第40話 女王様の掌の上③

 イーヴェルとドリーが立て続けに失敗をしている事をまだ知らないレスリーは、アニス王国の王城に勤める料理人に扮していた。

 屍毒のレスリーと言えば、東方で毒殺のプロとして有名だ。明らかに彼のによる毒殺と分かる場合もあるが、レスリーが犯人とは断定が出来ない殺人も複数ある。

 レスリーは後で検出され難い特殊な毒にも熟知しているので、彼による暗殺と分からず不審死として処理された事件もある。


 それらも含めると、300人以上は殺していると思われている。そんなレスリーの定番パターンは食事に毒を混ぜる事だ。

 直接本人に接触する必要性が低く、顔バレするリスクを減らせる。護衛の相手をする必要もなく、無駄な労力を割かなくても済む。

 レスリーが使う毒には遅効性のものも多く、毒見役ごと本命を殺害するのはお手の物。魔法や魔道具でも毒として感知出来ない種類の物も幾つか知っていた。


「毒が効かないなんて噂、本当なのか見せて貰いますよ」


 食糧庫から適当に食材を持ちだし、ただ運んでいるだけの料理人を装う。普通の文官ならばともかく、料理人は遅い時間に仕事をしていても不思議ではない。

 前日の夜から仕込みを始めるぐらいの事はどこでもやっている。仮に本当に仕込みをしている料理人が居ても、数人なら眠らせてしまえば良いだけ。

 戦闘力がそれ程高くないレスリーでも、これまで暗殺者としてやって来られた理由はこの徹底した姑息さにある。本人は頭脳プレーのつもりで居るが。


「そこの君、待ちなさい」


「はい? なんでしょうか」


 レスリーが振り返った視線の先に居たのは、アニス王国の宰相であるミルド公爵であった。

 レスリーは頭脳派を自称しているだけあり、王城内に居る重要な人物について自分でも調べていた。特に頭のキレそうな人物については。

 その要警戒対象として、一番の人物に声を掛けられたレスリーは動揺しない様に冷静に対応する。

 まさか初見でバレる筈もないだろうと自分に言い聞かせる。この国では屍毒のレスリーについて、特に情報は無かった。顔がバレている可能性はほぼ無いと。


「こんな時間まで仕事かね?」


「すぐ済みますので」


「そっちは王族専用の厨房だろう? イリア様は手間の掛かる料理は好まない筈だが」


「大した事じゃありませんよ、これを運んでおくだけですから」


 流石にイリアの細かい食事の好みについてまで、わざわざ言及された事についてはレスリーも焦った。

 食事関係について、一番調べねばならないのがレスリーの暗殺方法だ。対象の嫌いなメニューに毒を仕込んでも意味がないからだ。

 レスリーは提供されている最近のメニューは一通り確認していた。だがイリアの食事を調べても、そこまでの細かい好みまでは分からなかった。

 レスリーは料理人並に料理の知識を持っている。調理方法によっては、毒が中和されてしまう場合もあるからだ。


 だがそれでも、食事の調理方法にまで細かく気にする王族の存在までは思い至らなかった。

 貴族ですらそんな人間は珍しい。貴族は自分で料理などしない、だから調理方法までは普通把握していない。

 何故イリアがそんな事を知っているかは自炊していたからだが、イリアの過去は公表されていない。それ故にレスリーには知りようが無かった。


「あともう一つ良いかな?」


「何でしょう?」


「君は誰かな? 私は城で働く全員の顔と名前を記憶しているのだがね。君の顔は初めて見たよ」


 完全記憶能力と言うものがある。それは一度見た物事を忘れないというごく一部の人間に発現する能力だ。ミルド公爵はその能力を持って生まれた。

 だからこそ、宰相と言う役割がこなせている。前王の腐敗した国を、何とか維持できた理由の1つであり公爵最大の武器であった。

 またしてもレスリーには予想出来なかった事態に、今度こそ動揺を隠せない。王城で働く人間の数は千人どころではない。

 騎士も含めたら単位は万になる。それを全て記憶している存在など、最初からどうやって想定出来ようか。顔が知られているかどうかなど、最早関係がなかったのだ。


「くそっ!?」


「ふむ、これはデリアの花の根から採れる毒だね?」


「バカな!? 効いていないのか!?」


「私がこれまで、何度暗殺され掛けたと思うかね?」


 ミルド公爵は、前王の頃から当時の国王派に命を狙われて来た。それこそ20年以上もの期間にわたって。

 それまでの間に公爵は、何度も毒を盛られて来た。だからこそ毒の対策は完璧にしている。

 特注の魔道具を身に着けており、あらゆる毒が公爵には効かない。毒物と医療の専門家に作らせた魔道具により、一定範囲内の毒は中和される。

 レスリーが投げた小瓶に入っていたのは、デリアの花と呼ばれる珍しい花であり根っ子には毒がある。

 吸い込めば人間など一瞬で死ぬ猛毒だが、公爵は全く動じる事は無い。


「な、何だこの帯は!?」


「怪しいと分かっていて、長々と無意味に会話すると思うかね?」


「クソッ!? 離せ!?」


「私は前線で戦える程強くはないがね、これぐらいの事は出来るのだよ」


 いつの間にか出現していた紅色に輝く帯がレスリーの体に絡み着く。地面から出現した紅い帯は、ガッチリと縛り上げて微動だにしない。

 公爵はイリアから幾つか古代の魔法を教わっている。その1つが詠唱ではなく体の動作で発動させると言うもの。

 それをマスターしている公爵は、この様に会話しながら相手に悟らせる事なく魔法が行使出来る。

 不審者の捕縛程度なら、単身でも可能だ。こうして4人居た暗殺者のうち、3人目が確保された。

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