第3話

「永田―、今日放課後職員室に来い」


朝のHRの後、担任から呼び出しを受けてしまった。

風香ふうかは、やはりマズかったかと、「わかりましたー」と返事をした。


「風香、あんた何したの?」

真海まみが心配そうに声をかけてきた。


「いやーなんというか」


「え?進路調査用紙に希望なしって書いたの!?」


「だって、ないんだもの」


「せめて、検討中とかここ行けたらなとか適当に書いときゃいいのに」


「なんか色々考えてたら将来に希望が見出せなくて…」


「その希望なしなの?そんなことをうまく言ってどうすんのよ」


真海は呆れた顔で風香を見ると、ちゃんと考えなねと言って席に戻っていった。


(だよねー)


風香が窓の外を見ていると、いつものように遅刻の洋人ひろとがのんびりと歩いている。

外からふわっと風が吹いて、カーテンが揺れる。

冷たい風が風香の頬の横をすっと通り抜けた。



授業を終え、放課後に職員室に行くと、担任が待ってましたとばかり、丸椅子を置くと、座るように促してきた。


「なんで呼ばれたかわかるか?」


「進路希望の件、ですよね?」


「そうだよ。希望なしっていつまでも高校生でいるわけにはいかないんだからな。今から先のことは考えおかんと」


「わかってはいるんですけど、どうしたいのかと言われても特にやりたいこともないんですよね」


「大学へ行く気はないのか?」


「いやー国公立しか家的にはダメなんですけど、そうなるとちょっとしんどいかなって」


「音大へはいかないのか?音楽の早川先生は、音大に行ってほしいって言ってたぞ」


「全然そんなレベルじゃないですし、習うお金もないんで」


無理無理と手をパタパタと風夏が振ると、担任は「じゃあ」と言って、用紙の束を取り出した。


「就職するか?」


それもまたピンとこないし、何よりみんなが大学生なのに働くなんて嫌だという気持ちもある。


何も言わない風夏をみて、担任は向き直った。


「わかるよ、その歳で将来のことを決めるが難しいってことは。俺も学生時代は漠然と大学へ行くかって感じだったしな。でも大きな決断を自分でしなきゃいけない時ってのは人生で必ず来る。その最初の決断の時が今なんだ」


「決断…」

そう言われると、不安な気持ちになる。


「心配するな、俺は永田が選んだ道はどれでも応援してやる。大学でも就職でもな。でもちゃんと自分が納得する道を選べ。確かにお金のこととか色々あって選べない選択肢もあるかもしれないが、奨学金もあるし、使えるものは俺がなんだって調べてやる。しんどいこともあるかもしれない。でも大人になってから時間は戻せないんだからな」


真剣な顔からふにゃっといつもの顔に戻ると、「なんてな。教師ぽいこと言ったなぁ、俺」といつものようにへらへらとした口調で言った。


(自分を応援してくれる誰かがいるっていいな)

風香は少し心が温かくなった。

職員室を出ると、久しぶりに音楽室へ向かった。



ピアノをそっと開けて、鍵盤に指を置く。

強く推すと、音楽室に音が響いた。

椅子に座って鍵盤を眺める。


小さなころ、初めてピアノ教室へ行った時、わくわくして、先生に良いって言われる前に鍵盤を押した。

今日と同じように音が響いて、その日からピアノのとりこになった。

毎日母から近所迷惑になるからやめなさいと言われるまで、夜遅くまで弾き続けた。


楽しくてたまらなかった。


父がいなくなって、お金が無くなってピアノも売られた時、人生で一番泣いた。

誰もいない部屋で涙が枯れるまで泣いた。

そして再び高校でピアノに触れた時、あの初めてピアノに触れた時と同じくらい本当にわくわくして嬉しかった。



ガラガラと扉が開いて振り向くと、早川先生が立っていた。


「永田さん、聞いたわ、音大受けないって」


「受けないというか、受けられないですよ。金銭的にも」


「そうね、音楽の世界はお金がかかるものね」


そういって、早川先生は1枚の紙を取り出して来た。


「あなたの才能をこのままにしてしまうのはもったいないと思って」


風夏がその紙を受け取ると、「少し考えてみて。もし興味があったら声をかけてね」といって早川先生は教室を出ていった。


風夏は紙に目を落とした。


(・・・第3の選択肢か)



今日は音楽スタジオが予約でいっぱいということで、練習はない。


どこか買い物でも行こうか、と思いながら、風夏は音楽室を出て教室へ向かうと、洋人がいた。


「洋人?」


「・・・おまえの荷物が置きっぱだったから。お前の友達に暇なら見張っといてくれって」


真海だ。


「ごめんね、ありがとう」


「・・・お前さ、今日暇?」


「そうだね、今日は練習もないしね」


「じゃあ、行くぞ」


「行くってどこへ?」


「・・・飯だよ」


洋人はぶっきらぼうにそういうと、歩き出した。


クラスの女の子といる時とはえらい違いだ。


(私にも笑えよ)


そう思って、イーっという顔を背中にしていると、そのタイミングで洋人が振り返って、


「お前、歯になんか挟まってんのか?」


そういって鼻で笑うと、またすたすた歩きだした。


(最悪・・・!)


風夏は恥ずかしくて顔を真っ赤にさせながら、洋人の後をついていった。



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