第7話 生贄の夜第二夜。ショップとクレープとナンパを添えて
いざ戦へとは申し上げたものの餅は餅屋である。
Hカップであった時もそうでございましたが、お店の店員さんへと相談するのが一番良いブラ選び、延きましては重要なファクターと存じます。
つまり下着ショップにおいて重要なのは、品ぞろえと店員の接客態度なのだと考えます。
どんなに品ぞろえが良かろうと、店員さんがダメならばダメなのでございます。
初めては何もご存じありません。何も知らずに揃えた品は、十中八九失敗するものにございます。経験者が必要なのです。そしてその経験者はお店の店員さんでなければいけません。相談できる相手が店員さんしかいない子もいるのです。わたくしとか。瞼を閉じ感慨にふかぬわけには参りませんね。宿命でしょうか。わかります。
そう、わたくしが選んだ店員さんの条件は陽気なギャルである事。
そう、わたくしが悩みぬいた末に導き出した店員さんの条件は陽気なギャルであることにございます。
お洒落はギャルから。お洒落はギャルからにございます。
重要なので二度申し上げてしまいました。あくまでも個人の感想であり、個人の感想にございます。ソースはございません。わたくしの経験則にございます。
ではなぜギャルが良いのかと申し上げますとフレンドリーだからです。
決して真面目な店員さんが悪いと申し上げているわけではございません。
普段から色々なお洒落に気を使っている方と、気を使っていない方では当然経験に違いが生じます。経験していらっしゃる方の方が当然アドバイスも的確なのでございます。
多数の下着を身に着けておいでかおいでではないか。お金を使っているか使っていないか。経験しているか経験していないかでは雲泥の差にございます。
髪を長く伸ばした方にしか髪を長く伸ばした時のメリットデメリットはご理解できません。濡れた髪を背中に長時間放置致しますと背中の皮膚が爛れます。お風呂にそのまま入ると髪が肌に貼り付いて痛い。寝る時に気を付けなければ口に入りまた絡まると。
絡まった髪はだまとなります。
お洒落もその例に漏れず、わたくしはそう考えるのでございます。
ちなみに陽気なギャルなのは普通に話しかけて貰えるからです。店員に話しかけるのすらハードルが高い。そんな状況を打破して頂けます。下着はセンシティブな話題にございます。ずけずけとお世話をして頂ける方はギャル率が高いと考えております。それは見た目ではございません。
自分を大切にしたいのなら下着に妥協してはいけません。
それがわたくしの心情であり、成長期の下着選びの失敗は、成長期を疎かにするのと同義であると、わたくしはそう考えております。
ボディラインを整えたいのならまず下着から。
正直に申し上げて私はデザイン等どうでもいいタイプの人間です。
フリルとかお飾りとか、可愛いとかそんなのはどうでも良いです。とにかく肌触りが良くしっかりとフィットし、邪魔にならないのが大切だと考えております。
バックベルト、脇を通って背中へ回る布地が擦れて赤くなると本当にお辛い。
カップが合わず擦れると本当にお辛い。あの痛み、思い出しても涙が滲んで参ります。汗で蒸れ皮膚が荒れれば心も荒みます。
そうしていくつかのお店を眺めて歩き回り選びましたのがこのお店にございます。
「いらっしゃーい。おっ学生さん。下着見に来たん? 話聞こか?」
そしてこの店員さんである。
「下着選びは大切だよね。どういうブラが欲しいん? 条件とかる? 動きやすさ? それともムフフっ勝負下着をお求めかな? きゃー可愛いのあるよ? ん? ん?」
とかる。
このギャルの店員さんである。
「動きやすさ重視でお願いします。汗を沢山かくと存じます」
「ほほーう。んじゃ、素材はシルク、コットンかな。サイズはかろか? おいでおいで」
この店員さんノリノリである。
「色々不安あるよね。わかるわかる。お姉さんにどーんと任せなさい」
学生のお財布事情を考慮しても一万円以内が妥当でございましょうか。安いものでも良いですが、運動するとなるとそういうわけにも参りません。
姫結良さんもタジタジでございます。
「おっおい、ちょっと待てよ。おいっ待てって」
「いいからいいから。ん、お姉さんにまかせてみ? ブラは初めて? 初々しいなぁ。わりと激しい感じ? オッケーオッケーおけまるすいさん」
そうして姫結良さんが試着室へ連行されたので、私も下着を眺めてまわります。
ショーウィンドウ……。下着ショップに宝石のように飾られた下着がございます。金と銀で彩られたブラとショーツにございますか。お値段なんと二千万円。なんと恐ろしい。形状記憶剛糸制ですか。完全なオーダーメイド品ですね。……男性用。ごしごしと瞼を手でごしごしとしてしまいます。……男性用。その隣はさらにお高い……男性用。ごしごし。男性用。ごしごし……。ん。
わたくしは何もご覧になりませんでした。そっとその場を離れます。
ウィヴィーさんは……まだブラジャーが必要とは考えにくいのですが、AAカップでもブラは存在致しますので、今のうちから慣れておくのが良いかと存じます。
特にトップが膨らんでくるとブラは必須ですからね。わたくしもトップが割とぷっくり膨らんでいた方ですので苦労は致しました。
とは申し上げましても現在わたくし達は運動する身。買う下着も限られて参ります。
やはりお勧めされるのはスポーツブラ辺りでございましょうか。
普通のブラでは揺れを抑えるのが難しいのです。
普通のブラを着用するとしてもバストサポートバンドが必須でございましょうか。
ワイヤーレスだとさすがに激しい運動には対応できないかもしれません。
スポーツブラでも割とヘヴィな物を使用となるでしょう。
胸をなぞると、若干の寂しさを感じつつも、何とも解放された気分となり口角も上がって参ります。ふふーん。よろしくってよ。
ちなみにわたくしはデザインはどうでも良いのですが、色にはこだわりがございました。薄紫か薄桃色。この色の下着はテンションが盛り上がる所存にございます。
それはさておき商品を眺めておりますと、さすがに心も高揚して参りますね。この世界にて初めて自分で稼いだお金が懐にございます。妹と母に幾つか下着を見繕って参りましょうか。
下着は消耗品ですので家(うち)ではどうしても安物の着用となってしまいます。
妹ちゃんがよれよれの下着を着用しておりますのに、姉として心を痛めますところ。穴空きはさすがに許容できません。
母にスーツも買ってあげたいです。なけなしのお金でお買い求めになられました中古品二着を使いまわしておられる現状にございます。なんとかしたいですね。わかります。
次のお休みの日、個別に買い物に誘いましょうか。
たまには姉らしいところを披露したい。
洗濯品を分けるために籠も欲しいです。
普通に洗濯できるものと普通に洗濯できない物を、最初から籠を使い分類しておけば、間違えて洗濯するのも避けられます。設置されております洗濯機はとても良いものです。手洗い選択や揉み洗い洗濯、様々な機能がございます。ネットを使ったり、柔軟剤が必要だったり、手洗いだったり、洗濯とは奥が深いものにございます。わたくしもまだ道半ばにて、精進しなければいけませんね。
母と妹はスタイルが良いですので、安売りコーナーから適当にショーツを見繕います。
母にローレッグはちょっと色気が無さすぎますので妹様用にございましょうか。
あまり野暮ったくなく、サイドが広く、お尻を包み込む形のものを選びます。手触りも重要ですし材質も重要にございます。ローライズがよろしいでしょうか。スパッツやショートパンツもいくつか見繕います。生地は分厚いものが良いです。薄いと寒いですし耐久力が低いです。
スポーツパンツもいくつか。
まとめて一万円以内を心掛けます。
後はシルクのアンダーウェアを四枚ほど。このアンダーウェアはブラジャーの内側に装着するものにございます。色の好みにより売れなかったものが安売りされておりました。四つほど手に取ります。
ブラの下に装着するものですしこの際です。色に関しては目を瞑ってもらいましょう。
「ねぇねぇ?」
「どうかしましたか?」
ウィヴィーさんが声をかけて参ります。
「これどう?」
ブラジャーを胸に当てております。フリルのついた水着のように可愛らしいタイプの下着にございます。お値段なんと五百円の投げ売り。お子様用のようですね。
こんなにお可愛いらしいのに恋愛ができないのが悔やまれるところ。
「良いと思いますよ。サイズはあっておりますか? サイズはいくつか用意されているはずです。店員さんに声をかけて試着もなさってくださいね」
「あーい」
しばらくするとげっそりとした姫結良さんが帰って参りました。
やはり買うのはヘヴィタイプのスポーツブラのようですね。
一着一万三千円。うーん。三着で三万三千円。なかなかに重い金額。だけれど、しっかりしたものを選んだ方が良いでしょう。姫結良さんはなかなかお胸が大きい方ですからね。
「てんいんさん」
「あいよー? なになに? 君も買っちゃう系? いいデザイン選んだねー。お姉さんもそのブランド好きなのよ。おいでおいで。カップみよか」
姫結良さんが弱弱しく肩に手を置き体重を預けて参りました。
「ブラジャーってこんなするのかよ」
「お金は足りますか?」
「あぁ、大丈夫だ。金だけは無駄にあるからな」
さすが姫結良財閥のご令嬢様。わたくしとは住む世界が異なりますね。わかります。お嬢様ムーブのわたくしとは異なり、姫結良さんは本物のお嬢様なのでございます。
真ん中にチャックがあり、着脱が簡単でしっかりしたものを選んだようです。さすがです。良いチョイスですね。チャックも通常のものとは異なります。包みバンドで止めればチャックを隠せますし固定も可能です。触れた布の材質より吸収性に優れ速乾作用もあると存じます。
「ブラジャーってこんな大変だったんだな。一人で来なくて正解だったぜ」
「そうですか? それは良かったです」
「おうっ。ありがとなっ」
いい笑顔です。私の心も晴れやかになりますね。わかります。
しばらくするとウキウキ顔のウィヴィーさんが戻って参りました。
どうやらそのまま着用していらっしゃるようにございます。今までノーブラだったのでしょうか。
「ふぅ。お姉さん、今日はちょっと頑張っちゃったぜ」
「店員さん。お会計お願いします」
「おっ……君はいいのかな?」
「私は男ですので」
「……ほう。……男性用ブラの取り扱いあるよ? 試してみる? お姉さんちょっと詳しい感じだよ? 男性用ブラ。他のどのお店よりも詳しい系だし自信あるよ? 男性用ブラ」
瞳が怖いです。パーソナルスペースに大幅に食い込んでおります。
「ありがとう存じます。大丈夫です。お会計をお願い致します」
「お姉さん……詳しいよ?」
「大丈夫です」
「お姉さん詳しいよ‼」
「大丈夫です」
「君はなかなか強者だね」
「お会計お願いします」
「お姉さん詳しいってば‼」
「大丈夫です‼」
「クッ……あら、いいチョイスね。全部合わせて九千九百八十円だよ。自分で使う系?」
「カードでいいですか? いいえ、妹と母にでございます。ウィヴィーさんのもご一緒でお願い致します」
「……いいの?」
「五百円なら構いません」
ウィヴィーさんはお金をあまり持っていない設定がございます。
「オッケーオッケー。えーハオいじゃん。エモすぎー」
お店を後にする時、お姉さんはお店の外までやってきて見送り、手を振って頂きました。良い方です。
「男性用のキュートなショーツもあるから、今度見に来てねー。お姉さん待ってるよー。何時でも相談に来てね⁉ ブラの悩みとか‼ ブラの悩みとか‼ ブラの悩みとか‼」
投げキッスとウィンクまで。至れり尽くせりですね。さすがです。
それから町中でクレープを頬張りました。
私の自家製ではなく、ちゃんとしたお店の甘いクレープです。
学生である身分を考慮し、六百円の物を一つ、三人で割り頂きます。イチゴ、バナナ、キュウイ、生クリームがふんだんに使用され、チョコソースに彩られております。
「シェアは大丈夫ですか?」
「クレープぐらい奢るぜ?」
「なんでもいー」
エクセレント。さすがウィヴィーさん。貴方とは良いお友達になれそうです。
「そういうわけには参りません。それに、こういうのがいいのではないですか。カロリーもありますしね。経済的にも優しいです」
「クレープおいしい」
「そうだな……。悪くない。へへっ。悪くねーな」
二人と別れ午後十六時。後約二時間程度で母を迎えに行かなければなりません。
姫結良さんのお弁当を思い出し、明日のお昼はおにぎりにしようかと考えております。
竹皮……買いましょうか。
ミラパに挑みたいところですが、なかなか時間に都合がつきません。
雑貨屋で竹皮とフライパン、ホットサンドメーカーを購入致します。
ついでに靴下も買いましょうか。靴下はいくつあっても足りません。靴下は足首までの短いものが好みです。
荷物が多いですが、そこは我慢しましょう。
買い物が終わりましたら近くの川へ向かい、スローイングスキルを上げるためにひたすら石を投げます。石切りです。今までの最高記録は十三回。石選びが重要にございます。
綺麗な石を発見。ジャスパーですか。良い赤ですね。ブルージャスパーもございます。これは……ヤコブス鉱石。重いです。
カードで動画を開き、投擲スタイルを眺め学び実践致します。
アイテム【リリスの瞳】が動画の動きをトレースし、実行して頂けますので実にスムーズな流れを再現できそうです。
二十五石切りですか。記録を大幅に更新してしまいました。スローイングスキルは今後役に立つのでぜひマスターしたいところ。後はスキルブックでスライディング等も探さなければいけません。
目標を決めて五十球は頑張りましょうか。
そして五十球を投げ切る頃――私はとうとう、I字バランスができるようになっていました。さすがのわたくし、才能に溢れて困ります。
そろそろ母が仕事を終える時間なので迎えに参ります。
片手にフライパン、片手にホットサンドメーカー。最強ではございませんかわたくしは。くくくっ。
会社に到着致しますと母はまだ仕事中にございました。どうやら難航のご様子。近くのケーキ屋さんにてチーズケーキ三百八十円を一つ購入し待ちます。熟したバナナが安売りしておりました。これは買いですね。そして母を待っている私です。
「君? どうしたの? こんな時間に、もしかして誰か待ってる系? 良かったら喫茶店でもどう? 奢るよ」
「大丈夫です。お気になさらず」
「そう言わずにさ。俺も今暇なんだよね。そういえば、音楽って聞いてる? メッゾの新曲とか聞いた?」
「ごめんなさい。私は音楽を嗜みませんので」
「なんだか奥ゆかしい喋り方だね。高校生? 俺、君みたいな子がタイプなんだ」
「あの、失礼ですが、私はこう窺えまして男です」
「そうなの⁉ カラオケいこーよ‼ 奢るからさ」
なんだと。
声をかけられましたご様子。わたくしで間違えないようですね。どうやらコミュニケーション能力に長けたお相手のご様子。お顔を拝見させて頂きます。
金髪、ヒゲのそり残しなし、香水の良い香り、身長高い、お洒落なピアス、服装はカジュアル、スニーカー。胸元を見せているのは自信の表れ……にございましょうか。
遊びに全力ブッパですか。なかなかに遊びになれたご様子。
このような私に声をかけてくださるのは感謝の念に絶えません。
あっ触れるのはNGです。
唐突に目の前の男性が爆ぜました。何か黒い塊が男を薙ぎ払いました。
それは見事なラリアットにございます。八柳大童子キラリ……さん――とお見受け致します。ビジュアルが脳内の記憶と一致してございます。
むちましい。むちましい見事な肉体です。八柳大童子キラリさん。
太い足、腕、そばかすの残る顔、鋭い眼差しに艶めかしい唇。
「この……野郎、ひっ。なっなんだよ‼」
大童子さんの一睨みに男は逃亡してしまいました。
私は頭を下げます。
「ありがとうございます」
大童子さんは私をチラリと眺め、行ってしまいました。
「大丈夫⁉ 寧々‼」
一陣の風のようです。
駆けよって来たお母様。険しいお顔が私の無事を確認するとあっと言う間に和らぎへと転じて参ります。
「大丈夫にございます。お母様。いざとなったらわたくしのフライパンとホットサンドメーカーが火を吹くところでした」
二刀流です。
「この辺りの警備を強くして貰った方がいいかもしれないっすね。高校生に声をかけるのはさすがに犯罪っすよ。ぽちぽちぽちと……もしもし」
高橋さん手慣れておりますね。
「まったくだ。俺の娘にナンパとは」
大沼さん。わたくしは貴方の娘でございません。
心配して駆け寄って下さいましたお二人にお礼の言葉を贈り、母と二人で帰路へと参ります。荷物が重く存じますがこの後を考えれば重さも嬉しさへと変わりゆきます。
「寧々って、あぁいう男の人がタイプなの?」
母が背中へへばりつておりますので、息を合わせて足を動かしているのが私です。
「いいえ。タイプではございません」
私のような粗忽者に声をかけて下さった事に対しては感謝の念が絶えません。しかしながらそれはそれ、これはこれです。
あの様子背格好は一晩に全てを賭けるタイプだとお見受け致します。
一晩を遊びたいタイプの方にはよろしいかと存じます。しかしながら私は一晩の逢瀬を求めてはおりません。セ〇レと言葉がございます。所謂オ〇ホとディ〇ドの関係かと存じます。
通常人はオ〇ホやディ〇ドに恋愛感情を抱きません。先の無い関係はお辛いだけにございます。都合が良い時だけの関係は都合が悪くなれば邪魔となります。好きならばすでに恋人なのでございます。そうではないのならそれは……。好きな人が出来た時に、なんとご説明できましょうか。カマトトぶりますが私には無理です。良心が痛みます。おもちゃ――と、結婚なさる人は多くありません。
「どういう男の人がタイプなの?」
「男性かどうかはともかく、食事をシェアできないタイプの方とは仲良くなれそうにありません。好みの範囲はまだ良く把握してはおりませんが、母を愛しているのは確かです」
「……そうなの?」
「そうですよ?」
「お母さんも大好きで愛しているわ」
「知っております」
「両想いね」
「そうですね」
「ねねぇ……あぁもう寧々。お母さんは寧々がいるだけで幸せよ」
お胸をモミモミしないで頂きたい所存なのですが、母なのでノーカンです。
そしてその答えへの返答は口に出しかねます。貴方には実の娘がおりますこと、そしてもう一人娘様がいらっしゃる事を、何時かご理解できますよう願っております。
現実となれば容赦なく、わたくしの中で冷たい血が流れるのでございます。
「ずっとお母さんと一緒にいてね」
「可能な限りは一緒にございます」
「そこはぁ、ずっと一緒って言ってよぉ」
蠱惑的な台詞にございますね。頬に手を添えられてしまいました。愛くるしいですね。
「ずっとご一緒ですよ。お母様」
貴方がそれを望んでいる限りは。
本来の寧々を取り戻した後を考えるわたくしです。
「ねねぇ……そのお母様ってなに?」
うーん。何でしょう。何でございましょうか。
そしてお家へと帰りますと空腹で怒りに顔を歪めました妹様が待っておられました。帰りが遅くなりまして申し訳なく存じます。成長期ですからね。仕方がありません。
ふふふっ。大丈夫です。今日お土産が沢山にございます。
「なにこれ」
「新しい下着です。アンダーウェアは二人で二着ずつに分けてください」
「ふーん……」
「どうしたの? これぇ?」
「実はミラージュパレスで稼ぎが少々ございまして、初めてのお給金ですので、お二人にプレゼントでも……と考えて参りました」
「いや、それにしたって母と妹に下着のプレゼントってどうなのよ」
「そろそろ下着がよれて来たと感じておりましたので。穴空きはさすがに許容できません」
「ふーん。まぁいいけど。どれがあたしの?」
「好きな物を手にとって頂いて構いませんよ。こちらのローライズなど如何でしょうか? 可愛いですよ。ショートパンツ、スパッツもご用意してございます」
「あっ、それは嬉しい。スパッツ貰っていい?」
「構いませんよ」
とは語ったものの、母様と妹様は下着を共用しているようなものでございます。
「まさかとは思うけど貴方のも含まれてないわよね?」
「さすがに含まれてはおりません。わたくしはボクサーパンツ派ですので。それと籠を買って参りました。これからは洗濯物を分別致しましょう」
折り畳み式の籠を広げます。
「どういう事?」
これはじっくりと説明する必要がありますね。夕食の準備を行いながらそこのところを懇切丁寧に説明し、お二人にはご納得ご理解頂きました。
ネット洗い、普通洗い、揉み洗い、間違えると衣類は悲惨です。もったいない。丁寧に正しく扱えば物は長持ち致します。
「靴下もありますよ」
「……それは嬉しい‼」
下着よりも嬉しそうですね。妹様。
今度靴も買いに参りましょう。
今日の夕食はラーメンです。たまにはラーメンも良いでしょう。
野菜たっぷりちゃんぽんです。
食べ終えましたらチーズケーキを取り出して三等分。
フォークに刺して妹様に差し出します。
「あーん」
「……そういうのウザいんだけど」
「いいじゃないですか。あーん」
口に含んだ妹様の顔が甘味に綻んでゆきます。その表情、素敵です。
チーズの風味が鼻を抜けますね。レモンがありますとこれが阻害されますのでわたくしはレモン風味は好きではございません。
次は母です。
「あーん」
「あーん」
母は躊躇いありませんね。何時までもそのままの素直な母でいて下さいませ。
「んー美味しい」
手を取り頬へと当てております。
「お母様、今日もお仕事お勤めお疲れ様にございました。感謝の言葉しかございません」
「あーもう寧々ぇ……お風呂入りましょう? お風呂。ね? 一緒に、ね? お風呂入ったら、膝枕でぇ、耳かき、ね? 耳かき。労って。お母さん頑張ったから。ね? 労って」
「はい。お母様。ですが食後一時間は消化に悪いのでもう少ししてから入りましょう」
「ねぇ。ちょっとお母様ってなに? 気持ち悪いんだけど。二人でお風呂入るのは禁止だから。禁止だから‼」
ママの方が良いかもしれませんね。ママ。
気兼ねのない家族はとても良いものです。
人に甘えるという行為はとても大切です。母に甘えて後ろから抱き締めます。お腹に手を回し、肩に頬を押し付けます。密着した背中と胸。髪のニオイ。うなじの香り。体温の擦れ合い。もっと密着したい。もっともっと密着したい。肌が沈むほどに。これがとても良いです。
甘えるのは大事な行為です。相手を信頼し、そして相手に許される行為です。
押し付けるフトモモ。服の間に滑り込ませて触れる肌。このままソファーへと横たわり、眠りに落ちてしまいたい。
「ふふふっ。寧々。いい子いい子」
「お母様」
「マジきもい」
後で妹様に甘え方をレクチャー致しましょう。
お風呂を頂き、母が眠りに落ちた後、温まった体で妹様にはたっぷりと甘えて頂きました。胸の中で安らぐ妹様の無防備な様が、何とも胸を締め付けます。
お二人の体温が籠る布団の中、足に擦れる布が何とも言えぬ快感を与えて参ります。
抗いがたき眠りへのお誘い、あとは沈んでゆくだけにございます。
深夜を過ぎました――まだ来て欲しくありませんでした。来て欲しくございませんでした。
だけれど、来たからには対処しなければいけません。人が亡くなるのをただ見過ごすほどに私の心は凍えてはおりません。
誰もいない。母も。そして妹も。【生贄の夜】がやって参りました。
何時もの部屋なのに、まるで他人の家のよう。
襖を開けて差し込んでくる光。ただ赤く、ただひたすらに赤い。
とは申しましたものの私にできる事等たかが知れております。準備が何も整っておりません。とは申したものの選ばれたからには最善を尽くさなければなりません。
怪異【生贄の夜】――選ばれたたった一人の生贄を、選ばれた数人で助けるか助けないかを決める厭らしいゲームにございます。
服を買い身支度を整えておくべきでした。悠長でしたね。準備しておくべきでした。
嘆かわしい。己の間抜け具合に嫌気も差すと申しますもの。
いいえ、この程度に間抜けな方が良いのかもしれません。
そうでしょう。でなければ私は……。
制服に着替えて靴を履き玄関の戸を開き抜けます。
この場においてはミラバではなくともスキルが有効にございます。
カードを眺め、スローイングスキルがレベル玖(9)まで上昇したのを確認致しました。このスローイングスキルはいずれ私のメイン武器となります。しかし道のりはまだまだ遠い。レベル拾参は必須です。
蠢く虫達。クモ、ムカデ、アリ、何時からこの世界の酸素濃度は上昇したのでございましょうか。そう感じずにはいられないほど巨大な虫達が蠢いております。
ナメクジ、ナメクジ、ナメクジ。
ねっとりとして伸びるような影達。その本体である昆虫達が、どれもこれも私に興味がございません。どれもこれも生贄にしか興味がありません。嫌ですね。まったく。
この【生贄の夜】では選ばれた面子を特定できないルールが存在致します。
私にとっては好都合。
【宝鏡】から【無明菊一文字】を取り出し左手に握りしめます。わたくし唯一の手札にございます。
この怪異で重要なのは助けるプレイヤーだけではなく、邪魔をするプレイヤーも存在してしまう事実を受け入れる事。ゲームであるならば問答無用でプレイヤーを皆殺しにしてしまうのですが、現実となってしまうとそうも参りませんね。殺してしまえば本当に亡くなってしまう可能性がございます。このゲーム、人を殺すのにレベルやスキルは関係ございません。強い武器があれば、例えばこの【無明菊一文字】のような武器があれば、不意打ちで心臓を一突きで殺せてしまいます。ゲーム通りであるのなら、のお話にとなりますが。わたくしも良く殺されました。はらわたが煮えくりかえるほどに。最初は喪失と痛み、怒りと憎しみ、悲しみと自信の喪失が参ります。顔は赤く染まり、次は殺されないようにと、その次は殺されないようにと徐々に研ぎ澄まされて参ります。
そのうち殺すようになります。ゲームのお話ですよ。
「ふふふっ」
なるべく離れて全体を見回すのが大事にございます。
攻めが有利ですからね。
でもわたくし、負けず嫌いですの。(However, I hate losing)
虫達が向かっているのはショッピングモールのようにございます。地形は把握してございます。舐めるように端から端まで構造はご存じです。
スキル【気配断ち】を繰り返し使用し、気取られないように高い所からなるべく全体を見回し近場の建物へと飛び移ります。
潜み窺う様子に心臓の鼓動も高まりますね。この高揚と焦り。
ちゃんと味方のプレイヤーが存在する事実を視認。
対象一人を三人が護衛しております。
一人が傍に、二人が前方の敵を薙ぎ払い逃げて鬼ごっこをしております。
近場にプレイヤーが一人。あれはお邪魔プレイヤーでしょうか。他のプレイヤーと連絡を取っているのかもしれません。
その他プレイヤーは見当たりませんね。後四人はいらっしゃるはずですが。
私と同じように潜んでいるのかもしれません。
揃わないスキルが恨めしいですね。
この【生贄の夜】に関しまして、初めて護衛した時はわたくしもセオリー通り傍で護っておりました。でもそれは良くありませんでした。ひたすらに息を潜めるのが正しいやり方にございます。チャンスは最後だからです。私ならそう致します。
何年ぶりかしら。徹夜なんて。
移り移り眺めること数時間。時間の感覚すらもどかしくて早く過ぎてと思考もウネリ始めます。
夜が明ける――駆けだすには十分な頃合い。現れた三人を視認致します。やはり――それは許しません。それは許されません。絶対に。
あとお一方は隠れておりますね。どちらにも関わりたくない。それは懸命な判断にございます。この怪異、精神だけが削られるものですから。最初から隠れて寝て過ごすのもアリにございます。今回に限っては……のお話ではございますが。
ですがわたくし、負けませんわよ。(But I won't lose.)
最後に逃げ切ったと安堵する瞬間。もっとも手が抜ける瞬間。
飛翔する毬。蹴鞠師の方ですか。素敵ですね――殺撃七連。
目を丸くする三人。短い悲鳴を上げる一人。攻撃を弾かれて驚く三人。
恐怖を抱いた時、頭を伏せて丸まる人がいるけれど、それは正しいのかと疑問が浮かんでしまいます。最後まで抗わなければ意味がない。人に生きる意味はあります。生物として生まれたからには最後まで抗い生きるのが意味です。最後まで生き抜くのが生物として生まれた意味なのですから。
通り過ぎる斬撃。
武器スキルにモナドは関係ございません。
ただやはり使いこなせているかと申し上げれば否――はったり七連撃と申し上げれば正しいでしょうか。ふふーん。
わたしくが舞台に立ったのなら、貴方達はわたくしに夢中にならなければなりません。(If I'm on stage, you'll fall in love with me)
ブローヴアクスを視認。憑依斧なんて、ゲームの世界ならまだしも今の今で良く使うものだわ。血液を媒介にして怪力を与える斧。説明通りなら……の話ではございますが。脳が鈍っておりますね。上段ジャンプの斬り降ろしですか。恐ろしいものですね。斬り逸らします。【菊一文字】でなければ折れていたかもしれません。
「無明菊一文字……」
「誰だてめぇ‼」
皆様顔に黒い霧がかかり仮面をかぶり、声色すら判別不可能。でもそれが良い。
「それは……その刀は私のだ‼ 返してよ‼ 私のなのよ‼」
ダメダメダメダメダメダメダメダメ。
一応盗品ですからね。探索者は武器全般を機関へ登録しなければなりません。登録していない武器を町中で所持していれば、治安部隊に拘束されてしまいます。
そして神社からの盗品である菊一文字は、決して機関には登録できません。窃盗の罪は重いです。発覚した時点で拘束されてしまいます。ペナルティはとても重い。
ほらっ。わたくしをご覧になりまして。(Hey, look at me)
貴方達の敵であるわたくしをご覧になりまして。(Look at me, your enemy)
わたくしが舞台に立ったのなら、貴方達はわたくしに夢中にならなければなりません。(If I'm on stage, you'll fall in love with me)
最後のあがきを致しなさい。(Make last-ditch effort)
陽が登る。
深く息を吐き、考えていたよりもハイになるものだわ。
このクソ野郎共。私は声をあげずに大笑いしながら、目の前のクソ野郎共を眺めておりました。私、この手に何度かやられましたの。覚えておりましてよ。
そしてやり返して差し上げましたの。
こうご覧になってわたくし、自称辻斬り又兵衛と呼ばれておりました。
「ふふーん。ごめんあそばせ」
二夜を終えて、気が付くと私は家の玄関の前に佇んでおりました。
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