第38話 塔の悪魔

 蜃気楼の塔、現在58階層――


 目の前にあるのは千段を超える階段。

 塔に姿を変えてから階層を変えるのはこの階段だった。


 階層が変わるのに階段使うのは当たり前なんだけどさ、正直この階段だけで心が折れそうになる。


「いよいよか。待たせたな59階層の悪魔よ、俺たちは帰ってきたぞ!」


 マッシュが床壁さえも震わす怒号を上げる。


「マッシュの旦那達を敗走させた59階層の悪魔……震えるぜ」


 ゼノンがふてぶてしくニヤリと笑う。


「私も魔術の出し惜しみはしないから、男どもは気合い入れて戦ってちょうだい」


 何だろう、ナージャから滲み出る隠しても隠しきれない女王様気質は。

 まあ、男達の世界で力強く生きてたらこうなるのかな?


「ねぇ、あんたら気合い入れてるのは良いけどさぁ、こっちは哨戒で敵が居ないの確認してるんだから、さっさと野営の準備しちゃってよ」

「はいは~い」

「わかったで~」


 このモチベーションの差よ……

 それにしても建物の中で床に鍋(盾だけど)やら具材を広げ火を焚くと言うシュールさ。

 夏のホムセンとかにあるキャンプコーナーみたいな感じだよな。


 って、よく見たら壁に焦げたみたいなシミがある。

 うん、ここまで攻略した組みは、どうやらここで野営するのが定番らしい。


 って、いかんいかん。

 あまり考えごとしたくないせいで、どうでも良いことばかりに気を取られている。


「あのさ、リョ――」

「リョウた~ん! さっきのオクトパスツリーの枝持ってきて。塩で煮るから~」

「あ、うん、りょうか~い」


 視界の隅で僅かにとらえたアル君の表情。

 それは、まるで捨てられた子犬みたいな……


 ……っ!


 ねえ? どうしてそんな表情かおするのさ?

 本当はまだ俺のこと好きでいてくれたの?


 もう、俺に希望を持たせないでよ……


 ……あれ?

 俺、何を……


 アル君はもう俺のことは……

 違う……俺がアル君のことを……


「どうしたんやリョウさん? そんなとこに突っ立って? ほら見てみ。今その壁に生えとった洞窟キノコを採ってきたんや。ええ出汁出るから鍋にして食わんか?」

「ジョー殿、私もついでに洞窟タケノコを採ってきましたので、天ぷらにして食べましょう」

「ええな、キノコタケノコ戦争や!」

「今夜は豪勢なドリームマッチですね」


 ……あれ?

 俺、今何を考えていたっけ?

 ダメだ何も考えられない、考えたく、ない…… 

 ただ頭の奥は、全ての感情を掘り起こすのを拒絶したみたいに痺れ――

 心を閉ざすのだった。

 そして塔の中で、時間の感覚も無いまま夜が明けた。



 至る59階層――


 長い階段。

 疲れよりも緊張が支配するパーティー。

 この先の悪魔は消滅している。

 それを知っているはずの俺ですら、喉がひりつくような緊張感を覚える。

 この世界で他の戦力がどれほどの物かは分からないが、少なくとも俺が見ている限りこのメンツの能力は凄まじい。

 歳若い罠士のシャルでさえいざ戦闘となればモンスターの行動を先読みし、まるで移動型の砲台の如く精度の高い射的技術で敵を刈る。

 その姿はキャリア数十年のベテラン猟師のような風格さえある。

 その皆を緊張させる化け物。


 59階層の悪魔――


 それはどれほどの恐怖を植え付けた怪物だったのだろう。

 どれほどの伝説を生み出した怪物だったのだろうか……

 いや、考えるのは無駄だ。

 まずは全力で駆け抜けて、一気にアル君も知らない未知の60階層まで駆け抜けないと……


 Vaoooooo!!


 それは薄暗い闇を切り裂き轟いた、今までに現れたどの魔獣にも似ていない咆哮だった。


「ッ! ナージャ! 障壁全力展開!!」


 アル君の鋭い支持が走り、同時にナージャの生み出す魔術の盾が前方に展開する。

 次の瞬間、網膜が焼け付くかと思うほどの赫い光が前方を焼き尽くした。


「クソ、彼奴奴きゃつめッ! よもやこんなにも早く気付きよるとは!」

「ちょっと! 下層狙いの攻撃してくるなんて聞いてないんですけど!」

「アルハンブラ様! この炎、私の魔術じゃ防ぎ……きれない……」


 ナージャの絞り出すような悲鳴。

 アル君はズダ袋から素焼きの小瓶を取り出すと、階段に叩き付けた。


 大地よ大地 我が母よ 我は汝が子なり

 たとえ血の一滴繋がらずとも 我が肉は貴女の賜なり

 紡がれし時の恩恵の一欠け一紡ぎ 貴女の子に貸し与えたまえ

 我は母なる大地の精クローディア 貴女に助けを請う者なり


 朗々と読み上げられたアル君の魔術。

 小瓶からぶちまけられた砂が見る間に透明な結晶と化し、俺たちを包み込むみたいにドームを形成する。


「クリスタルウォール……流石ねアルキュン、こんな魔法レベルの防御結界まで使えるなんて」

「安心するのはまだ早い! この結界でもどれだけ持つか……あと数十メートルも走れば59階層には到達する。到達したらすぐに周囲の確認! それぞれ得意とする場に陣取れ!」

「しかし、アルハンブラ殿! 敵がこの階段を火炎で狙撃するということはすでに入り口に陣取っているのでは?」

「その可能性も0では無い。だが、この炎は遠隔操作型だ。ボクたちのことはすでに気が付いているが、入り口からは直接狙撃出来ない場所にまだ居るみたいだ!」

「確かに、あの悪魔が私たちを直接狙える所に居るのなら、もっと強力な魔法を使って消し飛ばしているでしょう。今度こそヤツの生態を暴き、私の知の糧にしてみせます!」

「気合いが入ったみたいだね。さあ、そろそろこの火炎も直に止まるはずだ! 消えたらボクが先頭を走る! 最後衛はナージャ! 目標は二波が来る前に登り切り各自展開! 二波が来るまでに間に合わなければボクの魔術とナージャの魔術で再度防衛! だがそれはじり貧を招く最終手段と知り、各自全力を尽くせ!」


 アル君の冷静な指示に仲間達の威勢の良い叫びが上がる。


 心臓が早鐘みたいに高鳴る……

 呑み込んだ唾の音が、やけに耳の奥に反響した。

 額を滲む汗が顎からしたたり落ちる頃……


 気が遠くなるほど長く感じた炎の濁流は、辺りを舐め尽くしていた凶暴な爪痕だけを残し――


 掻き消えた。


 耳鳴りみたいに騒がしかった世界に刹那訪れた無音。


「今だ!!」


 アル君の鋭い指示が飛び、皆が突き動かされるみたいに走り出す。

 居る訳が無い、居る訳無い、居るはずが無いんだ……

 怨嗟にも似た思いに支配される思考。

 出口までがやけに遠い。


 あと、5メートル。


 ここを抜けたからとて安全地帯があるはずも無い。

 ここはさしずめ地獄への道で、この先にあるのは地獄そのものの戦場。

 今までみたいな緩い戦闘が待っていはずも無い。

 心が恐怖に冷えていく……

 まるで、それに引きずられるみたいに身体が恐怖に蝕まれ手足がいうことを聞かなくなる。

 なんで、俺こんなに頑張ってるんだ?

 もうアル君の隣にいれないなら、女になる必要だって……

 ……くそ!

 何を今更!


 腹をくくってここに来たんだろ!

 身体が道とか今更だ。

 俺が一人足を引っ張れば皆を巻き込んじゃうだろ。

 目的がどうだの、そんなことよりも敵が居るなら、襲ってくるヤツがいるならまずは倒さなきゃダメなんだよっ!!


「うああぁぁああぁッ!」


 俺は今一度自分を鼓舞するみたいに咆哮した。

 心臓が早鐘みたいに動悸を打とうが息が切れようが足はまだ動く。

 まだ動く!

 まだ動くんだよッ!!


 ドンッ!


 最後の段を蹴り上げた。


「飛べっ!!」


 再びアル君の指示が駆け抜ける。

 無我夢中で右手に飛ぶ。

 視界の隅で捉えたのは、地べたを舐めるように通り過ぎていった稲妻の白い輝き。

 それは今まで俺たちが居た場所を舐め尽くすと、直撃した背後の壁を粉々に吹き飛ばす。

 ゾッとした。

 一瞬でも判断が遅れあんなモノをまともに喰らっていたらひとたまりも無かった。


 だが、何時までも起きた事象に気を取られている場合じゃ無い。


 意識を辺りに飛ばす。

 そこはまるで、この塔の下層を思わせるような広大な空間だった。

 ただし綺麗な森や川などどこにもない。

 果てしなく広がる岩肌だらけの荒野。

 風にはざらついた砂埃が混ざり、上空は吹き荒れる砂嵐で陽光は酷く薄暗く陰っている。


「今更だけど相変わらず塔の中だとは疑いたくなる光景よね」

「なあ、マッシュ殿。ヤツはどこに潜んでいるんだ?」

「出た瞬間に出くわすと思ったけど、姿が見えないなんてちょっと肩透かしよね」

「何を言っている……ヤツならすでに我らの目の前に居るぞ」


「「「「「ッ!?」」」」」


 額に脂汗を流すアル君と重戦士二人……

 三人が睨み付ける先は砂嵐に遮られた陽光。


 まさか、あの陽光が……59階層の悪魔……


 そして、それは俺たちの目の前に飛来した。


 人はそれ・・を何と形容出来るのだろうか?

 フォルムは飛竜にも似ているが、その首は蛇の如く長く、首から腹にかけて縦に引き裂けた巨大なからは醜悪な乱杭歯を無数にちらつかせている。

 そして、の中央に乱杭歯に囲まれてあるのは、俺たちが陽光と勘違いした悍ましいほどに巨大で血走った眼球。

 だけど、それの気持ち悪さはそれだけじゃない。

 背中に生えた翼と思われた物は、よく見れば蜘蛛の如く蠢く足の群れだった。



 ――蜃気楼の塔 59階層に巣くう悪魔暴食竜ソウルドレイク――

 DATA:《All unknown》

 

「……やはり、か。認めたくは無かったけど、本当に滅びてなかったのか」


 アル君が呻くように呟いた。


「皆! あの目には最大の注意を!! 命を無駄にするな、奥の上り階段を背に戦うんだ!!」

「あのクソ憎たらしい目、先に叩きつぶしてあげるわよ! 風よ味方しなさい!!」


 シャルが速射で数本の矢を立て続けに放つ。

 風の魔術の恩恵を受けた矢は、放たれてなお加速しソウルドレイクに襲いかかる。

 ギョロリと動いた巨大な眼球。


「転身!!」


 アル君の指示が駆け抜ける。

 ソウルドレイクを襲った矢は突然にその向きを変えると、あろうことか俺たちに向かって降り注いできたのだ。


「な、なんや? いったい!?」

「ジョー殿、掴まれ!!」


 ゼノンがジョーを脇に抱えて飛ぶ。

 降り注ぐ矢を辛うじてかわす俺たち。


「ご、ごめん……あたし」

「気にするな! だが、これは教訓だ。ヤツには生半可な攻撃は通じない! 一撃一撃、全霊を込めて迎え撃て!!」



 天雷よ、我らが敵を纏いて穿て グローム ラ リェーゼ!



 ナージャの術が紡がれると、マッシュの武器が青白く放電する。


「雷の恩恵か!」


 マッシュは髭を振るわせ、ソウルドレイクに猪突する。

 ちなみにマッシュの武器は棘の付いた凶悪な見た目の棍棒だ。

 敵に襲いかかる様は赤鬼のようでさえある。


「どっせいっ!!」


 絶叫と同時に振り下ろされた棍棒。


 DOMGOOOOOO!!


 ソウルドレイクの苦悶の咆哮とともに尻尾が切断され宙を舞う。



 天地交差せし六つの道に押し寄せよ 深淵の風 開け地獄の門ヴェルグ・マンユ!!


 

 アル君の背後に、幾重にも太い鎖が撒きついた巨大なブロンズ色の扉が召還される。

 重々しく錆び付いた音を奏でながら開こうとするそれは、しかし、鎖に邪魔され僅かに開くだけ。

 だが、その僅かな隙間から滲み出てくるのは、魔界そのものに繋がっているかのような濃密な瘴気。

 瘴気は紫とも黒とも、赤とも付かない色を放つと、人の手にも似た異形となってソウルドレイクに襲いかかる。


 悍ましき異形と異形の激しいぶつかり合い。

 召還されたが僅かに空いた隙間から、ソウルドレイクを扉の奥へと引きずり込もうとする。


 VAOOOOOMUUUU!!


 ソウルドレイクの激しい抵抗。

 その身を毟り取られ引き千切られ、黒い体液をばら蒔きながら、


 しかし――


 その乱杭歯はあろうことか掴みかかる手を喰らっていた。



 遙か古に生まれた英知の結晶たる魔術。

 だが、その力は――

 純粋な暴力の前に、屈しようとしていた。


 ――蜃気楼の塔 59階層に巣くう悪魔暴食竜ソウルドレイク――


 異界の門より召喚されし異形の手は、異形そのものとしか思えないおぞましき竜の顎に貪り喰われているのだ。

 おそらくこの魔術はアル君のとっておきだったはずだ。

 だが、アル君のとっておきの力ですらこの悪魔には通じないというのか?

 

「せんせ、もしかして、あれも噛まれたらチャンスですかぁ?」

「あれは、噛まれたら間違いなく最後ですね。噛まれる前に全力で逃げましょう!」


 好奇心なのか、それとも生来のまったりした気質なのか、まるで場違いな学者コンビ。

 いや、こうやって場の緊張をほぐそうと二人は頑張ってくれているのだろう。


「ちょ、ちょっとアレ見て!」


 ロイの金切り声にも似た叫び。

 それは、嗚呼……

 どうなってるんだよ……


 俄にソウルドレイクの足下に霧の如く暗紫色の瘴気が立ち籠め、それを腹の引き裂けた口から吸い込むとズタズタに引き裂けた傷痕が見る間に癒えていく。

 いや、それだけじゃない。

 傷どころか切断されたはずの尾さえもが、まるで何事も無かったみたいに再生していた。

 俺は、ここに来て初めて異世界の怪物の真の恐ろしさを知った。


 こいつに比べれば、今まで見てきた怪物達が如何に雑魚で可愛いモノだったのかを思い知らされる。

 こいつは……


 次元が、まるで違う。


 物語の中の怪物、神話の中の悪、そんな存在が現実に存在するのだと、俺は初めて思い知らされた。

 だが、恐れは留まることを知らず、さらに加速する。


 バオル…… ヴァオル…… ラ……ゴート……


「ッ!?」


 身の毛がよだつ。

 今まで知性など一欠片も見せなかったソウルドレイクが、ここに来て初めて言葉らしきモノを発したのだ。

 

「総員防御姿勢!!」


 アル君の焦りを帯びた指令が駆け抜けた。

 アル君とナージャが先の攻撃を防いだ魔術障壁を展開し、ガイアがミスリルの盾を前面に構え秘めたる守護の力を解放する。

 三重の障壁。

 だが、その障壁は次の瞬間――


 あっさりと霧散した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る