白狗と猟師

一話 猟師と鬼鹿と白狗ー1

 臨月を迎えた姉が近々村外れの産屋に入ることになったと産婆から訊き、的場まとばしのぶは一晩何を贈るかと考えた結果、牡鹿の角で親子お揃いの勾玉を作ろうと思い立った。鹿の角は魔除けと共に福を呼ぶ縁起物でもあり、妊娠や出産のお守りとしても珍重されている。


 鹿の角の加工は初めてではない。角以外にも、動物の骨を首飾りや吊り装飾のような小さな装飾品や装身具に加工している。それは売り物として、毛皮や肉と一緒に村人たちに町まで卸してもらい、その収入を猟銃用の銃弾や手入れ道具に変えて戻してもらっている。生業である猟師業ついでに始めたはずが、もう今では小遣い稼ぎを兼ねた趣味となっていた。


 狩りの準備から結末まで、すべては循環である。親切なことにネコババもないし、差異が無いよう一覧表までくれるが、それに目を通すことなく囲炉裏の火の着火剤としていつも消えていた。


 住居である山小屋の隣には一回りほど小さい小屋があり、扉一枚を通ることで入ることができる。そこには猟銃や銃弾、手入れ道具の他に、薪や米俵、毛皮や骨などが公私混同に置いてある。自営業なので何も問題はない。 


 偲は室内をくるりと見回し、一拍おいてもう一度見回した。鹿の骨はあるが、角が無い。


 角、置いてなかったっけ。


 記憶を巡らせて鹿角の行方を探ると、一昨日町に卸してもらった品物の中に、加工前の鹿角を含めていたことを思い出した。頭蓋付きの鹿角を所望する客は時々現れる。珍しすぎて、逆に忘れていたようだ。


 となると、狩りに行くしかないな。


 偲は壁に掛けられた猟銃を下ろし、狩猟へと向かう準備を始めた。


 雪を纏った雲は、山小屋の上に滞空している。降り注ぐ木の影も日の光も薄い。猟銃を背負って、腰元に銃弾を貯えた巾着を下げ、ソリを引いて山道を下る。人の往来が作り出した獣道を、凍り付いた落ち葉や小枝の上を音を鳴らしながら歩く。歪んだ森の中は、目が回る。


 うねり曲がりくねる奇木の群生は、町民からは【妙樹みょうじゅの森】呼ばれているらしい。十九年も見てきた景色なので、自分にとっては変哲のない森だ。

地上から樹冠までの高さは六十メートルほどと高木だ。常に葉が生い茂っており、けれども常緑樹のように緑葉一色ではなく四季によって四色に色を変えるので、村では常葉樹じょうようじゅと呼ばれている。春は薄桃色で、夏は深緑、秋は紅や黄色で、冬には純白に染まる。見上げた樹冠が白いのは、枝に積もった雪ではなく、白い葉だった。淡く薄い木漏れ日を差し込ませながら密集していている。森の中が薄暗いのはそのせいだ。 


「あー……さみぃー……」


 降雪量が多い地域に生まれ十八年間生活してきたからといって、寒さに慣れるわけではない。吐く息が凍り付いて自分の顔へと戻ってくる。


 的場家の男は代々猟師になる。強制的に術を継承されるのではなく、幼い頃から追い続けた父親の姿を見て、自発的に興味を持つようになり、偲は猟銃を手に取った。すでに死んだ父も、祖父の姿を見ていつの間にか猟師になっていたらしい。きっと祖父も同じだろう。


 姉の清子きよこは猟師ではなく、村の大食堂で数人の女たちと一緒に料理を作っていた。偲が大食堂用に獲った獣の肉と村で育った野菜を使い、振舞ってくれる。何でも美味く、そして温かい。普段は適当に自炊して食っているが、週に一度くらいは村の大食堂の世話になった。


 清子が結婚したのは去年の春で、村を挙げての結納式が執り行われることとなった。会場は大食堂だ。清子の夫は、村の農家の青年だ。名を山本やまもと峰雄みねおといい、朗らかで誰からも好まれる好青年だ。的場家も山本家も代々交流があって、先祖も何組か結婚している。清子と峰雄も幼馴染で、幼い頃から好き合っていた。

 ようやく二人が結婚すると両家に報告した時は、だよな、と喜びはしたものの驚かなかった。宴席で振る舞われる肉料理の調達のために、父は偲を連れて狩猟に出かけた。その時、奇妙なひぐまの死骸を発見した。


 その羆は内臓を喰い尽くされていた。これだけならば、他の羆や狼やとの縄張り争いに負け捕食された跡だと判断することができたのだが、身体中が穴だらけだった。それは肉食獣の歯型のような孤は無かった。先の尖った棒のようなもので滅多刺しにされたかのような有り様だったのだ。死骸の周りも異様だった。木の幹には引っ掻き傷のような痕跡が多数見つかった。熊の爪痕かと思ったが、父は深刻な顔つきで首を横に振った。


「この傷口は……間違いないな、鬼鹿きじかだ」

「鬼鹿……?」


 すでに捕食者を知っているかのような口調で呟かれた言葉に聞き覚えが無く、偲は聞き返した。父は、鬼鹿という存在がいったい何なのかを説明してくれた。


「異様な鹿だ。見上げるほどに馬鹿デカくて、目が四つあって、どれもびっしりとした複眼だ。前脚と後脚の間に一対の脚……中脚って呼んでるんだがな、それがある。角には茨みてえな棘が生えてる。二人のこの傷口からして、奴だろうな」

「見たことあるのか?」

「遠くから、単眼鏡で見た。そん時は、鹿を喰ってた。普通の鹿をな……」

「肉食の鹿?」

「ああ。今は鹿や熊を喰ってるが、いずれかは人間を襲うかもしれない。お前ももうじき猟師として独り立ちするだろ。熊や狼だけが危険じゃない。俺らが知らないだけで、もっと危険な存在も数多存在している。それを覚えておきなさい」


 この羆の毛皮や爪は使えないな、このまま自然に返してやろう。父は羆の遺骸に手を合わせた。偲も倣い、鹿を探しに行った。


 村と森を往復しながら、参列者分の鹿や猪を撃っては運んだ。そして結納当日、村が祀る山神の神社で神前式が行われ、晴れて二人は夫婦となった。白無垢姿の清子の姿は天女のように綺麗だった。


 結納式の後日、父から鬼鹿の出没報告を受けた村の男たち鬼鹿狩りが行われた。もちろん、偲も参加した。だが、広大な森の中を何日間もかけて探しても、鬼鹿は見つからなかった。行動範囲が広いのだろう。結局、今に至るまで鬼鹿の目撃情報は無い。


 それから大きな出来事が続いた。清子の懐妊と――両親の死である。父は崖から転落し、母は病で死んだ。両親が死んで以来、肉親は清子だけとなった。それが、甥か姪が増える――幸せではないか。狩猟にさらに気合が入る。


 爪先が薄い積雪に踏み込んだ。足元に光が広がっている。進めば進むほど、光はどんどん眩しくなり、積雪の量も多くなっていく。日光が雪に反射して、足元が光っているように見える。偲は雪原に出た。細く斑な枝の影が晴れ、途端に銀世界の眩しさに目を細める。空は晴天で、青く澄み渡っている。雪雲も見える前方の範囲に無い。パキッとした青さだ。


 雪原には常葉樹の逸れ木が散在している。佳景だ。襖絵にでもしたら涼し気で雅やかだろう。雪原の遠い奥には、樹高の低い森が広がっており、こちら側とあちら側が同じ世界の違う世界のような矛盾した感覚を感じる。


 偲は爽快な心地で深呼吸をした。辺りを見渡して、鹿を探す。鹿は、森や山の中だけではなく、広い場所にも表れる。見晴らしが良いこの雪原は、偲の絶好の狩場だった。


「ん?」


 きらめく雪原の中、二百メートルほど先の方に、細い木が一本立っているように見えて、偲は目を細めた。四本の枝に支えられた横向きの太く短い幹の端っこにはコブがあって、そこから二手に分かれちゃ枝が伸びている。


 それは牡鹿だった。鼻で雪を除けて草を食べている。体格も角も大きくて立派だ。


「見つけた」


 ソリを引く手綱を肩にかけ、忍び足で近付いていく。牡鹿との距離が百メートルほどまで縮まった場所に丁度良く立つ、輪のように歪んだ常葉樹の逸れ木に身を隠し、猟銃を構えた。


 その時、牡鹿が勢いよく顔を上げる。耳をパタパタと動かし、何かの気配を探っているかのような素振りを見せた。


 バレたか?


 偲は舌打ちをしたくなった。だが牡鹿は、前方の森を注視している。偲の方をまったく気にかけていない。


 バレてない? なら、好都合。


 偲は引き金に指を添えた。しっかりと目で照準を定めて――撃つ。


 バァン! ……銃声が強弱を繰り返しながら響き渡る。銃弾は牡鹿の後頭部を撃ち抜き、弾丸命中の衝撃で二歩ほど前のめりに進んだ牡鹿は、力無く倒れた。


 偲は牡鹿に駆け寄った。そして、手を合わせる――獣であっても、命を奪ったことに変わりはない。責任もって我らが命の糧とし、生きていたという証を体に残すのだ。毛皮は防寒着に変わり、肉は栄養に変わり、角や骨は装飾品やお守りとなる。余すことなく、命を頂戴するのだ。


「ごめんな。お前の命を無駄にはしないよ、ありがとう」


 頸動脈に小刀を差し入れて放血を始める。その間に、小型の鋸に道具を変えて角を切り落とす。片方の切断を終え、放血の様子を確認し、今度がもう片方の角に刃を当てた――。

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