第9話 珍しい朝



 そして2日後、迎えた次の平日を、真白は少し落ち着かない様子で迎えていた。


 前日の夜から変に意識して珍しく眠れなくなってしまい、しょうがなく本を読んでいても眠くならずに、絶対に日付が変わる前に寝るという習慣からも逸脱して日付が変わった直後に就寝。


 不本意な理由ではあるが生活リズムが整っていた真白がそのようなことをして、朝眠気に襲われないはずがなかった。


 目覚まし時計に叩きおこされ、半分寝ながら朝ごはんを食べ、顔を洗っても覚めない意識に四苦八苦して――



 そして玄関口にたどり着いて、今に至る。


――くっそ眠い


 あらかじめ紐を結んである靴に足を突っ込み、かかとで整えた後に立つと、真白は玄関のドアに手をかけながら、後ろを向いて口を開く。


「いってきまぁーす……」


 明らかに眠気満載の声を玄関口の空間に溶けさせると、そのまま体重をかけるようにしてドアを押し開ける。


 と、その時


「真白ーーー!! お弁当ーー!!」


 リビングの奥から六那の張った声が響き、真白の目を少しだけ覚ます。


 開けかけのドアを戻した真白が振り向いたと同時に、六那が玄関に現れる。小さな体に似合わぬパワフルさを見せた母親は、息を整える様子もなく寝ぼけた息子に弁当箱の入った包みを差し出してきた。


「あ、ごめん」


「真白が物忘れなんて、珍しいこともあったものね。今日一日、気を付けるのよ」


「へい。ほんじゃ行ってくる」


「行ってらっしゃい」


 玄関口のやりとりでいつも通りの調子に戻ってきた真白は、六那の見送りを背に、外へ出た。



 休日を挟んでいるため、今日もいわゆる『憂鬱な月初三日間』なのだが、今日はいつもの軽い憂鬱感を感じることは、今のところない。


 明らかに眠気でそれどころではなかった、というのは確実にある理由なのだが、その原因はやはり一昨日の会話だろう。



 両親伝いに、ニアが真白との契約を望んでいることを知った。


 月初めに定期的に起こるイベントであることから、意識から完全に締め出すことは難しい。とはいえ、日々のサイクルの中に組み込まれ、特別感があるわけでもないことから、真白はあまり話題にせず、ずっとなぁなぁにしてきた。


 そうしていたはずなのに、どうしてこのタイミングで言及したのか。金曜日の帰り道から続くこの話題に、真白の心が穏やかではないのは確かだった。



 ずっと同じ学校に通ってきたが故に、ニアは真白のOWの情報を少しは知っている。その点においては他の魔女体質者よりも、確かに契約の成功率は高くなる。


 だが、理由にするにはあまりにも弱すぎると、真白は思っていた。


 契約は『今後あなたと共に歩みます』という後戻りが出来ない行動なのは、製鉄師養成学園の生徒は誰もが知っている。故に相応の理由なしにすると、後悔するのは確かだ。


 おぼろげにではあるが覚えている、金曜日の帰り道のニアの発言。『ちゃんと自分で納得したい』というような内容から推測するなら、ニアが真白との契約に対して、自身で納得できるだけの内容を持っている状態なことはほぼ間違いないだろう。


 そうであるならば、真白も念願だった契約を拒むことはしない。仮に譲歩して真白と契約をするのなら、考え直せ、くらいは言うつもりでいたが、ニアにそのような考えがあるとは、少なくとも真白には思えなかった。


 ニアの興味のないことへの集中力は確かに恐ろしく低いが、真白が知る限り、物事を適当に、もしくは譲歩して決めることはまずない。


 製鉄師養成学園の筆記試験の難易度は割と高めなのだが、真白と共に聖窮に入る際に、ニアは苦手だった勉学もきちんとクリアした上で入学している。苦手で集中力が低くとも、やらなければならないことに対してはきちんと向き合う。



 今まさに契約を望まれている自分自身が、ニアが本気で契約を望んでいることを証明できる。とするなら、一体何を思って、ニアは真白との契約を望むのか。


 言い換えれば、何がニアをそう思わせたのか。

 


 その答えを知るために、聖窮への通学路を進む。強制力のあるもの以外は基本的に朝の時点では真っ白である脳内の予定帳に、今日は確かに自分自身で予定を書き込んでいる。


 今日の真白にとっては、そのためだけに学校に行っているといっても過言ではなかった。




 珍しくノイズのあまりない視界で、定期券の入ったパスケースで持て余し気味の手を遊ばせながら、列車が来るのを待つ。


 路線にもよるが、市電は割と来る感覚は短めだ。さらに遠距離を繋ぐような鉄道の、利用客がそこそこの路線よりは待たされない。


 ただ面倒なのは、上にある電光掲示板の『あと〇分』の表示が5分以内の表示にならないことだった。残り1分だろうが、残り4分だろうが、それらが全てひとくくりに『あと5分』、後に『まもなく』になる。


 今日は何分待たされるのか、などと思いながら、視線を適当な場所に向ける。少しづつ増えていく待ち人や、駅のすぐ外を走る車、歩道を歩く人々など、視界に映る全てをただただ眺めていた。




「シロ」


 不意に聞こえた、いつもの呼ばれ方の、その声の方を向く。


 そこには当然ながら、袴制服姿のニアがいた。内に秘めたいつもはない感情は一旦飲み込んで、挨拶をする。


「うい、おはよ」


「おはよー。珍しいねぇ、シロとホームで出会うなんて」


「そういやそうだな」


 基本的に放課後は一緒に帰っている真白とニアだったが、朝はあまり同じ列車にならない。その理由は主にニアが朝ごはんの後ギリギリまで自宅で色々としているから、というのをいつだったが真白は聞いたことがあった。


 となれば、この日は当然、ギリギリまで自宅にいられなかった理由があるわけで。


「……ニア、さては月曜提出の課題やってないな?」


「シロ、探偵になれるよ」


「このくらいすぐ分かるわ。何年一緒にいるんだよ」


「それもそっかー。えへへ」


 ニアの理由は、だいたい分かりやすい……というかほぼ1つで、他の何かに没頭していたら忘れていたのがほとんどである。


 だいたい前日の夜に思い出して、事なきを得るか朝必死にやるため、成績には響いていない。ただ、数年前に綺麗に頭からすっぽ抜けていて真っ白だった時は、面白いくらいに表情が沈んでいったことを、真白は何となく覚えている。


「ちなみに、忘れた理由は?」


「映画を見た興奮で小説の電子書籍版買って読んでたら、日曜の夜にタイムスリップしてた」


「なるほどな」


 没頭して忘れかけるという、何ともニアらしい理由だった。


 ちょうどホームに着いた列車に乗り、前の方の座席を上手く確保して、ニアが運転席のすぐ後ろの席になるように横並びで座る。


「じゃあ、学校行ったらすぐに課題か」


「うん。今日午後一の授業で小テストもあるし、嫌だなぁ……」


「まぁ、頑張れ」


「頑張りまぁす……」


 クラスが違う以上は手助けも出来ないため、ひとまずニアが後でグロッキーな状態になっていないことを祈ることしか、真白には出来ない。


 そう思って話題を1つ終えようか、というところで、真白は頭の中に置いておいた話題を引き出した。


「ところでニア」


「ほい?」


「放課後、暇?」


「うん。急にどしたの?」


「暇なら、俺の用事にちょっと付き合って」


「んん?」


 真白がそう言うと、ニアがポカンとした表情で視線を向けてきていた。別におかしなことを言ったつもりがない真白は、少しばかり訝しむ表情になる。


「……なんだよ」


「シロの方から誘ってくるなんて、珍しいね」


「…………」


 反論体勢に入ろうとして、言われてみればそうかもしれないと、真白は記憶を思い返しながら気づく。


 真白とニアが一緒にいる時、その行動はほとんどニアが決めている。それに従い、真白はそれに半分振り回されながらついていく。それを嫌と思ったことはなく、ほぼ常だった。


「付き合うのは全然いいけど、どこへ行くの?」


「マリーナエリア。行きたいとこがある」


 マリーナエリアというのは、市内からさらに海に近い位置にある、ショッピング施設の名前だった。昔も昔、鉄暦時代には似たような名前の施設があったそうなのだが、一度何かしらの諸事情で取り壊された後に、再度建てられたのが、この魔鉄暦時代のマリーナエリアである。


 一昨日、創一家と遭遇した複合施設の方がサイズとしては大きいのだが、屋外にあるため開放感があり、活気では引けを取らない。


「マリーナエリアかぁ……。あそこ、プラモショップあったよね?」


「あー……あったような気がする」


「ちょっと行きたくて悩んでたんだけど、行ってもいい?」


「ああ、全然いいぞ」


 他の予定を差し込めない程の予定があるわけではない以上、そこに断る理由はない。加えて、真白が誘っておいて他を拒むのは流石に人としてどうなのか、という考えからも、ほぼ即答で許諾していた。


「やったね。これを糧に今日一日を頑張れる」


 モチベーションの上がり方は、ニアは割と分かりやすい。


 それだけに、真白にとっては契約を強く望んだ理由が掴めないことが謎だった。


「んじゃま、課題と小テストは頑張ってくれ。幸運を祈る」


「それで言うと朝の星座ランキング低かったんだよねぇ」


「ほーん……」


 興味ないと言わんばかりの反応をした後、真白は一瞬視線を逸らし、そしてあることに気づく。


「ニアが低いってことは俺もじゃん」


「はい、道連れでーす」



 何故かしてやったりの表情になっているニアを見て、真白はため息を吐いた。色々と悩んでいるのすら、ニアを見ていると馬鹿らしくなってくる。



――もしもニアと契約できたのなら、その先に続く日々はどう変わるのだろうか。


 そんな少しばかりの未知への不安と共に、真白は別の気持ちを抱えていた。


 こうして他愛ない会話を続ける日々が、同じように続いてほしいなと。




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