第10話 それほどのものか?
幾原佳代は、元々は拝み屋だった。
両親共に拝みをしていたが、親族から伝え聞くところによると、元々は明治の廃仏毀釈運動で破壊されたとある寺社の一族の末裔であるという。
その寺については詳しくは聞いてないが、神仏混淆をしていたようで、元々祓いもしていた寺でそれなりに栄えていたらしい。神仏分離などできようもないほどにごちゃごちゃに入り混じっていた――という事情もあるが、地元では有名悪名ともに高く、それが原因で国学かぶれの連中の攻撃の的となり、寺族ともに追い出されてしまうことになったという。
その後、数世代を経て流浪の拝み屋となった一族は、彼女の親の代で拠点を構え、そして生まれた佳代が霊力を優れていることから、彼女を生き神として新興宗教団体を作り上げた。
(あの頃は、なんだかんだと幸せだった)
などと佳代は思う。
おひい様などと呼ばれ、ちやほやと信者たちに甘やかされ、両親はそれに比して修行などで厳しくはしていたが、それでも特に何か不自由があったわけでもない生活を送れていたわけであるから、概ね幸せといってもよいのだろうと思う。
そんな生活も、十五歳の時には急変した。
治安維持法の改正だとか諸々の事情があって、彼女を生き神とする宗教組織は弾圧を受けた。
教団にとって致命的なことは弾圧そのものではなく、そのごたごたのさなかに両親が共に流行り病で亡くなったことだと、今は思う。
当然、生き残った彼女一人で組織を采配することなどできず。幹部信者が私利私欲に走り、必然、組織運営はいい加減になった。
それを、十代の世間知らずの彼女にはどうにもできなかった。
生き神だろうと、少女でしかなかったのだ。
結局、団体は何処からかおかしな思想を持った人間が入り込んで先鋭化し、その挙げ句、憲兵がやってきて解体という憂き目となった。
それでも生き延びた彼女は、まっとうな職を目指し、そしてまた自分のことを知らない土地を望んで大連へと渡った。
そこで満鉄調査部にスカウトされたのであるが、捨て去ろうとした自分の過去に追いつかれたような気分がして、最初は嫌だった。
『とりあえず、呪殺などはしなくていい。密偵をしていただければ結構です』
とは直属の上司の伊藤に言われたことであるが、護法童子を操って情報を集めるというのも、あまり好きなことではなかった。
やっているのは、要するに覗き見であるからだ。
それでもなんだかんだと続けてこられたのは、調査することの多くがまったくの未知のことで、ほんの数年前まで教団の外のことなど全くしらなかった彼女には、刺激的で新鮮であったからだ。
世界は、まったくもって素晴らしい。
貧困も、戦場も、殺し殺されの現場も見てきたが、佳代は今は素直にそう思っている。
何もかも含めて、世界は素晴らしい。
(わたしは、それで幸せというわけでもないけども)
女給仕の格好をして歩きながら、ぼやく。
最近は、少し仕事をしすぎではないかと思っている。
大連は物騒な連中が闊歩しているという。上司同僚の話を聞くならば、内務省の『別室』を壊滅させた者が新京に向かったらしいとか。
(スケジュール的には、これの前の便に乗ったと思うのだけれど)
できるならば、でくわしたくないと思う。
相手がどのような異能の持ち主かは知らないが、彼女は自分の力を戦闘向きだとは思っていないし、大陸でも、実際に戦ったことはほとんどない。まったくではないが、基本的に密偵専門である彼女は、護法を飛ばすだけである。
「あじあ号」の中でもそうしようと思っていたが、見つかると逃げ場がないこの環境では、逆に危ない。護摩でも焚いて結界をしていれば話は別だが、汽車の中でそんなこともできようはずがなく、去年に大連で方士から買った陶器製の人形――指南車を使って列車の内部を調査していた。
(だけど怪しい者を見つけたら、それでどうしたらいいのかしら)
とは思っていた。彼女が戦闘向きでないことはすでに述べたが、満鉄調査部には霊的な闘争……そのような荒ごとに向いている人材がそもそも、ほとんどいない。悪意ある工作員などに対して、直接対処するマニュアルなどというものもない。
調査を開始してから気づいたが、とんだ穴だと思った。
ふと。
指南車が一点を差した。
視線を向けると、クマのぬいぐるみを抱いた金髪の少女がこちらを観ていた。
「あなたは……」
と少女は日本語で言ってから、歳不相応に顔をしかめて、こちらに背中を向けて駆け出した。
「待って」
と声を駆けて追いかける佳代。
少女は貨物車の方に向かっていた。
◆ ◆ ◆
「…………この事は乗客には?」
「箝口令を敷いていますが、時間の問題でしょう」
幾原佳代の死体を見つけて悲鳴をあげたのは白人の少女だったが、その時には死体の冷たさからして時間経過はざっと半時間ほどたっていた……というのは、満鉄乗組員の中で、荒ごとの経験がある者の見立てだ。
それだけの時間があれば、佳代の死体を見つけ、トラブルに巻き込まれたくないという理由で無言で離れていった者がいたとしても、さほど不思議ではない。
むしろ、そう考えるべきだろう。
「すでに、何処からか話が漏れています」
「そうか」
伊藤は事務的に現場保存などについての確認と死体を安置するための部屋の確保などを命じ、その諸々が片付いてから、同室にいたレイナと王様の二人へと改めて顔を向けた。
「どうも、我々にも予期せぬことが起きているようです」
「……そのようですね」
レイラは伊藤が見た目に落ち着いているようで、しかし動揺を隠すためにそう振る舞っているのを見抜いていた。
無理やりに噛み潰した、貼り付けたような冷たい表情には、見覚えがあった。仲間が殺された者は、みんなこういう顔をしていた。
(信頼していた者が殺されたのなら、こうなるのは当たり前か)
その幾原佳代という術者に会ったことはないが、さきほどの話からしても、よほどに実力があったことは伺いしれた。
そしてしばらく……煙草を一服するほどの時間の後。
「――まだやることがありました。少し、この場でお待ちしてください。直接、現場で指示してきます」
と伊藤は出ていった。
扉が閉まって、足音が離れていくのを確認して後に、レイラは面白くもなさそうに座っている王様に向き直る。
「これはその、例の仙人が関わっていると思います?」
「さて、な」
興味がないような口ぶりだった。
「ただ、少なくとも、あれは関わっていない」
あれとは、彼を吹き飛ばしたというモノなのだろう。
「それは、……解るんですか?」
一応聞いた。
「あれだけのものが何かすれば、すぐ解る。しかし―――」
王様は、そこで何か思い出したように立ち上がった。
「私たちも調査に参加しますか?」
「いや、腹が減った。飯を食う」
「…………えーと」
どうしよう。ここでどういえばいいのだろうか。レイラは迷った。おかしな存在ではあるが、この人は自分の思い通りにいかないと理不尽に怒りを撒き散らしたりするような、そんな類のえらいさんではない、というのは解っている。
だが、自分の意志、目的を阻害されればどんな風にへそを曲げられるか解らない。
「あの、ご所望のものがあれば、ルームサービスでもってこれると思いますが」
「………ほう?」
それで何か興味を持ったらしく、改めて座り直してくれた。
何のどういうツボに触れたのかよく解らないが、とりあえずルームサービスで食べるということになり、電話を使わせてもらうかと考えたが、少し考えてから扉を開けると、案の定、外に車掌姿の屈強そうな男が立っていた。
「とりあえず、食事を――二人分、お願いできますか?」
「了解いたしました」
男はそのように答えると、すぐに近くに待機していた給仕に声をかけた。
(監視者っていう感じでもないか。護衛なのかしら)
どっちでもあるのかもしれない。
軽くお礼を言ってから戻ると、王様は勝手に壁を埋める書類を観ていた。自由気ままにもほどがあると思った。
(とは言っても、あるのは満鉄関係の資料ばかりだけど……)
時折に、何か難しいタイトルのついた黒い革の表紙の本があるが、法律関係のもののように見えた。この調査部は、普段は法務関係の仕事も兼任しているのかもしれない。
王様は、適当にパラパラとめくっては本棚に戻していたが。
やがてひとしきりすませた後で、またソファーに腰掛けなおす。
やってはみたが、思ったよりも退屈だったという風情だ。
レイラはその様子を観ていたが、やがて意を決して。
「あの、王様、先程話されていたことですが……」
「うん?」
「その、あなたのいうあれというのは、よほどに凄まじい存在であるようですが」
「ああ」
「正体についての、見当はついてないのですか?」
「正体か」
内海さん――どうもその呼び方には慣れないが――がいうには、全ての生者にとっての禍となる存在だというが。
「そんなものが存在し得るんですか?」
「………何が言いたい?」
「いえ、仙人がいる、鬼がいる、陰陽師がいて、貴方のような鬼退治がいる……それはまあ、納得しましたけども、その、仙人にしてもおとぎ話ほどのすごい存在でもないのなら……」
全ての生者にとっての禍とは、何なのか。
それは仙人などよりも恐ろしいものなのだろう。しかし、それがどういうものなのかの見当がつかない。彼女には少なくとも、魔物だの妖怪だのについての知識は一般人と大差がない程度にしかない。
このことについては、気になっていたのだ。
「欠伸一つで多量の鬼を呼び覚ます死者であると、あと、あの女仙人は、かの王、と呼んでいませんでしたか?」
「そう、言っていたな」
王様は頷く。
「あの、鬼というか、死者の強さというのは、生前の地位や身分に関係するのですか?」
と聞いてみた。
「生前の身分か」
「王というからには、生前の身分も王だったと思うんですけども……」
「そうなるが、この大陸にどれだけの王が歴史上いたものか」
他人事のように云う。
自分も『しびとのおう』などと呼ばれているくせに。
(というか、この王様はなんなのだろう?)
今更ながらにそう思う。鬼たちを平然と倒し、あの相馬をこともなげに退ける。仙人を殺したこともあるなどと言ったりもする。
(相馬さんがいうには、幾つもの流派の技を使ったということだけど)
どういうことだろうか。
しかし、今聞いて教えてくれることなのだろうか。到底、そうは思えなかった。
レイラの内心など斟酌などしてくれず、しかし王様は話を続けた。
「死者の強さと身分のほどは、俺の経験では比例する」
一応考えてくれていたらしい。
王様は天井を眺めながら、そう答えた。
「経験では――ですか?」
「俺の仕事は、ほぼ内地だ」
そういえばそうか。大陸にくるのは随分と久しぶりのようなことを言っていた。
しかし、そうすると……この人は国内の高貴な身分の悪霊なり鬼なりを倒してきたということであり。
(あ、そういうのは、ちょっと聞いてみたいかも)
とレイラは純粋な好奇心から思った。思ってから、いや、比較対象としてと自分に言い聞かせる。日本国内のどんな偉い人だった鬼を倒してきたのかは解らないが、そこから、あの「かの王」とやらがどれほどのものなのかの見当がつけられるかもしれないと思う。
(いや、それもいいわけだ)
とさらに考え直した。
(私は単純に、この人のことを知りたいんだ)
さらに深呼吸した。
「あの、その、今までされた仕事については、聞いてよいのですか?」
「部外秘だ」
さらりと拒否された。思っていたより、穏やかに、軽く流された感じだ。
「あ、そうですか……」
予想された範疇の回答ではあった。
「面白い話は特にない」
王様はそれだけ言い添えて。
「しかし、あれは今まで倒したどれとも違うな」
「違う――格とか、力が?」
「そうだな。格も違えば力も桁違い………恐らくは、あれほどのものは、本邦の歴史にはかつていなかったかもしれぬ―――が」
王様はそこで眉をひそめた。
そして、何か言いよどむ。
この人が何か言いにくいことがあるという、そのことについてどうしてか信じられず、レイラは唾を飲み込んだ。
この人が言いたくないこと、考えたくないことなどあるのだろうか?
力の差があることを平然と述べながらも、やってみないと勝つか負けるかは解らないと、そう言い放つほどの傲慢さがあるのに。
「たいした力であったが、全ての生者の禍となる……それほどのものか?」
それは彼女にとって、予想外の言葉であった。
◆ ◆ ◆
「緊急事態よ。カトー」
「どうしました、少佐?」
「日本人の術者が殺されたらしいわ」
「おお、何処からのニュースです?」
「……それは内緒」
「ははあ。どうしたものでしょうねえ。『別室』絡みの例の事件ですかね」
「それは解らないけど」
「運が悪いですね。逃げようとした先で、まさか事件に巻き込まれるなんて」
「まだ、巻き込まれたわけではないわよ」
「まだですか」
「……どうしたものかしら」
「もしも他に術者がいて、念入りに調べたら、すぐにバレるんじゃないですか?」
「バレだってどうってことないし。すぐバレる程度の私じゃありません」
「ハハハハハハ」
「ムカつく笑い方するわね」
「いや、親父の代からのアメリカンなので」
「私はあなたの祖父の代には、新大陸にはいたわよ」
「そろそろ、順応した方がいいですよ」
「ふん……」
「さて、どうします?」
「どうしたらいいかしら?」
「上司が決めることですよ」
「……ヤクタタズ」
「とりあえず、勘ぐられる前に自分から明かしたほうが無難だと思いますよ」
「それができれば――――」
「少佐?」
「用事ができたわ、カトー」
「そのようですね」
二つの声は、そして消えた。
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