第5話 生贄の夜、負の側面、君の好きな人は? ペペロンチーノを添えて。

 妹を部屋にて寝かしつけ、玄関の鍵や窓の鍵、ガスの元栓や蛇口を確認し自室へと向かいます。

 私の部屋はリビングに入りまして左奥の扉の先にございます。

 部屋全体の配置と致しましては、まず玄関左側に個室トイレと洗面所、洗濯機置き場、その隣にお風呂場がございます。玄関を真っすぐ進めばリビングと、リビングへ入って左側には台所と右側にはベランダがございます。リビング左奥には私の部屋が、その部屋の隣にはお母様のお部屋がございます。

 スススと引き戸を引いて自室へと入ります。

 八畳の部屋。ベッドと机とぬいぐるみ。他は何もございません。

 カーテンの外は窓、鉄格子に覆われております。結露と外の景色がご覧になれますが、街灯が点滅しておりますね。人はおりません。押し入れがございますがガムテープで密閉されております。深く考えてはいけません。

 零時――ミラパ(ミラージュパレス)へと挑みましたので今日から午前零時以降に眠りますと怪異の予兆が窺えます。


 ベッドへと横たわり瞼を閉じます。息を深く心臓の鼓動が耳にまで伝わって参ります。

 それは唐突に表れます。おそらく私の意識が眠りへと誘われたためでしょう。

 まるでシャッフルのコマ送りのように映像が流れてゆきます。やがて緩慢となり一つの映像で止まりました。

 町中に現れた無数の影なる人間達が、一斉に人差し指をお向けになります。

 たった一人をその指にて指し示します。標的を指し示します。示された女性の表情は歪みに歪んでおられました。お気持ちお察し致します。


 そしてわたくしは唐突に暗闇の中へと取り残されました。徐々に陰影が浮かびあがります。町中にございます。起きているのに寝ている感覚で、私は女性に駆け寄っておりました。ひどく怯えた女の子と、沢山の影なる人々が思い思いの様相で襲い掛かって参ります。


 人影が窺えます。

 私同様、女性へと寄り添うのは三人。何処の誰とも判別のつかぬ歪んだ姿で、辛うじて制服を着用しているのが窺えます。プレイヤーの方々ですね。ウサギ、猫などの仮面をかぶっておられます。

 二人が逃げてゆきます。まるで関係ないと言わぬばかりに遠ざかり、一人が迷い佇んでおりました。そしてお二人がこちらへと敵意を向けております。


 怪異【生贄の夜】にございますか――理解した時には瞼が開いておりました。

 空間、闇、先ほどの景色からの一変。起こした体、布団、ニオイ、ベッド、カーテン、隙間からの光、肺を濁す冷たい空気。ガタガタと押し入れが揺れております。初めに告げておきますが、押し入れの中には何もございません。

 残念ながら幽霊等居座ってはおりません。近くを通る路面電車の振動で揺れるのでございます。これを怖がる方が多いので事故物件ではないかと噂があるわけでございます。

 前の住民が怖がってガムテープで閉じてしまいました。

 暗闇に慣れた視界は滲み歪み何度も指で拭ってしまいます。怪異【生贄の夜】にございますか。現実となりますとどうにも苦しいものがございますね。わかります

 プレイヤーの数はおそらく九人。

 一夜を迎えました。【生贄の夜】は七日間続きます。初日は顔合わせとなります。生贄が決まってしまいましたね。二日目からは徐々に空間に取り残される時間が長くなって参ります。わたくしが迷宮に赴かねば今日が無かったとはなりません。積もり積もるほどに条件が厳しくなって参ります。


 起き上がり立ち上がり少し歩いて部屋の戸をスススと引かせて頂きます。音を立てぬように抜き足差し足で台所へと、コップへと手を伸ばして水を汲み、喉へと運びます。

 一気に飲み干しますと喉が鳴り、これが現実である事実が押し寄せて参ります。

 とても胸糞悪い怪異にございます。たった一人をリンチにするための怪異にございます。これが現実だなんて認めたくない。過去の自分が想起されます。惨めでなんて理不尽なのでしょうか。うごごご。許すまじ。


 モラルとインモラルが入り乱れております。

 プレイヤーは本当に面倒くさい。何を考えているのか理解できません。

 ピエロが多すぎます。愉しむためなら平気で人を裏切る。だってゲームなのですから。

 人は信じません。このゲームのプレイヤーならなおさら信じられません。

 全員……いけないいけない。今この場はゲームではないと考え直します。

 信用の無い人ばかりではないでしょうと自分に言い聞かせます。全ての人が悪なわけではございません。実際に三人も味方だったではございませんか。

 【生贄の夜】。たった一人の善人を捧げることで、街全体が一年の豊穣を得る宴にございます。それは悪意により行われ、悪意により取り仕切られる仕来りにございます。

 テスカポリトカ様への祭壇。それとも今回はイシカホノリでございましょうか。

 告げるだけで災いを被る言葉にございます。決して口にしてはいけません。


 プレイヤーは天秤を委ねる怪異にございます。たった一人の捧げもの。命の対価は一年の豊穣です。五穀が実だけではございません。経験値率、アイテムドロップ率、宝箱からのレア出現率、様々な恩恵を一年間得る事が可能となります。

 割り切ってしまえば捧げた方が良いのですが、現実になりますとそうも参りません。そんな行為をわたくしは許せません。握りつぶしてやりたいですね。わかります。

 震える程度には怒っております私です。

「寧々? 寧々? 何処? 何処なの⁉ 寧々‼ 寧々‼」

 母が目を覚ましてしまいましたね。


 夜に溶けるほどの髪を乱して、温和な瞳に陰りを帯びて、病的なまでの白磁と、月明りの中においてもなお透ける肌、男であるのならば、腕の中に納めたいと、その泣き顔すら愛おしいと母はそのような女性にございます。

 どのような表情すらも愛おしいと感じるほどに母は蠱惑的な女性にございます。

「ここにおりますよ」

 リビングにて色を失う母の様子。悲壮の表情で顔は崩れておりました。

「寧々……寧々。良かった。良かった。お母さん……貴方が、いなくなるなんて」

 縋り付いて来た母を支え受け止めます。

「寧々はここにおります。大丈夫ですよ。お母様。何処にも参りません」

「寧々……」


 ゲームの時は設定として受け止めていたけれど、現実になるとあまりに悲壮的ですね。

「そうよね。そうよね。寧々が、お母さんを置いていなくなるわけないものね。そうよね。良かった。良かった。本当に良かった……。貴方がいなくなる夢を見たの。貴方が、貴方がいなくなって、お母さんもう……」

「大丈夫です。お母様、寧々は何処にも参りませんよ」

「寧々。お願い。お母さんを置いていかないで。お願い。お願いよ……」

 母親にとって我が子を失うのは心臓を失うも同義なのだろうとお察します。


 子を授かったことのない私におきましては、まだ理解の及ばない感情ではございますが、けれど想像は可能です。その痛みはいかほどか、他の二人の我が子や夫を蔑ろにするほどのものなのでしょう。

 リビングの端っこから夏飴さんがこちらを窺っております。

 どうにもできないもどかしさ。私は母にとって大切な子供ではないのか。

 心がささくれるの、わかります。

 私も母には、愛されておりませんでしたから。


 ソファーに腰かけて、首元にてしな垂れる母の髪を撫でさせて頂きます。

「寧々。お母さんとずっと、ずっと一緒よ。寧々……」

「ずっと一緒ですよ。お母様」

 このままでは本来の母の元へ体を返すのも困難にございます。


 泣き疲れて眠りへと落ちる母と緩慢な動作で妹がこちらへと近づいて参ります。見下ろすように冷めた眼で自らの母を眺めておりました。そのような瞳で母を眺めてはいけません。手を引いて頬へと手を添えさせて頂きます。冷たい頬ですね。温めて差し上げます。

「こちらへいらっしゃい」

 妹は無言でソファーを沈ませます。体重と温もりを預けて参りました。

「私って、何なんだろうね……」

「貴方は大切な私の妹です」

 強引にでも引き寄せて髪に指を通して愛でさせて頂きます。

「貴女が大切よ」

 こめかみに唇を寄せます。触れた先から熱が奪われていく。凍えておりますね。心も体も。

「忘れそうになったら、この熱を思い出して。この熱ほどに貴方を思っております」

 掴んだ手を自らの胸元へと滑り込ませ血液の熱をもって熱してゆきます。

 私の熱で貴方も温かくなればいい。

「……うん」

 頬へと唇を寄せますと、妹様は膝へと頭を下ろして参りました。撫で慈しみます。

「愛しておりますよ」

「うん……」


 二人を寝かしつけて朝四時。

 気だるさを感じつつ髪をゴムで後ろにまとめ朝のランニングを開始致します。

 マンションの前まで降りて参りました。小鳥の囀りと轟轟と朝の音が響いて参ります。

 良い朝。良い朝にございます。

 活動が始まりましたね。地球が生きているように感じます。愛おしいです。

 腕を上げ背伸び、足を延ばしたまま指先を地面へと下ろします。軽い柔軟を開始、体を回しほぐします。

 この体は良い。肉質が良いのです。元の体では味わえない毒のようなものがございます。走るのが苦ではございません。飛ぶように足を動かせます。

 胸の筋肉、腹の筋肉、モモの筋肉、ふくらはぎの筋肉。そしてそれらを一連の動作として繋ぎあげる神経は、まさに毒々しいまでの魅力がございます。

「寧々」

 名前を呼ばれたので視線を向けますと不二原さんがおりました。名前を気安く呼ぶのはいかがなものかと脳裏を巡り、私は何時からそのような高飛車になってしまったのかと心の中で笑ってしまいます。母と妹にだけ、その名で呼んで欲しい等と……。そのような邪な考えが脳裏を過るのでございます。

 気持ちを切り替えて参ります。

 不二原乃蜜布音葵様です。朝も早いというのにさわやかな笑顔で恐縮にございます。

「不二原さん。おはようございます。朝、お早いですね。どうかなさったのですか?」

「葵でいいよ。最近朝何時も走ってるよね? 俺も一緒に走ろうと思ってさ」

「そうなのでございますか」

「うん。良かったらこれからは一緒に走ろうよ」

「ふふっ。お約束はやめておきましょう。時間が合った時は、ということで」

「オッケーオッケー」

 軽く流しながら走っております。不二原さんの会話がお上手なので散漫に走ってしまいますね。何が好きとか、音楽は何を聞くのとか他愛のない会話にございます。しかしながら引き出しが多く話を上手に合わせて頂いております。良く聞く音楽名を告げますとその音楽は知っていると同じ作曲者の違う曲名を告げて参ります。この作曲者のこの曲が好きだと返して頂けます。相手の好きな会話に合わせ続きを展開して頂ける。これが所謂聞き上手というものなのでございましょうか。さすがです。


 会話の中に彼の情報は驚くほどございません。

 逆に彼の好きな音楽や趣味を聞いたところで、こちらにはその話を広げるような知識もございません。これがコミュニケーション能力の差であるとお察し致します。それを踏まえた上で当たり障りのない情報を伝える努力を致します。

「寧々って好きな人とかっているの?」

「おりますよ?」

「えっ……そうなんだ。じゃあ……どういう人がタイプ?」

「好みのタイプですか。身長が高くてガタイの良い方が好みですね」

 このゲームで初めに結婚したキャラクターは八柳大童子(やぎゅうだいどうじ)キラリさんにございます。ぼさぼさの髪と大きな体躯、ロックバンドをしているお姉さんで楽器なら何でも弾けるという音楽系チートNPCにございました。


 キャラクターごとに好みの設定が存在し、キラリさんにとって寧々の容姿はドストライクとなっております。そのため出会いから寧々に対する好感度が高い設定にございました。ほっといてもすれ違うだけで好感度が上昇し、初めて告白を受けたのもこのキラリさんにございます。三年も付き合うと求婚され、キラリさんは話すのが苦手で行動で示すタイプであり、邪魔は致しませんが家での束縛は強い傾向にございました。

 断るとラリアットされて強制時間経過させられます。

 しばらく迷宮へと潜り帰らない状態が続きますとラリアットされて一週間の強制拘束ペナルティを受けます。ガチです。ゲームですのでテロップと会話文が流れるだけなのでございますが、ラリアットを受けて強制時間送りを致されます。ガチです。


 ちなみにこのゲームでは子供もできます。描写の類は一切ございません。いつの間にか妊娠しており、ゲーム内時間十カ月で子供が生まれます。特に何もしてないはずなのに、キラリさんとの間には九人の子供がおりました。

 子供は親を半分子にしたような容姿をしております。ガタイの良い可愛い子が多かったです。ちゃんと血縁証明書が配布される世界です。血の繋がりが科学的に証明されてしまいます。


 ちなみになぜか母と妹も結婚していないはずなのに子供がおりました。

 ゲームだからと大して深く考えてはおりませんでしたけれど、あれは一体誰の子供なのか、深く考えるのはやめた方が良いと判断致します。ゲームですからね。現実は違います。

 こうして現実になってしまった今、何時かまた元の世界に戻されるのか、それともこのままなのか、考える必要がありそうです。

 ただキラリさんと結婚した初めてのデーターは死亡してしまったのでもう存在致しません。儚くも美しい思い出にございました。恋愛って何だっけ。にゃはは。


 キラリさんは妹や母との相性も良いので表向き嫁として迎えても歓迎して頂けます。この世界で好かれるとは限りませんけれど。

「そこは性格とかじゃないんだねっ。ガタイか……」

「性格などはじっくりと付き合ってからでないとわからないものではないですか? 普段は皆さん着飾って、良い面を見せるものです」

「そうなの? じゃあ、今は寧々の良い面を見せて貰っているわけですね」

「これが最高の私で、残りは下がっていくだけなのですよ? ふふふっ」

「汗まみれで何言っているんだか」

 あまり……その、ニオイは嗅がないで欲しいです。


 学生の頃は汗臭いのを気にしておりました。けれど大人になってから気にしなくなりました。汗のニオイはどうしようもございません。それを誤魔化したところでいずれは理解されてしまいます。

 人を判断する時、その人の最低を眺め理解し、成りを判断すべきだと愚行致します。

 運が良い時に手に入れたものなど当てにはなりません。

 運が悪い時に手に入れたものほど大事にすべきだと存じます。

 普段の緩んだ姿と気合を入れた格好が異なるのは当然なのでございます。そして整えた身なりで人を判断すべきではございません。


 隣の芝生が青く見えるのは、力を抜いた最低と外行きの最高を見比べているからです。

 結局同じなのに気づいていないからだと私は解釈致します。

「葵さんはやはり、あの幼馴染の方々がタイプなのですか?」

「あーそう言うのはノンデリですよ? それに二人とも俺なんかにはもったいないです。二人に失礼ですよ」

 ノンデリとはノーデリカシーの意味だと理解しております。ノンデリカシーだったかもしれません。

「そうなのでございますか? 私はてっきりお二人のどちらかと良いお仲なのかと考えておりました」

「違いますよ。幼馴染です。それを言うなら君も幼馴染だよね? ひどくない?」

「ふふふっ。そうですね。小さい頃は良く一緒に遊びましたね」

「習い事が多くてごめんね。もっと一緒に遊びたかったんだけどねー」

「気にしてはおりませんよ」


 葵さん達は四階以上に住む上流階級の方々にございます。習い事やレッスン等の多忙にて寧々とは疎遠になっている設定にございました。

 それと共に母(仄菓)が魅力的過ぎるのも問題でございまして、ここに入居したばかりの頃は、上の方々から母がアプローチを受けて問題となったと設定も存在しております。

 上流の旦那様方が母を優遇致しますので、その奥様方が面白くないのは当然にございます。また独身の男性と既婚の男性とで母の取り合いが水面下にて行われたと設定もございました。


 問題の中心である母が、どちらにも興味が無く、このマンションでは男性の方が母に声をかけるのはタブーとなっております。奥様方が怒ります。矛先が母へと向かうのを男性方達も非だと判断なされたようですね。こちら側としても迷惑です。普通に。

「ちなみにタイプはポニーテールの子かな」

「そちらこそ性格ではなくて髪型ではないですか」

「性格は、じっくり付き合わないとわからないと思いまーす」

「ひどいです。真似しましたね」

 これが男同士の会話と言う奴ですか。きゃっきゃっうふふっ。

 なかなかにキャッチボールができたと存じます。

「ふふふっ。本当の事を申しませば、好みのタイプは優しい方にございます」

「また曖昧だね」

「些細な愛情を示して下さる方が好みです。茶碗を洗っている時に、後ろからハグして頂けたり、キスして頂けたり、洗濯を畳んでいる時に寄り添い甘えて頂けたり、些細な愛情をこまめに注いで頂ける方が、そのような方が好みにございます」

「それもう結婚してるじゃん。恋人をすっ飛ばしてるよ」

「そうにございますね。ふふふっ」


 軽くランニングを終えた後、部屋まで送るという申し出を頑なに断り、エレベーターで別れます。

「そうだ。アドレス教えてよ。ずっと聞いてなかったよね」

 この申し出に対して正直に困ってしまいました。

「ごめんなさい。今、カードを持ち合わせておりませんの」

「そっか。じゃあまた今度教えてね」

「機会がございましたら、よろしくお願い致します」

 正直に申し上げれば私は自分が相手のために時間を取れると考えた相手としか交流を持ちたくないタイプの人間にございます。

「あっ今日は久しぶりにゆっくり話せて嬉しかったよ」

 手を振られましたけれども手は振り返さずお辞儀をお返し致しました。


 妹や母は身内なので全面的に受け入れます。

 友達と認識した人ならば、二割は受け入れます。

 私はそのようなタイプの人間にございます。正直に申し上げてよろしくありません。

 妹や母からのメールには反応致します。しかしながら他のメールは受け取りたくもないと考えてしまうのです。

 頼る事があれば頼る癖に何も返さない。私はそのような人間なのだと理解しております。裏切られても許せると考えた相手としか交流したくないのかもしれません。

 この考えが重く、そして危うい性格であることを私は理解しているつもりでございます。あくまでもつもりにて許して頂きたい所存にございます。


 今日は三人お休みですので、母と妹のお二人は朝からソファーでだらけておりました。

 シャワーを浴びましたら朝食の準備、テレビから流れる緩やかな音楽と外は小雨。走っていた時は晴れておりましたのに。しかしながらこの小雨、良い音です。

 カードに着信が入り、番号にて機関からの通話要請だとお察し致します。

 近くの台へと置きまして、通話ボタンとスピーカーモードを選択致します。

「はい。月見にございます」

「お忙しい所を失礼します。私は機関チャシャーキャット受付、立花みぞれです。先日預けて頂いた玉の短刀についてお伺いしたいことがございまして」

「はい。どのような事にございましょうか」

 どういう原理なのか、カードからは立体映像が浮かび、立花みぞれさんの凛々しい姿が画面に映っております。

「この小刀は何処でどうのように入手致しましたでしょうか」

 ――質問の意図をお察し致します。致しかねません。致しかねます。


 自分の浅はかさに眩暈が致します。どうやって切り抜けるか考える時間もございません。すぐに嘘と見抜かれる嘘を投げるのは好みではございません。カードには移動履歴が記載さておりますので他の迷宮にて取得した等と言い訳も通用致しません。

「ミラージュパレス……迷宮イザナギにて取得致しました。履歴をご覧頂ければ、私がイザナギへ向かったのもご確認できるかと存じます」

「……迷宮イザナギ、でございますか。大変失礼ながら迷宮イザナギにおきましてはアイテムが出土した等とそのような報告は現在のところ存在致しません。どのような状況で入手なされたのでしょうか。よろしければお教え願いませんでしょうか?」


 あくまで冷淡に、そして攻め入るように。立花さんはこちらを見定めるようでもありました。

「なんと申しましょうか。初めての迷宮でしたので。まずはどういうものか見学から始めようと思いまして、そうして社を昇ったところ、稲田の中に宝箱を見つけ、解放したところその小刀が入っておりました」

「……なるほど。履歴通り確かに筋は通っておりますね。こちらの小刀でございますが、大変性能の高い物となり、スキルも付随しておられます」

 表示された小刀の映像とデーター。

 切れ味(エッジ)コード二十七。スキル筆陰ノ槍(ひついんのやり)。

 攻撃力は切れ味(エッジ)として表示されます。

「そうなのですね」


 切れ味とは一般的な包丁を基準に設けられる基準にございます。

 十が普通で十以上から切れ味が良く硬度が高いとなります。十以下で切れ味が悪く脆いとなります。

 二十以上になりますと岩が切れます。二十七は相当に鋭い。食材を切ったらまな板まで切れるレベルです。さすが最難関ミラージュパレス、【裏迷宮イザナミ】で取れる一品にございますね。しかし、しかしながら難易度から鑑みれば二十七はそれほど高い数値ではございません。

 アイテム【無明菊一文字】の切れ味(エッジ)コードは四十七にございます。桁違いですね。わかります。空気すら斬れます。

「こちらのアイテム、機関では二十八万円にてお引き取りできますが、どう致しましょうか?」

「競売に出品を考えております」

「……本当によろしいですか? 手数料は三千円、物品が売れた場合は金額の3%が手数料と税金となっております。三日以内に売れない場合は返品となります。開始のお値段はいくらに致しましょうか?」

「二百万でお願い致します」

「……二百万、ですか……お間違えございませんでしょうか?」

「出品者名を匿名にすることは可能でしょうか?」

「……可能です。ではオリンと言う名で出品致します」

「よろしくお願い致します。上限は七百でお願い致します」

「……即決が七百万ですね。承りました。本当によろしいですね?」

「はい。お願い致します」

「承りました。本日はお忙しいところ対応して頂き、誠にありがとうございます。機関チャシャーキャットは貴方の堅実で健やかな探索活動を応援しております」

「はい。ありがとうございます」

 ました。


 正直に申し上げて現在の機関の競売システムや買い取りシステムを把握しているわけではございません。

 機関の買い取り金額がゲームと同じであるならば、二倍して十倍の金額になるはずにございます。旧ゲーム時における機関の査定基準で考えれば、二十八万であるのなら、二倍で五十六万、さらに十倍で五百六十万の金額の価値があると判断していると考えられます。あの小刀を競売に出品した場合、機関は五百六十万程度の値段で売れると踏んでいらっしゃるのです。


 私は小刀等使わないので売ってしまって問題はございません。

 スキル【筆陰ノ槍(ひついんのやり)】。

 悪くありませんね。ですが当たりか外れかと問われれば外れのスキルにございます。

 発動すると地面から闇色の槍が出現して対象を穿ちます。


 当たりは【異葉ノ纏(ことばのまとい)】辺りでございましょうか。

 刃の表面に闇の刃を纏い切れ味とリーチが増します。追加にて耐久値の減りを無効化できます。

 武器全般に語れる事にございますが、突き詰めて究極の当たりはこの部類のスキルとなります。


 五百八十万は大金ですので急に手が震えて参りました。

 こんな簡単に、こんなに稼げるのかと疑問に生じて参ります。最低二百万はやり過ぎたでしょうか、とても不安な気持ちになる次第にございます。

 しかしながら命をBetした値段と考えればこのくらいは頂かないと。


 弘法筆を選ばず――残念ながら私はそこまで優れた人間ではございません。間違えが起こる事も想定しなくてはいけません。なかなかに複雑となって参りました。

「何の電話だったのー?」

 母が台所へと参ります。背中に寄り添いお腹へと手を回して頂きます。寄りかかる母の温もり、ニオイ、重さに包まれます。悪くありませんね。悪くありません。背中が幸せです。チルいですね。

「機関からです」

「……あんまり危険な事はしちゃだめよ? いいニオイ」

「そうでしょ? お味噌汁ができました。夏飴さんも取りに来て」

 母のお椀に味噌汁を注ぎ、運ぶ後姿を見送ります。


 気だるそうに夏飴さんはお味噌汁を受け取りに参りました。短パンをお履きになられスラリと白いシルエットの美しいおみ足が視界へと入ります。

 これはマーメイドラインも視野に入れるべき美しい曲線とラインにございます。横からでもそそりますね。わかります。

「なに?」

「綺麗なおみ足ですね」

「……えっち‼」

 いて。暴力は反対ですよ。


 休みの日にお掃除なんて致しません。家事も致しません。

「本当に何もしなくていいの?」

「完全分業です。お母さんのお仕事はお金を稼ぐことです。お家では何をしても良いですし、のんびり過ごして頂いて構いません。何か不満や、欲しい事がございましたら言って下さい。可能な限りして差し上げますよ」

「じゃあ、今日はぁ、お母さんとぉ、ずっと一緒ね」

「構いません。夏飴さん、今日のご予定は?」

「ちょっと友達と出かけてくるけど」

「そうですか。お昼はお家で食べますか?」

「まぁ……」

「夕飯までには帰って来て下さいね」

「二人共家にいる気?」

「私は今日、少しお出かけ致します。それ以外はお家におりますよ」

「お母さんわぁ。今日わぁ。ずっと寧々と一緒にいるわ。うふふっ」

「じゃあ私も家にいる」

「では映画鑑賞など如何でございましょうか?」


 私はホラー映画が好きなのですが、お二人はラブロマンス映画が好きなようです。わかります。お二人を優先し、ラブロマンス映画を鑑賞しておりますけれど、二人が涙を流すのに対して素面にございます。わかりません。

 他人の恋愛にそこまで感化できません。

 私は欠陥品なのでございましょうか。

 唯一の救いは膝の上にあるお母様の頭を撫でさせて頂ける事にございます。

 唐突ですが着信。高橋さん――母の同僚、大沼さんの後輩、その高橋さんからショートメールが送られて参りました。ポチポチ返事をお返し致します。これからよろしくお願いしますと簡単な文面と可愛らしい絵がプレゼントに添えられておりました。

 近頃はおじさん構文なる文章が存在するご様子。話題になるくらいですので、きっと素敵な文章なのでしょう。興味がそそられますね。


 本当は嫌なのですが母の同僚ですので疎かにはできません。

 高橋さんは可愛らしい人ではないですか。良い事です。

 葵君には断った癖に。やっぱり人付き合いは面倒ね。

 三つの感情がわたくしの中で渦巻いております。うごごご。


 映画を終えますと妹様はティッシュで涙やら鼻やらを拭っておられました。

 お昼はカルボナーラに致しましょうか。

 ふふーん。そう、わたくしはカルボナーラが何時でも作れる女。

 そして、アーリオ・オーリオ・エ・ぺペロンチーノにうるさい女。

 ふふーん。よくってよ。

 アルデンテにディモールトして差し上げましてよ。


 軽く身支度を整えまして三人でショッピングへ参ります。

 マンションを後にして歩いていると改めて母と妹が美人であると認識致します。

 お嬢様ムーブの私とは違うようですね。わかります。


 スーパーマーケット様には申し訳ないのですが、安く買い叩かせて頂きましてよ。

 ふふーん。今日の特売は予習済みにございます。

 レンコン、ミョウガ、鶏肉、ブロッコリー悪くなくってよ。レンコン100グラム48円は安すぎませんか。大丈夫ですか。買いですね。

 パスタ、チーズ、ニンニク、タカノツメ。欲しいアイテムが沢山にございます。今日は奮発致しまして、お高めのリンゴジュースをお求め致しました。

 材料をそろえてお家へと帰ります。料理を作ってお昼にございます。


 啜る夏飴さんを窘めます。

「夏飴さん。パスタを啜ってはいけませんよ」

「なんで? ここ日本だよ」

「確かにその通りです。私もあまり食べ方に関してうるさく申したくはございません。しかしパスタを啜り、将来外食で恥をかくのは夏飴さんなのですよ?」

「うーん。啜らないで食べるのは厳しくない?」

 左手にスプーンを握り、右手のフォークでクルクルとパスタを巻き絡ませます。そのままスプーンの上で渦を巻かせ、パスタを乗せたスプーンを口へと含みます。

「こうすればお洋服も汚れません」

「ふーん……」

「お家では好きに食べて頂いても構わないと……私も存じます。しかしながら将来貴方が大切な方とパスタを食べた際、うっかり啜ってしまったがばかりに破断になっては可哀そうかと存じます」

「パスタ啜ったぐらいで破断になる相手ならいらないよ‼」

 それはそうですね。失礼致しました。

「夏飴さん。世の中には禁忌が幾つもございます。パスタを折って茹でてはいけません。ピザにトマトケチャップとパイナップルを乗せてはいけません。チーズケーキにレモン風味を加えてはいけません。酢豚にパイナップルは絶対だめです」

「パイナップル可哀そう」

「確かにパイナップルに含まれるプロメラインはタンパク質を分解し豚肉を柔らかくする効果を持つ酵素です。酢豚には良いでしょう。良いでしょうとも。しかしながら熱には弱い酵素です。パイナップルをまるごと買って参りまして芯をくり抜き、果汁を生の豚肉にかけまして時間を置きます。これが我が家流の酢豚にございます。パイナップルは可哀そうではございません。そのまま食べれば良いのです」

「お姉ちゃんがちょっと何言っているのかわかんない」

 ぐぬぬぬぬっ。グゥの音もでません。


 夏飴さんの頬についたソースを拭って口に含みます。

「お母さんを見習いなさい」

「口の周りぐちゃぐちゃに汚れてるし啜ってるよ‼」

 やれやれ。この子達ったら本当にもう。

「ほらっお母さん。啜っていけませんよ?」

「ふえけえんああふうえぇあなな」

 何をおっしゃっているのか、理解に苦しみますね。

「私より行儀悪いんですけど‼」

 口にパスタを入れたままお喋りなさるなんて困ったお母様ですこと。ですがそんなお母様も素敵です。頬に付いたソースを舐めさせて頂きます。

「お姉ちゃんマジきもい」

「お姉ちゃんはきもくありません。貴方も頬を差し出しなさい」

「お姉ちゃんマジきもい‼」

「お姉ちゃんはキモくありません‼」

「マジきもい‼ モモのニオイがする‼」

 ぐぬぬぬぬ。モモのニオイは息のニオイです。ひどいです。


 食事を終えましたら一枚の板チョコを三人で分けて食べます。

「チョコレート大好き‼」

「おいひいわ」

 三人で割って食べれば感動も三割増しですね。わかります。


 午後からは母と妹の体をマッサージ致します。

 残念ながらエステに通えるような余裕は我がお家にはございません。

 軽く母と妹の体を揉みほぐし仲良くお昼寝です。

 これが予想以上に気持ち良くて私は何とも満ち足りてしまいました。

 朧な海で船を漕いでおりますと母が寄り添い体を密着させて参ります。

「寧々。お母さん寧々が大好きよ」

 頬が擦れ合うとあまりの気持ち良さに意識が飛びそうに飛んでしまいました。

 十四時から十六時までの二時間のおやすみ。目が覚めても気持ち良く、二人に頬ずりなどを致してしまいました。離れたくございません。


 夕方は軽く運動。走って参りますと告げますと母と妹も準備をし始めてご一緒にランニングです。三階と四階の間にある公園内を走りました。

 部屋に帰りシャワーと湯船。

 それから夕食の準備にございます。

 ご飯を炊いて筑前煮(いりどり)とレンコンの挟み焼きを作り始めます。

 とは語るものの、実質冷蔵庫、残り物の処理にございます。

 筑前煮はニンジンやレンコン、ゴボウにコンニャクやシイタケ、鶏肉を油で炒め甘辛く煮つけたものにございます。味付けには自信がございます。

 レンコンの挟み焼きは、簡単に申し上げればスライスしたレンコンでハンバーグを挟んだものにございます。挽肉にパン粉等は加えません。ネギやショウガ等を加えます。本来ならば醤油ベースのタレ等をお作り致しますけれど、筑前煮にて醤油を使用しておりますので、こちらはサッパリと頂きましょうか。

「はぁ、休みなんてあっという間よね」

「夏飴さん宿題は終わりましたか?」

「うっ……これからやるわよ。あんただって悪いんだから」

「お母さんも後三日ぐらいお休みが欲しいわ。そしたらずっと寧々と一緒にいられるのに」

「ママってば毎日お姉ちゃんと一緒にいるでしょ。それにママがお休みでもお姉ちゃんは学校があるでしょう」

「ぶー」

「フグにならない」

「さぁ、ご飯ができましたよ」

「随分地味な料理ね」

「あらー煮つけですか。お母さん煮つけにはうるさい方ですよ」

「汁が美味しいですので、ぜひスプーンで食べてくださいね」


 スプーンを添えて食器に盛りやすく工夫致します。

「うーん……味が染みていいわね。レンコンがいい硬さだわ。鳥の脂がいい感じ」

「なんでこんなに料理上手なのよ‼」

「うふふっ。お姉ちゃんですからね。ほら、夏飴さん。頬」

「マジきもい‼」

「キモくありません‼」

 夕飯を終えると後片付け、テレビを眺めながら緩やかな時間を楽しみます。夏飴さんの勉強する姿を眺めながら寄り添ってくる母を労います。

 なかなか良い休日だったのではないでしょうか。

 これぐらいが丁度良い。丁度良いと存じます。


 そのうち母の呼吸が深く長くなり始め、抱えてお布団へと寝かせます。

「……寧々。一緒。離れたら嫌よ。一緒に寝るの。別々はや」

 額へと指を流し頬までを撫でさせて頂きます。意識を失いそうに閉じそうになる母の眼、掴まれた指、母の熱量が伝わって参りますね。何と申しましょうか、温かい気持ちが溢れて参ります。人の寝ている姿はあまりに無防備で心が緩まってしまいます。

「おやすみなさい。お母様」

 額に唇を寄せ寄り添い、気配を感じて振り返りますと妹様がご覧になっておいででした。手を伸ばしてこちらへ来るように促し致します。

「私達は家族よ。遠慮しないで」


 難しい時期。もっと反抗し家を飛び出していてもおかしくはございません。

 こうして大人しく気を利かせてくれる夏飴さんには感謝の念が絶えません。

 その胸中がいかなるものか、それは想像するしかございませんけれど、できる事はしてあげたいと改めて存じます。

 傍にいらした妹様もお布団の中へと潜り込んで参りました。温かいですね。

「おやすみなさい」

 お凸に唇を寄せ、妹は唇を強く結び何も申しませんでした。

 もう一度唇を寄せますと妹様が怒ったように私を睨みつけて参ります。

「ちょっと……変なことしないでよ」

「ごめんなさい」

「素直に謝らないでよ」

「嫌だったら、ちゃんと嫌って言って下さいね」

「……別に」

「いい子ですね。愛しておりますよ」

「うぎぎぎぎぎ」

 胸の中へと抱きしめますと夏飴さんは少し恥ずかしそうに埋まってくれました。愛おしいですね。愛情たっぷりです。

 二日目の生贄の夜が来るかと警戒しておりましたが、生贄の夜は参りませんでした。

 このランダム要素が厄介にございます。日時が定まっておりません。


 朝四時に開いた眼(まなこ)。体を起こし、視界に入りますお二人の寝顔に頬が緩まります。撫でて愛でたい所ではございますが、起こしてしまっては申し訳がありません。音を立てぬよう起き上がりカーテンの外。青色の薄明り、窓の景色は雨で歪んでおられました。

「今日も雨」

 雨は嫌いじゃないけれど……。

 準備をし着替えて外へと参ります。

 今日は階段を昇り、中層の庭園にて走らせて頂きました。雨の音、濡れる草花、葵さんがいらっしゃり、雑談をかわしながら軽く流します。

 良い汗をかきましたね。


 家へ帰りシャワーを浴びて一息。

 カードの競売覧、小刀の競り値が五百万を超えておりました。

 カードを眺めながら心臓が早鐘のように鳴り響きます。

 五百万円はちょっと大金ではございませんか。

 わたくし、一応小市民なのでございます。

 この世界が本当にゲームの中なのだと感じてしまいます。機関職員立花さんに詰められた記憶から考えるに偽装はしないといけません。

 ため息が漏れてしまいます。心臓が少し痛いです。静かに生活したいわたくしにとって揺さぶられるのは本意ではございません。上手に行動しなければいけません。なかなかに苦しい案件が続いております。

 五百万ですか。

 ですが命を賭けた甲斐はございましたね。

「ふふふっ」

 このプレッシャーも飲み込んでしまいましょう。

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