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「野上さん? さっき来たけど、ここには無いって言ってまたどこかに行っちゃったなぁ」
落とし物コーナー担当のおじさんが数独をしながら教えてくれた。
祭りの本部は公民館脇の駐車場に設けられたテントだ。おじさんはテントの下の長机に座ってくつろいでいた。おじさんの脇には届いた落とし物を入れているであろう段ボールがあったが、中にあったのはボールペンとか、ヘアゴムとか、女児用のアクセサリーとかばかりであり、良い歳した野上の物らしき落とし物は見当たらなかった。
「野上さん、何を落としたって言っていました?」
「んー、書類って言ってたなぁ」
数独おじさんが答えてくれる。
「書類……なんの書類でしょう」
「さぁなぁ、なんか、原稿? っつってたなぁ」
「原稿……」
私は町民祭のプログラムを思い返す。祭りでは折々のタイミングで、式典や市の歴史の解説コーナーなどが設けられていたはずである。野上は町議会議員であるから、そこで何かを紹介する役目を負っているのかもしれない。
今はお昼ちょっと前の時間帯だ。野上が出るであろう企画までは二時間ほど時間がある。
その原稿を落とした、と。
焦るのも無理はない。
「どんな原稿だかって、言っていましたか? 例えば厚みとか、大きさとか」
私は落とし物おじさんに立て続けに質問する。
「うむむ……こっちが9か……?」
「………………」
「ん、あぁ、野上さんの件か。普通の紙束だとしか聞いてないな」
「本当にそれだけ? 本当に「普通の紙束だ」ってしか言ってないんですか?」
「あぁ……本当にそれだけだよ。もっと詳しく聞こうとしても、それだけしか言わなかったなぁ、そういえば」
「そうですか」
落とし物コーナーのおじさんはもう数独に夢中になってしまっていたので、私は静かに祭りの本部から去った。
本部の最奥では町長が座っていたが、腕を組んで深い眠りに落ちていた。それで良いのか町長。眼鏡がずり落ちている。
あの人はもう七十も後半なのだし、日中は起きていられないのだろう。ちょっと前に駅の改装セレモニーに出席していたときも祝辞をうまく言えていなかった。そろそろ潮時なんじゃないかと思う。
……全体的に、大丈夫なのかこの町は。
*
私は二階の本棚脇のソファに戻って、野上の原稿の行方を考え続けた。それが祭りの会場のどこかに落ちているとは考えづらかった。もしそうならとっくに野上が見つけているか、誰かが拾って落とし物として本部に届けているはずである。野上が公民館二階というまずなさそうな場所まで探しに来ていたあたり、彼の捜索は難航しているのだろう。
会場内を探すのは彼に任せて、私は自分の脳内を放浪した。何か、何か手がかりはないだろうか……。
第一、そんなに大事な原稿であるなら、肌身離さず持っているべきである。私は野上の持っていた、口の開いた鞄の中身を思い出していた。書類ケースくらいなら余裕で入りそうな鞄だった。あそこに原稿が入っていたのだろう。
失くすと困るものなら鞄に入れっぱなしにしておきたいはずである。しかし野上は原稿を失くした。何かの折に鞄から原稿を取り出したのだ。
どういう事が起きれば、鞄からそれを取り出すだろうか。例えば……。
パターン1:祭りの中で偶然、転んで膝を擦りむいて泣いている子供がいたとする。野上は絆創膏を持っていたが、それは鞄の奥底にあった。一旦原稿を取り出して、それから絆創膏を取り出す。そして子供を治療するのに夢中で、取り出した原稿をしまい直すのを忘れる。
パターン2:同僚に「どーだこの原稿、俺が作ったんだぞ、すごいだろぅ」と自慢するために取り出す。その後なんやかんやあって原稿を出しっぱなしにしてしまい、しまい忘れる。
「………………」
どうとでも予想できるな。あまり意味はなさそうである。
頭脳労働を続けていたらお腹が減ってきた。屋台で何か買って食べようと思い、私はソファから身を起こした。
祭りは賑わっていた。一階にも駐車場にも客が溢れ、屋台や体験ブースには列ができている。駐車場奥に設けられたステージでは地元の軽音サークルが演奏を披露していた。
それを聞きながら屋台の列に並び、チョコバナナを買う。300円。残り1200円。バナナは得意ではなかったが甘い物が食べたかったのでこのチョイスだ。
ずっと考えていても特に何も思い浮かばない。チョコバナナの甘みが脳に作用してくれていないみたいだ。糖分が欲しかったというのに。
チョコバナナ……チョコバナナ……バナナチョコとの違いって何だ?
適当なことを考えながら祭りのブースをうろついていると、遠くから野上が歩いてきているのが見えた。まだうろついているあたり、落とし物は見つかっていないのかもしれない。
「野上さん、落とし物、見つかりました?」
近寄って問いかける。
「あぁ、君か。心配かけてすまないね。もう見つかったよ。大丈夫」
野上は私にとって意外な返答をした。
「それは良かったです。本部にも、落とし物を見つけたって連絡しておいた方が良いかもしれませんね。もし既に、一回問い合わせているのなら」
「あ~……確かにそうだね。アドバイスありがとう。連絡しておくよ。じゃ、僕はこれで」
野上はまた足早に歩き去ってしまった。
「………………」
楔は打った。チョコバナナの残りを口に放り込む。バナナの刺さっていた割り箸を捨てるためのゴミ箱を探す。
ちょっと歩いたところにゴミ箱があった。箸を捨てて、今度はまた祭りの運営本部のテントへ。
落とし物担当のおじさんは未だ数独をやっていた。
「すみません」
「ん、なんだい? また落とし物かい?」
「あれから野上さんからの連絡はありましたか?」
「いや、特にないけど……彼、まだ原稿探してるのかな?」
「いえ、会ってないので分かりませんけど……それだけ気になったんで寄ったんです。すみません」
私はチラっと町長の方を振り返った。八十近くの町長は未だに眠っている。
「あの、町長さんはずっとあんな感じなんですか……?」
私は声を落として数独おじさんに問いかけた。
「あぁ……言いづらいけど、ずっと寝てるね」
「どこにも立っていないんですか」
「どこにも……う~ん、多分そうだよ。町長が動くとなったら、誰かも連れ立って動くと思うからね。今のところ、そんな感じのことはなかったなぁ」
「そうですか……」
「あんま大きい声じゃ言えないけど、来期は危ないんじゃないかな」
仕事をしながら数独に耽っているあんたは大丈夫なのか、という文句が喉まで出かかったが、言わなかった。
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