第12話 俺の♂理性はそろそろ限界か?

「へい、あっしがやりやした」


 俺の口調が思わず時代劇風に変わる。

 だってさ、今の師匠ってばお白洲で罪人に桜吹雪見せ付ける遠山の旦那みたいな迫力があるんだもん。

 うぅ、俺、こんなに威圧されるほど悪いことしたべか?


「そうか、やっぱりキミが魔猿を倒したんだね。じゃあ次の質問だよ。ボクは行く前にあれほど口を酸っぱくして言ったこの迷宮に入ったの?」


 師匠が視線だけで背後の遺跡を見やる。

 まあ、もう隠しようがない。

 洗いざらいゲロっちまうしか無いなこりゃ。


「あい、川に落ちて寒くて、とりあえず風除けしたくてこの建物の中に入りました」

「おかしな目に遭わなかった? もしかしてその不思議な口調は遺跡の後遺症じゃ、って考えてみたらキミは元々変な言動ばかりが目立つ娘だったね」

「うわぉ、さらりとディスられた!!」

「ディス……? それって悪口のことかい? もしそれであっているならその通りだね。悪く言われたくなければ、もう少し言動には気を付けてよ」

「あい、返す言葉もございやせん……」

「それで、この迷宮に入って何ともなかった? 身体は? 心は大丈夫?」

「えっと……」


 それはどう言う意味なんだろう?

 すごく心配してくれているみたいだけど、まあ、さすがにちょっと落ち込んだし混乱はしたけど……

 今の俺の心配は君に見捨てられないかどうかの心配だけ何だけどなぁ。


「とりあえずは無事、ってことで良いのかな?」

「えっと、たぶん俺的には至って元気というか、ちょっと凹んだけど、まだまだ頑張れます気力は無理矢理充実中って感じかな?」

「そうか、取り敢えずは一安心かな」


 師匠は安堵したのか、ホッと一息つくと……つく、と……な、なんだと?


 ふ、ふおぉぉぉおおぉぉぉっ!!


 し、師匠が! アル君が!!

 お、俺を抱きしめてくれたじゃあ~りませんか!?

 え? 何これ?

 もしかしてアル君ってばデレ期到来ですか!?

 やう゛ぁいです、やう゛ぁすぎます!!

 ひ、久しぶりのアル君の匂いで、お、おりぇの雄理性が沸騰寸前、爆発寸前!!


 おぉ、おちつけぇ~、俺……

 野生の獣は獲物を前にしてがっついたり慌てたりしない。

 隙を狙って襲いかかると言うじゃ無いか!


「本当に無事で良かった……」


 アル君の優しい声音。

 だが、俺はそんなものよりも君が欲しい!

 がるるるるるる……

 俺の中に突如生まれた狩猟犬の本能が、ハンティング意欲がゴリゴリに刺激される!

 だが、同時に俺の中の理性がそれに警鐘を鳴らす。

 後戻り出来無くなるぞ、とか、そんな無粋な警鐘じゃあない。

 慌てるなチャンスは見誤るとそこで試合は終了だ、と野生が囁くのだ。

 そう、俺の肉食の野生が、アル君という獲物を蹂躙すべく虎視眈々と心の爪を研ぎに研ぎまくっている!

 飛びかかればすぐさまはじき返されるのは分かっている。

 そっと、そ~っと……

 俺は頭を抱きしめてくれるアル君に気が付かれないほど緩慢な動作で、アル君の腰を優しく抱きしめ返した。

 やばい……俺の腕の中に生アル君が居る。

 おもむろに深呼吸をすると、鼻孔一杯にアル君の香りが……はにゃ~ん、し、幸せの香りだよ~❤


 ハッ! 俺は何を姉貴みたいな変態プレイに興じようとしてるんだ!?


 忘れるな、俺はアル君のことは好きだけど、それは人間として惹かれてるだけだ。

 俺自身はあくまで男。かんと書いて【おとこ】と読むぐらい雄々しき生命体だ!

 アル君に惹かれてるのは、あくまで人間として、師としてであって、恋愛とか性欲とか、それらとは切り離された……切り離された……切り……離され……


 でも、やっぱりアル君の匂い良い香りだ~❤


 姉貴、大変です!!

 俺もう普通の男に戻るの無理かも知れない。

 向こうの世界には帰りたいけど身体は女のままでも良いかもとか思い始めてやがるです。

 父さん母さん、娘が一人増えても良いですか?


 そんな俺のなけなしでズタボロの雄力にとどめを刺すみたいに、アル君が俺の頭を優しく撫でてくる。

 年下に頭を子供みたいに撫でられる。本来なら屈辱的なはずなのにドキドキが止まらぬ……


「とりあえず、今日はうちに帰ろう。詳しくは、休んだあとで話すよ」


 それってご休憩ですか?

 そんな単語が俺の脳裏をよぎり頬が赤くなるのを自覚する。


 この言動のせいで後から盛大に一人反省会をする羽目になるって分かっているはずなのに……

 身体はクタクタ、心はワクテカ!

 俺、メッチャ元気!!

 さあどんなプレイが待っているざんす!?

 だけど、そんなハイなテンションがメッチャMAXな状態でアル君の家わがやに帰ったんだけど……

 俺は自分が思っている以上に疲弊していたらしく帰宅してすぐに崩れ落ちるみたいに力尽きた。


 夢を……見ていた気がする。


 たぶん、ガキの頃に木から落ちて大怪我して、病院の白い天井を見ていた日々の夢だ。

 ずっと忘れていたガキの頃の記憶。

 …………あれ?

 日々? 確か凄く高い木から落ちて……

 落ちて……あれ?

 すぐに家に帰ったような……


 ただ、そんなのはどうでも良くて俺はその夢で奇妙な感覚を覚えた。

 説明しにくいんだけど、木から落ちた瞬間の激痛と、それとは真逆な空へと浮くような、沈むような、あれは……気を失う時に感じた衝撃だったのか、それとも……


 ……

 …………

 ………………


 目を覚ましたら、そこは幸せを感じる甘やかな香りに包まれたベッドの中だった。


「アル君の匂いだ~❤」


 アル君❤ アル君❤

 アル君にゃあぁぁ❤

 

 ハッ! 俺は何をハートマークまで付けて喜んでいるんだ!?

 いやだからこの展開もう何度目だよ!!

 俺は男だ!

 男なのにこの忌々しいエルフボディめがっ! 俺の雄力をゴリゴリと奪い去りやがって!!

 何だよ! 何考えちゃってんだよッ!

 何が『娘が一人増えても良いですか?』だ!

 良い訳無いだろ!

 そんな展開、誰も望んじゃいねぇよっ!


「う~、う~、うぅ~にゃあぁぁぁぁぁぁぁ!!」


「どうしたの、調子悪い?」


 ベッドの中でジタバタする俺の様子を見に来たアル君に声を掛けられる。


「うに~、何ともない……ってか、ほんとタイミング良く出てくるよね」

「上の部屋でバタバタする音と唸り声が聞こえたらそりゃ様子も見に来るでしょ」

「う~、ごめんなさい……」

「いいよ。それはそうと、本当にどこも異常ない? 頭以外で」

「ふ……さらりと毒をねじ込んでくるね」

「冗談だよ。で、何度も聞くようで悪いけど、本当に具合悪い所は無い?」

「うん。ちょっと疲れは残ってるけどもう大丈夫。お腹空いてるぐらいには元気だよ」

「了解。そうしたらご飯を用意するから待ってて」

「あ、や! い、良いです! 飯ぐらい俺が作るから! 本当に、大丈夫ですから!! 師匠のお手は煩わせんです、はい!!!」

「何だよ、その拒絶の仕方。悪かったね料理が下手くそで」

「いえいえ、とんでもございません。師匠にこれ以上迷惑はかけられないので、ご飯ぐらいは自分で用意しようという弟子の心意気でございます、ハイ」


 あ、あぶね~、危うくあの致死性の炭の山を喰わされるところだった。

 そりゃアル君の愛情料理は食べたいけど、今色々と弱った状態であんなの食べたら……


「ほきゃぁあぁぁぁッ!!」

「な、なに、どうした?」


 アル君の愛情料理って何じゃい!!

 思わずナチュラルに湧いて出た自分の思考の危うさに身悶えし、掴んだ枕をバフバフと布団に叩き付ける。


「ほ、本当に大丈夫? さっきから唸り声を上げたり奇声を上げたりしてるけど、枕に何か恨みでも?」

「うぅ、大丈夫でしゅ。己の中でレゾンデートルを問いかけたら、樹海の森で迷子になりかけただけでしゅ」

「な、何だかよくわからないけど、ご苦労様……」

「あい……」


 アル君の哀れみの視線が痛い。

 でも、どんな些細なことでも気遣って優しく語りかけてくれるのを嬉しいと思ってしまとか、俺は男として切実に末期な気がすゆ……


「あのね」

「な、何?」

「顔が赤いよ。熱でも有るんじゃ無い?」


 そう言って、おでこに差し出されたアル君の手は心地よい冷たさで、ああ、もう!

 もうもう!!

 自分でも耳まで真っ赤になるのが分かるよ畜生!!

 心臓がバクバクする……


「ちょっと熱いけど、うん、病気とか精霊にいたずらされているとか、そんな感じじゃ無いみたいだね」

「うん、その心配は全く無いと思う」

「そう? ってそれもそうか。アールヴ族なら多少記憶があやふやだったとしても精霊の力ならボクよりもわかるか」

「それは……どうだろう。ところでアールヴって何?」

「……エルフ族が自分たちを総称するときに言う言葉だよ」

「ふーん、そうなんだ」


 俺の発言に、アル君が少し難しい顔をする。


「と、とりあえずさ、俺の状態はアル君……じゃなくて、 師匠が心配するような感じじゃ無いから大丈夫だよ。あくまでレゾンデートルが荒ぶってるだけだから……」

「とりあえず大丈夫とは言うけども、そのおかしな言動はあの迷宮にかかわったせいかも知れないよ?」

「おかしいとか言うなし。たぶんと言うか確実に違うから大丈夫」

「本当かい? そこまで言うなら良いけど。いや、良いのかな?」

「取り敢えずそれは置いといて、そう言えば師匠がそんなに心配してくれるってのは、あの迷宮が危険って言ってたことに関係するの?」


 俺の問いかけに、アル君は逡巡したのか言葉を詰まらせた。


「そんなに問題があるの?」

「あ、いや問題があるか無いかで言えば問題だらけなんだけど……あの迷宮はね、色々な呼ばれ方をされているんよ。

「色々な呼び方? それってあだ名みたいな感じ?」

「あだ名なんてポップなモノじゃ無いよ。有名どころだと『地獄への迷い門』って言うのがあるんだけどさ」

「じごくへのまよいもん?」


 それはえらく仰々しく、そして禍々しい呼び名だった。


「あの門をくぐるとね、ほとんどの人間が発狂すると言われてるんだ。辛うじて無事だった人達もほとんどが口をつぐんでしまう」

「えっと、そんなに危険なの?」

「神の住む世界だって言う者も居たけど、そう発言した人達は異端視されて殺されたよ。向こうから帰ってきて辛うじて話せる者達が残した伝承のほとんどが恐ろしい物ばかりなのと発狂して死んだ者達が多いことから、今じゃ『地獄への迷い門』って呼ばれるようになったんだ」

「マジですか」

「発狂した人達の口伝を無理矢理集めて製本化された物を読んだことがあるけど、だいたいの話をまとめると呼吸さえもままならないほど汚い空気に支配された世界らしい」

「汚い空気の世界、か」

「そこには人に似た、だけどおどろおどろしい化粧が施された悪魔があり得ないほど大量に闊歩していて、夜を引き裂く眩い明かりが空を焼き尽くしていたとか」

「……うん?」


 それって、要約すると……もしかして……


「そして、聞いた事も無い鳴き声を上げるカラフルで巨大な獣たちが臭い息を撒き散らかしながら、石で閉ざされた大地を縦横無尽に走り回り」

「うぅ~ん?」

「巨大な悪魔達の居城が空さえも覆い隠すほど大地から生えているとか」


 あ、なるほど。100で理解した。

 わかりやすく言うと、奈良時代や江戸時代の人が現代の東京に放り出されてパニックになって発狂したって感じだな。

 カラフルで巨大な獣ってのはおそらく車だろうし、大地から生えた居城ってのは現代建築だろう。

 まあ、永田町辺りなら人間の皮を被った腹黒悪魔達が住んでるだろうけど。

 あと、おどろおどろしい化粧って辺りは……わかるけど想像しないでおこう。リアルに説明したら知らないどこかからお叱りを受けそうだし。


 とにも、そうか……なるほど俺以外にもあの遺跡に入って現代の東京、あるいはそれに類する近代都市に行った人達がいたんだ。

 だったら……


「ねぇ、師匠」

「なんだい?」

「あの遺跡……と言うか迷宮? みたいなヤツはこの世界には他にもあるの?」

「う~ん、一応確認されているだけでも六つあるよ。ただ、他の迷宮は当然危険視されて封印されてるけどね」

「え? そうなの?」

「そりゃ、ね。何十、何百という人間が壊されて戻ってくるような遺跡だよ。解放されているはず無いじゃないか」

「そりゃそうか…………え?」


 アル君の回答に思わず俺の口をついて間の抜けた声がこぼれ落ちた。

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