第45話 災禍の少年

 異界への旅。

 それは、ボクが望んだこと。


 ボクが見つけたあの場所の扉と許可が下りた扉。


 同じ世界に繋がっているとは思わなかったし、別に……

 同じ世界に繋がっている必要は無い。

 ただ、異界の知識に興味があっただけ。


 ……嘘だ。


 ボクは心のどこかで……

 アイツに会いたがっていた。


 だけど、その扉は別名【発狂と凶人の門】あるいは【地獄への迷い門】――


 曰く、そこは夜なのに陽光のように眩しい光が支配する世界だった……

 曰く、そこはあり得ないほど暴力的な音に溢れた世界だった……

 曰く、その門をくぐった先は――


 恐ろしい地獄だった、と。


 扉の向こうの世界を形容する言葉、それは――

 自分を見失いそうなほどに穏やかな時が流れていたあの世界とはまるで違った。

 だけど、もし……

 もし……

 その扉の先に繋がるのが、お前だったなら……

 ボクは……

 ボクはこの渇きの意味を、知ることが出来る気がした。

 だけどボクは、扉の先で……


 己の無知と罪を思い知らされた。





 DaDaDa……

 Ratatatatata……


 酷い炸裂音と、異様に荒廃した世界。

 伝え聞く地獄が――


 そこにはあった。


 無残に倒壊した、元は街があったのだろう瓦礫の下には潰れた野菜や人だったモノが転がっていた。

 砕けた建物の上には人の欠片がぶら下がり、低空を爆音を上げて飛び去る怪物が居た。


 空は――


 酷く焦げ臭い灰色だった。


「――――――」


 ボクのズボンの裾を掴む声にならない呻き声を上げるのは、腹から下をどこかに置き去りにした老婆だった。

 どう足掻いても助からない……

 気が付けばボクはその老婆の胸に手を当ててその鼓動を奪っていた。

 辺りを見渡せば、呻き声が踊り狂う地獄がそこにはあった。

 血を流しながら、石を持って届きもしない空の怪物に投げ付ける子供達が居た。

 怒りを叫ぶ大人達が居た。

 見慣れない武器を持ち、サディスティックな笑みを浮かべる悪党どもが居た。


 恐らくこれが、この世界の戦争なのだろう。


 戦争なら、どちらに正義があるのかは分からない。

 そもそも戦争に正義なんてモノは無いのかも知れない。


 分からない……


 分からないけれど、気が付けば身体は勝手に動き、

 ボクは……


 武器を持った男を破壊していた。


 無駄な行動だと思った。

 理性的じゃ無い。

 それは、自分にはまるで似合わない発作的な衝動。

 それでも、縋り付く手を振り払うは出来無かった。

 心の奥底には、異界の他人を助けるなど無駄だと囁く自分が確かに居た。

 それでも――


 何故?


 分からない……

 この世界で誰を救おうとボクには何の意味も無いはずで……

 常軌を逸したこの武器の前じゃ、ボクが一人勝ちを手に入れたとしても無意味なはずで……

 それで何かが変わる訳でも何かを得られる訳でも無いはずなのに……


 ただ、脳裏にちらつくのはアイツの屈託の無い笑顔。


 ……チッ、くそっ!

 本当に腹が立つヤツだよ、お前は。

 お前に出会ったのは、オレ・・にとって人生最大の失敗だった!


 ……

 …………

 ………………


 ……なんて、な。

 そう……思えなかったからオレはボクになったし、こんな地獄みたいな場所で悩んでいるんだ……


 それから、どれほどの時が過ぎただろうか?


 一ヶ月……二ヶ月……


 ああ、そう言えば、実に間抜けな話だが、こっちの世界に来て数日が過ぎた頃、ボクはあることに気が付いた。

 前に異界に行った際には起こらなかった肉体の変化がボクにも起きていたんだ。

 大人の肉体への成長。

 そう、子供のままだったなら求められるはずは無かっただろう救いを求める手が、いつの間にかボクの周りに無数にあったのはそれが原因だろう。

 ……異界への扉を越えるだけで何故肉体に変化が起きるのか。


 粒子レベルまで細分化された肉体が、意識という概念により再構築された際に自分が望む姿へと変貌するからだろうか?


 まあ、想像の域を出ない仮説に過ぎないし、今のボクにはそれを検証する時間も暇も無い。

 ただ、気が付けばボクはこの疲弊した民の言葉を覚え……

 アルハンブラという名で呼ばれるようになっていた……

 そして流れた月日に呼応するみたいに、


 戦況はますます苛烈さを増した――


 最初の頃は誰かが言っていた「もうすぐ戦争が終わるらしいよ」、そんな言葉に笑顔を見せていた子供達は――


 もう、どこにも居なくなった……


 粗いヤスリで削られたみたいに誰も彼も心はささくれ立ち、助けを求める子供達の声にさえ大人達は苛立ちを隠せなくなっていた。

 そんな頃だった。

 不思議な集団に出会ったのは。

 彼らは、自分たちを【ジャーナリスト】だと名乗り、【戦場カメラマン】だと胸を張って自己紹介をした。

 自分たちの命を投げ打ってでも世界に伝えなければならない現実がある……

 そう語る彼らの正義。

 別に、共感した訳じゃ無い。

 ただ、彼らの炎と氷のような相反する情熱を宿した視線に指先が震えたのだけは覚えている。

 そして、その中の一人が、ボクの感情を……


 さらに揺さぶった。


 それは、ずいぶん前に聞いた言語。

 未だ、ボクが完全には習熟するに至ることの無い、アイツの国の言葉だった。

 ハンマーでぶん殴られた気分だった。

 まさかと思った……

 あの、微睡みを覚えるほど夕焼けの美しかった田舎町と、この魔界そのものみたいなこの町が混在する世界が存在する何て……

 いや、それが、それこそが……

 ボクが考えないように、見て見ぬふりをしてきた世界という物の、

 現実だったのかも知れない。

 早鐘みたいに震える心臓をひた隠し、ボクは長身痩躯のその男に語りかけた。

 ボクの片言の言葉にその男は興味を示してくれたみたいだが、その男の言葉も酷い訛り……と言うか、間延びしたしゃべり方が特徴的なものだった。

 異国の話、おそらくはアイツが住んでいる国の話をどれほど聞いただろうか。

 そして、ボクは恐怖に震えながら彼らに尋ねていた。

 この未知なる兵器は……どこから生まれたのか、と。

 彼らはひとしきり悩んで、そして、絞り出すみたいに答えてくれた。


 皆、最初は空を飛ぶ事を夢見た少年達の、そして大人達が日々を豊にするために考えた――


 道具達だった……と。


 やがてそれらは兵器に変わり果て、進化した兵器は民間人の生活用具に変わり、生活用具の進化がまた兵器を生み出した……と。


 鼻っ面を思い切りぶん殴られた気分だった。

 自分が考えようともしなかった現実。


 いや、違う……


 見て見ぬふりをして、逃げてきた現実をボクは突きつけられた気分だった。


 そうだ……


 何故、王国が帝国を名乗った?

 いや、衰退した王国は何故、今さら帝国に復権出来た?

 何故、ボクの研究を規制していた帝国が、魔導列車の開発に莫大な資金を流した?


 グルグルと頭の中を駆け巡る――


 『何故』『何故』『何故』『何故』『何故』『何故』『何故』『何故』『何故』『何故』『何故』『何故』『何故』『何故』『何故』『何故』――


 決まっている。


 どうしてボクは、そんな当たり前のことさえ考えなかったんだ……


 いや、それも、違う……

 そもそも……ボクは人の命なんて、端からどうでも良かったんだ。

 だから……だから……


 酷い吐き気がした。

 目の前に膜がかかったみたいに、思考が停滞していく。

 そこまで追い詰められて、ボクは初めて、故郷に帰りたいと思うようになった。


 自分には……始末を付けなければならないことがある。

 だけど、帰り方も分からぬままそれからさらに数ヶ月が過ぎた頃……


 戦争が終わった。


 春が来たと喜ぶ子供達の笑顔を見たとき、自分の身体が光に包まれ元の世界に戻ることが出来た。

 何が切っ掛けだったのかは今でも分からない。

 向こうの世界がその後どうなったのかも分からないが、

 ボクに未練はもう無かった。

 後の世界は、残されたその世界の住民達が引き継げば良いのだから……

 そう、それよりもボクには成すべきことがあった。


 元の世界に数ヶ月ぶりに戻ると、皆、喜びとも落胆ともつかない顔をしていた。

 まあ、疎まれているのは分かっていた。

 だから、向こうの世界からボクが戻ったのを歓迎出来ずに落胆するのは当たり前だ。

 だけど、そこに喜びの色が混ざっているのが逆に不思議だった。


 だが、その理由はすぐに判明する。


 ボクが居なくなったことで魔導列車の研究が行き詰まっていたのだ。

 帝国の威信を賭けた研究。

 すでに天文学的ともいえる莫大な資金がつぎ込まれていた。


 失敗しました、ごめんなさい。


 そんな言葉では済まされない事態にまで事態は進んでいた。

 成果を出せない状況に皇帝は苛立ち、大きな功績があるはずの魔導研究所が閉鎖されるという憶測まで飛び交っていた。

 いや、それは事実だった。

 研究員の家族が、皆、帝都住まいを命じられたのだ。


 研究を完成させなければ、いつでも殺せる人質として。


 正直、自分が殺されるのも、ここの研究員が殺されるのも、どうでも良かった。

 良い歳した大人が、他人ガキの選択にぶら下がった末に招いた結末なのだから。

 だけど……


 頭の隅にチラ付いた影は、向こうの世界の痩せ細った子供達。


 こいつらが死ねば、こいつらの子供はどうなる?

 子供にも、家族にも、罪は無い。

 罪があるのは、安易な発想で帝国を動かしてしまった、


 ボク自身だ……


 それからは、どれだけ研究に没頭したかも分からない。

 口八丁手八丁で謁見した皇帝に、臣下達の前で研究員の家族を守ることを了承させた。


 そして一年後……魔導列車は完成した。


 それは皇帝が真に望むモノとはほど遠い代物。

 定められた時刻に定められたルートだけを走りただ空を飛ぶだけの、既存の蒸気機関と何ら変わらない列車が。

 あの時の皇帝の激怒は見物だった。

 だが、どんなに激怒しようと、魔導研究所の職員を裁くことなど出来やしない。

 兄達の死により運良く玉座に座れた何の才覚も無い末弟風情。

 たまたま運良く皇帝の地位にまで成り上がれただけにすぎない小心者の無能者。

 そんな評価の男が臣下の前で誓った約束を反故にするなど許されやしない。

 それを行えば、臣下との約束も守れない矮小な男として、玉座から引きずり下ろされるのは目に見えているからだ。

 とは言え、ボクの居場所はもうこの国に無いのは明白だった。

 食べ物に毒を混ぜられるか暗殺者を送られるか……

 ちょっと前のボクなら、それでも良いと思っただろう。

 だけど、今はまだ死ねない。

 いや、死ぬのは許されない……


 ボクは……


 それからしばらくして、国から【蜃気楼の塔】、別名【クリスタルタワー】への探索の任が出た。

 直接手を下すより、未だ攻略されていない塔に派遣した方が益があると判断したのだろう。

 万が一にでも攻略したのなら、その偉業は派遣を決定した皇帝のものになる。失敗したのなら、それを理由にボクを排除するなり殺すなり出来る。

 そう考えたんだろう……

 は、ははは……


 ぶぁ~か。


 貴様の選択は、むしろボクにとっては好都合なんだよ!

 調査隊という名の名目でどれだけの監視役を付けようと、そいつらも含めてボクの……いや、俺の敵だ。

 俺が俺の敵と認識した相手を許すとでも思ったか?

 まとめてくびり殺してやるわっ!


 ……

 …………

 ………………


 そう、だ、ね……すまない。

 今思えば、この頃のボクは若干情緒不安定な所はあったけど、でも、基本……

 ボクには変えられない価値観があったんだ。

 敵か味方か、白か黒か……


 そう――


 中庸が……

 灰色が欠落していたんだ。



 ――蜃気楼の塔――


 何時の時代から存在し、何のために建てられたのかも分からない。

 ただ、現存する最古の文献と謂われる【刻喰らいの書】にもその名が登場する、有史以前から存在する塔。


 ある者は魔族が建てたと言う。

 また、ある者は神が人に試練を与えるために建てたとも言う。

 そんな迷信じみた話を信じるボクじゃ無いが、この塔の難解さを考えればそんな眉唾にも信憑性を感じざるを得ないのは事実だった。


「すいません、この塔の一番の情報通だった学者が、先日モンスターに噛まれて大怪我をしたとかで……」

「そうか、気にする必要は無いよ。犠牲は少ない方が良い」

「は? 犠牲?」

「何でも無いよ」


 帝国からボクの護衛を……と言うより、撤収時のどさくさでボクの暗殺を命令されている男が報告に来た。

 自分に下されている命令にボクが気が付いていないと思っているのだろう、実に呑気な男だ。


 そこからは情報も少ないままに塔の攻略が始まった。

 冷静に考えれば、それはある意味自殺目的の強行軍にも似ていた。


 破竹の勢いと言えば聞こえは良いが、疲労を顧みない侵攻。

 攻略に従軍している兵士達に疲労は見えたが、前人未踏の塔を攻略出来るかも知れないという欲望が謎の高揚感を生み、疲労を霧の彼方に押し隠していた。

 そんな士気だけは高いが、肉体はボロボロの状態で迎えた59階層に――

 ソイツは居た……


 ――蜃気楼の塔 59階層に巣くう悪魔暴食竜ソウルドレイク――


 結果は……

 語る言葉を必要としないほどの惨敗だった。

 100名近い兵士達は、ボクが手を下すまでも無く壊滅。

 ボクにとってはそれなりに無害である学者達も、辛うじて生きているような状態だった。


 ボクは生き残った者達を帰還させるため、自ら殿しんがりを買って出た。

 それは正義感でも道徳心でもない。

 単に自分が死んだように見せるのにはそれが好都合だったから。

 だけど……

 やはりボクは、この期に及んでも何も分かっていなかった。

 死を装うには、そいつはあまりに強大過ぎた。


 向こうの世界で磨かれ多少なりとも強くなった気になっていたボクの自信は、ソウルドレイクの傍若無人な力の前に手も足も出せずに粉々に打ち砕かれた。


 まだ死ねない。

 死ぬ訳には行かない。


 そう、叫び続ける心とは裏腹に、脳裏に宿り受け入れ始めていた死という現実……


 無様なものだ。

 他人をあざ笑い生きてきたツケが、ここに来て津波のように押し寄せてきた。

 愚か者には似合いの末路だ、そう覚悟を決めた、

 その時だった。


 その人と出会ったのは――


 全てを射貫くような赤い双眸と、紫烏色の髪、そして、その髪とよく似た色の外套に身を包んだ、この世の者とは思えない美貌の人物。

 ああ、自分にも死神が迎えに来た……

 そう死を噛みしめ、覚悟を決めた薄れ行く意識の中で……

 その人はたった一本の剣でソウルドレイクを調伏して見せた。


「化け物……め……」






 目を覚ますと、辺りは暗闇が支配していた。

 途中から迷宮化していた塔。

 それが辺りには地球とは違う星の明かりが灯り、虫の鳴き声も聞こえた。

 記憶の中にある、20階層周辺の地形。


「目が覚めたか……」


 それは男とも女とも付かない声音だった。


「あ、貴方が……助けてくれたのか?」


 暗闇に映る眼光。

 まるで猛禽類の如き鋭い眼光がボクを射貫く。

 見つめられるだけで、魂が粉砕されるような衝撃。

 それは……

 化け物であるソウルドレイクを除けば、

 人生で初めて出会った、自分より遙かな高見に居る強者だった。

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