第11話 これまでも、これからも
どのくらい走ったかは、覚えていない。
出来る限り遠くへ、そして安全な場所へ。ニアを抱えながら真白は走り続けていた。
おそらく、事件が起こったことで誰かしらは警察を呼んでいるのだろう。少なくとも今の真白とニアが電話出来ない以上、他の人の通報を願うしかない。
ただただ走って、走り続けて。
思考から半分ほど切り離された足は勝手に動き続けているかのような感覚になる。ニアの不安そうな顔は、OWが適用されているためかノイズがかっている。
それでも、腕に残る感触が、ニアを抱いていることを教える。
そして、その温かさと、ニアの不安そうな表情が、真白にあることに気づかせた。
それは、一昨日感じた冷たい感情の理由――もしかすると、真白がずっと契約の選択肢を消さないままで遠ざけていた理由かもしれないもの。
『ニアを、目の前で失いたくない』
それは、自己防衛のためのワガママかもしれない。
だが、そうだとしても、自分のせいで失うことは嫌だった。
いなくなるなら、自分が忘れるくらいに、隣から居なくなった未来で。それが無理なら、絶対に居なくならないで欲しくて。
だから、可能な限り逃げて、逃げ続けて。
そうしなければ助からないことを分かっているからこそ、ニアを抱えたままで走り続けていた。
だがしかし。
「やべっ……」
思考から半分ほど切り離されていた足がもつれて、バランスを崩す。反射的にニアを抱え込むようにしたために地面に左半身を打ち付け、その瞬間に走る衝撃で真白は顔をしかめる。
痛さと共に、ひとまずニアを地面にぶつけずに済んだことに安心する。
「シロ!!? 大丈夫!?」
「まぁ、なんとか……」
腕の声を発して、その声に変な物が混ざっていることに気づく。ハッとした表情になり、そして腕の中のニアを見る。
腕の中のニアは、これまで通り、真白の体と同じようにぶれていた。
しかし、それだけでなく、視界にあるもの全てに、ノイズがかかる。これまで自分自身にだけ適用されていたものが、自分の目を通して見ているもの全てに適用範囲を拡張していた。
「……シロ?」
訝しむようなニアの声も、真白にはノイズ交じりに聞こえる。ボイスチャットをしている時、たまに誰かから聞こえるホワイトノイズが、イヤホンを差してもいないのに真白の聴覚に混じる。
それだけではない。遠くで鳴り響く爆音や悲鳴までもノイズがかかり、正常に聞き取れない。まるで自分自身の聴覚にフィルターがかかってしまったかのように、入ってくる音にノイズが混じる。
瞬間、真白は気づいた。
否、気づいてしまった。自身のOWが変容したことに。
それが位階上昇なのかは分からない。ただ、間違いなく自分のOWがその在り方を変え、自身の今をより揺らがせている。
「ごめんニア」
「えっ……?」
「多分俺、歩けないや」
戦火がすぐそこまで迫る中、腕の中から抜け出したニアが、倒れたままの真白を見つめる。
「歩けない……って」
「なんか、距離感が分からないんだ。多分、このままだと逃げられるかどうか分からない」
ノイズ越しの視界に、ニアが悲しそうな表情をしている光景が映る。
反射的に体を起こそうとして、地面に着こうとした手が空振る。また地面に身体をぶつけて、もう笑うしかなかった。
「……ダメっぽい」
自虐的に口にしたその言葉の通り、現状のままでは、確実に真白は助からない。
そうなれば、ニアだけが逃げたところで、いわゆるバッドエンド直行であることは目に見えている。隣にいることを望み、望んでくれた、お互いが生きてこの先にたどり着くことを願っている中で、それも避けたいことだった。
――せめて、ニアの見えないところで、って、遠ざかることも出来ないのなら
この状況で、残された選択肢は、もう1つしかなかった。
「ニア、契約しよう」
「えっ?」
真白が言った、まだ鮮明に聞こえる自分自身の言葉に対して、返ってきたのはノイズ交じりのニアの驚き。今日何度も、しかしそれぞれ違う感情を乗せた聞き返しの言葉だった。
肌身離さず持ち歩くように言われていた契約用の魔鉄器は、今も真白はカバンに入れている。それは、いつでも契約を出来るように――言い換えれば、場所時間問わず契約をしなくてはならない時のために持たされたものであり、この状況はまさにそれだった。
ただし、契約したところでこの状況に抗えるかどうかは不明で、契約が失敗する可能性もある。故に、本当ならば離脱可能な位置まで下がってから行うべきだと考えた真白は、すぐに選択を提示しなかった。
「俺のカバンのサイドポケットに、お守り型の契約魔鉄器が入ってる。すぐに分かると思う」
「うん。探してみる」
真白が少しだけ体勢を変えると、ニアが真白の言葉通りにカバンを探る。こけたときに背中側にあったカバンから、目的のものはすぐに見つかった。
「あった!」
お守りの形状に模られたそれは、少し汚れているものの、確かに魔鉄器と似た色をしていた。
ニアはそれを即座に真白の手に握らせ、その上からニア自身の手を重ねてくる。
重なった手の感覚は、ぼやけた感覚の中でも分かる。まだ正常なままで残っている感覚がお互いの存在を確かに示している。
その最中に、足音が聞こえてくる。決して静かなものではないそれが、おそらく敵性要素を持った何かであることを理解しながら、ニアは真白の方を向いていた。
「ニア。もし、契約が失敗したら――「しない。させない」」
真白の言葉を遮る、ニアの言葉。絶対に成功させるという強い意志は、ノイズ越しにも伝わってくる。
「だって、ずっと一緒だったんだから」
「……ああ、そうだな」
真白の世界にかかったフィルターを突き抜けて、想いを乗せた声が届く。いつも元気で、はっきりとしていて、たまにうるさくも感じる声が、今はただありがたかった。
聞こえるなら、まだはっきりと返せる。
「これから先も、ずっと一緒に」
「うん、そうだね」
物理的に繋がれたお互いの手の間に、契約用の魔鉄器がある。それは予定通りではないものの、お互いが望んだ契約への片道切符。
「
この時を待っていたのが嘘のように、真白は静かに起動句を告げる。
ずっと待っていたその言葉を、ニアは確かに聞き届けて、そして返す。
「
『これまで』と『これから』を繋ぐため――『いつも通り』をこの先も続けるために、可能性にかけた2人は、確かに祝詞を告げた。
* * * * * * *
祝詞を告げた後、ニアは真白のOWを初めて目の当たりにしていた。
「……ずっと、こんな世界を見てたんだね」
精神世界とでも呼べそうな場所で、ニアは1人呟く。
ずっと三鏡真白が見ていた世界。それは、いつも隣にいたはずなのに、少しも知らなかった世界。
長い時間を共にしたからこそ、だいたいのことは分かると思っていた。しかし、それでも一ミリも知り得なかった世界が、確かにここにある。
改めて見た自分の手は、あらぬ方向にあった。しかし繋がっている感覚はある。今まさに、三鏡真白のOWを追体験している。
「……これじゃあ、確かになんにもできないなぁ」
ぶれてしまった自分の手を見て、ニアはそう呟く。
自身の大好きなプラモの組み立てを含め、物作りもパソコンと向き合うことも、これでは厳しいだろう。
「いっぱい、諦めてきたんだね」
昔はやっていたはずのスポーツも、今では一切素振りを見せない。
一緒にファストフードを食べる、という帰宅途中の定番も、ニアは真白としたことがない。
思い返せば、たくさんの時間を共有したはずなのに、したことのないイベントがたくさんある。
「ずっと辛かったんなら、言ってくれればよかったのに……って言っても、ダメだよね。それで救われるなら、きっとOI体質者は魔女を求めない」
ノイズがかかってしまい、正常に認識できない様は、まるでアニメ世界で描かれる『バグ』のようにも見える。
とすれば、今の三鏡真白は、バグったままで生き続けていた、ということになるのだろうか。
――そしたら、確かにおかしくなったって、何にも変じゃない
バグったままで今日までの人生を歩き続けられたことは、もしかしたら奇跡なのかもしれない。色んなものを削り落として、それでも人としてまともであり続けて、今ここに三鏡真白がある。
ただ、そうやって空いてしまった空間も、確かにある。この先に待っているのは、削れたことで空いてしまった心の中を、埋めるための時間なのだろう。
「ねぇシロ。決まらないなら、決めちゃえばいいんだよ。これまでと同じように、決めるの私ばっかになるかもしれないけど」
目の前にいる、真白を模した何かに、ニアは言葉を投げかける。
ニアは、真白の口から「~したい」という類の言葉をほとんど聞いたことがない。
「それじゃあ何も変わらないから、行きたいところ、したいこと、いっぱい聞きたいな」
真白が、頷いた気がした。ニアの心の中は、満たされていた。
「真っ白な未来設計図をいろんなもので埋めて、それを2人で組み上げていこうね」
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