ見知らぬ、いや先生が月と呼んだ星を眺めていた。


「未来に暗き不安を覚え、その道を進むことに不安を覚えたならまた私を訪ねるが良い。私は数多の星が流れ落ち尽きるその日まで、ここに居るのだから」

「先生……?」


 先生が語ってくれた言葉の意味……

 それはボクには分からなかった。

 ただ、最後の別れ際に残してくれた言葉、


「アルフレッド、死ぬなよ」

「はいっ!」


 その言葉に、ボクは今までの人生で一番前向きな返事をすることが出来た。



 だけど……

 現実はボクが思う以上に厳しかった。

 帝国を名乗るに至る犠牲は凄まじく……


 アーロン……イーシャ・イーディー・エーデン・エーモン……オルガン・オルダン・ガナモン・カルフェン・……キエゴ・キジム……クシャナ……クールー・クレバ…………ディブィム……バルバロセ……ロードリル……


 覚えても覚えても……終わりが見えないほどに踊り狂う、滅びた国に生きていた者達の名前。

 名字で2400。

 人名で12万5千……


 それが、帝国に……


 いや、ボクがもたらした力で失われた命の数だった。



 気が付けばボクは……

 逃げ出すみたいにあの幼い頃に住んでいた森に戻っていた。

 罪を……受け止める?

 何を勘違いしていたんだろう……


 そんな覚悟も勇気も、ボクには欠片も無かったんだと思い知らされた。


 だけど、どんなに後悔しても――

 日は昇り、日はまた沈む。

 森に逃げ帰り、どれだけの日々を無為に過ごしただろうか……

 夜が明けては、遺跡の壁に死んだ者達の名を刻む日々。

 意味が無い、無駄だと分かりながら、台座に灯る明かりにどうか次の世界で戦争の無い世界に旅立ってくれることをただ祈り続けた……

 

 そんな生活を繰り返しながら、冬が過ぎ去り、春が訪れ……

 遺跡の堅い外壁に全ての名前を刻み終わった頃だった。


「今年はずいぶん暖かくなるのが早……っ! これは」


 地面に残されていた不思議な足跡。

 靴跡とは違う、まるでヒトの裸足みたいな足跡だった。


「魔猿のガキ……とは全然違うな。誰か、来たのか? こんな山奥にまさか裸足で?」


 その足跡の不思議はそれだけでは無かった。

 まるで何かを喜ぶみたいに飛び跳ねたみたいな跡があったり、地団駄でも踏んだかのような跡があったり、一言で言えば情緒不安定とも言えるような歩幅の足跡だった。

 しかも、それが自分の住んでいる小屋に向かっている。


「まさか……帝国兵?」


 思わず口をついた言葉。

 ボクの存在を発見して喜んだ。

 そして、ボクが恐怖の対象であることを思いだして地団駄を踏んだ……

 こじつけみたいな推理だが、こんな山奥までやってきた手合いとなるとそこら辺が無難な想像に思えた。


「足のサイズと歩幅的にも女か……ただ足跡を見るに歩き方は足を開き気味の男臭さがある、お上品なタイプとはほど遠い感じだ。騎士団とも違うな……傭兵? いや、傭兵が素足で山を歩くはずは無い……なら、本業は獣に気取られないように歩くハンターか? だが、ハンターならこんな無茶苦茶な……こんな……スキッ、プ? 見たいな足取り……するかぁ? それにしても、まさか……一人? 正気か? 何だ、こいつは? ただのバカか、狂人か?」


 プロファイリングをすればするほど全く見えてこない人物像。


「とりあえず、見付からない程度に追うか……」


 それから数時間が過ぎた。

 太陽はとっくに地平の彼方に沈み、夜の暗闇を地球の蒼い光が大地を照らしていた。

 森を抜け、魔牛がたむろする草原に出ると、


 ぐきゅるるるるる……


 突然、耳朶に届いた壮絶な音。

 それは、今にも死にかけの獣の鳴き声、じゃ無く明らかに腹の音だった。

 木陰から覗いて見ると、ヨレヨレにくたびれたアールヴエルフの女が居た。

 アールヴ……ボクが最も恨みを買っているだろう種族。

 なら、彼女はボクを暗殺しに来た……刺客か?

 だが、そんなことを考えていると、その女は何故か地面から毟った雑草を眺めては何度もため息をつき、首をかしげるを繰り返していた。

 まさかとは思うけど、アールヴのくせにあの魔牛以外は一口であの世逝きになるような猛毒の草を食べる気じゃ無いだろうな?

 まさか……いやいや、無い無い。

 あんな赤や黒の水玉模様が付いた紫色の草、正常な感覚を持っていたら誰が見ても食欲なんて湧きやしない。明らかに人間が口にして良いようなもんじゃ無い。

 だが、見ていると、悩みながらも口に運ぼうとしている様子……


 チッ……

 ただのバカだ。

 クレイジーだ!!


 助ける義理は無いが……


「その草は猛毒を持っていますよ! 死にたくなければ食べちゃ駄目だ!!」


 気が付けば叫んでいた。

 何故?

 分からない……

 余計なことをすれば、自分の首を絞める事になるはずなのに……

 理性的では無いと分かっているのに。

 だけど草を持った女は数回小首をかしげると、何故かまだ諦めずに草を食おうとしてるじゃないか!!

 バカか?

 バカなのか!?

 バカなんだな!!


 知るか!! もう、死ね、死んじまえッ!!


 毒草食って魔物の餌にでも……

 そう、思った時だった。


「頂きます!」


 ッ!?

 それは、ボクの聞き間違いだった、のか?

 今の言葉は、あの間延びしたしゃべり方をする戦場カメラマンが食事をする時に話していた言葉。

 そして、アイツが居た国の……言語……


 有り得ない。

 何であの国の言葉を、


 このアールヴの女が使えるんだ?


 有り得ない……

 有り得ない……

 有り得ない……


 はず、だった……


 今のは、ボクの、聞き間違えのはずで……


 だけど……


 気が付けば、声をかけていたんだ。


「お姉さん、やめた方が良いよ。その草、魔牛でも無いかぎり一口で即死だよ」


 これは、アイツの国の言葉。

 女はボクに視線を向けてきた。


 まさか……通じる、のか?

 そんな、はずはない……

 だけど……


 そんな堂々巡りな思考が止めどなく脳裏を駆け巡った。


 キョトンとした瞳を向けてくるエルフの女。

 疲れ切った顔とボサボサの髪にヨレヨレの姿。

 ドロドロの服装に……何だか獣みたいな唸り声まで上げている。


 何だ、この残念な物体は?


「ね、ねぇ……聞いてる?」

「う~がるるるるる~」


 う、うおぉぉぉぉ……

 知性の欠片も感じさせない勢いで威嚇された。

 関わったのは明らかに失敗だった気がした。

 後悔が鎌首をもたげたみたいにボクにのしかかる。


 だけど声をかけてしまった以上、これっきり『じゃあ、さようなら』ってのも、な……

 まして、毒草だよ。

 この人、元気いっぱいに血迷って毒草を食べようとしてるんだよ?


「あ、あの、さ? 人語、通じる?」


 実にボクらしくもない対応だったと思う。

 そして、また、ボクは何かにすがりつくみたいに、アイツの国の言葉で問いかけていた。

 目まぐるしく表情と目の色が変わる、残念アールヴ。

 正直、その表情からはボクが使った言語を知っているのか、全く理解出来ないのか……

 それともただただボクの発音が下手すぎて伝わっていないのか……


 そのアールヴの反応は、ボクには全く理解出来なかった。


 だけど……

 だけど、さ……

 情けないことにボクは何故か……

 ……何故、か?

 違う、ボクは……

 もう、その願いは二度とは届かないと分かっていても、明確に願っていたんだ。

 アイツの、ただ、真っ直ぐだったアイツの……


 目の前に居る困ってる誰かを純粋に助けたいって思える力を――

 

 ボクも、そんな強さが欲しいって……


 だから、だから……

 とっくに届かないって諦めているくせに、ボクは……

 思わずアイツの国の言葉を……

 また、使って――


 語りかけていた。


「ねえ? 大丈夫?」


 実に、いつものボクらしくも無い、気弱な声音だったと思う。

 情けない話だけど、ボクは人と関わることに臆病になっていた。

 また、奪い傷付けるだけなんじゃ無いかって。

 それなのにさ、この駄アールヴ……何て言ったと思う?


「こっちとら腹減ってんだ! ガキンチョだからって山菜はやらんぞ!! ガルルルル!」


 え、あ? はぁあぁぁぁぁ!?

 さ、山菜? え、山菜ってあの山菜!?

 はあぁぁぁっ!?


「えっと……」


 お前は獣か! とか、

 そんな不気味な色した山菜があってたまるか!

 とか、何だかいっぱい言いたかった気もするけど……

 その、まさか過ぎる反応に二の句が忘却の彼方に吹っ飛んでいた


 しかも、だよ……

 それは予想外すぎるほど流暢なアイツの国の言葉。

 え、え? 何故だ?

 まさか、アイツの国の人間だって言うのか?

 いや、アイツの世界にアールヴは居なかった。

 端から居ないのか駆逐されたのかは分からないけど存在しないはず。

 そう、人間だけの世界だったはず……

 どういうことだ……

 そんなことを目まぐるしく考えていたが、このアールヴはボクに思案の間さえ与える気は無かった。


「俺は山菜を食うぞ、がきんちょー!!」


 大口を開けて悪役みたいな顔で毒草を頬張ろうとしてるじゃないか!!

 ああ、このバカ!!

 何で食欲がそんな破天荒に荒ぶってんだよ!!


 ビシッ!!


 思わず反射的に振り下ろしていた手刀。


「だから毒草だって言ってるだろ。それよりも……まさか、ね。まぁとりあえず、お腹が空いているならそう言いなよ」


 何が起きるのか……

 それは不安なのかある種の期待なのか。


「きゅ~……ふしゅ~……」


 気が付けばボクは、


 変な唸り声を上げている、この、どうしようもなく残念なアールヴを……



 背中に担いでいた。

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