第44話 消えない後悔とごまかせない思い

「なぁ、どこまで行くんだ?」

「え、何? 何て言ってるの?」


 コイツの怒濤の勢いに思わず流されたけど言葉は通じないままだ。

 まあ、聞いてる分には大してレベルの高い言語とは言えないようだから、数日もあれば覚えられそうな気がする。

 まぁ、覚えるまで居るつもりも無いが。


「でさでさ、キミ見ない顔だけどどっから来たの? って、ジャパンワードは通じないんだよね? どうすっかなぁ、オラマジで困ったぞ」


 何故だろうか。

 言葉は通じないのに、何故かコイツがちょっとイタくて頭が弱いヤツだってのは理解出来る不思議。


「まいっか、ボクは……えっと、正義のあくましょうぐん、かめんのリョウだ!」


 えっと、流れを推測するに自己紹介しているそんなとこだろうか?

 頭も悪そうだから呪詛を使われることは無さそうだけど、本名を名乗る必要は無いだろう。


「ソフィーティア」

「ソフィーティア? あ、それがキミの名前か!! 女の子らしい可愛い名前だね!! ん? あれれ? でもどこかで聞いたことある気が……んー……わからん!!」


 コイツが喋っている内容はまったく分からないけど、とりあえず偽名は好感触だったらしい。

 偽名に意味は無い。

 ただ、記憶のどこかに残っている名前……

 誰の者かも分からない。あのくだらない母親とかいう生き物の名前でも無い。

 ただ、記憶のどこかにこびりついた名前……

 いや、止めておこう。これは無駄な感傷だ。

 ただ、俺の偽名がこの世界でも違和感無く通じることが分かっただけで十分だ。

 そう、それで十分。


 ……この世界、か。

 全く知らない言語、全く知らない人種、全く知らない建築物。

 自分がいかに経験が足りないとは言えこんな文明や言語は聞いたことが無い。

 そう考えると、たぶん、ここは異界だろう……

 ただ、俺が想像していた悪魔や精霊が住む異界とも違うようだけどここは一体……


「ねぇ、キミはどこの娘? この辺りに引っ越してきたの? 何て聞いても言葉が通じないよね。とりあえずキミずぶ濡れだけど、もしかしてあいつらに水でもかけられた? あの兄弟、本当に乱暴だよね。しかも女の子相手にも暴力振るうんだからッ!」


 何を話してるのか全く分からない。

 ただ、俺のために怒ってくれているのは確からしい。

 ……それは、とても不思議な感覚だった。

 親にさえ疎まれ、捨てられた俺が――

 名前も知らない他人に守られる……

 まあ、正直に言えば必要の無い行為だったけどな。

 だけど、この行為の意味は何なんだろう?

 血の繋がりなんて呪いじみた鎖さえ簡単に断ち切られるのに、他人を救う行為に意味はあるのか?

 本当に、不思議なヤツだと思った。

 理解に苦しむ……

 苦しむ、けど――

 ただ、少しだけ……


 い……い……


「イプシッ!!」


 ……え?

 気が付けば、俺は最初に迷い込んだ遺跡の中に居た。

 眼前にあるのは淡い色を放つ祭壇。

 浮かんでいる文字は相変わらず【我が一族の名を捧げよ】だった。


 ……はぁ。


 まさか、名前が俺のくしゃみと同じ響きだとか、どんな冗談だよ。

 ……アイツ、何て名前だっけ?

 たしか……

 あくましょうぐんがどうとかって何度か言ってたな……

 ……アイツの名前なのかな?

 ま、良いさ。

 もう二度と関わる事も無いのだから。

 でも、異世界か……

 もう少し言葉を覚えたら、向こうを散策するのも面白いのかもしれない。

 そんな事を考えていたら、


 気が付けばまた向こうの世界に来ていた。


 その行為に深い理由なんて無い。

 ただ、もしそこに無理矢理にでも理由を付けなければならないのなら、それは……


 その世界に興味があった。


 それだけ。

 そう、ただそれだけ。


「ボクは、無駄な行為が嫌いだ……」


 だから、これは意味のある行為だ。

 ……アハハ、くだらない。

 何て下手くそな言い訳だ。

 今の自分の思考こそ無駄だ。


「あ、ソフィー!!」


 走り寄ってくるのは、もう何度も会ったあくましょうぐん……じゃなくて、カメンノリョウの声だ。


「久し、ぶり……」

「うん、久しぶり! 一週間ぶりだよね! ボク、メッチャ会いたかったよ!」

「……うん」


 どうやらこっちの世界には小学校と呼ばれる教育機関が存在するらしく、カメンノリョウはそこに通っているために土日以外はほとんど会えなかった。

 ……べ、別にカメンノリョウが居なくても、俺にはか、関係無い!

 た、ただ、こっちの世界に疎い俺にとっては、それなりに知識のあるこいつは利用価値がある……

 そう、思っただけだ。

 そう……それだけのはず……だった……

 でも、

 今なら分かる……

 俺にとってコイツの存在は、誰よりも大きくて……

 何よりも……


 ああ、それなのに……


 ……それなのに、それ・・は壊れてしまった。

 いや、俺が……

 壊してしまった……


 あの日……

 何が切っ掛けだったのか、それすらも忘れてしまったけど……

 ……俺が、忘れる?

 違う。

 俺は、忘れようとしているだけだ……


 俺はあの日、初めて感情をむき出しにしてアイツと喧嘩をした。


 俺は何を言ったのだろう?

 アイツに、何を言われたんだ?


 ……覚えていない。


 ただ、酷く些細な言い争いだったはずで。

 本当にくだらないガキみたいな言い争いだったはずで。

 それなのに、気が付けば頭の中が痛くなるほど熱くなって……


 そして気が付けば、アイツは木の下で倒れていた……


 ガキの言い争いから始まっただけの……

 はずなのに……


 ……

 …………

 ………………


 気が付けば、泣いてすがる少女がいた。

 確か、アイツの姉……だったと思う。


 そして、そこからは……


 今までの俺なら、有り得ない選択だった。

 それでも、その衝動は抑えられなかった……


 俺は、どんなルールがあるのかさえも分からない異世界で、死にかけのこの男に魔術を使っていた。


 おそらく、この世界に魔術は存在しない。

 そう、だから俺のこの行動は明らかな失態だった。

 異端、異形……

 それらの末路がどうなるかなど、俺は書物を読み嫌と言うほど分かっていたはずなのに……

 いや、自分自身が散々味わわされてきた辛酸のはず、なのに……


 ただ、生きていて欲しかった。

 死なないで欲しかった。

 

 ……何で?


 分からない。

 分から、ないんだ……


 他人なんてどうでも良かったはずなのに。

 獣の命も人間の命も、俺にとっては等しくどうでも良かったはずなのに……

 コイツには、何時もみたいに、バカみたいに笑っていて欲しかった。


 それが俺自身偽りの無い本音だった。


 だから後悔は無い。


 後悔は、無い……


 後悔は……


 だけど、俺は……


 俺は……


 もう、二度と……


 良が居る世界に、行けない……


 それを思い出すだけで、胸の中のどこかが痛くなるのを……


 隠すことは出来なかった。


 ――別にアイツに興味があった訳じゃ無い――


 はず、なのに……

 思い出す度に胸に痛みが走った。

 そんなくさくさした気持ちを抱えたまま一ヶ月も過ぎた頃だった。


「青銀色の髪……君だね、この森に住んでいる少年というのは」


 突然、俺の家に四人の大人達が来た。

 大人達は、森の中で魔術を使う幼い子供が居る。

 それを聞き様子を見に来たとのことだった。

 魔術は使おうと思えば誰でも使える。

 それなのに何故ここにこいつらが来た?


 子供が一人山奥で可愛そうだから――

 そんなおままごとみたいな理由で人助けするような連中には見えなかった。

 だとしたら何のためにここに来た?


 ……俺はすでにこの力で魔猿や魔熊を殺している。

 その力を、森で狩りをしていたハンターに見られた可能性は否定できない。


 魔術は誰しもが使える。

 ただし、才能の無い者はそれなりにしか使えず、まして子供が大きな力を使うなどあり得ない。

 なら、場合によっては魔族の子供として見られ討伐に来た可能性さえある。

 いや、実際に自分が使っているのは純魔力・・・であり、魔術などという下等な力では無い。

 事実、自分はすでに人の子などとは到底言えない存在になっている。


 ……自分で言っといて、思わず苦笑いが込み上げる。

 これじゃまるで、自分を正義の味方と思い込んで無茶している、アイツみたいじゃないか……

 いや、違うな。

 これは、アイツが戦いたがっていた悪役の方……だな。


「あらあら、ご免なさいね。大人が急に来てビックリさせちゃいましたね。あのね、お姉さんの名前はアルメリア、私たちは王国魔導研究所で研究員をしているの」


 アルメリア――

 俺の周りかつていた母親なる生き物と似た言葉遣いだが……

 ふむ、知的を装ってはいるが、そこはかとなく滲み出る噛ませ犬な雰囲気と頭が良いと思い込んでいるだけの大人……

 そんな印象だった。

 そして、それは見事に確信に変わった。


 アルメリアと名乗った女は、懐から懐中時計を取り出すと俺に見せたのだ。

 そこに描かれているのは【星を噛む竜】の紋章。

 それは王国に仕える者の証明であり、この国に住む者ならそれが与えられる意味を誰もが知っている。


 そう、強者であることの証しだ。


 やはりこの女は馬鹿でクズだな。

 こんな懐中時計を見ず知らずの者に、それも子供に見せる事の意味。

 その答えは一つだ。

 優しさを装っているがただ己の力を誇示したいだけ、それだけだ。

 反抗は無駄だ、そう言いたいのだろう。

 それも自分の十分の一も生きているかどうかも分からないガキを相手に。

 面倒臭い……

 別に戦いは怖くない。

 事実、こいつらを排除し肉片にするのに一分もかからないだろう。

 だが、王国の者が帰ってこないとなればどうなる?

 次々と人間が派遣されるだろう。

 なら、その都度戦うのか?

 心底、面倒臭い。

 こんなゴミみたいなつまらない連中の相手を、何故俺が死ぬまで繰り返さなきゃならんのか?


 ……戦うのが、面倒臭い?

 何故? 死にたかったはずなのに?

 コイツらを相手にすれば、何時かは死が向こうから来るじゃ無いか。

 それなのに……


 頭の奥に、アイツのバカみたいに脳天気な顔がやけにちらついた。


 ……くだらない。

 もう、終わったんだ。

 糸は途切れた、二度と絡み合うことも無い。

 もう出会うことも……

 それからの選択肢は、記憶の片隅にも残らないほど適当に選んだ道だった。


 魔導研究所への招集。


 最初は幼くして魔術が使える俺をモルモットにでもしたかったのだろう。

 ただ、その思惑はすぐに変わった。

 彼らにとって、俺は都合の良い研究者だった。

 そして、全てに飽きていた俺は……

 違う、全てを――

 あの世界のこと全てを忘れようしていた俺には、何かに没頭するというこの時間は何よりの救いになっていた。


 それが取り返しの付かない、後悔という名の地獄に変わるとも知らずに……


 ただ、自分という存在を研究に明け渡す日々。

 それなのに、忘れようとする気持ちとは真逆みたいに思い出される感情。

 一人称が俺からボクに変わったのは……

 遠い世界に出来た初めての友達を忘れようとしているくせに、忘れることさえ出来ずにいるから――

 

 だったのかも知れない……


 未練未練未練未練……

 後悔後悔後悔後悔……


 そんなくだらない呪縛に何時までも捕らわれながら、気が付けばボクの手元には抱えきれないほどの賞賛が転がり込んできた。

 口々に讃えられる研究への賛辞。

 だけど、


 つまらなかった――


 何をやっても満たされず、研究に没頭すればするほど、何かを渇望するみたいな渇きに襲われる。

 そんな日々がただ無為に過ぎ、気が付けばさらに数年が経ち……

 王国魔導研究所は、いつの頃からか帝国魔導研究所と名を変えていた。


 その頃だった。

 思うように研究の認可が下りなくなってきたのは。

 以前からあったことだが、ここ最近は特に酷かった。

 最初はあの地位ばかりはそれなりの親が裏から手を回しているかとも思ったが、ここは国の機関とは言え皇帝直属の独立機関。

 そもそも表にも出ないボクのことをアイツらが気が付いているとは到底思えない。

 まあ、結局はこの国自身がボクを持て余し始めているのだろう。


 思うように動けない毎日。そんな毎日にすり減り始めたからだと思う――

 【世界】という物に興味を持ち始めたのは。

 いや、違うな……

 ここにも【世界】という存在があることを思い出したのは。

 この閉ざされた研究所で朝から晩まで魔導の研究に明け暮れた日々。


 もし、外に出れば……

 このつまらないって感覚は癒やされるんだろうか?


 なあ……


 お前はいつも楽しそうに笑っていたよな。


 自転車という乗り物に乗れるようになってさ、隣の町に遊びに行けるだけでオラ、ワクワクしたぞ!

 初めて学校に行ってさ、知らない友達が出てきてワッチは楽しかったよ!

 拙者、新しいアニメ(アニメってのはよく分からなかったけど)が始まるのが楽しみでござる。

 学校で友達が出来たのも嬉しかったけど、一番はソフィーティアと、さ……友達になれたのが、ボクすっごく嬉しかったんだ!


 何でアイツはいつも一人称がブレブレだったんだ?

 ……アイツ、まだボクのことを覚えていてくれている、かな?

 でもアイツ馬鹿だったし、きっともう……

 ボクのことなんか忘れてるよな……


「……ッ」


 自分の中で、何かが軋んだ。

 忘れろ。忘れるんだ。

 ボクが研究に明け暮れたのは、それが目的だからだろ……

 そういや、アイツと最後に話したとき、何で、怒ったんだっけ……?

 確か……


 そうだ――

 

『一人で良いなんて、絶対にない!』


 何で、忘れていたんだ……

 アイツと喧嘩したのは、ボクが一人が良いって言ったからだ……

 そしたら、ボクに見せたい物があるからって、裏山に連れてかれたと思ったら急に木に登って……

 その枝が折れて大怪我したんだっけな。

 ……ホント、破天荒と言えば良いのか、ちょっと頭が足りないんじゃないかと思うぐらいメチャクチャなヤツだった。


 ……

 …………

 ………………


 アイツは、ボクに何を見せたかったんだ?

 なあ、そこに行けば何かが見えたのか?

 この世界でも、お前がボクに見せたかったモノは……


 見れるんだろうか?


 見てみたい。

 そう思い始めたら、居ても立っても居られなかった。

 魔導研究の傍ら始めた列車の開発。

 研究に制約を付けていた帝国が、以外なほどすんなり空飛ぶ列車の開発に許可を出したのには驚いたが、そんな理由はどうでも良かった。

 

 ただ、アイツがボクに見せたかった物を知りたかった。

 自由に世界を移動できる乗り物。空を飛べる乗り物。

 それがあれば、アイツの見せたかった物に手が届くような気がしたんだ……



 そして、魔導列車の研究が九割近く完成を見せる頃……


 異界への扉の探索許可が下りた。

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