第3話
明らかに早い時間についた僕たちは駅前のゲームセンターやらカフェで時間を潰してからライブ会場へと向かった。それでも始まるまでには少し早く、会場もまだ空いておらず、人もまだいなかった。
「やっぱまだ早いじゃん……さすがに気張りすぎだろ」
「仕方ないだろ、ライブのこと考えると何も手がつかないんだから」
頭の片隅でいつもあの空間と空気を想像してしまう。
サウンドに体を打ち付けられるあの感触と、どんどんと熱くなるフロア。それに目を引く彼女のパフォーマンスと突き抜ける歌声。そんな想像でさえ満足できてしまうのに、生で見たらどれだけ迫力がすごいことか。
なんて今僕はひょっとしなくてもキモオタと周囲から言われるほど、嵌まっているのかもしれない。
「おい、あれ」
「ん?」
駅の方面から歩いてくる子を指さした修二は興奮気味に僕の肩を叩いた。
ふさふさとポニーテールが揺れる女の子。小柄で顔の割に大きなマスクをしており、マスク越しにでも美少女とわかったが、修二がそんな可愛いという理由だけで興奮しないことはわかっていた。そしてその顔に見覚えがあったのも確かだった。
「愛理ちゃんじゃね?」
それを確信に変えるかのように修二がそう漏らす。
そうなのだ。彼女は俺の推しているアイドルの愛理ちゃんに顔がそっくり、というより本人だろう。
ライブの時より化粧も薄く、髪を結んでいるが間違いなくそのシルエットは彼女のもので、少しだけ見える顔にもその面影ははっきりとわかった。
「多分そうだ、あれ愛理ちゃんだ」
すごいな。いくら地下アイドルとはいえこんなラフに遭遇するものなんだ。なんて感心していると修二がいきなり僕の手を引いた。
「なに?」
「声かけに行くぞ」
「それはダメだろ、いくら地下とはいっても彼女はアイドルで」
だめだ全然聞いていない。
僕は修二が掴んできてる手を振りほどき、彼を羽交い絞めにする形でなんとか進行を止めた。
「バカ野郎、は・な・せ! 今目の前にいるんだぞ」
「バカはお前だ! 彼女はアイドルで、俺たちは客でそこに特別な感情なんか持ち合わせたらダメなんだよ! 俺たちと彼女が関わっていいのはあのライブハウスの中だけで彼女のプライベートを脅かすことはしちゃ……」
全身が凍るような思いだった。
僕の必死な呼びかけは周囲のも聞こえるほど大きなものとなっており、一般人が止まってみるほど今の僕は目立っていた。
中には動画や写真を撮るものもいる始末。
しまった、完全にここが人通りの多い場所だということを忘れていた。
そして一番衝撃だったのは、話題の中心になっている愛理ちゃんがもう寸前のところまで来ており、おそらく僕の言葉を聞いていたということだった。
穴があったら入りたい、なんなら体が爆散しそうなほど恥ずかしかった。
きもすぎるぞ僕。
彼女は僕らを気にもせずに通り過ぎた。ほとぼりも冷めたのか止まっていた一般人たちもまた歩き出し、この場には惨めな僕と、羽交い絞めされた修二だけが残っていた。
修二は力の抜けた僕を振りほどくと、僕の肩に手を乗せ一言
「どんまい」
なぜだかその顔に無性に腹が立った。
「誰のせいでこうなったと思ってるんだ!」
「ごめんて!」
ふとライブハウスに向かう彼女に目が寄せられる。その視線は僕を待っていたみたいだった。
彼女は僕の方を見て、小さく手を振ってくれた。そして何事もなかったように会場の中へと入っていった。
さて問題、この時の僕の心境を十文字以内で答えよ……
正解は――――彼女のことを推してよかった、だ。
字余りで失格、というより本当にきもいな僕は。
※※※
控え室にて私は彼のさっきの言葉を思い起こしていた。
彼とは最近私たちのライブに来てくれるようになった人で、結成してまもない頃から推してくれていた修二くんの友達みたいだった。
メガネを掛けていて冴えないような見た目だけど、とても情熱的で、賢くて、頼りになるのだと修二くんが教えてくれた。
そして実際そうだった。
彼の言葉は私の芯に響くようで、とても誠実で、真面目で、尊敬できるオタクの鏡のような人だった。そして同時に私が惨めに思えた。
私がドーナツさんとお話出来る機会があるのなら、あれだけ誠実な対応ができるだろうか。きっと無理な話だし、顔も見たこともないドーナツさんと付き合えたら、なんて想像する自分もいた。
もしかしたらライブに来てくれていて、私を推してくれて、なんて………
地下アイドルの子もファンの人と付き合うなんて話を聞いてたからそんな妄想もすることが増えた。意外にもそんな話はザラにある世界だ。
「はぁ……みっともないよわたし」
「どうしたの? あんなにルンルンなストーリー載せてたくせに今は元気ないじゃん」
メンバーで、友達の里穂ちゃんが肩を揉んでくれた。
さっきまであんなに浮かれていたのに、今はこんなにへこたれて、さすがに情緒不安定すぎる自分に腹が立つ。
「私ってほんとに卑怯だ」
「何が?」
「もし里穂ちゃんがタイプの人に推されたらどうする? その人が付き合いたいって言ってくれたら付き合う?」
「う〜ん、どうだろう、でもほんとに好きなら付き合うかな〜。でも、その時はアイドルは辞めるかな、じゃないとどっちにも誠実じゃないでしょ?」
なんてキラキラした笑顔で答えてくれた。
わかっていながらも「どっちもって?」と聞き返すと、それは当然のことのようで。
「その人とファンの人だよ!」
「私たちはアイドルである前に一人の人間だし? そりゃあたまーに恋したくなる時もあるじゃん? でも推してくれるファンの人を裏切りたいわけじゃない。だから恋する時はアイドルはやめないとね」
それでもアイドルを続けたかったら? なんて野暮なことは聞けなかった。
きっと里穂ちゃんは、アイドルにも恋にもどっちも真剣に考えていて、どっちかを切り離す覚悟もできてる。
「やっぱりすごいね里穂ちゃんは」
「全然すごくないよ! これが私たちの仕事だしね」
「なんかそれは冷めるけど」
「おいっ! ってかもうすぐライブ始まるしそろそろ笑顔でいこ!」
「うん!」
そう言って控え室を出る。
「何好きな人でもできた?」
「なんでそうなるの?!」
私は赤くなる顔を隠すのに必死だった。
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