貞操逆転世界の剣仙令息

浜彦

第1話 剣を夢見る深窓の令息

 僕は、剣に憧れている。


 きっかけを挙げるとするならば、それはまだ子供の頃に見た人形劇かもしれない。


 美しい人形が刀剣を振るい、詩句を詠み、自らの武芸で信念を貫くその姿は、僕の心に深く刻まれ、憧れとして残った。


 悪を討ち、不正を見かければ剣を抜いて助けに入る。無名の出自でありながら、身には絶技を宿し、風雨に立ち向かい、大志を抱いて生きる。これこそが、僕が理想とする侠客きょうかくの姿であり、愛してやまないその形である。そして、侠客たちが理不尽に立ち向かうための支えとなるものこそが、彼らの手に握られた剣だった。


 僕の言う「剣」は、単なる武器ではない。それは持ち主自身の技そのものをも指している。剣技と鋭き刃が一つになって初めて、剣と呼べるものになる。そして剣に信念が宿ったとき、それは侠客を支える核となり、彼らが天下にその名を知らしめる特別な力となる。僕にとって、剣はまさに侠の象徴なのだ。


 だからこそ、僕は剣に憧れる。一途で。


 そして、この憧れは今もまだ、消えていない。



 ◆

 この世界に生を受けてから、いつの間にか十年の歳月が過ぎ、気がつけば早起きが習慣となっていた。


 母に誕生日の贈り物として頼み込んで手に入れた小さな剣を抱え、僕は一番高い大樹の頂上に座り、遠くの稽古場を見つめていた。


 広場では、弟子たちが汗を流しながら鍛錬に励んでいる。その動きは、まるで一つひとつの所作を確かめるように、ゆっくりと正確に剣を突き出している。鶴が翼を広げるように、蛇が舌を伸ばすように。剣は、朝の光を反射してきらめいていた。


 僕はその動きに目を奪われ、まるで息をすることさえ忘れてしまうようだった。


 そのとき、足音が聞こえた。


「坊ちゃま!坊ちゃま、どこにいらっしゃいますか?お支度の時間でございますよ!この後は茶道と書道の授業がございます!」


 視線を木の下に向けると、男性の従者たちが四方に散らばり、辺りを見回しながら何かを探している様子が見えた。


 至福のひとときを邪魔された気分になり、僕はため息をつく。気を練り、木から身を躍らせて邸宅の隣にある渓谷へと飛び降りた。男たちから逃れる前に、振り返って一瞥を送る。


 稽古場にいるのは、皆、屈強な女性たちばかりだった。


「……ふん。」


 女性だけが稽古場に入れるという理不尽なルールに心の中で悪態をつきながら、僕は山壁の突き出た石を蹴り、気を練った軽功けいこうを使った。気と巧妙な力を使えば、僕のお気に入りの秘密基地にすぐに降り立つことができる。


 そこは山間の小川沿いの石畳で、緑が辺りを包み込んでいた。煩わしい従者たちも、くだらないルールもここにはない。


「ふぅ……」


 丹田たんでんから気を練り、さっき稽古場から盗み見した剣技を思い出す。


 構えを取り、ゆっくりと突きを繰り出し、体と腕を捻りながら足を一歩踏み出す。


 思い出せ、前に盗み聞きした秘訣がある。剣は軽やかに動き、巧妙さを尊び、静で動を制し、後の先を取る——そう教えられていた。


 僕は今まで頭の中で覚えてきた技を気と共に舞いながら振るう。体が次第に熱を帯び、半ば瞼を閉じた僕の脳裏に、母である剣仙けんせんの姿が浮かぶ。彼女の気は密度が濃く、ただ立っているだけで山のような重圧を感じさせるが、その佇まいは柳のように自然だ。


 母の剣を目にしたのは一度だけ。それは、無礼にも道場に挑みに来た悪人を母が迎え撃ったときのことだった。母の突きはまるで天雷のようで、剣先が光の如く敵の心臓に達した瞬間、遅れて雷鳴が轟くかのように怒号が響き渡った。


「はあっ!」


 気を剣先に集め、力いっぱい突きを繰り出した。全身の力が一瞬で吸い取られるような感覚に、大きく息をつき始める。僕の突きには火花も生まれず、雷鳴が追従することもない。剣先はただ、僕の動きに合わせて揺れているだけだった。


 あの人には、まだまだ遠い——


琉璃るり坊ちゃま。」


 突然、背後から澄んだ女性の声が響いた。


「……えいか。」


 仕方なく振り返ると、そこには一人の少女が立っていた。黒紫の艶やかな長い髪を高いポニーテールに結い、凛とした眉の下には澄んだ大きな瞳が光っている。彼女は道着を纏い、鞘に収めた剣を手に持っている。僕よりも背が高い少女は軽く一礼をし、手を差し伸べてきた。


「またこちらでこっそり練習されていたんですね。どうか戻りましょう。従者たちがとても心配していますよ。それに、まだご準備も済んでいませんし、今は汗だくです。このままでは先生に失礼にあたります。」


「嫌だ。そんなことより、剣をもっと練習したい。」


 僕がわがままを言うと、瑩は美しい眉を寄せた。


「坊ちゃま。」


「君は僕の側役だろ、何とかしてくれ。」


 瑩は困ったように微笑んだ。


「坊ちゃま、何度も申し上げましたが、私は宗主そうしゅ様を説得することはできません。宗主様は保守的なお考えですから、男は剣術に触れるべきではないとお考えです。でも、今ここでおとなしく戻ってくだされば、こっそりと剣の秘訣を教えて差し上げます。」


「本当!?大好きだよ、瑩!」


 僕は嬉しくなり、瑩の手を握って何度も振った。彼女の頬がうっすらと赤く染まる。


「坊ちゃま、ご自身の言動にはご注意を。」


「いいじゃないか?君は他人じゃないんだから。」


「……そうかもしれませんが、それでも節度は必要です。坊ちゃまは剣仙様のひとり息子であり、尊いお方なのですから。」


 瑩は微笑んで僕の手を取った。


「では、戻りましょう。皆が待っています。朝ごはんの時間ですよ。」


「うん!」


 我ながらちょろい。


 でも、しょうがないじゃないか!これも剣技を学べるチャンスなんだ。それに、弟子たちの中でも最強の瑩は、いつも有言実行。


 瑩のタコのある手を握りしめると、安心感が湧き、心が暖かくなるのを感じた。ただ、心の片隅で、この世界の成り立ちにはため息をつかずにはいられない。


 この古風で、女性が多く男性が少ない世界では、男性は保護されるべき希少な存在と見なされている。力も気も女性に劣る男の役目は、戦うことではなく、子孫を残すこととされているのだ。


 せっかく多様な武術の門派もんぱ剣客けんかくが存在するこのファンタジー世界に生まれたのに、剣に憧れる僕が男に生まれるなんて、ね。


 物事はいつも思い通りにはいかないものだ。



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