第2話 鏡とママとプレイヤーそして辛子漬けのきゅうり
国立暗夜禄霊学園。ミラージュパレス攻略学科。
小、中、高一貫の学園。
初等部六年。中等部三年。高等部三年。大学部六年。
初等部F~Aクラス。一クラス20名前後。
中等部F~Aクラス。一クラス23名前後。
高等部F~Aクラス。一クラス30名前後。
初等部から所属している生徒は必然的に上にあがるほど上位クラスに編入されます。初等部から所属する方はあらかたエリートです。
中途や編入の場合は強制Fクラス。
プレイヤーは選んだ主人公によってクラスが異なるけれど、一律に高校生から始まるはずです。
大きな下駄箱。ちなみに寧々は高校入学からですのでFクラスです。
下駄箱で履き替えずにカードを置いて学園を後にします。
今日は入学式なのでサボります。
欲しいアイテムがありますので。
明日から授業が始まりミラージュパレスにも入れるようになりますから、と語るよりも入らなければなりません。そのための学校であり、ある程度の成果を示さなければ退学処分となります。退学になりますとミラージュパレスへ挑めなくなります。
そのための特別な学園なのですから。
しかしながら私はどうしても寧々の本家が持つ、あるアイテムが欲しいのです。
本当は仄菓さんが正気に戻らないと故郷には帰れないのだけれど、帰り方は知っております。
暗夜町にある月夜の駅より町の外へ出る切符が買えます。
路面電車に揺られること三十分。月夜の駅に到着。
私は暗夜町の端から端までを舐め倒しているので、なんとなくですが場所が把握できてしまいます。そのせいで最初のクリアには7年もかかりましたれど。
何度も死んでやり直したり、ビルド構築の試行錯誤に失敗してやり直したり、アップデートでやり直したり、狙っていた相手が取られて憎んだり。
二周目は二年かかりました。
三周目は一年かかりました。
こんなにやり込んだゲームは他にありません。
駅に着きましたので駅員さんに声をかけます。
「外側行。下さい」
特急ミナヅキ三号。外側行。お値段なんと三万円。
この切符は機械では買えません。
「指定席、自由席、どちらがいいですか? 窓側、通路側どちらがいいですか?」
「指定席と自由席の違ってなんですか?」
「値段が五百円違います」
「では指定席の三列通路側でお願いします。できれば真ん中の開いてる席でお願いします」
「ふむ。通路側、真ん中に空いている席。結構席がありますね。わかりました」
駅員さんに料金を差し出し、チケットを受け取ります。
特急列車が到着しても乗り込めるのは五分前。
「社内清掃中です‼ まだ乗れません‼ 下がってください‼」
特急名物まだ清掃中が発動しております。清掃前に乗ろうとするとアナウンスで怒られますので大人しく待ちます。
通路側にしたのに意味はありません。
乗り込むと多くの人がお見受けできました。この人達は本当に人間なのだろうかと少し不思議に感じてしまいます。本でも持ってくれば、不要な思考を排除できただろうにと、外の売店が恨めしい。
ゆっくりと景色が変わりゆきます――動いている。
体感は五秒だったかもしれないし、十秒だったかもしれません。
「終着外行。外行。清掃後に再出発致致します。速やかな降車をお願い致します」
早い。
外の世界だ。外の世界。
あれ、もしかして、この外の世界は、私が元いた世界なのかもしれないと唐突に考えてしまいました。
決められた順番、いくつかの電車を乗り降りして……なぜだか、今ならお家に帰れるのではないかと考えてしまいました。カードが無いと時間を身近に感じられません。
もし、もしこの世界に、この世界の私がいて、三十八歳恋人なしだったのなら、今の私が貰うのもアリだなとそんな馬鹿なことを考えてしまった。それもアリだ。顔が熱くなり、熱気を帯びる。自分の姿を想像して欲情するなんてなんてナルシストなのだろう。
でも多分、私が私であるのなら、喜んで受け入れてくれるのだろうな。
子供は三人ね。
そうこうしている間に実家近くの駅に到着。時間が惜しいので特急を利用してしまいました。それでも二時間かかります。
サツキの実家は格式が高い設定でありました。
森と田んぼしかない。知っている。この道を知っている。
途中から登り坂。民家が幾つか窺えます。シダ植物に覆われた緑の洞窟。苔むした左右のコンクリートと側溝には清水が流れて思わず屈み手で触れてしまいます。とても冷たくて気持ちが良い。サンショウウオが逃げてゆきます。
本家への大通りへは向かわず道を外れて獣道、森の中を進みます。
足が軽い。汗が無い。首筋に触れると縦に割れを確認。リリスの瞳が定着していますね。鏡が無いと今は確認できないかな。
体を最適に動かしてくれる。
なんだか夢を眺めているようです。日差しが現実のようには考えられません。これから行う事を考えると徐々に心臓の鼓動が跳ねあがってゆきます。
足が段々速くなってゆきます――目印の苔むした石灯篭。視界に入り確認致します。
左の壁。掘られた不動明王像。手の位置に同じく手を添えて、冷たい感触、カラクリ駆動音が鳴り屈めば通れるぐらいの穴が開きます。設定通りで安堵の息が漏れます。
この通り道は本家の人間にしか開けられない設定がございます。
寧々が菜日束ノ家(なかつかのけ)、本家の人間である事実を確認できましたね。
大きなゲジゲジとヤスデ。うーん。カマドウマさんは苦手なのですが、通るしかありませんね。奥へ進み、懐中電灯を持ってくればよかったと後悔致します。
ぬかるんでいて靴下に水が入り少し不快。
壁を彩るマンガン鉱石。バラ輝石。じゃなくてロードクロサイト。綺麗。
暗闇の中、身長ほどの空間、突き出した指先に石材の感触――指先からブルーラインが迸り、扉の形を描きます。そのまま押し込めばどんでん返し。設定そのままですね。
くるりと壁を回って
菜日束ノ家宝物殿に到着です。宝物殿……物置ですね。
目が慣れてくると仏像やら刀やら薙刀やらが窺えました。シルエットだけね。
お目当ての物は台座の上。【菜津日乃宝鏡(なつかのほうきょう)】です。
掌に納まるくらいの菱形の鏡。私が握るとブルーラインが広がってゆきます。認証してくれたようですね。サツキ固有のアイテムです。
この宝鏡は超絶便利アイテムとなります。こうして直に手に取ってみると不思議な感覚ですね。本当に存在しています。鏡の面に指が触れると波打ち沈みます。
このアイテムは所謂アイテムボックスです。鏡に映ったアイテムを内部へと保管できます。
他にも便利なアイテムはあるけれど、これ以上を持ち出すのは少し気が引けてしまいますね。さすがに泥棒はいけません。
この鏡は本家の人間であるサツキの所有物なのでお返し頂きますけれど、他の物は菜日束ノ家のものですからね。
先ほどのブルーラインの発動で所有者が私である事は明白です。
右の掌に掲げると鏡は宙に浮き消え、左の掌を掲げると現れます。この鏡はサツキ専用のアイテムですので他の方は扱えません。血筋の物になります。
では失礼致します。入った方法と同じ方法で外へ抜けます。
山を下っておりますと着物の女性が木陰で休んでいるのが窺えました。
サツキママですね。わかります。そのままです。設定画そのまま。綺麗。美しいです。
「こんにちは」
「あら? こんにちは……」
そのまま通り過ぎます。
「待って⁉」
私は自分にかけられた声ではないと歩き続けます。
「そこの貴方‼ 待って頂戴‼」
「はい?」
肩に手を触れられてさすがに無視はできませんでした。
「サツキ? サツキなの⁉」
「いいえ? どうかなさいましたか? 私の名前はムスビと言います」
さすがお母さん気づくよね。こうしてリアルで眺めるのは初めてだけれど、絵に描いたような美人で驚きます。古の姫、カグヤ姫様みたい。
「……そう? なの? ごめんなさい。ムスビ、さん? 本当に?」
「はい。どうかしたのですか?」
「そう……よね。サツキは男の子だものね」
「何か事情があるのですね。よろしければお話聞きますよ?」
「……いいえ。大丈夫。ありがとう。優しいのね」
ごめんなさいね。今はまだ帰れないから。手を握るとママの手は冷たかった。両手を添えて頬に当てます。せめて手だけでも温まってほしいです。
「元気だしてくださいね」
「ありがとう。綺麗なお嬢さん」
貴方の息子ですよ。
さすがに約七年も会わないと断言できなくなりますよね。
「それでは……」
「奥様‼ 奥様‼ 侵入者です‼ 宝物殿に侵入者です‼」
「なんですって⁉」
すぐにバレてしまいました。こっそりとは行きませんでしたね。盗賊でも何でもないですから仕方ありませんね。ある意味盗賊かもしれません。苦笑いしてしまいます。ごめんなさい。
駆けだします。
「鏡が‼ 宝鏡が無くなりました‼」
「宝鏡が⁉ 待って? 宝物殿に入れるのは……待って? 待って‼ 待ってお願い‼ サツキ‼ さつきいいい‼ お願い‼ お願いよ‼」
ごめんなさいね。お母さん。なんだかサツキが少し羨ましいです。私もこのように愛されたかった。心配されたかったですね。
残念ながら今帰るわけには参りませんし。
今帰ると寧々ママが発狂してしまいます。あの人、実は恐ろしい設定がありますからね。世界が滅亡しかねません。
駅に到着し電車に乗り込みます。来た時と逆の手順で電車を乗り継ぎ、なぜだか体が勝手に動いて、途中何度か意味不明な動きをしてしまいました。
お土産屋さんに入り、複雑な動きで通り抜けたり、トイレに入り、出る人の後ろについてこっそり抜け出したり、電車に乗ると見せかけて降りたり、リリスの瞳がそんな動きを私にさせます。なぜでしょう。
暗夜町に帰って来た頃には夕方になっておりました。
もうお金が無くなっちゃいましたね。
路面電車を乗り継ぎ、学校の周りへ近づきますと賑やかになって参りました。今日から、みなさん高校生だものね。校門前へ到着致しますと、掛け声が致します。今日から部活動をしている方達もいるのだとなんとなくそう感じて眺めてしまいます。
下駄箱からカードを回収し、カードには母からの通知が幾つかと妹からの通知が幾つかございました。
母からのショートメールはお昼ご飯が美味しいとか、入学式は無事済んだのとか、そういう当たり障りのないものでした。どうして未読なの。今入学式だから電源切っているのかな。寧々。お母さん、お返事欲しいな。寧々。お願いだから返事して欲しいな。寧々。どうしたの。寧々。ネネ。寧々。ネネ。
サンドイッチは美味しかったようですので安心致します。
妹から友達と一緒に食べたと画像が送付されておりました。
夏飴ちゃん可愛い。
こういうところが若いと言いますか、はじけている感じがしますね。わかります。
母から着信。コールスイッチを押して耳に当てます。
「お母さん? どうかした?」
「ねねぇ……良かった。どうして返事くれないの。お母さん心配するじゃない」
「ごめんなさい。ちょっと色々立て込んでて」
「もう……お昼美味しかったわ。次からはお昼に一回返事頂戴ね」
「うん。わかったわ」
廊下を歩き教室へ。教室には誰もおりませんでした。
寧々は強制Fクラス。高等部からの入学です。
黒板には誰かが書いたのか、チョークで綺麗な桜が描かれ花びらが舞っておりました。お上手ですね。わかります。
ついでに張り出されておりました座席順を眺めます。
私の席は通路側、上から二番目……と見せかけて窓際の下から二番目だ。
間違えて名前を逆に印刷してしまったらしいですね。プリントの上向きに名前が綴られているのに対して教卓の位置がプリントの下側です。罠ですね。
つまり私の席順は、窓側後ろから二番目となります。
この罠、私は高校の時に引っかかり恥をかきました。
クラスメイトの男子に、そこ、俺の席ですと言われたのを思い出すと未だに震えてしまいます。許すまじ先生方。
「入学式どうだったの?」
「それがですね。少しお腹壊してしまいまして」
「あらそうなの?」
「うん。だからずっとトイレに行ってて、気がついたら終わっちゃってた」
「大丈夫なの?」
「うん。もう大丈夫。電話、出られなくてごめんね。今から帰るから」
「わかったわ。それで、何だけど、お母さん今日飲み会に誘われててね」
「そうなのですね。飲みすぎないようにしてください。では切りますね」
「……寧々? ちょっと待って? 冷たくない?」
「飲み会なのでしょう? 待たせたらダメです。私は妹とアスパラガスの豚肉巻を食べますから。お気になさらないで下さい」
「おっお母さんが飲み会に行って帰り遅くなってもいいの⁉ 飲みすぎちゃうかもしれないなぁ? いいのかなぁ? 朝帰りしちゃうかもなぁ?」
「じゃあ、飲み会なんて行かないで早く帰って来て下さい」
「えー……でもう、親交を深めるのも、仕事の一環だしなぁ」
「お母さん」
「うふふっ。迎えに来てくれないとやーだ」
母を飲み会に誘う面子はゲームで知っております。
残念だけれど母を飲み会に行かせるわけにはいかないし、仮に飲み会に参加させたとしても私が迎えに行かなければなりません。
問題はあります。進行内容を知っております私としては、仄菓さんには配慮したいと考えております。
母の会社の位置を聞き、私のカード内にも暗夜町のマップ情報はあり、母の位置を教えてくれるアプリが入っているらしく、指でなぞるとルートを表示してくれます。
今は便利な世の中ですね。
ルートを指示するだけで、そこまでの公共機関や所要時間などを全て表示してくれます。
母との待ち合わせにはまだ時間があるので、【無明菊一文字】を回収しに神社へ参ります。もしかしたら誰かに盗られているかもしれませんね。その時は素直に諦めましょう。
神社の前、通りに差し掛かると人影が二つ窺えました。
制服から生徒だと察します。顔はなんとなく見覚えがありますね。主要キャラですね。わかります。
古村崎葵(こむらさきあおい)さんと、古午房亜白(こごぼうあじろ)さんですか。
この二人はプレイヤーなのだろうなと察します。
姿を見られてしまったので、全力で誤魔化すことに致します。
ここで踵を返したら、それは私がプレイヤーと語っているのと同じだからです。
鳥居の前におり、何か言い争っていた二人は私の姿を視界へ収めると言葉を発するのをやめました。聞かれてはまずいお話だったのでございましょうか。
鳥居の前まで歩み、鳥居の左右にいる二人を避けるように真ん中より、古村崎さんよりを歩きます。七大アイテムの装着は認められませんね。無いわけではないと考えます。
私以外のプレイヤーがいる。その可能性は是でありました。
「一文字ならないわよ?」
視線を向けますと、古村崎さんはポケットに手を入れて不貞腐れたような表情をしておりました。設定としての彼女は長い黒髪の大人しい清純派でしたけれど、大人しい雰囲気が微塵もありませんね。髪をポニーテールに結び、活発そうな少女となっております。
首を傾けて疑問アピールをした後、階段を登り始めます。
二人はなぜか私の後をついて参りました。
カードを取り出して、風景を撮影します。偽装行動です。
こういう風景が好きなのだとアピールするためです。
階段を上がった先の神社――胸ポケット、封筒の中から小銭を取り出して投入。その後風景をカードへと収めます。社の周りを回るついでに色々と触れたり、軒下まで写真をとっておいたり、ついでに軒下の刀の存在を確認し、そっと鏡に映して中へ取り込みます。ありましたね。
この宝鏡は映した物を中に入れて持ち運べます。超便利アイテムです。
なんてチートアイテムなのでございましょうか。寧々専用。寧々専用にございます。これも私が操作キャラを寧々にする理由の一つにもなっております。
「あんた何してんの?」
そう告げられて、カードを差し出し風景をご覧に入れます。
「あんたってプレイヤーなの?」
「……プレイヤー? とは、なんでございしょうか?」
「隠さなくてもいいわよ。私達、今日クラスでも話し合って、プレイヤー同士は協力しようって話になったから。こんな事になってお互い大変だからね」
「はぁ? そうなのですか?」
普通……はと語るのは語弊でございましょうか。プレイヤー間では事を有利に運ぶために素性は隠すものと相場が決まっていると考えておりました。違うようですね。
そういえば、最近と語りますか、少し前の話ではありますが、私の面白いと感じる現象と他人の面白いと考える現象にズレが生じていると感じるようになりました。
私がニッチなだけなのかと考えておりましたが、どうやら世代が変わった……という事実に気が付いてしまいました。所謂ジェネレーションギャップですね。わかります。
残念ですけれど、私はすでに老害なのでございます。頑固なのだ。がんこ。がんこ。
つい横文字を使ってしまいましたね。ふふふ。
私は個性的でマニアックな人間でございます。世代間認識の齟齬、ズレというものを感じておりました。世代全体のせいにしてはいけないかもしれません。個人として認識の齟齬を感じます。
「演技? あんた本当に寧々なの?」
失礼ながらわたくしは普通に話す行為が苦手です。ですのでなんちゃってお嬢様ムーブにてお返しさせて頂きます。普通に話すのが苦手ですので。
「あのう……失礼かと存じますが、どちら様でしょうか? 私は、貴方達と面識はないはずですが」
「入学式、そういや、コイツいなかったな……」
「ふーん。寧々ってこういうの好きな設定あったかしら?」
「知らねぇよ……つうか間近で見るとマジで気持ち悪いな。これで男とか製作者の神経疑うわ」
古午房さんはガタイの良い男の人に見受けられます。カリアゲ。カリアゲ君です。可愛い。中身は良くなさそうですけれども。
「最低……この子が一文字を持っているわけじゃなさそうね。もういいわ。くしょっ……一文字だけは絶対欲しかったのに‼ クソ野郎‼ お前のせいだぞ‼ お前が一文字を投げ捨てなければ‼」
「お前が追って来るからだろうがクソ女‼」
二人ともお口が悪いです。
「何か、わかりませんが、母を迎えに行かなければいけないので、失礼致しますね」
軽く会釈して歩き出す。
「そういや、寧々の母親ってすげぇいい体してんだよな」
「うっわ……きっもっ。もうついて行けないわ」
二人も帰るのか後について参ります。古村崎さんは私の隣まで速足でいらっしゃいました。
「言ってなかったけど、私、クラスメイトだから。これからよろしくね。まだあんたがプレイヤーじゃないって疑ってないわけじゃないけど、とりあえず、仲良くしようよ」
「クラスメイトだったのですね。よろしくお願い致します」
「そういえば、なんでスクショ撮ってたの?」
路面電車に乗り込みながら答えます。
「実は、今まで趣味らしい趣味がなかったので、これからは趣味をもとうと考えまして、それで町の写真をとる簡単な趣味から初めてみようかと」
「へぇ……そうなんだね。いいね。写真って。これからは仲良くしようね」
「はい。よろしくお願い致します」
「けっ。仲良くする気なんかねーくせによ」
「あぁ⁉」
うーん。なんでしょうか。仲良くして欲しいです。
二人と別れ母を迎えに行きます。
古村崎さんは私と仲良くする気ありませんね。あれは……。
孤独な人に気さくに声をかけるのは陽キャとしてのマストだと聞き及んでおります。
古村崎さんはほどほどに良い人ではありそうです。ですがクラスでは目が合った時に笑顔を向けて下さる程度だろうなとも感じます。あまり期待してはいけません。
母の会社へ到達いたします。声が聞こえて参りますね。
「……月見さん。こんなところで何しているんですか? みんな、飲み会に行きましたよ? 月見さんは行かないんですか?」
「えぇ、もうすぐ娘が迎えに来るので待っています」
「娘さんが迎えに? 仲がいいんですね」
「そうなの‼ とっても仲良しなのよ。大沼君はこれから飲み会?」
「えぇ……でも月見さんが参加しないのなら、やめておこうかな」
「お酒好きじゃないの?」
「そういうわけじゃ、お酒は好きですよ」
大沼君さん。悪い人じゃないのは知っております。ゲームの中でのお話ですけれど。
身長も170㎝を越えておりますし筋肉質で体格も良いです。グッド。短髪でヒゲ等もしっかり処理してございますので清潔感もあります。私から見ても好感度は高いです。
母の相手として申し分はありません。申し分はありませんけれど、ダメです。ダメダメダメダメダメダメ。
「お母さん」
声をかけます。
理由はあります。だってこの人、仄菓さんはまだ人妻ですし。それは致命的な理由であると察しております。
「あぁ……寧々ぇ」
ゾンビのように手を差し出してへばりつく仄菓さんを受け止めます。
「あっどうも。同僚の大沼です。月見さんにはお世話になっております」
「いいえ。こちらこそ。母がお世話になっております。娘の寧々です」
母にへばりつかれたまま頭を下げます。
「では、大沼さん。私達はここで」
大沼君は母の相手としてかなりの好条件だと考えてはおります。
それでもダメなのです。なぜってこの人(仄菓さん)が、婚姻しているからです。
仄菓さんは少女のように笑み、スキップし手を繋ぎ引っ張って参ります。
どちらが少女なのだか不明になりそう。少なくとも私では無い事は確かです。
もよりのスーパーマーケットで食材選びます。
カゴを持ち、食材などを眺めて。
買う食材の候補を予め定めているタイプの人間だ私は。
キャベツ一玉、ニンジン三本入り袋、ピーマン一袋、アスパラ一束、きゅうりバラ売り五本。豚肉、乾燥昆布。生わかめ、豆腐、納豆、辛子漬けの元。
必要な食材をカゴに入れ、残りは残金と相談。
果汁百パーセントのリンゴジュースと二リットル炭酸水、調整豆乳。粉末のシイタケ。梅干し。鰹節。
「こうしていると、親子っていうか。恋人みたいね」
「そうですね」
「もう……つれないんだから」
「早く帰ってご飯作らないと、そろそろ夏飴さんの機嫌が悪くなります」
夏飴さんのゴキゲンとりにチョコバーを一本買っておきます。
仄菓さんはコーヒーが好きだ。キリマンジャロ、緑のパッケージ。
「お母さん。お酒飲む?」
「今日はいいかな」
カゴに商品を入れておりますと母が背後から抱き着いて参ります。汗のニオイ。頑張ったニオイが致しますね。心地良いです。それを消す制汗スプレーのニオイ。いいニオイです。思わず振り返り、母の頬に唇を添えてしまいます。
「うふふっ。もうっ。寧々ったら」
そのままお会計を済ませます。
母がお金を出してくれました。そういえば私はまだ学生でした。そんなにお金を持っているわけではありませんでした。失念しておりました。ある意味不便ですね。
「ありがとうお母さん」
「ふふふっ。こういう時のためのお母さんだからね」
何を話すわけではないけれど、ホームまでの道中、路面電車の中でも母はニコニコして手を繋ぎ佇んでおりました。
「お母さん、疲れてるでしょう? 座って?」
「このままでいいわ」
「でも」
「このままでいーの」
手持無沙汰になればカードを弄ると考えていたけれど、そんなことはありませんでしたね。
リンゴジュースや炭酸飲料、豆乳などの飲み物が地味に重いです。
マンションへ到着する頃にはすっかり日は落ちておりました。
家に帰りますとパジャマの妹がお出迎え。もうお風呂に入ってしまったようで、お腹が空いているのかこちらへと向かって参ります。パジャマが良く似合っておいでですね。可愛らしいです。抱きしめたいと考えてしまいます。いけませんね。抱きしめます。
「ちょっと‼」
怒られてしまいました。
チョコバーを取り出し外装を剥がし、文句を言いたげな妹の口に突っ込みます。
「ひょっと‼」
「一先ずこれで我慢して下さい。ただいまご飯をご用意いたしますから」
「うぅうううう‼」
「お母さんもぎゅってして‼」
はいどうぞ。
告げた通りにアスパラの豚肉巻と蒸しニンジン、キャベツの蒸し焼きを用意してテーブルへと並べます。
「お母さん先にお風呂へ入りますか?」
「えぇ? お母さんは寧々と一緒じゃないとお風呂へは入らないわ」
「きも‼ 気持ち悪い‼」
「こらっ。夏飴さん。お母さんにそんな事を言ってはいけません」
「お前に言ってる」
「こらっ。夏飴‼ お姉ちゃんに向かってお前とはなんですか? はしたない」
はしたなくはないですね。笑みが漏れてしまいます。
夕食は軽め。これは乙女の嗜みです。
夏飴さんはニンジンとピーマンが嫌いだけれど、柔らかく蒸したニンジンなら食べて頂けるでしょう。
「このニンジン……いいニンジン?」
「普通のニンジンですよ。蒸したものなら硬くもないですし、柔らかくて甘味も増しますからね。どうですか? これなら食べられそうですか?」
「……んね。悪くはないわね」
二人がパクパクと食べてくれたので、あっという間に皿の中は空となりました。
夜は控えめが鉄則。その代わり朝とお昼はがっつり食べるのが家流です。
明日のためにきゅうりの辛子漬けを作っておきましょうか。
きゅうりの辛子漬けは簡単に作れると考えがちですが凝ると奥が深いです。
作り方も様々で、醤油を加えたり、ゴマ油を加えたり致します。
きゅうりにも色々な細工があり、皮を削ったり、種を削ったりもします。
あまり凝りすぎると怪しいのでほどほどに。そのためにきゅうりの辛子漬けの元を買って参りました。
「何作ってるの?」
夏飴さんは興味津々ですね。わかります。
「明日のお楽しみです」
「ふーん」
興味ないですか。そうですか。
「あんたママの事どう思ってるの?」
辛子漬けを用意しながら視線を向けます。
リビングでは母がテレビを眺めておりました。足が揺れている。機嫌は良さそうですね。
「どうとは? 母は母ですが」
「でも……その、あんたママにべったりじゃん。私、反対だから」
「何を反対しているのですか?」
「あんたと、そのママが、付き合うとか結婚するとか」
「それは無いので安心してください」
「……ほんとに?」
「どうしたのですか? 私たちは家族です。それ以上でもそれ以下でもありません」
「でもっ。ほらっ。そのっ。お母さんにいい人とかできたら……とか、幸せになってほしいし、何時までも独り身でいるのも……もしかしたら貴方がいるからかもって」
息を深く吐く。
背後を向いて耳に手を当てて小声で話します。
「ちょっとっ」
「いいですか? そもそも貴方のお母さんには貴方のお父さんがいます。何か勘違いしていませんか?」
「えっ⁉」
「うーん? どうかしたのー?」
「夏飴さんがきゅうりを縦に切るのに失敗しました」
「あらそうなのね。寧々? 手を切らないように気を付けるのよ」
「はい。気を付けますね」
驚いた夏飴さんが耳に口元を近づけてくる。
「どういうこと? 私のお父さん、パパッて生きてるの? 別居?」
「色々事情がありまして。お母さんは離婚届けを書いて置いて来たようですが提出されていません。つまり婚姻関係は継続しているという事です」
「私ってパパいたんだ……事故で死んだのかと思ってた」
「夏飴さんはまだ小学二年生でしたからね」
「ちなみにどんな人?」
「かっこいい人ですよ。身長も高いです」
「そうなんだ……それってやっぱり」
「そうですね。原因はそれです。仮にこの町で母を好きな人が出来ても成就させるわけにはいきません」
「……やっぱりママがパパをまだ愛しているから? 逆?」
「それもありますが、私を見れば理解できると思います。正気に戻れば地獄ですよ。何時かは……とは考えていますが、今は無理でしょう」
実の所、仄菓さんは夏飴さんを置いて来るつもりだった――という悲しい過去は語らないでおきました。
寧々の手を引いて無理やり連れて行く途中夏飴さんに見つかり、一緒に行くと泣いて愚図り騒がれてしまったので、事が露見してしまうのを恐れてとっさに連れて来てしまったなんてそんな設定を本人に告げるわけには参りません。夏飴さんが知ればショックを受けるのは容易に想像できます。
実は夏飴さんには実姉がいます。
仄菓さんはまだ三十代。
高貴な家は血筋にうるさいですので、仄菓さんが初めて子供を授かったのも十五歳ですし。
「じゃあ、じゃあさ。あんたはママのこと好きじゃないの? その恋愛的なニュアンスでさ」
「好きか嫌いかと問われれば好きですよ。私が貰っても構わないのでしたら、私が貰ってもかまいません」
「はぁ⁉」
「夏飴さん……声が大きい」
「なーに? またきゅうり失敗したの?」
「夏飴さんが辛子を直接舐めました」
「何やってるんだか。もう、馬鹿なんだから。ふふふっ」
「どういう事よ」
「あくまでもという話です。現実でそんな事はありえません。そもそも仄菓さんにとって私は娘であり恋愛対象ではありません」
「……うーん。まぁ……納得はできないけど、理解はできるわ。つまり好きってことなの?」
「好きにも色々な形があります。付き合っても構わない。結婚しても構わない。というほど好意は持っておりますが、それはあくまでも受動的であって能動的ではありません」
「……意味がわからない。つまりママが付き合うって言えば付き合うし、結婚するって言うのなら結婚するけど、そうじゃないなら別にそうはしないって事?」
「そうですね」
「……意味がわからない。ママが他の人と結婚しても何も思わないってこと?」
「仄菓さんが幸せなのであれば、そうですね。そもそも仄菓さんはすでに婚姻しています。この状態で恋人や伴侶を得る行為を人は不倫と呼びます。不倫はいけません」
「そっそうね。……どうしてそこまで献身的なの?」
「特に意味はないですよ。仄菓さんは愛情深く良い方です。良い方が理不尽な目に会うのは人としての道理に反します。抗うべきです」
恋愛情報に疎い年齢では、浮気や不倫の痛みを理解し難いだろうと察します。
夏飴さんの立場なら、私と仄菓さんが結婚するとなるのは複雑な気持ちにもなりましょう。わかります。
「夏飴さん。自分がされて嫌な事を人にしてはいけませんよ」
「わかってるわよ。なによ。急に……」
「でも時と場合によっては傷つけ又は傷つく覚悟が必要です」
「はぁ? わけわかんない」
きゅうりの辛子漬けには七味唐辛子をまぶすのが家流です。
手順を終えたら密閉容器に閉じ込めて冷蔵庫でおやすみなさい。
「お母さん。そろそろお風呂に入りますが」
「あーお母さんも一緒に入る」
「わかりました」
「待って‼ 私も入るから‼」
「三人はさすがに狭いですし、夏飴さんはお風呂を終えたのでは?」
「あんたが如何わしい事をしないか監視よ‼」
「はぁ?」
「夏飴ったら変な子ねぇ」
結局三人でお風呂へ入りましたけれど、夏飴さんは男性の体に興味があるのか、上から下までチラチラと眺められておりました。将来のためになるならば、どうぞご覧になってください。
「ちょっと立てないでよッ」
「生理現象です。夏飴さんこそ前を隠してください」
「私に隠す所なんてない」
それにしても二人共お腹にくびれがありスタイルが良いです。
内蔵脂肪という概念のない世界。ありですね。
母の身なりを整えて湯船に入れ、妹の身なりを整えて湯船に浸からせます。
毛は毎日伸びますから仕方がありません。毎日剃らなければいけませんね。
湯船には浸かった方が良いです。
特に足。足の皮脂や角質の汚れはニオイの元です。湯船に浸からなければなかなかに溶けだしません。ザラザラとした顆粒入りの石鹸を私は足用に使っておりました。重曹でも良いですが。
「色々手狭になったわねぇ……引っ越しも、そろそろ考えようかしら」
「え⁉ 引っ越すの⁉」
「それもいいかもしれないわねぇ……」
「ダメです。今はそんなお金はありません」
「えー‼ お母さん貯えなら少しあるわよ‼」
「お母さん。これから私がパレスで稼ぎますから。そのお金が溜まったら、引っ越しましょう」
「……ありがとう寧々。お母さん、頼りなくてごめんね」
「いいえ。お母さんがいるので、私はとても頑張れます。お母さんがいるからですよ」
「寧々ぇ……お母さん。頑張って……寧々の良いお婿さんになるからね‼」
「ママ⁉」
温まった体、浴槽を抜け、パジャマと着替え歯磨きを致します。
「さぁ寝ましょう。寧々はこっち。こっちよ。ぎゅーして? ぎゅー」
「ママ⁉ 今日は私も一緒に寝るから‼」
三人川の字。仲良し家族です。三姉妹と語っても遜色はございませんね。わかります。その日は、父と一緒に眠った記憶が瞼の裏を流れ、甘えるように母に顔を摺り寄せてしまいました。
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