第36話 愛情は仄暗い水底へ
蜃気楼の塔、現在22階層――
俺たちは野営中だった。
野営と言っても、テントは張ってない。
麻袋に草を詰めただけの簡素な枕を作り、あとは草むらをベッド代わりに毛布をかぶるだけの雑魚寝だ。
テントを張らない理由は敵からの奇襲を警戒するためらしい。
テントから出るという動作で敵に先手を与えてしまう危険性があるから土砂降りでもないとまず使わないのだとか。
なるほど傭兵には実に無駄が無い。
ただ無駄が無いのは良いのだが……
寝転がるたびにチクチクするこの草の感触は現代人の俺にはやはり馴染めない。
文句を言えば尽きないけど、それでも塔の中とは思えないこの綺麗な月と満天の星空を眺めながら寝られるというのはなかなか経験出来ない贅沢だとは思う。
そんな風に考えている俺も、実は毛布に包まってからすでに一時間近く経っていた。
寝れぬ!
満天の星空がまぶしいからじゃ無い。
さっきヒデさんが言ってたモンスターの話が頭から離れないのだ。
いや、正確にはモンスターの名前を聞いた時のアル君の反応が頭から離れない。
ドゥモウ――
話を聞く限り特性はバジリスクに近いモンスターらしい。
バジリスクってRPGとかじゃかなりメジャーだし多少厄介ではあっても毒と石化に注意すれば正直そこまで手を焼くようなモンスターじゃ無い。
でも、こっちの世界じゃ違った。
怖いのが視線が合うだけで
よく考えりゃ徐々に石化するって下手したら腕とか足が肉体からちぎれ落ちるかもしれないし、臓器や脳がジワジワ石になるって致死性が異常に高かくね?
しかも能力はそれだけじゃ無い。
体液は浸食性の毒液らしく、剣で切りつければ、あっという間に体液が剣を伝いその使い手を殺す。
なら飛び道具はと思えば、周囲を腐食させる瘴気を纏い木の矢ぐらいなら纏った瘴気で肉体を傷付ける前に腐り落ちるんだとか。
よしんば傷付ける事に成功しても致命に至らない一撃で痛みにのたうち回れば、かえって毒液を辺りに撒き散らす結果になりかねない。
魔術も基本は視界に敵を捕らえなければ効果を発揮しにくいため、石化視線の餌食になる危険性が高い……
群れに出会わないのを祈りつつ戦闘は極力回避で逃走という、実にアル君らしくも無い消極的な方法を選ぶことになった。
もっと対策を立てられれば良いんだろうけど、恐らく現状で選べる最善だろうってことで決定した。
だけど、ドゥモウよりも厄介なのはマインドイーターかも知れない。
マインドイーター――
もう、名前からしてアレ過ぎる気もするけど、その名前通りに獲物の精神や記憶を侵す……というよりか食い散らかす能力を持っているらしい。
特筆すべき能力はそれだけなのだが、バジリスクよりも厄介なのは高度な知性を持つということ。
今までの獣みたいなモンスターとは違い戦略を使ってくる敵だ。
強くても知性が無い獣ならこのメンツで恐れる理由は無い。
火力には火力と罠の搦め手で追い詰めれば良いからだ。
だけど、知性の高いモンスターとなると話は変わる。
罠か連携か、それとも両方か……
どちらにせよ敵がどんな手を使ってくるのかまるで想像もつかない。
ってダメだ。
悩みすぎて変に目が冴えてきた。
隣で寝ているアル君は……ちぇ……
ちょっかい出そうとしたら、ちょうど寝返り打って反対に向いちゃったよ。
……
…………
俺に〇〇〇があれば絶好のチャンスだったんだが……
って! 俺は何を考えてるんだ?
いかんいかん、あのオネェに毒されすぎかもしれん。
「ん……」
のびを一つ。
ちょっとだけ夜風に当たるか。
「おや、まだ寝てなかったのかい?」
俺が起き上がると見張り番をしていたゼノンさんに声をかけられた。
「ええ、なんだか寝付きが悪くて。ちょっと夜風に当たろうかと」
「そうか。今のところ魔物の気配は無いがあまり離れない方が良い。焚き火の明かりが届かない場所には行かないことだ」
「了解です」
頬を撫でる夜風が気持ちいい。
夜風か。
まあ月や星が見えるだけで不思議なのに夜風まであるんだから不思議だよなぁ。
……え?
つ、き?
俺は驚いて夜空を見上げた。
月が、ある。
え?
俺がこの世界で見た夜空に浮かんでいたのは地球であって月じゃ無い。
……は?
まさかここは地球?
いやいや落ち着け、俺。そんなはずないのはわかってるだろ。
そうだよ、だって地球にモンスターなんか居ない。
それじゃ、なんで……
どう見ても、アレは地球から見る月と同じだ。
何故? いや、そもそも地球が見えるってのが、もう当たり前のように受け入れてたけど、どう考えてもそれ自体が異常なことだろ。
じゃあ、あの月は一体?
いや、それだけじゃ無い。夜空に浮かぶ星々……俺の記憶が確かなら、あれは夏の大三角だし向こうのは北斗七星だ。
他のは名前まではいまいち思い出せないけどどこか見覚えのある星座だ。
何なんだよここは?
いや、そもそもこの塔の異常さは目まぐるしく変わるこのフィールドだけで十分理解しているつもりだ。
なら、もしかしたらこの塔はあの迷宮遺跡と何か繋がりがあるのかも……
「あら、リョウたんこんな夜更けにどうしたの?」
「え?」
ふわりと鼻腔をくすぐった甘い香り。
振り返るとそこには月明かりに照らし出されたロイさんが居た。
え、いつの間に?
マジで近付いたの気が付かなかったんですけど!?
「気配消して近付かないでよ」
「あら、ごめんなさいね。あたしったら好きな男を追いかける時に使う歩法技【ラブ・ストーカー】をいつの間にか使ってたわ」
「何そのラブ・ストーカーとかいうパワーワード、怖い」
「あら、便利なのよこの技。この技があったからこそ故郷の男子達を全員食べ――」
「ストップ! ストーップ!! 犯罪の香りしかしないんですけど!?」
「うふふ、【穴掘りマスター】の称号は伊達じゃないわよ」
次から次に放り込まれる力ある言葉の数々。
「そんな犯罪スキル常に発動しないでよ」
「うふふ、でもあたし女相手にこの技使ったこと無いんだけど……リョウたんが女臭く無いからかしら?」
「え……」
「あたし好みの少年っぽさって言うか、やだわぁ歳かしら……いくら可愛くても女の子に惹かれるとかゲイの風上にもおけないわ……」
「あ、はは……」
やっぱアンタすげぇよ、俺の本質を的確に見抜いているんだから。
でも、そうか。そうだよね、やっぱり俺まがい物なんだ……
「ちょ、ちょっと、どうしたのリョウたん急に泣いたりして!? あ、あらあら、あたしったらごめんなさいね。傷付けること言っちゃったわよね。そうよね、女の子に男っぽいとか失礼よね」
「や、良いんです。俺が……原因ですから」
「な、何言ってるの。悪いのはあたし、あたしだから!」
それからしばらく、何んだか分からないままに時間が過ぎた。
「少し、落ち着いた?」
「……はい」
「ホントにごめんなさいね。泣かせるつもりなんか無かったんだけど……って、これはただの言い訳ね。本当にごめんなさいね」
「大丈夫です」
「うん、そう言ってくれるとお姉さん助かるわ」
やっとの思いで浮かべることが出来た笑み。
ロイはそんな俺の頭をくしゃくしゃと撫でる。
……頭を撫でられるなんて何時ぶりだろうか?
たぶん子供の時、以来。
アル君にだってしてもらったこと無い……
「は、恥ずかしいんだけど……」
「うふふ。ねぇ、リョウたん?」
「何?」
「えっとね、昼間あたしに何か聞きかけてたことあったじゃない?」
「えっと……あったような、なかったような……」
「あったわよ~。『メッチャ聞きにくいです』とか言ってたじゃ無い」
「そう言えばありましたね」
「うんうん。それでね、もし少しでもお詫びになるなら、そのメッチャ聞きにくいってヤツ良ければ答えてあげようかなって」
「え、でも……」
「良いのよ、あたしが話してあげたいだけ。あたしに聞くってことは、このオネェ道が気になるのかなって」
本当に聡い。
俺は頷くことしか出来ない。
「ほらほら、今日なら特別サービスであたしが筆おろしした相手のことまで教えてあげるから、聞きんさいな!」
「や、そこまでパンチのあるのはいらないかなって」
「いらないとか言わないの。で、で? ガールズトークと行きましょ!」
ガールズトークなのに根っからのガールが居ないというこの不思議空間。
「えっと、ね……ロイさんは自分が……その、心が女だって親とか友達にカミングアウトした?」
「ん? あたしに友達は居ないわよ」
声音は明るいのに顔に縦線見えそうな勢いで落ち込んでるんですけど!
あれ、何でも聞いて良いって言うから聞いたら俺いきなり地雷踏んだ?
「ほほほ、昔からこんなだったから、両親……あ、あたし拾われっ子なんだけど、拾ってくれた両親は早々に諦めてたわ。ちょっと陰湿ないじめとかもあったけど。村の子達全員をあたしの【ラブ・ストーカー】の餌食にしてやったし、今となっては良い思い出よ」
「た、逞しいね……って言うか、結構なカミングアウトがあった気がするんだけど」
「やん、乙女に逞しいとか言わないの!」
まあ、やり方はともかく、【ラブ・ストーカー】とか言う恐ろしい技も、笑いながらぼかしているけど、たぶん苦しんで悩んだ末に手に入れた技なんだろう。
うん、笑顔とかの裏には、普通の女の子に生まれていれば無かっただろう苦労が沢山あったんだろうな。
「ん……リョウたんが聞きたかったのってそれだけ?」
「あ、いや……まだあって、あの、ね……恋人とかは居るの?」
「え? やだぁ、リョウたんたら、アルキュンって恋人居るのにあたしが気になるの?」
「や、ちゃいますよ」
「……リョウたんってたまに鉈でも振るうみたいな切り捨て型のツッコミするわよね」
「姉がかまってちゃんだったんで、あしらい方を覚えたんです」
「あら、お姉さんが居るの? そう、あたしの中にそのお姉さんの面影を……良いのよ、これからロイお姉ちゃんって呼んでも!」
「遠慮しときます」
「クールね、そんな反応もあそこにビンビン刺激が来るくらい好きよ」
「それで今は恋人は居るの?」
「ん~、残念ながら今はフリーよ」
「そうですか……えっと」
居たことがあるんですね、じゃ、さすがに失礼すぎる聞き方だな。
えっと……
「どこで出会ったんですか?」
「ん? あたしの故郷に近い町の酒場よ」
「故郷に近い酒場……」
「そ、彼ったらお酒に弱かったからメチャクチャ飲ませてそのまま合体!」
「おい!」
「あん♪ そんな大声出さないの。皆が起きちゃうじゃない」
「あんたには犯罪臭する方法しか無いのか!?」
「だってしょうが無いじゃ無い」
「え?」
そう言ったロイさんの顔はどこか儚げだった。
「あのね、あたしらってやっぱり世間からすれば特殊なのよ。よっぽどそういうコミュニティでもあるなら別だけど。いえ、あったとしても、今はまだただの興味本位な連中が茶化しに来る方が多いでしょうね」
なるほど、そうだよな。
俺たちの世界みたいにネットやスマホも無いんだもん、マイノリティなコミュニティを作るのは難しいだろうな。
ましてや理解……
となると尚更に時間や倫理観が必要になる。
「昔はよくいじめられたけどね……でもね、だからこそあたし達は恋愛に関しては貪欲なのよ」
「貪、欲?」
「ええ、貪欲。言い方が下品なのは十分に承知しているけど、出会って気に入った男が出来たなら、勢いでその日のうちに抱かれないとダメなのよ。酒を飲ませた夜の勢いってヤツ? 相手に冷静になる隙を与えないの」
「うわぉ……」
でも、そうか、そうなのかも知れない。
男が女に告白するのだって勇気や勢いが必要だ。
そうなれば、
「リョウたん……もし、あたしの勘違いだったらゴメンね。もしかして、リョウたんって……本当は男の子だったりする?」
「え?」
「うふふ、あたしったら何聞いてるのかしらね? ごめんなさいね、貴女みたいな可愛い娘にこん、な……って、あらあら?」
俺は、今、どんな顔をしてただろうか?
頭の奥が痺れたみたいに……思考が停滞する……
「うそうそ! え? や~だ~、こんな可愛いのに!?」
「や、お、俺は……」
「触れて欲しくなかった……そうよね、ごめんなさい」
くしゃくしゃとまた撫でられた頭。
「今までの質問は、貴女の迷いから出た質問だったのね」
その声音の優しさに……
気が付けば、俺の頬を、また涙が伝い落ちていた。
この世界に来てからどれだけ泣いただろう?
自分の心が慣れない肉体に引っ張られたみたいに弱くなって……
いや、そんなんじゃない。
ただ、俺は俺が男であるという当たり前の事実に胡座を掻いていただけで、何の芯も持っていない弱い人間だったんだ。
そして、その人間だったという事実さえもエルフになって見失って……
全てが偽りで……
もしかしたら、この恋心だって……
偽りなんじゃ無いかって……
ダメだ、何も、考えられない……
考えたくない……
「リョウたんごめんね、ごめんね、そんなに泣かないで」
ボタボタとこぼれ落ちる涙を強がって堪えることも出来なくなっていた。
どこでボタンをかけ間違えたんだろう?
姉貴に冷たく当たったあの日から?
この世界に来た時から?
アル君に教えを請うたあの日から?
それとも……
それとも……
俺がアル君に恋をした、あの日から?
ダメだ……
思考が凍てついていく……
考えないようにしていたことが、また重量を伴った枷みたいに俺に纏わり付く。
噛み絞めた唇が冷たい……
呼吸が荒くなって……
……
…………
「てりゃ!!」
「あいたっ!」
びしゃっ!!
と鳴った俺の頬。
何かジンジンと熱い。
「……え?」
「オネェ道その一!! 自ら泣くな! 泣くなら男を泣かせろ!!」
「??」
「リョウたん! 貴女は可愛い! 可愛いのよ!! このスーパーオネェ、ロイ様をシビれさせるほどに!!」
「俺……だって……」
「泣きたくなることもあるわ。でもね、泣くなら惚れさせた相手を泣かさなきゃ」
「惚れさせた……相手?」
「そうよ。あたしらは本女じゃないかも知れない。でもね、心は本女に負けないわよ!!」
サイドチェストでガッツポーズを取るロイさんに俺は苦笑いしか出てこない。
だって、俺は……
こんな力強く励ましてくれるロイさんの女道とも違うし普通の女とも違う。
結局は、どこまで行っても中途半端――
ビシッ!!
「痛ったー!! デ、デコが、おデコが焦げゆッ!!」
「多少焦げたくらい何よ!!」
「多少でも焦げたら大問題だよ! 何だよ、今の殺人デコピン!」
「良いのよそんなこと!!」
「そんなことって人のおでこをなんだと……」
もう、このオネェめちゃくちゃだ。
「ねぇ、リョウたん」
「な、何ですか?」
「そんな警戒しないの。そんな態度されたら、オネェさん周りがドン引きするくらいギャン泣きするわよ」
「すごく迷惑だからやめて下さい」
「でしょ。だから黙って聞きなさい」
「は、はい」
「あのね、ちょっと気になったんだけどアルキュンは貴女が元男の子だってのは知ってるの?」
「え?」
俺は一瞬、答えに迷った。
でも、気が付けば頭を左右に振っていた。
それは咄嗟の嘘。
俺の恋心が、この世界で生きるアル君にとって良い未来に繋がるとは欠片も思えなくて――
だけど……
「ねぇ、リョウたん。これは女の勘だけど、アルキュンは貴女が元男って気が付いてるんじゃ無いかしら?」
ドキリとした。
知っていて当然なのだ自分から暴露しているのだから。
だけど、ロイさんはそれを知らない。
それなのに、どこまで目聡いのだろうか。
俺の嘘なんてあっさりと看破されてるんじゃないのか?
「ねぇぶっちゃけて聞くけど、アルキュンとはどこまで行ったの?」
「えっと……」
「まあ、答えにくいか。でもね、お姉さんはたぶん、リョウたんの迷いはそこがネックになって生まれてるんじゃ無いかと思うの」
「ネック……」
「あたし達みたいな存在を世の中には嘘つき呼ばわりする連中が確かに居るわ。女のふりしてるだけだって。でも、あたし達だって恋もするし、人を好きなる気持ちに嘘は無い」
「うん……」
「だけどさっきも話したけど惚れた相手が冷静になる前に、見切り発車でも良いから築ける関係は築いてしまわないと、あたし達の場合は指の間から水がこぼれ落ちるみたいに愛情がすり抜けていくことって多いのよ」
「それって……」
「酷な言い方だけど、もし、貴女がアルキュンに女にしてもらえてないなら、この先も愛に繋がる可能性は低いと思うのよね」
それは、
でも、そのあまりに率直な言葉は見えない刃だ。
返しの付いた鋭利な刃は、俺の中に深く深く突き刺さった。
抜けることの無い痛みとなって。
「誰にも言えない、親にさえも友達にさえも言えない。だけど、自分はここに居て貴女は異性として一人の少年に恋をしてる……」
何時も考えていた。
報われない可能性のあるこの気持ちを抱いたままもし一人になったらどうなるのか……って。
そして、罪悪感にいつも支配される。
この恋心はそもそもが助かりたいだけの、すがりたいだけの打算だったんじゃ無いのか……
本当に俺は、ちゃんとアル君を好きになっていたのか?
一人の人間としてのアル君を、強いだけじゃ無い、弱いとこも、そのくせ強がってでしか生きられなかったあの少年を本当に見ていたのか……?
視界が、
酷く揺れた。
「リョウたん! リョウたん!!」
遠くから俺を呼ぶ声が聞こえた。
だけど俺の心は、仄暗い水の底に沈んだみたいに――
しずかに鼓動を止めた。
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