第7話 「くっ殺!」何て言うもんか!!

 さらに森の奥深く。

 太陽は地平の彼方に沈み、星々が天頂を支配していた。

 辺りから聞こえてくるフクロウの鳴き声や虫たちの囀りにここが地球であるかのような錯覚を覚えるが、天頂には沈むことなき地球が煌々と輝いていた。


 あの姿を見る度に、俺は違う世界に来てしまったんだなと実感させられる。

 なんて、そんなセンチメンタルになってる場合じゃ無いんだけどね。


「せいやーっ!!」


 俺の気合いと同時にドスリと鈍い音が鳴る。

 頸椎を背後から打ち抜かれ熊に似た魔獣が頽れる。


「ふぅ……これで四体目。なんとか要領は得てきたかな?」


 正直、殺しうばうことに慣れたくはない。

 でも地球に居た頃には信じられなかった、巨大な熊に勝ったという現実は少なからず俺に自信と高揚感をもたらしていた。


「理想は剣で颯爽と倒すことだけど生きる力が少しでも付いたと思えば贅沢も言ってられないな。アルハンブラには本当に感謝だ」


 事ある毎に思わず呟いてしまうアルハンブラの名前。


「にへ~」


 アルハンブラの名前を呼んだだけなのに、思わず間の抜けた擬音語を発しってしまうほど頬が緩むのがわかる。

 これが終わればアルハンブラに会える。

 それだけが今の俺の支えだ。

 だが、そんな刹那の幸福は――


 一瞬にして俺の中から掻き消えた。


 辺りの空気が突如張り詰めフクロウの鳴き声と虫の囀りが消えた。

 息が詰まるほどの獣臭が辺りに立ち込める。

 俺の中で最上級の警報が奏でられた。

 大木すら薙ぎ倒す巨大熊にさえ感じなかった怯え。

 それはまさに極上とも言える恐怖。

 俺は咄嗟に辺りを見渡す。

 深夜の草原ではあれほど頼もしかった地球がもたらす蒼い光は、鬱蒼と生い茂る森の中では悲しいほどに心許ない。

 辛うじて見える横の深い崖と底を流れる川の音だけがやけに耳に付く。

 訳のわからない恐怖を前に喉の奥に覚えが無いほどの乾きが宿る。

 飲み込んだ唾の音はやけに耳障りだった。


「何だよこのえげつない気は……」


 ザッと突然木々が揺れ夜空に浮かぶ地球の明かりが影で塞がれた。

 俺は本能のまま横に飛び退く。

 それが幸いした。

 俺が居た場所は見事にえぐり取られ大穴が空いていた。


「マジかッ!」


 息が詰まると同時に冷たい汗が頬を伝う。

 そこに居たのはさっき倒した熊よりも巨大で真っ黒な猿だったのだ。

 やばい!

 俺の中の何かが早鐘みたいに警鐘を鳴らす。

 その姿を見た瞬間に理解した。

 こいつがアルハンブラが言ってた魔猿だと。


「逃げないと」


 さっきまでの高揚なんて嘘みたいに吹き飛び、ただ心臓が痛いぐらいにドクドクと悲鳴を上げる。


 ギャギャギャギャギャッ!


 魔猿は木々を振るわす咆哮を上げるとその巨体には似つかわしくない速度で襲いかかってきた。

 次の一手が遅れるのを覚悟で思い切り跳躍する。

 地面がまるで柔らかな腐葉土みたいにえぐれ飛ぶ。

 破壊力はすでに知っているが改めてその非常識な威力を前に背筋が凍る。

 こんな馬鹿力、擦るだけでもどうなるかわかったもんじゃない。

 だけど背中を向けて全力で逃げても追い着かれるのは目に見えている。

 そうなれば、あっという間にボロ雑巾にされるだろう。

 どうにか隙を突いて逃げない……


「うげぇ……

 

 その時、俺は最悪なモノ・・に気が付いた。

 掴まればボロ雑巾じゃ済まないこと確定だよ。

 だって、こいつ……オチンチンがヘソまで反り返るほどに勃起してやがるんだもん!


「わぉワールドワイド! って……うぉいッ! 何見せてくれてんだよお前!」


 獣姦は古代から禁忌なのは常識だろうが! キリスト教だって重大禁忌扱いなんだぞ! 俺んちキリシタンじゃねぇけど。

 って、今はそんなこと言ってる場合じゃねぇ、シャレにならんぞマジで。

 こんなところで一部界隈で人気な「くっ殺」何て絶対使いたくない。

 この身体になった時点でオークにだけは会いたくないと願ってたけどオークじゃ無くても初めてが獣相手だなんて冗談じゃ無い!

 だが、そんな俺の恐怖もお構いなしに魔猿は醜悪な笑みを浮かべて襲いかかってくる。

 こいつを見てるとキングコングがいかに紳士的だったのかが良くわかる。

 こいつはやたらでかくて知性の低い魔獣だ。

 性欲と食欲と破壊することしか脳内には無いのだろう。


 いや、考えろ。それ・・が目的で頭に血が上り興奮しているのならある意味チャンスだ。


 俺は突進のタイミングを見計らって木を思い切り蹴った。

 木の反発を利用し魔猿の背後を取るためだ。

 だが、こんなのと戦う気はサラサラ無い。

 上手く背後を取れたら振り返り様に顔面にダガーを投げつけそのまま逃走するのだ。


「喰らえッ!」


 俺は予定通り魔猿の振り返り様にダガーを投げつけた。

 だが、俺は考えが甘かったことを知る。

 アルハンブラが何故魔猿とだけは戦うなと言ったのか。

 こいつはでかい図体だけの獣では無かった。

 高速で飛来するダガーをその口で受け止めるとまるで氷みたいに噛み砕いたのだ。

 そして、その破片を礫みたいに俺の脚に吐き出した。


「ぐっ!」


 焼けるような痛みが下半身を襲う。

 俺は抵抗も虚しくあっさりとその機動力を奪われ頽れた。


 醜悪な笑みで近付いてくる魔猿。

 逃げたくてもまともな状態ですらコイツの方が素早いという事実。

 そんな膝を突く俺の前に一物をいきり立たせた魔猿が立ちはだかる。

 くせぇ、メチャクチャ雄臭ぇ……

 吐き気しかしねぇ。


「ぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃ!」


 耳障りな勝ち鬨。

 クソッタレ、動けない雌エルフと思って調子に乗ってやがる。

 警戒心もなく無造作に伸ばされた手が俺の胸ぐらを掴んだ


「きゃああ!」


 突然上下左右に揺すられ、情けない悲鳴が俺の口から漏れる。

 醜悪な顔に益々深く歪んだ笑みが浮かび上がり俺の前に突きつけられた一物。

 何だよ挿れたいのかよ、俺の中に?

 ああ、そんなもんぶっ刺されたら俺の雄脳は粉々に砕けちっちまう。

 だけどよ、


「俺の初めてはアル君にあげるって! そう、決めてんだ!」


 ああ、確かにお前は強かったよ。だけど、やっぱりだった……所詮は獣だ。

 油断したな!

 俺のわざと上げた悲鳴・・・・・・・・でお前は繁殖行動を優先させた。俺を殺せたのにそれをしなかったんだ。

 殺してりゃ屍姦ぐらいは出来たのにな。


 俺はあの日アルハンブラに気絶させられた技を思い出す。

 正直見よう見まねのぶっつけ本番、失敗の可能性は高い。

 だが、技の要領はわかっている。

 あとは魔力で身体強化した俺の力にどこまで怪我をした足が耐えてくれるか、って怪我がどうした!

 ここで負けたら全て終わりだろうが!

 俺は近づきたくも無い魔猿の一物を睨みつける。


「ケキャーキャー!」

「うるせぇ何喜んでやがる!」


 俺は全身をひねり地面を全力で踏み込むと全ての威力を一点に集約した蹴りを魔猿の一物に見舞う!

 グシャリと鈍い元男としては絶対に知りたくない破壊音とともに魔猿の巨体は吹き飛んだ。

 悲鳴一つあげずビクビクと数度痙攣してそのまま動かなくなる。


「ハハ……どうだ、気持ちよくイケたか? とりあえず薄い本の主人公にならなくてすんだぜ」


 強がりもそれが精一杯。

 俺は力なくその場にへたり込む。

 正直言ってここまで上手くいくとは思わなかったが俺の中の全ての魔素を爆発させてやった。

 爆発……それは我ながら思い出すのも恐ろしい破壊力。

 だって、お猿さんのおちんちんが粉々に吹き飛んだもん。

 とは言え魔猿を倒せたのは間違っても俺の実力じゃ無い。

 運良く相手が油断して思い切り弱点を晒していたのと俺の覚悟が上手く重なっただけ。

 ただ若干魔素を注ぎすぎてオーバーキルになった感も否めないから要訓練だな。

 まだ手に残る生々しい感触を葉っぱで拭いとる。

 これ人に使って加減を誤ったら確実に殺しちゃうな、うん。


「俺が人殺しになったらアル君が悲しむよね。気を付けよ」


 ……

 …………

 ………………


 俺の頬がまるで熟したトマトみたいに真っ赤に染まっていくのがわかる。

 ふと我に返ったら、さっきから自分が何を絶叫していたのか思い出してしまったのだ。


「な、何だよ! 何言ってんだよ! 俺の初めてはアル君にあげるって!」


 や、そりゃどうしても帰れなくなったら仕方がないけどさ。

 だけど、こんな中身男に言い寄られたってアルハンブラが迷惑するだけ……

 だけど、アイツに惹かれてるのは確かだし、でも、でも、さ……


「う~~~ッ!」


 ゴン!


 俺は額を思い切り地面に打ち付けた。


「お、おおぅ……クラクラしゅゆ……」


 吹っ切ろうと気合いを入れたらちょいと加減を誤りました。

 ひへぇー、ふー……


「い、痛いの痛いの飛んでけ~」


 自分の額に手を当てお決まりのポーズをする。

 どうよ今の俺。

 自傷行為をしながら自分でやるこの痛々しさよ。

 だが、どうせ深く考えたってドツボにはまるだけだ。

 前向きだけが取り柄なんだから悩むのは後回しだ!

 後は野となれ山となれ!


 だけど俺はまたも重大なことを失念していた。

 おそらく、今やった気合いの頭突きがトドメだったのだろう。

 ここは深い崖の脇、魔猿はその地面をえぐりさらに俺はそこで通〇拳キックを打ち込むべく魔素を爆発させ右足で地面を踏み抜いたのだ。


 おわかりいただけただろうか……


 すなわち、『もうやめて、この地面のライフはゼロよ!』状態なのである。


 パンッ!


 まるで銃声にも似た破裂音が空気を叩き地面に亀裂が走る。

 と同時に傾きだす星空。


「じゃなくて! 地面裂けてんじゃん! ほんぎゃあぁぁああぁぁぁぁぁっ!」


 俺の体力はさっきの頭突きで完全にスッカラカンになっていた。

 何をすることも出来ずに身体は吸い込まれるみたいに暗く深い谷底へと落下した。


 ……

 …………

 ………………


 川の音がやけに五月蠅かった気がする……

 何か落ちるような恐怖は覚えているけど何やってたんだっけ?

 それにしても風がやけに生暖かくて湿度が不快だった。

 記憶の中では嗅ぎなれてたはずの空気もなんかマズい……

 あれ、俺って静かな森の中に居たはず?

 ん、へんな夢でも見てたのかな?

 ねぇ、アルハン……


「ッ!」


 意識が急速に覚醒する。

 慌てて辺りを見渡すとそこは高層ビルが立ち並ぶ町中だった。

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