第三章 アルフレッドの世界 side・アルフレッド

第43話 世界を変えた少年、その孤独

 カッコン……

 カッコン……


 部屋の中の柱時計。

 光を手に入れて初めて目にしたのはそれだった。


「私のアルフレッド。お早う、もう目が覚めたのね」


 

 ――お早う――


 その時は、それが一体何を意味するのか分からなかったが、二日後にはそれが挨拶だと知った。

 そして、少年は更に知る。

 自分を抱いていたのが母親と呼ばれる生き物だと言うことを。


 ――愛情――


 そんな漠然とした化け物じみた呪縛で縛られていたのは、おそらく少年が三歳ぐらいまでの話だった。


 少年が言葉を理解し、あらゆる言語を使いこなせるようになったのは僅か二歳の話。

 最初は天才と持て囃した大人達もすぐに少年を持て余し、


 そして、恐れた――


 いや、あまりにも早く言葉を理解し始めた頃から、母親ですら少年の誕生を喜んでいたとは思えない発言をこぼすことが多くなった。

 そして、三歳を迎える頃。


 母親の愛情はプツリと途切れた。


 ――母子の歯車――


 それが最初に狂ったのは、500年前の先祖の代まで遡る。

 かつて、まだ帝国が数多の種族を従える強大な力を持っていた時代、人間達の思い上がりは蒼穹をさえも貫いた。


 ――戦争――


 地上に僅かに残された土地の覇権を巡るべく派兵が行われた。

 その地は四大魔王の一角、最強と誉れ高き竜王ラースタイラントが支配する地。

 帝国の威信を賭けた出兵は――

 だが、わずか七日で幕を閉じた。


 ――惨敗――


 30万を超える帝国兵は、ラースタイラントの強大なる力の前に為す術も無く瓦解したのである。

 それほどまでに魔王と呼ばれる存在と人との力の差は圧倒的であり必然であった。

 いや、逆説的に言えば七日保ったことこそが奇跡なのだ。


 ――奇跡の理由――


 それはこの大義無き戦いに駆り出された六英雄の存在だった。

 30万の兵を動員しながら僅か七日間しか保たなかった大敗であったが、それでも六英雄の力は人類の力を大きく上回り、ラースタイラントに手傷を負わせることに成功した。

 しかし、その戦いで超常の英雄と呼ばれた六人は二名を残して全て死亡する。

 その残された英雄の名の一人を、


 ――深淵の監視者メロリア――


 と言った。

 後に魔を孕みし魔女、裏切りの厄災者と呼ばれたアルフレッドの先祖である。


 歴史上類を見ない大敗を喫したこの戦争で求心力を失った帝国は、その後数年と待たずに瓦解へと突き進む。

 そして、その崩壊の中で埋もれかけた忘れてはならぬ真実が一つあった。

 帰還した【深淵の監視者メルリカ】の、


 夫無き受胎である。


 かつては残された兵を無事に帰還させ英雄と呼ばれたメルリカは、その影で魔王の娼婦となり助かったにすぎない人類の裏切り者――


 まことしやかにそう囁かれたのだった。


 やがて、その噂を耳にした皇帝により、メロリアとその子は生まれる前に母子共々処分せよとの決定が下される。

 だが、その決定に反対した者が居た。

 時の宮廷魔術士長にして超常の英雄の一人であるエルフ族のイプシであった。

 曰く――


【真に竜の王の子であったなら、その子を手に掛ければ竜の王の怒りを買う恐れあり】


 先の大戦で竜王ラースタイラントの恐怖を知る帝国は揺れた。

 昼夜を問わず議論が重ねられ、結果……


 メロリアの国境外への追放、そしてイプシ自らが監視をするという名目でその座を捨て宮廷を去ることで一応の決着となったのである。


 それ以後メロリアの名が歴史の表に出ることは無かった。

 一説には監視者であるイプシを殺害し竜王の娼婦に戻った、あるいは産んだ子に殺害されたと噂された。

 程なくしてその消息はつかめぬままとなり、ついには深淵の監視者と呼ばれた英雄は歴史からも名前を抹消されたのである。


 そして現在――


 世界最大の教団【大国生神教ガード】の閉ざされた教典の中に、堕ちたる英雄【魔を孕みし魔女】として、小さくその名を残すのみとなった。

 だが、メルリカの血はこの世界に息づいていた。

 あろうことか帝国の、いや、今や王国と成り下がった人国で最大とも言える権勢を誇る公爵家の分家に息づいていたのだ。

 そして公爵家には誰が残したかも分からないが、一つの家訓が残されていた。


【もしも血縁の中に、人の能力を大きく逸脱する力を持つ子が生まれたなら、その子を恐れるも大切にせよ……】


 それが意味すること……


 その真意は数百年後……

 星には瞬きほどだが人には無限に等しき時の流れの中で失われたが、言葉だけは僅かに湾曲して一族に伝わったのである。

 そして、残された家訓がまるで予言であったかのように一人の天才児が産声を上げた。


 それがアルフレッドであった。


 ………………

 …………

 ……



 思い出すのは、実にどうでも良い記憶だった。

 思い出す価値など欠片も無い。

 ただ、忘れることが出来無いせいで、俺は全てを覚え、そして、寝る度に本を書庫に片付けるみたいに思い出す。


 それは本当か嘘か……

 今となっては分からないし、分かる必要も無いのだが、自分の母親は自分を身籠もった時に毎夜夢を見たという。

 それは東の彼方に星が堕ちる夢。

 そして、最後に何者かの、


【別れた血を今一度一つに】


 そんなオカルトじみた囁きを聞いたという。

 だから、なのかも知れない。

 自分の母親が我が子への愛情を切り捨てるのが早かったのは。

 もっとも、自分よりも遙かに無能で愛情などという幻想を与えることも無かった存在に、今更執着も愛着も無い。

 どうでも良かった。

 だから、暗く深い森に捨てられた、そんな事実に痛みを覚えることもなかった。

 ただ、森の中で精霊達の声を聞き困らない程度には生きていけた。

 それだけだ。


 ギャギャギャギャギャッ!


「また、お前達か……いい加減に無駄を悟れよ。嫌なんだよ時間の無駄は。それにお前達醜い猿どもは喰ってもマズい」


 ギャギャギャギャギャッ!


 それでも無駄を悟れずに吠えまくる、か。

 鬱陶しい……


「消えろ」


ギャッボンッ!!」


 指で小さく渦を描く。

 それだけで原形もとどめられずに砕け散る怪物。


 ただ、つまらなかった。

 酷く……つまらなかったんだ。

 だから、


「ああ、考えるのも面倒臭い。食べるのも、怪物退治も……全部、無駄だよ」


 気が付けば俺は、眼下に見える川に飛び込んでいた。


 ……

 …………

 ………………


 ……生きていた。

 しかも、五体満足。

 どうして……


 生きてるんだ。


 つまらない……

 無駄無駄無駄無駄……

 何もかも無駄……


「はぁ……さっさとこの世界から消えることが出来れば楽になれるのに、生き残ったせいで……いぷしっ!! いっぷし!!」


 みっともないな……鼻水が……

 気が付けばいつの間にか地平の彼方に沈んでいた太陽。

 山の夜は寒い。

 そんなのはバカでも知っている。

 やれやれ……黙って死なせてくれればこんな思いをしなくて済んだのに。

 よく自分の母親が食卓で手を合わせ、神とやらに今日を生きられることに感謝とか言っていたが……

 もし、そのくだらない祈りとやらのせいで自分が今死ねずに居るのなら酷く迷惑な話だ。

 自分は一生神に祈ることも無いだろう。


「どこまでも邪魔しやがって……へっくちっ!!」


 寒いな。

 どこかで暖を取らないと。

 肺炎にでもなったら、楽に死ぬことすら出来無いじゃないか……


 辺りを見渡す。

 が、元々人里からだいぶ離れた山に捨てられた身だ。

 小屋なんて端からあるはずも……ある……


「はぁ……これが神の加護だって言うなら、ずいぶんと味な真似をしてくれるよ……」


 生い茂る木々で若干隠れては居るが、夜目の利く俺にはハッキリと見えた。

 明らかに人為的に作られたであろう積み上げられたレンガ。


「本で読んだな……遺跡ってヤツか? 初めて見る……」


 それは、俺にとっては目新しく実に興味深い物だった。

 まるで、呼び寄せられるみたいに遺跡の中へと侵入する。

 さして奥深い遺跡では無く、酷い肩透かしを味わわされた気分だった。


「はぁ……台座があるだけか」


 そりゃ創作の世界みたいにワクワクする世界が広がってるはずなんか……


「ワクワク……ワクワクって何だっけ?」


 全てを知ったつもりになっていた自分。

 でも、当たり前であるはずの感情さえ俺は知らない。


 無駄――


 そう、全てが無駄だから。

 何を期待したんだろう……

 改めて台座を見る。

 何の変哲も無い古びた台座。


「希望は持つだけ無駄、意味が無い……どうせ、望めば裏切られだけ……」


 ここから去ろう、そう思った時だった。

 台座に書かれた文字。

 その言葉は自分が過去に聞いた……

 いや、自分の一族が、呪われた伝承と信じていた言葉だった……


「古代……語? いや、これは……上位、精霊語……」


 まだ、エルフ族が魔術では無く魔法が使えたという神代の時代にあったとされる言葉。

 書物の中で断片的に見た言葉だ。

 何故かその言葉に、俺は奇妙に惹かれている自分が居るのを覚えた。


「えっと、我が一族の名を捧げよ……別れた血を今一度一つに……」


 何となくだが読める。

 それが自分の一族に伝わっていた言葉だから。

 だが、問題は……


「一族の名を捧げよ……って、この世の中に名字がどれだけあると思ってんだよ」


 当たり前だが、現存する名字の全てを知っているはずも無い。

 マイナーなのも含めれば、どれだけあるかも分からない。

 ましてこんな古びた遺跡なのだ。遠い昔に滅びた一族という可能性だって否定出来ない。


「無理な物に執着するのは無駄だ……」


 そんなことよりも今は優先すべきは暖を取ることだ。


「ああ、ダメだ。寒い……」


 思考が停滞していく……


「ホント、生き残るとか……何て無駄な……イ……イッ……」


 耳の奥に刺さるほど大きなくしゃみをした――


 その時だった。


 目の前に広がるのは見慣れぬ景色。

 真夜中だったはずの時間は日没間近の夕刻に変わっていた。

 いや、そもそもが遺跡から出た覚えも無いのに辺りに広がる景色は屋外だ。

 だが、それよりも気になるのは辺りに散見する建物。

 まるで見たことも無い形状。

 材質も不明。

 知識にも無い……と言うか、まるで異界にでも迷い込んだみたいな不可思議。


「どこなんだ、ここは……」


 それは純粋なる驚愕だったのか、それとも未知なる物への喜びだったのか……

 今となっては分からない。

 ただ……


「おい、お前ッ!」


 突然背後から聞こえた聞き慣れない言語。

 甲高いが、大人に成り切れていない男子特有の声だ。

 ま、俺には関係ない。

 それよりも問題は自分がどこに居て、どんな状況にあるのか……


「おいって言ってるだろ!」


 人の肩を鷲掴みして無理矢理自分の方に向けようとする手。

 振り返ると、そこに居たのは俺よりも年上だろう明らかに悪ガキって顔したヤツだった。

 ただ、何を言っているのかはまるで分からない。

 それよりも俺は酷く不愉快だった。

 人の好奇心を妨害するサルの存在が。


「お前どこから来たんだよ。ここの公園を俺たち小麦色海賊団のなわばりだって知っててしんにゅうしたのか!!」


 ……何を叫んでるんだ。

 まるで理解出来無いが……たぶん、知性の欠片も無さそうなこの言動は、ゴブリンとかが子供の頃にやるという狩猟ごっこでもやってるのかも知れない。

 そう考えたらこの生き物、人間と言うよりは魔猿の子供に見えなくも無い。


「邪魔だよ」


 俺の言葉に首をかしげる小猿。


「お前、それ何語だよ? がいこく人か? おんなのくせに生意気な目ぇしやがって! ちょっと可愛いからって舐めんじゃねぇぞ!」


 小猿が何かを喋ってるが……

 意味は分からないし理解する必要もなさそうだ。

 

「何だよ! 俺たちのなわばりに勝手に入ったくせに、文句あんのかよっ!」

よろいくん! こんなチビ助、どっちがかくうえかおしえてやりましょうよ!!」

「そうだな」


 はぁ……

 何を喋ってるのか理解出来無いが、何をしたいのか理解出来るというのは、良いんだか悪いんだか。

 そう情けない話だけど、俺は猿の縄張り争いに巻き込まれたと言う残念な事実だけは理解出来てしまった。

 だが、魔猿なら殺しても誰も文句は言わないだろう。

 目障りだから消し去ろうと拳を握った――

 その時だった。


「そこまでだ!!」


 変な仮面みたいなのを着けたヤツが木の上に立っていたのは。

 はぁ……

 俺が迷い込んだ世界はどうにもカオスらしい。


「自分よりもちいさきものをいじめるとは、ごんにょどうりゃ……ごんごごうだん……ごんごごごごんご!! ………………くきーっ!!」


 ごんごごんごと謎な猿語で奇声を上げていると思ったら、木の上で地団駄を踏み出した仮面の猿。


「何だお前! そのガキの仲間か!?」

「ここは俺たち小麦色海賊団のなわばりだぞ!!」


「知らぬ! ボクはせいぎのみたか……せいぎのみかた! 悪魔しょうぐんだ!!」

「悪魔のくせに正義とかいうな! ばーかっ!!」

「うーさいっ!! くらえっ! 正義のドロップキック!!」


 木から飛び降りての攻撃……

 じゃなくて、木からヨジヨジ降りてからのドロップキック。

 このバカ、何でわざわざ木に登ってたんだろ?

 しかし、見ていると小柄のくせにひるまずボスザルにぶつかっていく。


「喰らえ!! じごくのだんとうだい!!」


 訳の分からない絶叫をしたと思うと、今度はボスザルの取り巻きの一人に飛び膝蹴りを……ああ、何てえげつない。

 膝を思い切り股間に突き刺していた。

 グシャリと、かなり痛々しい音が聞こえた。


「悟-!! 死ぬな悟ぅぅぅぅ!!」


 股間を押さえて泡を吹く取り巻き猿と、死体を抱き上げて絶叫するボスザル。

 そこに、


「喰らえ!! 正義のひき逃げアタック!!」


 仮面ザルはそう叫ぶと、草むらに倒れていた変な乗り物に跨がり、猛烈な勢いでボスザルに体当たりした。

 チリンチリン……とその乗り物が奇妙な鳴き声をあげ、


「おげぇ!」

 

 ヒキガエルでみたいな悲鳴と共にボスザルが地面を舐めるみたいにしてバウンドする。


「正義執行!! おい、キミ!!」


 何か、デカい声で俺に叫んでくる仮面のサル。


「大人が来る前に撤収するぞ!」


 だから、俺はお前が何を言ってるのか、って、おい!

 気が付けば何故か、俺は無理矢理後ろに乗せられていた。


「チョウのようにまい、ハチのようにさし、ハエのようににげる!! パパがボクに教えてくれたせんとうじゅつだ!! てっしゅう! 正義の二人乗り走行!!」


 仮面のサルは何かを叫ぶと、突然乗り物の上に立ち上がった。


「正義の立ちこぎモード!! うぉおぉぉぉぉぉぉっ!! うなれボクの中のサイ〇人のさいぼう!! ジャスティィィィスッ!!」


 ジャシャシャシャと砂煙を上げて俺たちはその場から立ち去……逃げたのだった。

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