第10話 再会、だけど別れは突然に……
姉貴と再会したこの町の名前は東京の町田という場所だった。
修学旅行で来ていたらしく地元だけじゃ俺の情報が掴めなかったために、遠く離れた町でも俺の情報が無いか探し歩いてくれたらしい。
その結果が騙されてあんな酷い目に遭った……
今思い出してもあのクズ共は二度と表を歩けないように五体を完全に破壊してやれば良かったと心底後悔している。
「じゃあ、本当にタイとかフィリピンとかに行った訳でもイエスな先生にお世話になった訳でも無いんだね?」
「当たり前だろ。その、上手く説明出来無いけど朝起きたら変な世界に居た。信じられないだろうけどさっきの見ただろ? ヨドバシの屋上まで一気にジャンプしたの。あんなの世界中探したって誰にも出来ねぇよ」
「う、うん……そうだよね」
まあ外見だけならイエスな先生に頼めばどんな無茶な奇跡も起こしてくれそうだけど、この身体能力だけはドーピングマシマシ、|
それを説明したら姉貴も納得せざるを得ないようで難しい顔をしたまま頷いた。
俺がおニューなハーフになったと思い込んでも積極的に受け入れようとしてくれたり、俺の現状を理解しようと頑張ってくれたり。
姉貴は変わらず優しかった。
でもさ俺のことを受け入れようと頑張ってくれるのはありがたいけど、頼むからもう少し疑うことを覚えて欲しいと思うのは俺のわがままだろうか?
そんな悩む俺をよそに姉貴は俺をただぎゅっと抱きしめ頭を撫でてくれた。
「そっか、うん……」
ふわりと香る女性特有の甘い香り。
「大丈夫だよ。不安なのは分かるけど、お姉ちゃんの前ではそんな不安に怯えた顔をしないの」
優しい声音。
俺は何で忘れてたんだろう……
この人は残念なところもすごく多かったけどいつだって俺には優しかった。
理想的な姉とは言え無い所も多々あったけどそれでも俺に安らぎを与えてくれた人だった。
「大丈夫、大丈夫だから、きっとね、何とか上手くいくよ♪」
何の保証も無い確信。
だけど、それだけでも、俺には凄く嬉しい。
「ありがとう、姉貴」
「むぅ……こう言う時は格好付けて『姉貴』じゃなく、「お姉ちゃん」って呼んで欲しいんだけどな」
「気が向いたら、呼ぶよ」
「ふふ、うん、チョッピリ残念だけど今はそれでいいよ」
姉貴は、まるでらしくもない大人みたいな笑みを浮かべると俺の頭を優しく撫で回す。
「お姉ちゃんにも不安は沢山あって、だけど、その比じゃ無いくらい今の良ちゃんには不安がある。お姉ちゃんには良ちゃんの不安は拭ってはあげられないけど、ただ、これだけは言わせて」
「何?」
「何の解決にもならないのは分かってるんだけどね。お姉ちゃんは良ちゃんが元気に笑ってくれる。それだけですっごく嬉しいんだよ」
「…………」
嘘偽りの無い音色を纏った言葉がただただ嬉しくて、俺は、何も言えなくなった。
「ふふ、だけど、それよりも、良ちゃんが女の子に成りたくて悩んでたんじゃ無くて、ちょっと安心しちゃったんだけどね」
まるで小悪魔みたいな声音で姉貴が囁く。
「まあ、そう言う方面の悩みは無かったことだけは確かだけどさ。ただ、どうやって戻って来れたのか、何でこんな事態になったのか……ハッキリ言って俺にも分からないんだ」
そこまで話して、俺は頭の奥底のどこかがシビれたみたいに冷え固まっていくのを感じた。
嗚呼、俺はこんな時にまでどうやったら自分が救われるのか、どうやったら家に帰られるのか、心配してくれている家族の事よりも自分の事ばかり考えているのが……
酷く、ただ酷く情けなかった。
頭の奥がくさくさする。
毎日バカをやることが許された頃には知りたくもなかった感情が、沸き上がってはそれを否定するを繰り返す……
そして、そんな感情に振り回されている自分がまた酷く許せなかった。
「良ちゃん怖い顔をしてるよ。ううん、すごく辛そうな顔をしてる。あのね、お姉ちゃんがこれから言うことは、もしかしたら的外れかも知れないけど聞いてくれるかな?」
姉貴の優しい声音に、俺は無言のままただ頷いた。
「えっと、ね。良ちゃんの今置かれてる状況は誰も経験したことが無い、とっても大変なことなんだよ。だから、ね。ものすごい苦労してるし、不安だから自分の事でいっぱいいっぱいになったとしてもそれは仕方が無いんだよ。だから自分を責めちゃダメ、良ちゃんがしなきゃいけないことは自分を許してあげることだよ」
そして、ギュッと頭を包み込むみたいに優しく抱きしめられた。
目の奥がシビれたみたいに震え、頬を伝わり落ちた雫がやけに熱く感じた。
ああ、この人は……
いつもボケボケしているくせに、何でこんなにも俺が欲しかった言葉を投げかけてくれるんだろうか……
「良ちゃん、良ちゃん……お姉ちゃんの良ちゃん……」
どこまでも優しい声音。
だけど、何でだろうか?
そこに混ざる形容しがたい、微妙に高い湿度を帯びたニュアンスが混ざるのは。
「ああ、ちょっとだけ匂い変わっちゃったけど、やっぱり良ちゃんの匂いだ、クンカクンカ……」
「うぉい!? 俺、今チョット感動しかけてたのに何してくれてんの!!」
「ハァハァ、数ヶ月ぶりの良ちゃんクンカクンカ……幸せの香りだよ~、ハァハァ……ああッ! は、離れないで! せ、せめてもう一嗅ぎ!!」
「黙れ、この重病人!!」
「お姉ちゃん病人じゃ無いよ! 元気いっぱいだよ!!」
「うーさい! お前は脳が病気じゃ!!」
「ひどいよっ!!」
「何が酷いじゃふざけんな!!」
俺の感動を返しやがれってんだ。
……まったく。
どこまで行っても姉貴は平常運転だった。
だけど、何なんだろうな。
それが今はすごく嬉しくて、思わず怒鳴っちまったけど、俺の心は確かに向こうに行く前の平穏を取り戻していた。
それからしばらく姉貴とたわいない会話を続けた。
「そっか、当然だよな。父さんと母さんにも心配を掛けちまったな」
「うん、そうだよ。二人だけじゃなく、おじいちゃんもおばあちゃんも、勇次伯父さん達も良ちゃんのことをすごく心配いてた。でも、みんな良ちゃんが絶対無事に帰ってくるって信じてるから変わらない毎日を送ろうと頑張ってる。でもこの間ね、お母さん夜中にリビングで泣いてるの見ちゃってね……」
「……ッ」
「ねえ良ちゃん! お姉ちゃんと一緒に帰ろう? 性別が変わっても大丈夫だよ、お姉ちゃんがちゃんと説明してあげるから!!」
俺の肩を掴んで何とか説得しようとする姉貴。
俺の姿を見ても両親は受け入れてくれるだろうか?
姉貴と同じく上手くいく補償なんかどこにも無い。
だけど、俺には向こうに行く理由も無ければ行く方法すらもわからない。
いや、そもそもが行く必要なんて端から無い。
だったらさっさと家に帰るべきだ。
この姿をどう思われるか、そんなことにいつまでも怯えていたら前になんか進めない。
俺は何時までこんなつまらないことでグズグズと悩んでみんなに心配をかけさせ続けるんだ?
いつまでも周りを悲しませて生きていくのか?
「……いや、だ」
「良ちゃん?」
「帰りたい! 俺、あの家に、みんなが待ってる家に帰りたい!」
「うん、そうだよ。帰ろう良ちゃん! 大丈夫、何があってもお姉ちゃんは良ちゃんの味方だから!」
その声はさっきまで変態的だった人とは思えないほどに、頼りがいがあって、暖かくて……
だから、俺は、
絶叫した――
「何でだよ、何でなんだよ!! 俺は帰れたんじゃなかったのかよ、うわあぁぁぁあぁぁぁぁぁっ!!」
そこは、ネオン街に輝く東京とは違う薄暗い遺跡の中だった。
目の前の壁には見知らぬ文字がギッシリと刻まれ、今にも光が消えそうなボロボロの台座があった。
俺は、それを見た瞬間に全てを思い出した。
魔猿との戦いのあと谷底を流れる川に落ちた俺はそのまま意識を失ってこの遺跡近くまで流された。
それが、アルハンブラから忠告された迷宮の入り口とも気が付かないで。
そして、暖を取ろうと中に入った俺を出迎えたのがこの台座だった。
突然光り出した台座に呼応するみたいに遺跡全体が輝き出すと、気が付けば俺は元の世界に居た。
あまりの衝撃に記憶が混濁していたが、ああ、そうか。
俺はただこの台座の光に翻弄されて、元の世界に帰っただけ……
「……ッ! 覚める夢なら何で見せたんだよ! つまらない希望ならいらなかった!!」
腹立たしさのあまり思い切り蹴った台座は、それの材質が元々何だったのかも分からないほどあっけなく砕け散った。
俺はアルハンブラとの約束を何一つ守れず、
姉貴の優しさも踏みにじり、
両親を不安にさせたまま、
また、この訳の分からないクソッタレな世界に連れ戻されたのだった。
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