第13話 月が綺麗にございます。

 ――パチリと目が覚めました。刹那に緊張が走るわたくしです。

 どうやら見知った天井のご様子。柔らかい布団と母のニオイに安堵の息が漏れます。どうやら自宅のようですね。【生贄の夜】から帰ってこられたご様子。わかります。

 怪異【生贄の夜:物語泡沫の悪夢】でしたか。なかなかの悪夢にございました。

 左右に眠る母と妹に安らぎを覚えるわたくしです。手を握ってはいけないでしょうか。スルスルと手を握ってしまいます。左手、僅かに痛みますね。気休め程度とは申しましたものの、なかなかにお強いアロマを使用して下さったようにございます。感謝の念が絶えません。

 カードへと手を伸ばし拝見致します。四時四十八分ですか。


 母の頬へと鼻を寄せます。すりすり。すりすりと。

「んー……寧々ぇ。おはよう。んちゅ」

 おっと危ない。危うくファーストキスをお母様に捧げるところでございました。なんとか頬へと回避したわたくしです。でもまぁ……母親ならば例え致してもノーカンでございましょうか。

「まだ五時です。おやすみになってください。今日もお仕事ですから」

「ん-……ちゅうしてくれたらいいよ」

 寄り添い額に唇を――艶めかしい柔らかな表情と髪を撫で、覆いかぶさり十分に密着します。

「愛しておりますよ。お母様」

「うんうん。お母さんも寧々を愛してるぅ」

 掛布団を直し二度寝を促す私です。


 ……からの起き上がり移動し寝たふりを決め込む妹の頬に唇を当て、耳元で呟きます。

「愛しておりますよ」

「んんんんん」

 垂れて来た髪を押さえ、阻もうと伸びきた手首を押さえて手の甲へも唇を添えさせて頂きます。

「お゛ね゛えぢゃん」

 おっと睨まれましたらさすがに退散せずにはいられませんね。


 身支度を済ませて朝食の準備――持ち物を、鏡を眺めて瞼を細めます。

 昨日仕舞い込んだはずの【聖者の行進】がございません。何処にもございませんね。その代わりに【無明菊一文字】が戻っております。おかえりなさいダーリンと申し上げてしまうわたくしです。

 思わず鏡から取り出して唇を寄せてしまいますね。なかなかに気持ちの悪い行動です。愛着が湧いてしまっているようです。わかります。

 棍棒が一本ございません。棍棒が一本ございません。棍棒が、一本、ございませんんんんん。戻すなら棍棒も戻してくださいいいいいううううう。


 今日の朝ご飯は白米、ミョウガの味噌汁、たくあん、キュウリの辛子漬け、鮭の切り身です。ご飯が進みまくりますね。わかります。妹様など朝から三杯もおかわりを決めました。白米がキマリます。ミョウガの味噌汁があまりに美味しい。

 片付けと身支度を整えましたら玄関に集合です。

 ふふーん。今日のリップはモモ味にございます。

 妹様の唇にヌリヌリ致します。

「んぱんぱ」

「んぱんぱ。桃の味がするー」

「お母さんは?」

「お母様は口紅があるのでダメです」

「ひどい‼」

 今日も張り切って参りましょうか。


 そして朝から下駄箱にチョコレートを入れられるイジメにあっております。

 手紙が添えてあります。背後にはウィヴィーさんです。

「ウィヴィーさん?」

「ボクじゃないよ」

 手紙には【放課後、屋上でお待ちしております】と書いてございます。このお手紙、良い香りが致します。鼻を近づけてしまいますね。

「ウィヴィーさん?」

「ボクじゃないよ‼」

 差出人は……。おっとっと。

「なにそれ? ラブレター?」

「ラブレターとおっしゃるよりも……悩ましいですね。チョコレート食べますか?」

 重い――なんと重いチョコレートなのでございしょうか。

「食べる‼ ……これいいチョコレートじゃない? 見た事ないけど」

「あらあらなるほど……これ一枚で……8000円は致しますね」


 これは……ピスタチオと麺生地を使用した幻のチョコレートではございますか。日ノ本で手に入れるのは不可能な品物にございます。

「はっせいえん‼」

「ありがたく頂きましょう」

「いいの⁉」

「半分個ですよ?」


 教室に入りますとどんよりと重い空気が充満しております。窓を開きましょうか。窓を開いて空気を入れ替えます。発生源は古村崎さんですか。

 自分の席へと参ります。当然のようにウィヴィーさんが机に座りますが、貴方はEクラスです。クラスが異なります。足の角度が広角です。手で正してラッキースケベェイを防ぎます。彼女に巻き起こる謎の補正によりラッキースケベェイが潰され、わたくしに被害が及ぶのを防ぎます。

「はよっす」

「おはようございます」


 姫結良さんが膝の上に座ります。なぜ……膝の上に座るのでございましょうか。あまりにもナチュラルでしたので許してしまいました。姫結良さんは香水などをお付けにならないご様子。良い。傍にいて欲しいと感じる良さがございます。

 やはり女の子。柔らかいですね。わかります。髪からふんわりとシャンプーの香りが漂います。このおシャンプー……市販のものではございませんね。僅かですが龍涎香の香りが致します。

「なんかいいニオイすんな。何食ってんの?」

 無言でチョコレートを差し出します。

「おっチョコか。わりぃ。オレ、チョコ苦手なんだよな」

「そうなのですか」

「粉っぽいのが少しな」

 欠片を摘まんで姫結良さんの口へと放り込みます。

「むごっ。おい‼ ……ん」


 お高いチョコレートであることが十分に伺えます。程よい甘さ。何よりもこの歯ごたえが何とも申せませんね。歯ごたえが良いのです。ピスタチオの香りと味、食感がチョコレートと混ざり合い甘さをマイルドに抑えているのです。そこに生地の歯ごたえ。ザクザクと致します。

「んっおい‼ お前っ……うめぇ。なんだこれ。うめぇええ」

 さすがは八千円のチョコレート。

 名残惜しいですがホームルームの時間です。そんな名残惜しそうな表情をキメてもチョコレートはもうありませんよ。ウィヴィーさん。早く教室にお戻りになってください。


 そろそろ中間試験の準備を行わなければいけませんね。わたくし、こうご覧になりまして歴戦のボッチです。偉大なる歴戦のボッチ神達に習いまして、前中高時代においても常にクラスで五本の指に入る成績でございました。ボッチは強くなくてはならないのです。持論ですがボッチはお強くなくては生き残れません。

 とは申しましてもお勉強はお嫌いな方にございます。


 中間試験では筆記に加えて実技試験もございます。

 筆記では現代国語、数学、英語の三つ。実技では学校で人工迷宮にて用意されたモンスターに勝たなければいけません。

 正直に申し上げて八百長がございます。Eクラスのモンスターはお強いです。

 ミノタウロスです。稀にミノタウロスの雌が現れるのですが、あれは良いものです。

 あれは良いもの。


 お昼になりましたので屋上へと参ります。呼びだされておりますので。

 ドアを開いたその先には、白い日傘と白いドレスの眩しいマリアンヌ様が佇んでおられました。ここ学校です。温かみのある肌色と紺碧の瞳が白いドレスに良く栄えております。でもここ学校です。制服……。あの制服。日傘。


 あまりにも優雅すぎて言葉を失う私です。でもここ学校です。

「お待ちしておりましたわ。月見寧々さん」

「はい。お待たせ致しました。マリアンヌ様」

 スカートの汚れを意味もなく払う動作をしてしまうわたくしです。風が強く、靡く髪を手で押さえます。菜園にて実ったキャベツ、アスパラ、レタスが雫を帯びて光輝いておりますね。


 そのキャンパスを彩る白いドレスの眩しいマリアンヌ様。でもここ学校です。

「急なお誘いごめんなさいね」

「チョコレート、結構なお手前でした」

 でもここ学校です。

「うふふっ。喜んでくれていたら嬉しいわ。あまり堅苦しいのはやめましょう」

 なるべくお胸へ視線が向かぬように気を付けなければいけませんね。どうあっても先端はお覗きになれない仕組みとなっております。ぐぬぬぬぬぬ。

「まずはこれをご覧になって頂きたいの」

 差し出されたのは写真のようでございます。映っていらっしゃるのは……妹様でしょうか。コートを着飾った妹様が颯爽と歩んでおります。

「まさか……」

「そうよ」

「わたくしの大事な妹、夏飴さんがお好きなのでございますか? 紹介はできませんよ?」

「そう。貴方の妹、夏飴さんがって違いますよ。下手な冗談がお好きなのですね」

「……違うのですか? 信じられません。こんなにも愛らしいと申しますのに」

「貴方の妹が愛らしいのは認めましょう。違います‼ そうではありません‼ そのコート。妹様が身に着けているコートをお売り頂けないかしら。即金で五百万お出し致しますわ」

「……わたくし、人の趣味に口をお出しする無粋な輩ではございません。ございませんがしかしながらわたくしも妹のためにそのニオイの染みついたコートをわたくしのために死守しなければならないと存じます。グッドスメルのために」

「そう、コートに染みた汗のニオイがっ……わたくしにそのようなフェチはありません‼ このコートはここ最近出回らなかった【死神のコート】ですよね⁉」

「失礼致しました。そのコートを身に着けていらっしゃるのは妹です。妹に交渉致しますのが筋かと存じます」

「あなたの妹にお願いしたら、貴方に言ってと言われたの。貴方に貰ったコートだと」

「まぁそうなのですか」

「貴方が了承しなければ売れないと言われてしまいましたの」

「はらー……。そうなのですか」


 防具【死神騎士のコート】を売って頂きたいと。

 余談ながらNPCの最高レベルは40~72辺りで定まってございました。誤差が生じるのは迷宮が安全な場所ではないからです。

「まずはマリアンヌ様。お礼を申し上げます。イヴ・コーポレーションの後継である貴方様には、わたくし達など取るに足らない存在だと存じております。その取るに足らないわたくしと、このように交渉の場を設けて頂きまして、誠にありがとうございます」

「わたくしは確かにイヴ・コーポレーションの跡取りですが、そこまで隔たりは設けておりません。学生という身分に差はございません。大人になれば異なるでしょう。えぇ異なるでしょうけれど。今私達は学生と一括りなのです。なので貴方も遠慮はいりません。ここではただの先輩と後輩なのですから」

「そうですね。お優しいマリアンヌ様。次いで妹様を脅す事もなく、暴力を振るう事もなく連れ去る事も無く、このように交渉の場を設けて頂き、こちらも心から感謝を申し上げます」

「そのように考えておいでなのですか。命に貴賤はございません。わたくしは貴族です。ですが現在において貴族等所詮肩書に過ぎません。それとわたくし達は反社会勢力ではございません。そのような社会に反するような行いは致しませんし、致す輩は潰します」

「そうですね。純白の見目麗しいマリアンヌ様(魅力攻撃+250)に対して、大変失礼致しました」

「かまいません。ただ偏見はよろしくありません。貴方がFクラスだからと言って、私は貴方を蔑ろには致しません。まずはお互い誤解が生じているようですので、それを払拭致しましょう」

「はい。マリアンヌ様。そのようにおっしゃって頂き、わたくし感銘を受けております」


 握手を求められ、応じるわたくしです。手を包まれます。柔らかい手の感触に全身が打ち震えますね。正直に申しましてマリアンヌ様の豊満ボディに抗える男等おりますのでしょうか。私は疑問を呈します。淡い絹糸のような金糸の髪、湖を思わせる薄いブルーの瞳、温かみのある柔肌、女神かな。そう素直な感想の浮かぶわたくしです。

 赤ワインは味の深さや豊かさをボディと表現するのですが、この方は間違えなくフルボディです。わかります。

「では、取引頂けますね?」

「理由をお伺いしても?」

「それは、貴方が一番良く理解していらっしゃるのではないでしょうか」

「リサイクルショップで買った2500円の品にございますが」

「……それはどういうおつもりでおっしゃっておりますの? まさかわたくしを試しておりますの?」

「マリアンヌ様。とんと検討がつきません」

「ふーん。そういう態度取っちゃうんだ。あくまで白を切るとおっしゃいますのね。いいわ。いいですわ。気に入らないですけれど。それで、どうするのです? 五百万。お売り頂けますの?」

「ありがとうございます。お断り致しますね」

「そうでしょう。お売りにならないの⁉」

「マリアンヌ様。このコートはマリアンヌ様がそこまでするような品物ではございません」

「本気でおっしゃっていらっしゃいますの? では……では七百万で如何でしょう?」

「マリアンヌ様。マリアンヌ様がそこまでするような品物では」

「将来イヴ・コーポレーションで雇う事をお約束致しますわ。これでどうでしょう」

「申し訳ございません。わたくしは将来姫結良財閥の傘下に入る事となります。恐れ多い事にございます」

「そこまでおっしゃるのね‼ では条件をおっしゃってください‼」


 ふふーん。お優しいマリアンヌ様。

 お金に物を言わせても良いのです。攫ったり奪ったりしてもマリアンヌ様の権力と経済力なら十分に揉み消せますのに、こうしてわざわざ交渉してくださる。手下を使い、わたくしをトイレでボコボコにする権力がおありなのに、そのようにはなさらない。さすがです。マリアンヌ様。尊敬の念が絶えません。

「このコートは普通のコートではございませんね? 調べはついております。高レベルの防御耐性が付与されたコートです。まさか知らなかったとはおっしゃらないでくださいね? 貴方が何処の……これ以上は申せませんね」


 高レベル……中の下レベルとお見受け致します。

 外装【バアルの皮】レベルですと、物理耐性そのものが付与されておりまして、これぐらいになりますと高レベルとなりますね。しかしながらこのゲーム、耐性ぐらいなら易々と貫通して参ります。嫌ですね。わかります。


 ふふーん。ですがマリアンヌ様。お断りさせて頂きます。夏飴さんに差し上げてしまいましたからね。遠い目をする私です。一度差し上げたものを返して下さいなんて、恥ずかしくて申し上げられません。


 マリアンヌ様の好感度はマイナス2500。マイナス2500にございます。そしてさらに婚約者がございます。石油王(お金持ちの比喩)にございます。経済力では全く勝ち目はございません。なんなら人柄でも負けております。勝っているもの……そんなものはございません。では答えは決まっておりますね。


 ふふーん。よろしくてよ。絶対に断らせて見せましょう。見せましょうとも。

「そうですね。マリアンヌ様が将来わたくしの妻(魅力攻撃250=マイナス2500+250=マイナス2250)……となりますのならお売り致します」

「……申し訳ございません。もう一度おっしゃって頂けますか?」

「貴方が‼ わたくしの‼ 妻‼ となってくださるのならお売りします‼(魅力攻撃250=マイナス2250+250=マイナス2000)」


 ふふーん。否。と……間違いましても応じるわけには参りますまい。くくくっ。なんて悪い奴なのでございましょうか、わたくしは。くっくっくっ。

「ほっ本気ですの⁉ わたくしには婚約者がおりますのよ⁉ たかだか五百万の品如きでイヴ・コーポレーションの後継足るわたくしを娶れると……本気で考えておりますの⁉」

「貴方はあまりにも魅力が過ぎます。全男子が貴方を欲するでしょう。わたくしもその一人です(適当250+魅力攻撃250=マイナス2000+500=マイナス1500)」

「本気でおっしゃっておりますのね……。わかりました。貴方の本気、確かに伝わりました。後継を断念してでもわたくしと一緒になりたとそのお気持ち、確かに受け取りました。しかしながらわたくし達は女同士。申し訳ありません。わたくしは次代の後継を担わなければならない身。子を成せなければ貴方の妻とはなれ……なんですの? ません。んん? んんん?」

 黒子が表れまして何かメモを渡しております。なんでしょうか。

「貴方‼ おとっおとおとこ⁉ 男の子⁉ 嘘でしょ‼」

「わかりました。そうですね。マリアンヌ様と同じ時代に生まれたその事実だけを胸に抱いて、これからも生きて参ります(適当250+魅力攻撃250=マイナス1000)。どうかお幸せになってください(適当250+魅力攻撃250=マイナス500)。では……」

「ちょっちょっとちょっとお待ちなさい‼ ちょっとこちらへいらっしゃい‼」

「良いのです。ありがとうございました」

「お待ちなさいと申しているでしょう‼」

 

 ピンポンパンポン。おっと校内放送です。この時間に珍しいですね。

『生徒会より連絡です。一年F組‼ 月見寧々‼ 月見寧々‼ 今すぐ生徒会へ来るように‼ 今すぐに‼ 生徒会室へ来るように‼』

 嫌な予感しか致しませんのでお家へと歩みゆきたい私です。

「……気取られたわね。時間切れですわ」

「では呼び出されておりますので」

「まだお話は終わってなくってよ‼」


 生徒会室へと参りましたが、なぜかマリアンヌ様に先に扉をノックされてしまいました。

「きたか。これはこれは副生徒会長殿。よくもまぁぬけぬけと抜け駆けなど」

「何の話でございましょうか。生徒会長様」

「月見寧々君。とりあえず席へ掛けたまえよ」

 生徒会長であらせられるイヌビス様に促され、席へと足を運ぶわたくしです。

 差し出されたお茶と茶菓子で脳を潤します。贅沢を申しませば屋上菜園のアスパラガス等が食べたかったですが、生徒会の権力で一つぐらい頂けないでしょうか。


 おっと生徒会長様の視線が痛いです。トマトを食べたい本心が見抜かれてしまったのかもしれません。決して用意されたお茶菓子が悪いわけではないのです。

「それで寧々君。君は彼女にコートを売るのかな?」

「いいえ。イヌビス生徒会長様。わたくしはコートを売りません」

「ほう。それは懸命な判断だね。私なら一千万で買い取ろう。どうかな?」

「お待ちになって下さい‼ まだわたくしの交渉は終わっておりません‼」

「そうなのかね?」

「いいえ。マリアンヌ様との交渉は終えております」

「なっ‼ まだ終わっていないわ‼」

「わたくしはマリアンヌ様が妻になるとおっしゃらない限り売る気はございません(魅了特大攻撃500=マイナス500+500=0)

「はっ‼ 正気ですの‼ こんなところで堂々と妻になれ等と‼ そんなに情熱的に求められても‼ そのっ……急には困ると申しますか」


 くくくっ。是とは申せまい。くくくっ。悪い男だ私は。

「女性が望みか。では私の身内の中から何人か見繕おう。それでどうかな?」

「お断り致します。わたくしはマリアンヌ様だからこそ妻にしたいのです。(魅力特大攻撃1000=0+1000=1000)」

「あのっ。そんな妻妻言わないで下さいませ」

「なるほどね。つまり君は私と敵対すると言うわけか」

「いいえ。わたくしはすでにマリアンヌ様にはフラれております。元より身分が違う事は重々承知しております。お二人がこのコートを買いたいとおっしゃるのは伺いました。ですがお二人にはお売りできません。ご納得頂けないのは重々承知しております。ですが、わたくしはFクラスの末席。あなた方どちらに加担致しましても散るような立場にございます。なにとぞご容赦くださいませ」

 日本伝統の護り、土下座の出番にございます。美しい土下座。披露して差し上げましょう。わたくしの本気。とくとご覧あれ。


 立ち上がり床へと膝をつけます。しっかりと正座を行い、表を真っすぐに相手へ向けます。そして手を床に添える形を作り、緩慢に一定の速度で顔を伏せます。この時、手を震えさせず足も震えさせず、体の位置が綺麗なシンメトリーになっているのを十分に確認致します。無様な土下座となってはいけませんからね。

 そして床に唇がつく勢いで顔を伏せます。ただの素人土下座職人の荒業と生き様。とくとご覧あってもよろしゅうございます。

「どうか。どうか。平にご容赦ください」


 二人共それ以上は何も申せないご様子でした。

 ふふーん。わたくしの勝ちですね。わかります。

「そうか……ならば私の婚約者になるのはどうだ?」

 おっと斜め上からの切り込み、さすがです。

「それは不躾ではなくて?」

「君はもう彼女を振ったのだろう? では私が手を差し伸べても構わないはずだ」

「まだ振ってはおりません」

「どうかな?」

「確かに……イヌビス生徒会長様の婚約者になる。これほど魅力的な提案は他にございません」

「わたくしの夫になりたいとおっしゃりながらそのセリフッ。月見寧々‼」


 おっとマリアンヌ様の視線が突き刺さり避けたいです。

「ではそれで構わないか?」

「失礼ながら申し上げます。それは十一番目の婚約者候補とおっしゃるのではございませんか? 大変に名誉なお話だと存じております。ですがわたくしにも意地がございます。指を咥えるだけの立場には甘んじたくございません」

「断ると?」

「失礼は重々承知な上で申し上げます。どうか寛大な処置をお願い申し上げます」

「つまり断るとそう言うことだな?」

 おっとイヌビス生徒会長の視線が突き刺さります。

「お断りさせて頂きます」

「良い度胸だ。いいだろう。お前の顔。覚えたぞ。一年F組。月見寧々」

「ふふふ。当然です」

 お二人が睨みあっております。同じ生徒会でもお二人はライバル同士なのです。尊いですね。わかります。


 生徒会室を後に致します。大変なストレスでございました。マリアンヌ様もイヌビス様も家族に手を掛けるような方達ではないと信頼しております。元来この街の治安はかなり良いです。なぜならば神様の管理下にあるからです。

 天照大御神様はお天道様へ顔向けできぬような行いを決して許さない設定がございます。陽の下では天照様が、月の元では月詠様がおられます。誘拐や拉致等は無いと存じます。もしかしたら母や妹にハニートラップが仕掛けられるかもしれません。しかしながら母はともかく妹様には良い経験になると存じます。


 異性を篭絡するために使われる精神技術は一つや二つではございません。それらを理解し、弱い心を疎んじず、向き合うのもまた大人への第一歩と存じます。

 わたくしも例外ではございませんし篭絡されないとも語り切れません。

 マリアンヌ様に押し倒されたら抗えませんし、あの肉体には女神が宿っておられます。

 それをおっしゃるなら母の肉体には邪神が宿っておりますけれども。

「終わった?」

 ウィヴィーさんが廊下でお待ちしてくださったご様子。友とは良いものですね。頬が緩みます。

「さすがに疲れました」

「教室で二人が待ってるって」


 おっと――どうやら今日のお昼は賑やかになりそうです。

 教室で遅めの昼食です。

 今日のお昼はピーマンの肉詰めです。挽肉は特売になりやすいですので大変重宝致します。醤油等で和風に煮付けてございます。

 ウィヴィーさん。今日もお弁当が無いご様子ですし、多めにお作り致しましたのでウィヴィーさんにも食べて頂きます。

「もう……寧々大好き」

 くっ。この聖女。わたくしではなくピーマンの肉詰めが大好きなのでしょう。悔しい。びくびく。


 腕を絡めて頬擦りするご様子。すっかり餌付け出来てしまったようですね。わかります。生涯を養う覚悟、ございます。ウィヴィーさんはお可愛らしいですからね。

「うまそうだな。俺にもくれよ」

「どうぞ」

「はぁ……あんた達は気楽でいいわよね」

 古村崎さんは食欲が無いご様子。トマトジュースを飲んでおられます。

「それで? お前、なんで呼び出されたんだよ? それとラブレター貰ったそうだな? 返事はどうしたんだよ」

 姫結良さん。お顔が近いです。そんなに顔を近づけられると唇を寄せたくなってしまいます。なぜでしょうか。唇を寄せてはいけませんでしょうか。いけませんよね。わかります。滑らかな唇。姫結良さんの性格ではあまり手入れをなさっておられないでしょう。それでも健康的で形の良い唇でございます。ポケットからリップを取り出して御塗致します。

「おまっばっ‼ 何塗ってんだ馬鹿‼」

「ラブレターではございませんでした。交渉のようなものと申せばよろしいでしょうか。それと生徒会からの呼び出しは、なぜかコートを売って頂きたいとそのようなお願いでした」

「ふーん。詳しく話してみなさいよー」

 姫結良さんはともかく古村崎さんが興味津々なのですか。

「マリアンヌ様もイヌビス様も、コートを売って頂きたいとそのような要望でございました。どうもリサイクルショップで買ったコートが良いものだったらしく」

「へぇー……駅近くの?」

 古村崎さんにそう言葉を渡されます。

「そうですね。二千五百円で売っていたものでございますが」

「あー……まぁ、そう言う事もあるかもな」

 姫結良さんは納得するように頷いております。古村崎さんは若干訝しんでおられるようですね。わかります。ふふふ。お可愛らしい。表情に現れておりましてよ。


 実はリサイクルショップに入荷される商品には時たま効果の高いものがございます。七大チートアイテムの数点もリサイクルショップ販売ですし、それ以外にも運気を上昇させるアイテム等が入荷される可能性がございます。判別方法も特殊にございます。そう簡単にわかる物ではございませんけれど。

「生徒会長や副生徒会長と関わるなど恐れ多いです。実はストレスで胃がキリキリしております」

「あははっ。私達まだ一年生だものね。いきなり生徒会長はきついわよね」

 古村崎さんは意外と気さくな方のようですね。接敵当初とは心の持ちようが異なっておられますように感じます。これが本来の古村崎さんなのかもしれません。

「それに、そろそろ中間試験の準備をしなければいけませんから、色々考え過ぎてしまって。今から不安で今回の件も合わせて胃が痛いのです」

「あーそうよねぇ。わかるわ。不安よね。それで相談なんだけど、中間試験の話ね。それでね。私から提案があるんだけど、クラスみんなでパワーレベルリンクしようと考えているの。月見さんにも参加して欲しいわ。今レベルいくつ?」

「それは素晴らしい提案ですね。ですがわたくしが参加してもよろしいのでしょうか。ベースレベルは5です。モナドは盗賊にございます。こちらは7程度でございましょうか」

「5ね。わかったわ。もちろんオッケーよ」

「お前盗賊になったのかよ」


 姫結良さんが笑っておられます。元々整った容姿の姫結良さんです。笑った顔もとても良いと存じます。リップを塗った甲斐がございましたね。魅力が微細ですが増しております。他生徒達の視線が増すのもご納得頂けます。

「戦闘等はあまり得意ではありませんので……魔術系もちょっと怖いですし。炎とかは特に忌諱してしまいます」

「得手不得手あるわよね。仕方ないわよ。戦闘が苦手なのもわかるわ」

 嘘をおっしゃっております。ですが女性は嘘で着飾り美しくなるものと存じます。

 立ち上がり、古村崎さんのお手を拝借させて頂きます。

「どっどうしたのよ」

「古村崎さん。ありがとうございます。嬉しいです」

「まぁいいわよ。乗りかかった船だしね」

「それと……このような事をわたくしが申し上げるのは大変心苦しいのですが」

「うん?」

「ウィヴィーさんも参加させて頂けませんでしょうか」

「え? ボクも?」

「あー。いいわよ。もちろん」

「ありがとう存じます」

「よろしくってよ。ふふふっ」

「なんでボクも?」

 貴方は設定のせいですがあまりに弱すぎます。


 姫結良さんと古村崎さん。お二人とも心より善人なのですね。心強いです。

「この……ピーマンの肉詰め。うまくね?」

「ボクもそう思った」

「秘伝のたれを用いております」

「一口頂戴」

「どうぞ。古村崎さん」

「葵でいいわよ」

「実は幼馴染にも葵さんとおっしゃる方がおりまして」

「あぁ、不二原さんね」

「ご存じなのですか?」

「ちょっとね」

 カードには母と妹からのメッセージ。お昼を美味しく頂いていらっしゃる写真が送付されております。顔が綻んでしまいますね。ポチポチと返信させて頂きます。


 レベルリンクは今週末、金曜日に予定なさるそうです。午後からのご様子。土曜日は朝からなさるようでございますが、わたくしは家族サービスがございますので参加は致しかねます。

「そういや、古村崎。お前古午房に告白されたんだっけ」

「……なんで知ってるの? そうだけど断ったわよ」

「なんで? 付き合えば良かったじゃねーか」

「……冗談でしょ⁉ それどころじゃないわよ‼ それに古午房ってタイプじゃないのよ。あいつ、いきなり貞操要求してきたのよ⁉ 信じられる⁉」

「身長百八十なかったっけ」

 防具【死神騎士のコート】の扱いを間違えてしまったかもしれません。

 またアイテムの初動をミスしてしまいましたね。おかげで色々な方に目を付けられてしまいました。行動の制限にはため息が漏れてしまいます。わたくしは表立ち行動するのが得意ではございません。

「身長の話じゃないでしょ。性格が無理よ」

「でもアイツ、結構モテてるらしいぜ」

「嘘でしょ‼」

「マジマジ。性格が男らしい所とか、ガタイが良い所とか、ちょっと悪そうな所とか、女子共がキャーキャー言ってるぜ。後輩でもできたらもっと人気でるかもな」

「って言うかそこまで押すなら貴方が付き合えばいいじゃない」

「冗談だろ。タイプじゃねーわ」

「なによそれ‼」


 個人的に利用してしまうのは心苦しいですが、古村崎さん、姫結良さんにはもっと目立って頂かなければ困ります。

「あんたはどうなのよ。告白されたのはあんたも一緒でしょ。Dクラスの……誰だっけ。あんたEクラスとCクラスの男子にも告白されてたでしょ。BクラスやAクラスの男子にもお誘いを受けていると聞いたけど?」

「あー……全部断ったわ」

「全部? どうして?」

「なんか趣味じゃねーんだよ。とりあえず付き合いたいみたいな。気合が足りてねぇっていうか」


 恋愛に気合が必要だったとは……。わたくし、感銘を受けました。さすがです。

「なにそのふわっとした感じ。真面目に告白されたのならちゃんと返事を返しなさいよ」

「うるさっ。いいだろ別に俺が誰と付き合おうがよぉ。それに大体の奴が俺の苗字の方が名当てだからな。クソくらえだぜ‼ 〇ね‼」

 おっとその台詞は穏やかではございません。

「姫結良さん」

「んだよ?」

「失礼ながら女の子がクソだの〇ねだの申してはいけません」

「はぁ⁉ 別にいいだろうが‼ クッ‼」

 人差し指で唇を押さえます。

「いけません」

「わっわぁったよ。わぁってつーの」

「そういえばボクも告白された」


 ……三人とも皆さんお可愛らしいですからね。おモテになるのも十分に理解できます。男性であるならば付き合いたいと、他の男性に取られたくはないと焦る気持ち、十分にご理解できます。


 多感な時期にございます。高校等は三年間しかございません。貴重なお時間にございます。……あれれ。おかしいですね。わたくし、告白された覚えがございません。

 あれれ。わたくしだけ……。あれれ。

「お三方、これは決してひがみではございませんが、不純異性交遊はいけません。不純異性交遊はいけませんよ?」

「……コイツ昭和のPTAおばさんかよ」

「お母さんかな」

「ママ?」

 昭和のPTAおばさん。なんてお強いパワーワードなのでございましょうか。姫結良さん、さすがですね。わかります。ふふーん。あまりの威力にピーマンを掴む箸が震えてしまいます。どうせどうせおばさんですよ。ぐぬぬぬぬぬ。

「そういや、お前はどうなんだよ?」

 こちらに恋愛の話を振られても死んでしまいます。

「やめて下さい死んでしまいます」

「じゃあ、好みとか教えろよ。紹介できるかもしれねーぜ。ほらっ。金持ちが好きとか」

「お金ですか。お金はそれほど重要な要素ではございません」

「じゃあ、金髪の女とかヤンキーとかどうよ?」

「それ全部貴方じゃない。その金髪地毛じゃないわよね?」

「ちちちちちげーよ‼ 例えだろうがよ‼」


 しばらく、あまり目立った行動は起こさないようになさった方がよろしいかと存じます。

 おそらくではございますが尾を引いております。尾行されているでしょう。

 古午房さんやパメラさんはアイテムをお売りになっていらっしゃらないのでしょうか。なぜこうもわたくしだけが名指しなのか、気になります。

 実力では目立ちますがアイテム面では目立たない。これを計画的に行っているのであれば、評価を改めざるを得ませんね。

 それとももしかしたら皆様もう派閥へと加入しているのかもしれません。

 派閥に加入するのはもっとも有効な手です。数は力。数は力にございます。しかしながらわたくしは歴戦のボッチ。このボッチ道に組織に加入すると名乗るような道はございます。


 今日は中等部の入り口で妹様をお待ちします。コートの件がございます。不安ではないのとおっしゃられれば嘘となります。家族に手をお掛けになられるなんて事案は、わたくしとしても吝(やぶさ)かな案件にございます。

 母と妹に手を掛けられてしまいましたら、さすがのわたくしも平静を保てる自信がございません。カードをポチポチと打ち、校門でお待ちしている旨を伝えますと、数分して妹様がやって参りました。

「みんないいってば。お姉ちゃん来てるから」

 なにやらぞろぞろ参りましております。

「何? お姉ちゃん。どうしたの? なにかあった? あっみんな、今日は私お姉ちゃんと用事あるから、ほんとごめん。ほんとごめんね」

「いいえ。ごきげんよう夏飴さん」

「またねーなっつん」

 どうやらお友達のようですね。多いですね。何人いらっしゃるのでしょうか。

 あれれ、おかしいな。わたくし、友達はそんなにおりません。

 嫉妬心がメラメラと燃えて参りました。


 特に意味はございませんが手を広げて妹様を抱きしめます。

 この方はわたくしの妹です。誰にも譲りません。がるるるるる。

「ちょっとお姉ちゃんっ。恥ずかしいんだけど……なに? ほんとなんなの?」

「いいえ、貴方が無事でこうして元気でいる姿を眺めておりますと、幸せな気持ちになってしまいまして。思わず抱きしめてしまいました」

「もー……人前で抱きしめるのはやめてよね」

「ごめんなさい」

「……まぁいいけど。帰ろう? お姉ちゃん」

「はい」


 隣を歩き始める妹様の腕に腕を絡め寄りかかり歩きます。

「ちょっと……お姉ちゃん」

 指の間に指を絡めて参ります。

「貴方が無事に傍にいてくれることが嬉しいのです」

「もー……恥ずかしいなぁ。あっそう言えば、このコート売って欲しいって言われたんだけど、何だったの? もしかしてそれで?」

「その件に関しましては申し訳なく存じております。もう心配はございませんのでお気になさないでください」

「そうなの? びっくりして断っちゃったけど。そんなに高いコートなの?」

「二千五百円のコートです。そこまで素晴らしい性能とは考えられませんけれど」

「ふふふっ。そうなんだ。詐欺だったのかな。良かった。引っかからなくて」

「ごめんなさいね」

「もしかして、それで心配になって迎えに来たの?」

「……そうですね」

「心配しすぎだよ」

「心配しすぎではございません。貴方に何かがあれば、お姉ちゃんは生きてはいけません」

 相手は〇します。失礼致しました。潰します。

「大げさだなー」

「大げさではございません」

 割とマジにございます。


 強く腕を絡め指に力を込めて握ります。

「貴方が大切なのです。目に入れても痛くないほどに……」

「何言ってるんだか。でも嬉しい。ありがとね。お姉ちゃん」

「お母様のお仕事が終わるまで、時間がございますし、今日は街を散策致しましょう」

「いいけど……お金とか、大丈夫?」

「お姉ちゃんも少しは稼げるようになりましたから、安心なさって下さい」

「じゃあ、お小遣いアップもしてよね」

「考えておきます」

「やった‼」

 妹様と一緒に水族館へと足を運びました。


 この隔離街は海と通じておりません。よって水族館の海産物は全て外からの輸入か迷宮産となっております。

「タラバガニって美味しいのかな」

「今度お姉ちゃんが迷宮で取って来てあげますよ」

「えー。見て‼ お姉ちゃん‼ マンボウがいる‼」

「わたくし、水族館でアルバイトしていた時、マンボウに指を噛まれた経験がございまして」

「何言ってるんだかっ。マンボウって美味しいのかなぁ」

「お姉ちゃんが今度マンボウも取って来てあげますからね」

「おねえーちゃん。どれだけ迷宮で取って来るつもりなの」

「愛しい貴方のためならば、お姉ちゃんはなんだって取ってきますよ」

「もー……変な事ばっかり言って。お姉ちゃん‼ マグロ‼ マグロだよ‼」

「今度お姉ちゃんがマグロも取って来てあげますからね」

「さすがに大きすぎないっ? うける」

 正直に申し上げて冗談ではございません。愛しい妹様のためならば、お姉ちゃんは例え火の中水の中、獅子身中の虫となりましても品物をお届け致しましょう。


 一通りご覧になられたらカフェで休憩です。妹様が写真を沢山取っておりまして、二人で一つのアイスを食べながら眺めております。色々な表情がございますね。

 無邪気な夏飴さんの頬に唇を寄せてしまいます。響くリップ音が心地良いですね。

「もーお姉ちゃん。そう言う事しない」

「ふふふっ」

 こうして改めて写真を眺めておりますと、わたくしの精神と写真の人物との整合性がとれず、誰これとなってしまいますね。寧々(サツキ)さんなのですが。

「お母さんにも送っちゃお」

「あー……それは大惨事の予感です。夏飴さん。今度またちゃんと水族館に付き合ってくださいね」

「えー? なんで? うわっ‼ お母さんから恨み節がすごい‼」

 おっとわたくしのカードにも母からの泣いております顔文字が送られてしまいました。後でフォローが必要です。わかります。

『本日は、ご来店頂きまして誠にありがとうございます。本日最後のペンギンショーをペンギンコーナーよりお贈り致します。皆様ぜひご覧になって下さい』

「お姉ちゃん‼ ペンギンショーだって‼」

「ほらっ。夏飴さん。興奮しすぎですよ。頬にアイスがついております。ペロッ」

「……お姉ちゃんて平気でそう言う事するよね」

 次いで頬に唇を寄せます。

「もおおおおお‼ お姉ちゃん‼」

「ほらっアイスが垂れてしまいますよ」

「もーお姉ちゃんも早く半分食べてよ」


 姉妹とは良いものですね。わたくし一人っ子でしたので距離感を把握しておりません。ですが皆さまこのように可愛がっているはずでございます。

 わたくしも愛おしさできゅんきゅんして止まりませんね。

 自らの頬に手を添えてしまいます。

「お姉ちゃんペンギン‼ 可愛い‼ かわいー‼ お姉ちぁんペンギン‼」

「そうですね。ニオイ以外は可愛らしいですね」

「お姉ちゃん……気分台無し。ニオイについては触れなかったのに」

「お姉ちゃんが今度ペンギンも迷宮から取って来てあげますからね」

「お姉ちゃん。それはどうなの? あっ見て‼ お姉ちゃん‼ 隊列組んで歩いてる‼」

 子供のようにはしゃぐ妹様の邪魔にならぬように気を付けます。


 妹様へのプレゼントにペンギンのぬいぐるみ1300円をおひとつ。母へのお土産に甘いお菓子(300円)をおひとつ購入致します。

「お金、大丈夫?」

 心配そうにこちらを窺う妹様の頭をよしよしと手で撫でさせて頂きます。

「大丈夫ですよ」

 それだけで1300円の価値がございます。

 さきほども進言を頂きましたけれど妹様にもそろそろお小遣いの増額が必要でございましょうか。


 わたくしも学生時代、お金が無い時は、とあるうどん屋さんで140円の白米を頼み、無料サービスの出汁とネギ、天かすとしょうが少々注がせて頂き食したものです。懐かしいですね。

 外へ赴きますと少しばかりの小雨にございます。誰かが涙を流していらっしゃるのかもしれません。

「雨だね」

「そうですね」

「まだやみそうにないね」

「観覧車、乗りましょうか?」

「うん‼」


 近くの観覧車に乗ります。

「少し、肌寒いね」

「そうですか? では……」

 妹様に寄りかかり、その体温を感じております。腕を絡め身を寄せて、頬を肩へと寄り添わせます。

「お姉ちゃんって暖かい」

 約四十分――外の景色を眺めることもなく寄り添い、うとうとと――頬に唇を寄せ、妹様は嫌がらず、くすぐったそうにしておりました。

 離れた時の肌寒さは一入にございました。

 そろそろ母を迎えに行かねばならない時間です。


 歩きはじめますと離れる温もり、それを押しとどめるように少しずつ、確かめるように手の中へと納まってゆきます。視線を絡め微笑みかけます。

 妹様はやはり母の娘でございますね。二人で歩いておりますと、男性の方にやたらと声を掛けられました。妹様のメンチの切り方は異様でございましたけれど、こなれたご様子に頼もしさを覚えます。

 さすがに。

「話しかけてんじゃねーよ。〇すぞ」

 この台詞にはさすがにいけませんと訂正させては頂きました。


 会社の外で母を待っておりますとキラリさんです。お久しぶりですね。

「こんにちは。お久しぶりです」

 お恥ずかしながら声を掛けさせて頂きます。

「あぁ……そっちのは……彼女か?」

「こちらは妹の夏飴さんです。夏飴さん。こちら、先日ナンパから助けて頂いたキラリさんです。八柳さんです」

「へぇ……初めまして。月見夏飴です」

「八柳……キラリ。よろしく。妹さん」


 お姉ちゃん大丈夫なのと妹様から小声で耳打ちを受けます。キラリさんは悪い方ではございません。笑顔で大丈夫だとお伝え致します。

「妹……義妹か。恋人ではない。そうか。良かった。これ……チケット」

 不意にキラリさんからチケットを差し出されます。

「これは……?」

「うちのバンドのチケット。来て」

「バンド……でございますか。ご料金は……」

「いい。来て」

「バンドのチケットはノルマがあると伺っておりますが……」

「そんなに困ってない。来てほしい」

「わかりました。それと……図々しいお願いなのですが、もう一枚頂けませんか? もちろん料金が必要なのであればお支払い致しますので」

「なぜ? 理由は? 女?」

「あの、母の分も……ダメでしょうか?」

「あぁ、お義母(おかあ)さん。わかった。もう一枚」

「ありがとう存じます。お金は……」

「大丈夫。ん……じゃあ、行くから。絶対来て。痺れる演奏。するから。絶対」


 手を振りキラリさんを見送ります。口下手な所、好きです。さすがですね。

「お姉ちゃん。変な人からあんまり変な物貰わないでよね」

 手を強く握られてしまって食い込む爪に少しの痛み、顔をしかめてしまいました。

「そうですね。気を付けます。夏飴さん。少し痛いです」

「わざと」

 確かに、わたくしは少々頼りなかったかもしれません。しっかりエスコートできないのは良くありませんでしたね。


 キラリさんと別れて丁度会社からどなたかが出て参りました。中川さんです。こちらへ向かって参ります。

「君たち。よく来たね。またお母さんを待っているのかな?」

「はい。母が何時もお世話になっております。夏飴さん。こちら母がお世話になっていらっしゃる会社の支部長の中川さんです。中川さん。こちらわたくしの妹の夏飴さんです」

「妹さんがいたんだね。全然知らなかったよ。あの人は、仄菓さんは君の話ばかりだからね」

 なかなかセンシティブな話題にございます。笑顔を浮かべ、気にしないように振る舞います。

「姉もおりますよ?」

「お姉ちゃんじゃなく?」

 妹様の瞳孔が開いております。食い気味に参りました。

「私ではございません」

「初耳なんですけど⁉」

 あれれ。お伝えしておりませんでしたでしょうか。申し訳なく存じます。

「あの人って三人の子持ち⁉ でもあの人って今三十二歳だよね⁉」

「そうでございますね」

「信じられない……旦那さんは? 旦那さんとは離婚したのかい? それとも……死別。あっいや、申し訳ない」

 ここではっきりとお伝えしたほうが良いかもしれません。中川さんには申し訳ないのですが、母を渡すわけには参りません。一応既婚者ですので。


 およそ三年間生死不明の行方不明にございますと、死亡扱いで離婚できるようでございます。しかしながら旦那さんである方が母を強くお慕いしておりますので離縁はしていないと存じます。設定上にそうありましたので。

「父は遠くにおります。海外赴任のようなものですね」

「そう……なのか。そうなのか。彼女は旦那さんの話は全然しないから、てっきり」

「そうですね」

「もしかして仲が悪いとか、暴力を受けているとか、そう言う感じ?」

「違います。あの方は暴力を振るうような方ではございません。母を強く愛し思っております。諸事情がございまして、離れて暮らしているのでございます」

「そう……なのか。そうか……」

 中川さんの表情が暗くなります。たびたびで申し訳ないのですが、沢山の女性に愛される中川さんには早々に母から離れて頂かなければ困ります。影からこちらを窺う方もございます。中川さんの身の上には同情致します。しかしながらどのような理由であっても不倫はいけません。貴方の元奥さんがそうであっても、貴方がそうなってはいけません。


 おっと入り口から走って大沼さんがやって参りました。

「やっやぁ。どうしたんだい? 寧々ちゃん」

 大沼さん、焦っておられるご様子。わかります。母を巡った三角関係。三角関係どころではございませんが、隣の妹様がその様子を爛々とご覧になっておられます。

「何時もの通り母のお迎えに参りました」

「そっそうなんだ。へぇー。中川支部長。お疲れ様です。こちらは」

「あぁ、大丈夫。聞いたよ。二人共、会社の外で待つのはやめなさい。これからは会社の中、ロビーのソファーで待っていていいから。次からはそうするように」

 さすがのイケメン具合に恐縮にございます。

「ありがとう存じます」


 遅れて高橋さんがやって参ります。

 中川支部長と入れ替わりのご様子です。

「先輩。さすがに支部長には勝てないっすよ」

「そっそそそそんな事ないんじゃないかなぁあ‼ ぼくはそう思うな‼」

 恋は人を幼くするものですね。わかります。

「ねぇねぇ? この二人ってもしかして……ママの事好きなの?」

 妹様が耳打ちして参ります。

「そうですね」

「そうなんだ。お姉ちゃんはどっちが良い感じ?」

「わたくしはお二人共少々おすすめできませんね」

「なんで?」

「お母さんは既婚者です。伴侶がいらっしゃいます。不倫はよろしくありません」

「真面目だなー。ほんとにそれだけ?」

「そうですね。わたくしも……しばらくは三人が良いと考えておりますので」

 頬へ唇を寄せて告げますと、夏飴さんは離れてしまいました。神妙な顔にございます。

「花の命は短いんだよ? お母さんには自由恋愛させてあげた方がいいと思うなっ」

「それはわたくしたちが決める事ではございませんから」

「お姉ちゃんが真面目すぎてつまらない‼」

「夏飴さんも。お姉ちゃんはまだ夏飴さんが不純異性交遊するのは認めませんからね」

「うるさっ。それを言うならお姉ちゃんだってダメだからね‼」

 それは存じております。


 母は少し時間がかかるようですので、会社のロビーのソファーにてお待ちさせて頂く事となりました。ソファーに腰を下ろしますと夏飴さんは眠くなりましたのか、モモに頭を乗せて参ります。上着を解き、スカートへと被せます。


 やっと参りました母が大きな息を吐き出して隣へ割り込んで参ります。

「お母さん今日は疲れたわ」

「お疲れ様。お母さん」

「んあー……もうだめぇ」

「帰りましょうか。起きて、夏飴さん」

「んー……」

 さすがに今日は中川さんも声はかけていらっしゃいませんでしたね。今日は皆さんぐったりとしておりました。

 帰ってからは素早くお風呂。やっと人心地とお二人がお風呂に入っている間に――と考えていたのですが、お風呂へ引きずられてゆきました。


 今日の夕食は鍋にございます。疲れた体に出汁が染みわたるよう配慮し、残り物で申し訳ないのですが、豆腐、わかめ、豚肉、ニンジン、白菜等を入れさせて頂きました。

 部屋を暗くし、月明りを取り入れます。ここは隔離都市ですが、月明りがございます。

「ふぅふぅ」

 三人でお鍋を食べます。温かみが染みてゆきますね。

「月が綺麗ですね」

 私がそう申し上げると。

「柔らかい光と温もりが染みて沁みていっぱいだわ。いっぱい」

 母はそう答え。

「ほら、ビスケットみたい。今なら食べられるかも」

 妹様は指で月を摘まんでご覧になりました。

「ふふふっ」

 思わず笑みが零れてしまう私です。

 ご飯を食べ終えましたら、片づけは明日と三人でソファーに座り温もります。


 母を膝枕で耳掃除し、寄りかかる妹様と寄り添います。

 やがて眠りへと落ちてゆく妹様を抱え布団へと横たえます。お凸に唇を寄せますと、妹様は少しばかりの笑みを。何度も繰り返し。

「おやすみお姉ちゃん」

「おやすみ」

 もう一度と寄せて寒くないように掛布団で覆います。

 もう一度。もう一度。愛しい愛しい妹様。


 背後から抱きしめられて驚きます。

 母が背中へとへばりついております。

「お母さんは怒っています」

 母を気遣い部屋を後にします。妹様の寝息を確認しつつ静かに襖を閉じます。

「どうして? どうして二人で水族館に行ったの? お母さんは? お母さんはどうでもいいの? お母さんは貴方がいないと生きていけないのに……お母さんはどうでもいいんだ」


 おっとこれは――寧々をプレイする上での負の面でございます。この母と妹との絶妙な距離を保たねばなりません。母を疎かにすると精神を病んでしまいます。やがて廃人になってしまいます。設定ではガチです。そのうち衰弱して亡くなってしまいます。これは避けなければいけません。衰弱しなかった場合は世界が壊れます。母のモナドが特殊であるがゆえ。


 妹様を疎かにすると家に帰って来なくなります。

 夜遊びで無事ならば文句は多少ありますが許せると申すもの。しかしながら妹様は脱法で迷宮へ赴いたり、人との関わりで揉めたり、刺されたりしてしまいます。

 どのルートでも亡くなってしまうのです。それはダメです。

 この絶妙なバランスを保つのが寧々において大事にございます。


 お二人がそのような状態になりますと、寧々に対しても凄まじいバットステータスが付与されます。再起不能になるレベルにございます。

「わたくしもお母様がいなければ生きてはいけません」

「だったらどうして‼ どうしてお母さんを疎かにするの‼ お母さんには貴方だけなのに……お母さんは貴方だけがいればっ‼ むぐぬぐっ‼

 そのセリフは妹様にはとても聞かせられません。無理やりにでも口を閉じて頂きます。

「言葉では何を言ってもご納得いただけないでしょう」

 母を抱きしめ胸に押さえます。母と添い遂げる覚悟が必要かもしれません。

 母をリビングへと移動させソファーへと下ろします。部屋の襖をしっかりと閉じ、妹様の眠りを妨げないように致します。


 ゲームでは適当に対応して良いものの、現実となるとそうもなりませんね。わたくしにも心がございます。

 嘘をつくのは心苦しいですが、それでもわたくしは嘘をつかなければなりません。

「わたくしは母と添い遂げるつもりです」

 はっきりと申し上げます。

「え?」

 これも母の心を纏め上げるため。それに母は魔性の女。そんな女性を伴侶に持つのも悪くはございません。わたくしの年齢も考えますとこれがベストなのかもしれません。


 母が視線を逸らします。

「そんな事言って。どうせそのうちお母さんを捨てるんでしょ。置いてくんでしょ。他に恋人を作ってお母さんを置いて結婚しちゃうんでしょ。いいわよ。どうせお母さんなんてどうでもいいんでしょ」

「そんな事はございません。お母様。ずっと一緒です。ずっとずっと一緒です。長き線が途切れるまで、そして新しく線が引かれ様ともずっと一緒でございます」

「んんんんんんん‼」

 お母様がなぜかソファーでのたうち回っております。

「お母様」

「あい……」

「愛しております。お母様。ずっと一緒です」

「んんんんんんんんんん‼」


 お母様がソファーでのたうち回っております。

「ほんとに? お母さんだけ? ママだけ?」

「はい。お母様以外に唇への口付けは致しませんし、不純異性交遊も致しません」

「んんんんんんんんんんんんんんん‼ ほんと? 絶対ほんと?」

「はい。本当にございます」

「じゃあ、お母さんにはしてくれるってこと?」

「いいえ。お母様にも致しません」

「なんで? どうして? やっぱり嘘なの? ねぇ? 騙してるの? お母さんを騙して楽しい? そうやってお母さんを傷つけるんだ。お母さんには寧々しかいないのに。そう言う事するんだ」

「お母様。お母様は婚姻していらっしゃいます。不倫はいけません」

「婚姻? 婚姻ってなに? お母さん結婚してるの?」

「そうでなければわたくしは生まれておりません。わたくしは貴方の娘、なのですよ?」

「え? そうなの? お母さんって……結婚してたの?」

「はい。ですので、婚姻を解消なさらない限りはお母様と結ばれるわけには参りません」

「そうなの? 嘘……お母さん何時結婚したの? そんなまさか……」

「今度市役所へゆきましょう? 確認できますから。お母様。私は心から貴方を愛しております。しかしながら不倫はいけません。お母様と結ばれたくとも、その契約がある限り、お母様と一緒になることはできません」

「えええええええええええええ⁉ 嘘⁉ お母さんのせいだったの⁉ そうなのね⁉ ずっと我慢させてたのね⁉ あーもう……お母さんたら本当に、本当にドジなのだから」


 この切り札が何時まで通用するか、旦那様にはぜひとも裁判で長い間争って頂きたい所存です。大変申し訳なくは存じますし、何ならば責任を取ることも吝かではございません。わたくしの実年齢を鑑みれば、母と結ばれるのが一番のベスト。ベストと考えるわたくしです。

 娘が三人いらっしゃる。三十二歳。そんなものは気にならぬほどに母は魔性の女にございます。正直に申し上げてわたくしもまんざらではございません。

 しかしながら不倫はいけません。ちゃんと正さなければいけません。

 それにわたくしが母と結ばれれば妹様が病んでしまう恐れがございます。

 のらりくらり。のらりくらりにございます。

 これが今のベスト。ベストなのでございます。そう考えるわたくしです。

 そうですよね。間違っていませんよね。大丈夫ですよね。ゲームではなく現実です。セーブはございません。不安に駆られますが、現状ではこれがベスト。ベストと考えます。

「ごめんね寧々?」

「お母様。愛しておりますよ。心より愛しております」

「うん……でも水族館は行ったのよね?」


 おっとこれはなかなかにしつこい。執念深い感じでございますね。捌き切れるでしょうか。悩む姿をご覧にならせてはいけません。

「やむを得ず出かけることはございます。誓ってやましい事はございません」

「……わかってるわ。面倒なお母さんでごめんね?」

「お母さん。私も、貴方が他の男性と出かけるとおっしゃられたのなら、気が気ではございませんし、絶対に邪魔するのでご安心下さい」

「へへっへへへへへ。そうなの? 邪魔しちゃうの? そうなの? 邪魔しちゃうのね。大丈夫よ。寧々以外とは何処にも行かないわ。お母さんは寧々だけよ。寧々だけいればそれでいい。寧々だけでいいの。だから寧々もお母さんだけよ。お母さんだけのもの」

 これはなかなかに深うしがらみにございますね。何時か母がそのクビキから解き放たれるように努力する所存にございます。

 やがて母は緩慢に眠りへと落ちてゆきました。腕の中で眠る母の髪を撫でます。

 月が綺麗にございます。柔らかく温かい月明りの中におりますわたくしでございます。

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