第37話 途切れる糸

「ここからの攻略は慎重にさらに慎重を重ねてほしい。そして、回避行動を優先。敵が逃走しても決して後退はしないこと」


 どんなに悩んでも夜は明ける。


「今日到達予定の40階層からは今までの風景とは一転しまさに迷宮と呼べる世界に変わる」


 靄のかかった頭に響くアル君の声音。

 好きになった少年の声……

 だけど今はその声を聞くだけで心が掻き乱される。

 アル君が大事な話をしているはずなのに右から左に抜けて行く……


「そこは今までみたいにモンスターが出るだけじゃ無く、罠も悪質な物に変化する。とくに明日以降の50階層からは後退しただけで地面に穴が空いて下層に落とされる」


 下層に落ちる。

 まるでゲームのZAPみたいだ。

 この塔が建てられた意図はいったいなんだろう?

 ま、今となってはそれを知る術は無いだろうし俺には関係ないけど……


「万が一落下の罠にかかった場合、無理に合流をしようとはしないこと。それぞれの能力は把握している。無理な戦闘さえ避ければ個であっても、下層なら十分にこの塔から脱出するだけの能力を持っているはずだ」


 アル君はいつだって冷静だ。

 どんな時だって、いや、大変であればあるほど彼は冷静な状況判断をする。


 俺とは真逆、だな。


「目的は上層階の攻略。何度も言うが戦闘が目的じゃ無い。それを十分心に留め、各自冷静な判断で戦って欲しい。命は一つ無理はするな!」

「命は一つ、ね。オッケー! アルキュンの指示にアタシも大賛成! まずは今やれる最善をやって、あたしらはこの塔の攻略者として名を刻んじゃいましょー!!」

「モンスターの判別は私らにお任せを!」

「やっとあたしの魔術を披露できる敵に会えそうね」

「罠は任せてちょうだい。片っ端から解除して、たらふく稼がせてあげるから♪」


 賑やかだな……

 でも、うん、攻略するならこれぐらいのテンションが無きゃ駄目だよね。

 このメンバーなら大丈夫。


「リョウ?」


 アル君が何時の間にか俺の近くに来て顔を覗き込んでいた。

 どうしたの、そんな顔して?

 キミらしくないよ、そんな不安な顔をするなんて……


「大丈夫、緊張してる?」

「大丈夫だよ。うん、大丈夫」


 俺はそれだけをアル君に伝え――


 旅支度を終えた。




 階層が増える毎にモンスターの攻撃は苛烈さを増す。

 昨日まではお花畑を散歩するみたいだった行軍はその速度を半減させた。

 それでもマッシュとガイアという鉄壁を誇る二人の肉壁が魔術士や軽戦士達の攻撃を優位な物へと変え、アル君ですら驚きの声を上げる快進撃へと繋がっていた。


「正直、驚いたよ。今日の夕暮れまでには40階に到達できれば……何て考えていたけど、まさか昼過ぎには39階層まで到達するとはね」

「アルハンブラ殿とナージャ殿の魔術があればこその快進撃」

「嬉しいこと言ってくれるわね。でも、あたし達魔術士だけの力じゃ無いわよ」

「そうよそうよ、あんたやマッシュが壁役に徹してくれてるから補助組のあたしらも含めて皆余裕を持って戦えるんじゃ無い。筋肉オヤジにあんま興味なかったけど、やっぱりイイわぁ、戦う男って。あたしもぅ滾っちゃう♥」

「いまいち、嬉しくない褒め言葉だ」

「ちょ、マッシュそりゃ無いでしょう! もう、このイケズゴリラ!」


 ロイにかかると、まるでそこらにピクニックにでも行くみたいな雰囲気に変わる。

 悲観して進むよりも明るく進む……

 その方が力になるのは分かりきってるんだから、ロイというムードメーカーは辛い旅にこそ必要なのかも知れない。


「どうかされたか、リョウ殿?」

「え? 何、ゼノンさん? 俺は元気だよ?」

「そうか……うむ、いや、気のせいであったか」

「アハハ、変なの」

「それにしてもリョウちゃんの戦い方凄かったね。アレって白狐族の戦い方って言うより、ベルセルクの戦い方だったよね?」

「ベルセルクはひ~ど~い~」

「ふふふ、ごめん。でもね、何か一撃一撃が捨て身の戦い方って言うか鬼神みたいって言うか」

「ベルセルクの次は鬼神ですか」

「アハハ、何かどっちにしても女の子に言う表現じゃ無かったね、ごめん」

「う~ん、素直に謝ったから許す♪」

「さんきゅ」


 思わず上っ面で女みたいなフリして話す……

 ああ、何て気持ち悪いんだろう。


 また、俺は嘘を重ねている……


 心が、酷く澱んでいく。

 だけど、まるで俺なんか居ないみたいに賑やかに唄い合う仲間達。

 ……当たり前か。


「女性陣の仲良く談笑する声とは心地良い物ですな。戦いの場というのを忘れさせてくれます」

「せやな~。そういやワシ、昔、ある娘と分かれる際に『お名残惜しいです』って言われたのに、『女子欲しい?』って聞き間違えてな~」

「ほうほう、ジョー殿から色恋の話を聞くとは珍しい」

「ワシかてそりゃロマンスぐらいあるがな。そんでワシな、その娘のことメッチャ好きやったから、その娘以外に興味なくて、『女子はほしゅうない!』って答えてもうて」

「……ほうほう」

「したらその娘はその娘で『お名残惜しくない』って聞こえたみたいでな~」

「…………」

「それっきりになってもうた……」

「……ぅ」

「泣かんといて、泣かんといて~な!!」


 ほんと、大火力を弄ぶパーティーとは思えない和やかさだ。

 何か、こんな雰囲気はこっちの世界に来てから初めてだな。

 みんな歳は違って、一回りも二回りも歳上の人達ばかりなのに、なんか見ているだけで高校でバカやってた昼休みを思い出す……


「帰り……たいな……」


 でも……

 俺の居場所はもう向こうには無いんだろうな。

 高校だって退学になってるかもしれない。

 家族だって……あ、姉貴とは会えたから、上手く伝えてくれているだろうか?

 あ~……『上手く』って言うのがネックだな。

 ツレ連中は、流石に二ヶ月やそこらで忘れられることはないだろうけど、こんな見た目じゃもう会えないな……


 結局、俺はこっちの世界で朽ちていくしかないのかな……


 だけど……

 俺の視界に映る賑やかな笑い声。

 そこに、俺は居ない。

 俺はここでも、居ないのと一緒だ。


 だったら俺は……俺は、どこに居れば……


「リョウ!」

「え……?」


 鋭い、咆哮にも似たアル君の絶叫が俺の名を呼んだ。

 いつの間にか俺の背後に居たのはライオンによく似た、だが、その体躯はライオンの数倍はあるだろう怪物だった。

 草むらに潜んでいたのであろう獣の動きは速く……

 

 俺の反応が一瞬だけ遅れた。

 だけど、それは戦いにおいては致命的。

 そして、野生に無駄は無い。

 迷い無く俺の喉笛を噛み切ろうと襲いかかって来たライオンに、俺は身動き一つとれなかった。


 視界の全てが獣の影で埋まる。


 ああ、走馬燈ってこう言うのを言うんだろか?

 そうか、俺……


 ここで一人ぼっちで死ぬんだ……


「リョウたん!!」


 ドガッ!!


 突然の鈍い音と身体をしたたか襲った衝撃。


「何、全てを受け入れたみたいな顔しているの! 諦め早いのなんて、男だけで十分! 女は常に強くしぶとく生きなきゃダメよっ!! 早漏根性は捨てなさい!!」


 目の前でライオンの牙をロイがダガーで防いでいた。

 俺の横っ腹の痛みと服に付いている跡から、どうやらロイの跳び蹴りが俺を救ってくれたらしい。


「……痛たた、あんたのデカ足で蹴られたら無傷じゃすまないよ!」

「ちょ、助けてあげたのにそれ酷くない!? ってか、こいつ……すごい力よ……ああ、何であたしこんな獣とがっぷり四つに組んでるのよ! 組んずほぐれつなら可愛い男の子が良いのに!! ガチの獣姦は趣味じゃ無いわ!!」


 獣人でも純粋な獣はダメらしい。

 ただ、救ってくれた相手に言うのはあれだけど、ロイは本当にぶれないな。

 ほっといてもたぶん大丈夫な気もするけど助けてもらいっぱなしって訳にはいかない。

 俺はミラーメタルという魔鉱石製の手甲にさらに魔素を纏わせ、強化した一撃をロイと組み合い硬直しているライオンの脇腹に見舞う。

 メキゴキと鈍い音とともにライオンがもんどり打つ。

 俺はさらに起き上がろうとするライオンの顔面にすかさず回し蹴りを叩き込んだ。

 ボール球がはじけ飛ぶみたいに吹っ飛ぶライオン。

 向こうの世界じゃ100%あり得ない光景に俺も思わず高揚する。 


「リョウたん、ほんと火力のお化けね」

「へへ~んだ、何とでも~」


 どちらとも無く交わしていたハイタッチ。

 白い犬歯を覗かせ眩しく笑ってみせるロイ。瞬間、香ったちょっと甘ったるいロイの香水さえも今は何とも頼もしい。


「リョウ!!」


 ロイと談笑する俺の元に、アル君が血相を変えて飛んでくる。


「怪我は無い!?」

「え? あ、うん、大丈夫、だよ」


 アル君が俺の報告に安堵したみたいに胸を撫で下ろすと突然剣呑な視線を向けてきた。


「な、何?」

「何って……キミ、一歩間違えたら死んでたんだよ! ボク言ったよね、慎重に慎重を重ねて進んでくれって……」

「……ごめん」


 何だよ。無事だったんだから、良いじゃん……


「ここから先、一瞬の油断が命取りだなんだよ、今までみたいには行かないんだ!」

「うん……」


 分かってるよ、うるさいな……


「リョウ、ちゃんと聞いてるの?」


 聞いてるってば……


「いいかい、リョウ。ここからは本当に――」

「……うるさい」

「え? リョウ?」


 気が付けば、ポツリと消え入るみたいに呟いていた。

 アル君の声が、煩わしくて仕方が無い……


「次からは気を付けるから……」

「ねぇ、リョウ。 この間から様子がおかしいけど、どこか調子が――」

「うるさいな! ごめんって言ったじゃん! ほっといてよ!!」

「……え?」


 その時アル君が見せた顔。

 それは、まるで親に拒絶された子供みたいな顔。


「あ……」


 何だよ、何なのさ……

 いつも自信ありげに笑ってるくせに、どうしてそんな顔……するのさ……

 俺なんか、ホントはどうだって良いくせに。

 どうだって……


 ……違う。


 アル君が拒絶したんじゃ無い。

 俺がアル君を拒絶したんだ……


 この孤独だった少年を一人にしないって誓ったはずなのに――


 俺はアル君を裏切り、そして、自分の誓いさえも踏みにじった……


 思考が凍てついていく……

 何も考えられない。

 何も、考えたく……無い……


 ……

 …………

 ………………


 現在56階層――


 俺がアル君に一方的な喧嘩をふっかけてからすでに二日。

 会話をするどころか目も合わせられないままでいた。

 正直、俺というお荷物を覗けば少数精鋭のパーティ。

 アル君もスイッチが入れば公私を切り分けて物事を考える人間だ。

 俺が不調であろうとこのパーティーの火力が落ちることも無く、行軍スピードに変化は無い。


 とは言え――

 たかが二人、されど二人。

 まして雇い主とその恋人であったはずの二人が噛み合わないせいで、パーティーの雰囲気は正直居心地が良いとは到底言えなくなっていた。

 学者コンビの卓越した話術も空回りし続け、元々口上手とは言い難い重戦車コンビは端から沈黙。

 その他のメンツも、正直、俺にとっては居るんだか居ないんだか分からないような状態だった。


 何やってんだろ、俺……

 こんな最悪な雰囲気を作り出してしまったのは俺で、どうにかしなきゃダメだって頭じゃ分かってるのに、


 謝り方が分からない。


 いっそ、消えてしまえば楽になれるんだろうか?

 消えて……


 アル君、もし俺が居なくなったらキミは泣いてくれる?

 寂しい……って、少しは思ってくれる?

 

 って何考えてるんだろ、俺……

 自分からアル君を遠ざけたくせに、虫が良いにもほどがある。


 でも、アル君と一緒に生きるの……

 もう、無理……かも。


「ねぇねぇ、リョウたん!」


 バシッと人の背中に張り手して話しかけてきたロイ。


「い……ったっ!! あにすんのさ!」

「何暗い顔してんのよ! 明日はいよいよ59階層の悪魔にアタックかけるんだから、しっかりしなさいな」


 すでに59階層の悪魔はアル君を助けた魔剣士に倒されている。

 だが、その悪魔との再戦をモチベーションにしている仲間達が居るため、消滅したことをアル君は秘密にしていた。


「それに59階層の悪魔を倒しても、今度は60階以上に巣くう魔物達との戦いがあるんだから油断してられないわよ」

「うん……そう、だね」

「今までみたいに心ここにあらずとか、そんなずさんな戦い方していたらあっという間にボンって消されるわよ」

「ボンか……それならそれでも、いっそ……」

「アホーッ!!」


 ビシャッ!!


「あいったー!? いま、ビシャって言った! 俺のほっぺたビシャって!!」


「どうでも良いわ! そんなこと!!」

「どうでも良くないわい、何すんじゃい!!」

「五月蠅い! 微々たる問題よ!!」

「え、え~? 俺のほっぺたがジンジン痛いの微々たる問題かぁ?」

「微々たる問題よ! 良い、リョウたん……」


 そう言って、俺の狐耳に唇を寄せるロイ。

 ロイの使っている甘い香水が鼻腔をくすぐる。


「ふぅ~」

「あん♪ って、だから何しやがる!!」


 耳に息を吹きかけられ、反射的にロイの顔面にハイキックをお見舞いする。


「いった~い!! プンプン!!」

「プンプンとか言うな! マジ苛つく!」

「もう、耳吐息なんてほんの冗談じゃない。リョウたんのイケず」

「いらんお世話じゃ!」

「そんなこと言って、気持ちよさそうだったくせに♪」

「やかましゃあ! で、何か言いたいことでもあるんだろ!」

「もう、せっかちねぇ。そんな聞きたがりの早漏根性じゃダメのダメダメよ」

「何だよ、その早漏根性って……汎用性高過ぎだろ」

「ふふふ……あのね、正直この階層ぐらいまでは塔の攻略者たちや遺跡荒らし達の手でめぼしいお宝は大体持って行かれてるのよ。居るのはモンちゃんぐらい」


 うん、それは分かる。

 実際ここに来るまで、モンスターとの戦闘以外これと言った感想は無い。

 まあ、40階を超えた辺りからレンガ造りのまさにダンジョンと言えるような風景に変わっていたので、話に聞いていたとおりこの塔の攻略は進んでいるんだろうってのは理解していた。

 でも、それだけだ。


「で、それがどうしたの?」

「だからぁ、この先頑張れば、他の探求者達の未攻略ゾーンに入るわけ」

「まぁ、そうだろうね」

「もう、察し悪いわねぇ。お宝が見つかればお金がガッポガッポ」


 なるほど、まあ傭兵の目的は名声とかお金だから当たり前か……

 って、忘れてたけどそうだよ。

 俺も今までは悠長にしてたけど、アル君に捨てられたら今まで見たいな生活なんか出来ないんだよな。

 これからは、ちゃんと自立して食っていく方法を考えないと。

 もしアル君が言っているみたいに、この塔に傭兵の懐を満たすお宝があるのなら俺も少しは分け前をもらえるように頑張らないと。


「もしさ、大儲け出来たらさ、あたしオススメのハッテン場に連れて行ってあげるから♪」

「ハッテン場か……って、いや、そこに興味は無いですけど!?」

「え~、だって、もうアルキュンに操立てないなら好きに生きたら良いじゃ無い。どうせ一度しか無い人生なんだから♥」

「操って……そんなんじゃ、ただ、アル君にだけ捧げたかったって言うか……」

「あ~ん健気♪ それでこそ乙女の生き方よ~♥」


 アル君……か。

 自分で言ってて、おかしくなる……

 もう、【アル君】とか、気安く呼んじゃ、ダメ……なのに。


 そんなことを考えていたら、自分でばら撒いた暴言のはずなのに――


 視界が滲んだ。

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