第8話 帰りたい

 俺が呆然と立ち尽くしていたのは何処とも知れない街角だった。

 でも何となくだけど見覚えはある。

 と言うよりも向こうに居た時よりもそれは圧倒的に見慣れた町並みだった。


 だけど……

 あの世界の美しさに比べると見慣れていたはずのここは何て無機質な世界なんだろう。

 星の理に逆らうみたいに蒼穹へと向かい直立したビル街。

 夜も朝と変わらない明るい町並み。

 空には星がろくに見えず眠らない人間達がこんなにも騒ぎ立てているのに明日・・は変わらず降り注ぐ。


 ほんの数ヶ月向こうに居ただけなのにここはやけに異質な世界に感じた。


「俺は本当に、この世界に居たの……か?」


 不安さえも覚える違和感。

 それはまるで自分の居場所はここじゃ無いと心が叫んでいるみたいな極上の違和感だった。

 それともこれは一度この世界から弾き出された者だけが感じる疎外感か?

 思わず噛みしめた唇からは血の味がした。

 気が付けば何処へともなく彷徨い歩いていた。


「あ……」


 ふと視界の隅に捕らえた、閉店したショールームのガラスに映る自分の姿。

 それは向こうに居た時のまま。

 そんな自分の姿にどこか安堵を覚えた。


「きっと、そうさ……」


 この姿のままだから俺はこの世界に馴染めないんだ――


 思わず縋り付くような情けないため息が漏れた。

 でもこれで分からなかったことに一つの答えが見付かった。

 こんなエルフのコスプレした女が歩いていれば奇異の目で見られるかと思ったけど、周りは何事も無かったみたいに過ぎていく。

 どうやらここは俺の故郷とは大違いの些末なことなど気にもしない大都会のようだ。

 まあ、夜中の番組とか見ても地方民じゃ信じられない奇天烈な格好をした人や自らを神と称する紙一重の方々も普通(?)に溶け込んでいるぐらいだ。

 コスプレ女が居たくらいで奇異の目で見られることも無いのだろう。


 なら問題は何か?

 それは今後の身の振り方だ。

 父さんや母さん姉貴にも会いたいけど正直この身体のまま自宅に帰るのは不可能に近い。

 まあ、俺のバカなツレどもなら一揉みさせろとか挟んでくれとかエロい要求するだけで満足して納得するだろうけどさすがに家族だとそうもいかない。

 まぁ、のんびりした母さんにアニオタの父さん相手だから、以外と何とかなりそうな気もするけど……

 常識的に考えて、まさかそれまで普通だった一人息子がちょいと音信不通になったあげくやっと帰ってきたと思ったら金髪で巨乳のニューハーフデビュー。

 何度も言うが俺はそんなそぶり・・・が欠片も無い男子高校生だった。

 流石にそんな唐突すぎるカミングアウト、いくら俺の家族とは言え受け入れられるとは思えない。

 下手したら一家離散、どう考えても家庭崩壊不可避エンドまっしぐらだろう。

 もっと最悪だと高校男子行方不明強制性転換事件としてメディアやWikipediaに面白おかしく取り上げられたあげく、終いには世界から一生消えない負の記憶としてwebの海に記事が残されて家族も俺も延々と晒され続ける可能性さえある。


「どうすれば良い?」


 本音は今すぐにでも家に帰りたい。

 両親にだって会いたいし俺が居なければ何も出来ない姉貴のことも心配だ。

 バカだけどお調子者なツレ達にだって会いたい。

 声だけでも良いんだ、俺が俺じゃ無くなっても無事だってことだけは伝えたい。

 心配させたまま何て嫌だ。

 電話、だけでもするか?

 だけどどうやって?

 俺はスマホを忘れて異世界に行った。

 アルハンブラが作ってくれた服に着替えた時点で残念ながら小銭さえも持っていないし、そもそも公衆電話何てどこにあるんだ? んなもん一度も見たことが無い。

 店に入って……いや、どう考えても今は深夜だ。ガキがこんな時間に入れる店なんて、ろくな所じゃ無い。

 なら交番……は、最強にNGだな。

 どう考えても職質&補導、下手したら密入国扱いだ。

 家族に電話してもらえるかも知れないが、結局ごたごたするのは避けられない。

 だったら最終手段は……


「辻斬りでもやるか?」


 この身体でこっちに来てるんだ、おそらく能力は向こうのままだろう。

 グッ! と力を込めると、体内の魔素が活性化するのがわかる。


「うん、あるな」


 俺の力は向こうに居た時のままだ。

 しかも魔猿と戦った疲労もどうやら回復しているみたいだ。

 ならあとは簡単。

 ボコっても心が痛まないヤツを見付けて身包みを剥ぐだけだ。


 ……あかん。

 辻斬りってなんぞ?

 どうも向こうの世界の感覚に浸食されている気がする。

 下手すりゃ魔猿にやっちゃったレベルのことをこっちでもやりかねない。

 気を付けないと。

 とは言えまずは銭とスマホをゲットするのが急務だ。

 俺は薄暗い路地裏へと足を踏み込んだ。

 俺みたいな田舎者には本当かどうかわからないけど、刃牙辺りを読んでると路地裏でえらく物騒な連中がワクテカしながらナイフをちらつかせてるのをよく見る。

 そんなヤツら相手なら多少ボコっても心は痛まないだろう。

 だけど……


「いねぇ……」


 そりゃまぁそうか。

 あんな怖い連中がそこら中にうじゃうじゃ居てたまる……


「ん?」


 それは俺のエルフ耳に僅かに届いた悲鳴だった。


「持ってて良かったエルフ耳ッ!」


 銭の臭いを嗅ぎ付けダッシュする。


 その場所は俺が悲鳴を聞きつけた位置からそれ程離れてはいなかった。

 肉体の軽やかさは絶好調。

 身体強化の魔力は僅かしか使っていないのにまるで空を蹴るみたいにしてそこへ到着した。


「はぁ~い、お兄さん達! おいたはそのふざけた顔だけにしておきな!」

「あーん!?」


 うわぁ~、絵に描いたようなヤカラ感満載の顔面凶器達。

 一人は金髪ロン毛、もう一人はヒャッハーしそうなモヒカン。

 ろくでもねぇ見た目はむしろありがたい。その見た目で居てくれた方がこっちも気兼ねなく躾をすることが出来るってもんだ。

 ま、向こうの世界に行く前はこんなヤツらと絡みたいなんて欠片も思わなかったけど今は微塵も恐怖を感じない。

 殺さない程度に痛めつけて、分捕る物ぶんどるもん分捕ったらさっさとこの場からとんずらするだけ。


「なんだいヒーロー気取りのお姉ちゃん? このねぇちゃんの代わりにアンタが遊んでくれるのか?」

「いいねぇ、外人の童顔金髪なんてそうそう味見できるもんじゃねぇ」


 顔の造形もありきたりなら台詞までありきたり。


「おっと、どうした? 勇んで出てきたくせに今更怖くなったか? 残念だったな俺たちは泣き顔を見たら興奮するタチ何だよ」

「やれやれ、日本の治安神話も末期やね。それとも外国はこれ以上に治安が悪いのかな?」


 バタフライナイフをちらつかせる男に俺はただただ辟易してため息を漏らした。


「何ぶつくさ言ってやがる! 痛い思いしなければ良い子になりやがれ!!」


 大きく振りかぶるバタフライナイフ。まだ振り下ろす気は無さそうだがそれでもこれは威嚇の度を越えている。


 路地裏でおそらくは襲われていたであろう女の悲鳴が小さく聞こえた。


「おいおい、顔に傷を付けるなよ。えぐいと萎えちまう」

「リョナ趣味ねぇってのっ!」


 ゲラゲラと起こる笑い声。

 薄暗い奥にも人影が三つ。一つは襲われていた女のもの。

 もう一つは顔まではわからないが男が二人。

 何となくだけど敵の配置がサーモグラフィに映る熱源のようにわかる。

 チョット驚いたけどそれ系のスキルは習ってないのでこれはエルフ族の暗視能力か何かだろう。

 向こうに居た時は地球明かりが強かったのと夜に出歩かなかったから必要なかった。

 けど、ここは大都会でありながらろくに光も射さない薄暗闇の路地裏。

 なるほど。これは慣れたら便利そうだ。

 そして、話は戻すが――


 ありがとう、君たち。


 よくわかったよ……

 お前らが救いの無い悪党であってくれて心底嬉しいよ。

 手心を加えなくてすむ。

 俺はモヒカン男に無造作に近づいた。

 モヒカン男はその意味もわからずに、ニタニタと下卑た笑みを寄り深く浮かべる。

 バカが教えてやる。

 俺の・・アルハンブラが教えてくれた、技の妙味ってヤツの片鱗を。

 相手の腹部、鳩尾みぞおちに拳を軽く当てる。

 端から見たら撓垂しなだれているようにしか見えないだろう。

 何せ俺に拳を当てられた本人でさえスケベ力全開のよこしまな笑みを浮かべているぐらいだ。

 ま、実戦じゃまず使う機会なんかほとんど無いゼロ距離からの打撃。

 通〇拳ではない。

 父さんのもう一つのバイブル『はじめ〇一歩』で出て来た技。

 見よう見まねのゼロ距離からの必殺打撃!

 ぶっちゃけ、これも自分で使うのは初めてだけど今の俺ならたぶん上手くいくはずだ。

 まあ、失敗したら失敗したであとから全力でぶん殴れば良いだけさ。


「ふっ!!」


 俺は気炎を吐くと同時に全身を捻り拳を地面に向かって押し込むみたいにして、男の鳩尾に全体重を瞬間的に乗せる。


「ッ!?」


 悲鳴を上げることも出来ずに、いや、呼吸さえもままならず地面に崩れ落ち痙攣を起こすモヒカン男。

 だけど気絶はさせない。

 と言うより俺の体重だと相当量の魔素をたぎらせでもしない限り気絶まで持ってけない。

 でもダメージは抜群。なのに意識は鮮明なままで呼吸も出来ずに激痛が全身を襲うという、ハッキリ言って自分じゃ絶対に喰らいたくないえげつない技だ。

 ま、悪党にはちょうど良いお灸だろう。


 他の男達は何が起きたのかもわからずに困惑している。

 遅いッ!

 異変を感じたらその瞬間には目の前の敵を殲滅しなきゃ逆に狩られちゃうよ!!

何て、これは戦闘じゃドSのアル君の受け売りだけどね。

 とりあえず俺は目の前の金髪を無視しモヒカンが地面に落としたバタフライナイフを奥の男に蹴り込んだ。


「ぎゃっ!」


 奥の男が一人足を押さえてうずくまる。

 これで実質的には残り二人。

 向こうに行く前の自分だったら絶対に信じられないくらい派手なやんちゃをしている。


 でも俺がアル君に教えられたのは……


『そいつが救いようのない敵で、だけど、どうしても君が殺せないなら手段は一つだよ。両目と鼓膜を潰して顎を粉々に砕き手足の腱を切るんだ」


 と言うとてつもなく苛烈なものだった。

 反撃を二度と許さず、自分の存在を他者に伝えられないようにするためらしいのだが……

 ぶっちゃけそれって殺すより残酷じゃねとか思ったけど、アル君が真顔で話していた辺り間違いなく本気だったはずだ。

 だけどそんな真似はさすがに出来無い。

 と言うか、それを要求するってアル君ってばあの歳でいったいどんな人生を歩んできたんだか。

 もし、心に深い傷があるなら絶対俺が癒やしてあげなきゃな。

 それが師匠への恩返しってもんだ!

 ぐ、ぐへへ♪


 と、我ながらそんな場違いな事を考えていたのだが、そんな浮かれた考えも吹き飛ばす事態がそこには待ち受けていた。

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