第10話 三鏡真白の転換点
その日の夕方。
これからニアと共にマリーナエリアに行こうか、という予定を立てていた真白は、提出物の提出を終えて、無事に放課後に突入していた。
ひとまず教室のある階に上がって、自分の荷物を持った後、吹き抜けを挟んで反対側にあるニアの教室へ向かう。
渡り廊下手前で曲がり、その先でもう一度曲がって180度進行方向を変えた後、真白の教室の向かい側にある教室では、ニアが1人で待っていた。
「ニア」
教室に入らず、窓の外から呼びかける。その声にすぐに気づいたニアが、こちらを振り向いて
「シロ、遅かったねぇ」
「先生に呼び出されて急かされてた。後ちょっと親父と小話」
「なるほどー」
荷物をまとめながら会話をし、背負って出てきたニアと並んで真白は階段方向へ向かっていく。
その道中、ふと些細なことに気づいて、真白は口を開いた。
「んで、今からマリーナエリア行くけど……ニア、ちなみにプラモ買うお金あるの?」
「うん。出世払いだけど」
「立派な借金じゃねぇか」
「冗談だよ。8割は」
「残り2割は?」
「今後めちゃくちゃタダ働きお手伝い確定」
「頑張れ」
流石にバイトをしていない以上は、金銭的な余裕はない。
故に真白もニアも一定量の小遣いの中でやりくりしているのだが、ニアの場合は欲しいものが多すぎて、前借りしてタダ働きになることが割とある。
ちょっと前にも聞いたなぁなどと思っていると、会話の続きがニアから飛んでくる。
「そういえば、シロこそあそこに何しに行くの?」
「こいつのメンテナンス」
そう言いながら、真白はカバンから銃を取り出す。
黒と白のモノトーン調の配色がされたそれを示され、ニアの視線が少し下がる。
「それって、シロがいつも持ってる銃?」
「ああ。こいつ実は魔鉄器なんだけど、親父の昔馴染みのドウェルグの人に定期的に見てもらってるんだ。お金は、後から我が家に領収書が届く」
「へぇ……高いんじゃないの?」
「昔馴染みの息子だからー、って、ちょっとだけ安い」
こういうところは、製鉄師の息子でよかったな、と真白は思う。あまりにも虫が良すぎると言われてしまえば渋い顔をするしかないのだが、それでも、両親が生き抜いた中で得た縁を利用しない手はない。
「今日はこっちだな」
「そだね」
言葉の後に、ニアと真白はいつもと反対向きに曲がる。
普段真白たちは、聖窮学園に隣接する聖窮西の駅から自宅のあるエリアまで戻るが、今回の目的地であるマリーナエリアには、聖窮東という、聖窮学園の敷地からやや離れた路線に乗る必要がある。
校門を出た後、歩いて数分。聖窮東のホームにたどり着くと、すぐそこに市電が見えていた。定期券にチャージしてある電子マネーを頼りに乗車すると、空いている席の前の方に並んで座る。
人のあまりいない車内で、心地よいくらいに揺られる中、少し止まった会話をニアが再開させる。
「ねぇシロ」
「なに?」
「いつもそんなことなかったのに、どうして今回は一緒に行こうって誘ってくれたの?」
ニアからの疑問。それは、当たり前で、突然だった。
朝の会話でもニアが同じような言葉を言ったように、基本的に真白からニアを誘うことはまずない。理由があると考えるのは、自然な流れだった。
そしてこの話題が確かに示されたということは、真白がここに一緒に来た本当の理由を明かすこと――つまり、一昨日感じた疑問をぶつけて、前に進む必要があることを真白に対して明確に突き付けていた。
そもそもそれを聞くために、真白は誘ったのだ。ここまで一緒に来てもらっていて、それを口にしないわけにはいかない。
ただ、答えることをもう少し待ってほしいという思いも、そこにはあった。故に真白は、思いついた疑問で、ほんの少しだけタイミングをずらすことを試みる。
「……なんで朝聞かずに、今聞いた?」
「朝は人いっぱいいたし、私もそれどころじゃなかったし」
「納得」
至極真っ当な理由を言われて、真白はそう返すしかなかった。
少しばかり悩んで出せた言葉も
「……あっちついたら話す」
ただそれだけだった。
「そっか」
返ってきた言葉も、ニアにしては珍しく簡素で静かだった。
しばらくの間市電に揺られて、2人は目的地へと向かう。いつも賑やかになるはずの2人の間に、不思議と言葉は飛び交わなかった。
* * * * * * *
「ふう、着いた」
「歩き疲れた……」
市電で最寄り駅まで着いた後、相応の距離を歩いた2人。
真白が平然と、一方でニアが息を若干切らして、マリーナエリアにたどり着く。
「まぁ、ここちょっと駅から距離あるしな。めちゃくちゃ昔は、もっと不便だったらしいけど」
真白たちが生まれるよりもずっと前、それこそ時代が魔を戴冠する前には、この近辺は公共交通機関の整備がなされておらず、自家用車等で来るしかなかったらしい。
今は聖窮区が出来たためにそちらから来ることを考慮し、駅がより近くに出来たことで、こうして真白たちが寄りやすくなっている。
「こんなに距離あるなんて知らなかった……」
「ん、来たことあるんじゃないのか?」
「あるけど、今までずっとパパの運転だから歩いてきたことなんて一回もないよ」
「ああ……なるほど」
確かにここは、普通なら車で来る方が来やすい。真白の場合学校帰りに寄ることがほとんどだったためその感覚がないが、ただのショッピングなら聖窮区の中でもできる以上、確かにここに徒歩で来る必要はあまりない。
「んじゃ、どっか座れる場所を探すか」
平日ということもあってか、マリーナエリアにいる人は、あまり多くはなかった。
入口近くの案内板を見ながら、それぞれの目的地の位置と共に、現在地から一番近い位置にあるベンチの位置を確認する。
そしてマリーナエリア入口ゲートをくぐり、中へと歩き出す。ニアは何も言わずに、真白の後ろについてきていた。
少し歩けば、メインの通りから少しずれたところに、地図で確認した通りベンチがあった。そこに横並びで座って、空を見上げながら本題を話し始めた。
「ニア」
「なぁに?」
「さっきの質問だけどさ」
「うん」
「一昨日、家に帰った後に、親父たちから聞いたんだ。ニアが俺と契約したがってるって」
「うん。そだね」
「嬉しいけど、でもなんでずっとなぁなぁにし続けた俺と、契約しようと思ってくれたのか、その理由を聞きたくて、誘った」
真白がそう言い切ると、少しだけ会話が止まる。空を見ながら、次の言葉が出てくるのを、真白は待っていた。
「ちょっと意地悪な質問していい?」
「……いいけど」
「それ、どうして電話で聞かなかったの?」
「ええと、それは……」
深い理由があったわけではない。
ただ、ニアとコミュニケーションを取る際に、直接会話する以外の選択が、真白の中になかっただけだった。
「意気地なし」
「はっ?」
完全に予想外の、ニアからのかなりストレートな言葉に、半分寝そべっていた体を起こして間抜けな声を出す真白。ニアはそれを見て楽しそうに少し笑った後に、真白と同じように体を起こしながら言葉を続けた。
「まぁ、聞かれなかったら話すつもりなかったんだけどね」
その話し始めは、自分よりも背格好が小さいニアが、自分よりも確かに先に行っていることを自覚させるには、十分だった。
真白は、少しだけ複雑な気分にさせられた。
「前にね、契約した後のことについて考えたことがあるの。その先にどうなるんだろうって」
契約した先に待っている未来について、考えないわけがない。
「私が誰かと契約したら、その誰かと一緒に行動することになる。契約がお互いの同意前提だし、それは別にいいんだけど……でも、そしたら今みたいに2人でわちゃわちゃすることも出来なくなるんだろうなーって気づいて」
「うん」
「で、色々考えていったらさ、私が契約してもいいって思える人、1人しかいなかった」
「それが……」
「うん。三鏡真白、ただ一人」
ニアの口から、おそらく初めて聞く自分のフルネーム。小さいころから『シロ』と呼ばれ続けて、一度も呼ぶ機会はなかったそれが、新鮮な響きをもたらす。
「私ね、隣にシロがいて、とんでもなくくだらない話ばっか続けて、兄妹喧嘩みたいな言い合いして……そんな私にとってのいつも通りを、ずっと続けたい」
いつもどこか幼さが残るニアがする、一切の幼さを残さない表情。それは、今語られている言葉がニアの本心だと真白に確信させるには十分だった。
根本の部分は、真白と全く同じだった。隣にいない時間をもう想像できない程に、お互いの時間を共有していた。
「まぁ私は本当に今までと同じでも大丈夫だけど、シロと一緒にいるなら、やっぱりちゃんと契約が出来ないとダメだからね。シロはどうなの?」
ニアが思った以上にしっかりと考えていたことに、真白は驚きと後悔があった。
――どうして自分は、知ろうとしなかったんだろうか
もっと早く知ろうとしていれば、契約について諦め、腐ったような態度をとらなくてもよかったのでは――
そう思わされて、自分が余計に情けなくなって、少しだけ頭を抱えた。
「……もっと早く聞けばよかったなって、今凄く後悔してる」
「ふふふ。そうだよー。私、なんだかんだずっと待ってたんだよー」
「いつから?」
「それは分かんないけど、多分シロが思うよりも長い間、待ってた」
「そっか」
ニアにはっきりと『待っていた』と言われてしまい、真白は申し訳ない気持ちになった。
定まらない世界に辟易して、文句を抱え続けていた自分も、ずっと答えを曖昧にしたままで今日まで来ている。
曖昧さ、定まらない状況を内包する、という共通点で言えば、世界も自分の一部なのだと、目の前で起きていることが真白に突き付ける。
「で、契約、どうするの?」
「そりゃあ、もちろんお願いしたい」
「うんうん」
真白の返答を聞いて、ニアは笑っていた。その笑顔は、今まで何度も見ていたはずなのに、真白は初めて見た気分になっていた。
いつもの子供のような無邪気な笑顔ではなく、綺麗と表現した方がいいような、そんなものだった。
「じゃあ明日、時間の合うタイミングで、上まで行こっか」
「ああ、そうだな」
善は急げ、という言い回しがあるように、可能ならば急いでしまいたい。
真白は、憂鬱な日々との別れをすぐにそこに感じて、少し気分を高揚させていた。
「私、素質はあるらしいし、イメージ力は余る程あるけど……もし失敗したら、その時は許してね」
「大丈夫だろ」
嬉しそうにしながらそう語るニア。
それを聞きながら、真白は安心感を感じていた。
契約自体はリトライ出来るため、失敗することに対しての感情が否定的なOI体質者や魔女は、それほど多くはない。一部の人間は相応に重い感情を持つのかもしれないが、真白は特に何も思っていなかった。
素質のある魔女が、親族以外で一番同じ時間を共有した幼馴染。期間で言えば親族よりも長い彼女とならば、真白は失敗するなどとは少しも思っていなかった。
久々に、ポジティブな感情だけが心を満たす。
「さて、明日の予定もしっかり決まったことだし、まずは今日の用事を済ませるか」
「そうだね。いこっか」
元気のよい返事を聞いて、真白は力感ない微笑みを浮かべる。
その次の瞬間。
海に近いこのマリーナエリアと比べて、より海に近い場所で爆発音が轟く。
今この一瞬まで平穏を楽しんでいた人々の視線は、一斉にそちらの方に向いて、ざわつきが起こり始める。真白とニアも音の瞬間に身を縮めるような反応をして、周囲と同じように視線を音の方へ向けていた。
楽しいはずのこの場所に流れている陽気な音楽が場違いになり始め、ざわつきが重なって歪になっていく。
この場にいるほとんどの視界の先で、放たれた一発の光線が、遠くの地平線を消し飛ばし、音を全て塗りつぶした。
『うわあああああああ!!!!』
折り重なった悲鳴が、一気に解放される。何物かの襲撃がすぐそこまで迫っていることを理解した人々が、皆同じ方向へと逃げていく。
目の前の光景に呆気に取られていた真白は、左腕を強く掴まれる感覚で我に返った。
「なに……? なにが起こるの……?」
先ほどまでの笑顔など吹き飛ばすかのような、困惑と恐怖の入り混じったニアの顔。
それを見た瞬間、真白の中に2つの選択肢が生まれる。
引っ張るか、抱き上げるか。どっちにしろ限界があり、デメリットがあることを理解した上で、真白は天秤にかける。
「ニア、ごめん!」
「えっ?」
ニアの驚く顔も気にせず、真白はニアを抱き上げる。お姫様抱っこの要領で持ち上げると、思いのほか軽いことに気づかされる。
「走るから暴れるなよ!」
「う、うん……」
まもなくして、真白のOWがニアにも適用されて、ブレ始める。少しばかり嫌な思いをしながらも、それを振り切って前を向く。
背後で轟音と爆音が混じりあう中、助かるために、真白はいつぶりだったか忘れるくらいに、全力で走っていた。
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