第9話 三清社。

「飽きたー」

 と言った少女は、見た目に十代前半ほどだった。長いウェイブした髪を背中に流し、白を基調とした清楚な服にクマのぬいぐるみを抱いて「ぶー」と頬をふくらませる。

 視線は車外に向けられていた。

「ずーっと似たような風景ばっかりー」

 まだ走り出して、二時間とたっていないのであるが、子どもによくある飽きっぽさで少女はいう。

 それでぬいぐるみをだいて列車の中をうろうろとしていたのであるが、こちらもやはりそんなに形式は代わり映えしない。

 こちらは五分で飽きた。

「うー……」

 そうするともう本当にやることがない。寝台室にいって寝るくらいだ。しかしそれは避けたかった。

 勢いで飛び出したということもあるが、すぐに飽きたと戻るなんて子どもっぽすぎて嫌だったのだ。

「ジュースとか、でるのかな」

 そう言って、食堂車に向かうことにした。



   ◆ ◆ ◆



「神といっても、いわゆるキリスト教の神ではありません。私たちの馴染みがあるような、妖怪とさして変わらない存在たちのことですよ」

「ああ……」

 レイラは日本にいた記憶はないが、日本のそういう「神」の観念は知らないでもない。多神教の国であると聞いていた。それは人工的に巨大化された大連でいると微妙に馴染みがない感覚だった。中国移民たちの祭りや葬儀などはたまに見かけるのであるが。上海にいた頃はどうだったろうかと思った。忘れてしまっていた。

「確か、神道でしたっけ?」

「ええ。それと似たようなものが、この国にも……大陸にもある、というべきでしょうかね。満州帝国の宗教は、色々ですから――私たちは道教タオと呼んでいます」

 道教。中華民国の各地に伝わる民間宗教。仏教などと習合しつつ各地で独自の信仰、祭儀の形態を保持しつつ現代でもある。満州では武当山派に帰依する者が多いという風に聞いている。

「あいにくと、世間一般で出回っている以上の知識はないですが。仙人になるための宗教だというくらいで」

「教義的にはそうですね。しかし組織として考えると、また話は違う」

「ああ……青幇がやっていたのでしたっけ」

 外部から乖離された宗教団体というのは、秘密結社となりやすい土壌がある。むしろ表向きは宗教団体、あるいは会社組織でありながらも、内部には特異な思想の人間を擁する秘密結社であるという組織は数限りない。

 宗教から離れてその手の話をすれば、大連には大小合わせて何十もの秘密結社がひしめいていて、その多くが青幇やら大陸浪人の日本の極右だとかの分派で、ゴミのような規模であるのだけども。

 一応は監視対象とされていてそのいくつかとレイラは関わりを持っている。

「青幇の宗教は道教というのもまた違うのですが、あそこは多くの人間が関わっているので、少セクトではまた独自に宗教を信仰している場合もある……あなたたちが『ぐ号案件』に関わっていると考えていた【三清社】はその一つでした」

「やっぱり、【三清社】絡みですか」

 彼女が一昨日の夜にガス爆発事故に見せかけて皆殺しにしたはずであるが、どうもその生き残りがいたらしい。

 ――と、昨日までは考えていたのだが。

「【三清社】絡みといえばそうですね。正確には、その創始者というべきか……」

 伊藤は言った。

「創始者?」

 そういえば、青幇に吸収される前はどういう教義でどういうふうに形成された組織なのだろうか。

 今まで気にしたことはなかったし、あまり気にするまでもないと思っていた、

 宗教組織にもぐりこむのならまだしも、侵入工作で爆破するだけなら、そこまでする必要はない。無駄な手間が増えるだけのことだ。

 伊藤は「そうですね」と頷く。

「シースーメイという女道士が、五百年ほど前に作った組織ですよ。【三清社】は。彼女は生前に崑崙山に至って仙道の奥義を得て、死後昇仙したと伝説に謳われていたそうです。マイナーな、黄河沿いのある村にだけ伝わる話ですが。彼女が仙人となる前に創設した結社が【三清社】の前身であるとか」

「えーと……」

 レイラ左指で額を抑える。

 思考を整理しようとしていた。

「なるほど。シースーメイがあの女の名か」

 と、なぜか納得した王様。

「…………信じるんですか?」

「他に、仙人の関係者はいないのだろう?」

 それはそうなのだが、仙人だとか陰陽師だとかの話、目の当たりにしてもそう素直に受け入れることができるものではなかった。

 彼女は諜報員なので情報はただ受け止めるだけである。だが、分析官として考えた場合、そう結論を出すための証拠が必要になる。

「信じられないのは当然でしょうね。私も、まさか仙人などというものがいるとは思っていませんでした」

「はあ」

 では、今はどういて信じているのかということだが。

「『別室』に陰陽師がいるように、私どももその手の術師を擁していると、それだけのことですよ」

「それは、」

 内務省が陰陽寮に関わっていたように、ここもそのような異能たちが所属しているということか。

「あとで紹介しますよ。この列車にも乗っていますから。元は新興宗教をやっていた使い手なんですけどね。内務省に潰されて後、色々とあって満鉄に入社した……いわゆる転向者の一人です」

(そういう場合も転向で合っているのかな)

 元は思想犯であったのが体制に恭順した――という意味では、転向で正しいはずであるが。

「彼女――幾原佳代っていうんですがね。彼女は民間の拝みの家柄で、今昔物語の安倍晴明よろしく護法童子を飛ばして情報収集し、時に呪殺する……彼女の力を見てなければ、仙人の存在などというものは到底信じられなかったですよ」

(そういう人たち、本当に普通に組織に配属しているんだ……)

 先日に顔なし……いや、内海から聞いたばかりのことで、王様のようなものたちを目の当たりにしているというのに、こうして説明を受けると今まで自分が地面だと思っていて立っていたところが、実はそうであることになんら根拠はなかったというようなことを知らされたような気分がしてくる。もしかしたら扉の向こうは書き割りになっていて、キャメラマンが自分たちを撮影しているのではないか。

「【三清社】については、彼女が調べてきたので、確かです。彼らは少組織でしたかが、仙術由来の異能を駆使し、その地方で色々とやっていたそうですが……このあたりのことは別にいいでしょう。問題になるのは五十年ほど前、河川の輸送業の労働者たちの互助組織ある青幇に吸収されてからです」

「吸収、ですか」

「仙術を使用していたとしても、霞を食べて生きていたわけではないようで。生半の仙術では、より巨大な経済力を持つ組織に従属するより他はなかったのでしょう」

(それもなんだか世知辛い話……)

 仙人というのは俗世を超越している者というイメェジがあったが、どうにも物語のようではなかったらしい。

「その頃には創始者も結社から離れてはいたということもありますが、青幇のような巨大な組織ともなると、同様の術者は何人も抱えていたので、逆らえなかったという事情もあるかもしれませんが」

「それは、ありそうですね」

 日本にあって、民間にそういう異能の使い手がいっぱいいたのなら、大陸にはそういうのはもっといてもいいはずである。

【三清社】はあくまでも数ある秘密結社の一つで、たまたま創始者の仙人が近代近くまで関わり続けていたというだけでしかなく、他に各地に同様の組織は存在していた――と考えるのが筋も通る。

 要するに、超常の力を要するのは彼らだけではなかったということだ。

「その【三清社】がどういう事情で青幇から再分離して、本拠地から離れた大連で活動していたのかはよく解りませんが、それは話の本筋ではないのでここでは省きます。ただ――ここで彼らはやりすぎたようです」

「やりすぎた?」

 疑問形に口にしたが、レイラは彼らがやらかしたことを思い返して、各地で屍体から鬼を作って暴れさせたことを考えると、「やりすぎた」というのは別に大袈裟でもなんでもない、そのままとしかいいようがない評価だった。

「彼らの被害に合っていたのは内務省別室に限った話でもなく、アメリカ、イギリス、ソビエト……それどころか本来は友邦組織でもあった、青幇の構成員にも被害が出るに及んで……遂に周辺の組織のほとんどは敵対することになってしまった。そして、彼らは追い詰められた。その顛末には、貴女も関わっていました」

「ああ……なるほど」

 先日の本拠地爆破工作は、各組織が同意の元に行われたものであった――と、この時にレイラは初めて知った。

「それは、そうですね。そうでなければあんな大規模な工作はできません」

 現場には『別室』関係者以外の工作員は見た記憶がないが、別の場所で何がしかされていたとしてもなんら不思議ではない。

 そのあたりのことを自分が知らないのは仕方がないことではある。

 所詮、自分は外部嘱託の諜報員でしかないからだ。

「それで彼らは創始者であるシースーメイに泣きついた……と、

(僕たちは?)

 そう考えている、というのは確定情報ではなく、推論でしかないということであろう。しかし今このように開陳するという以上は、それなりの理由があるはずである。

「ふん」

 と王様はソファーに大きく背もたれして、鼻で笑った。

「…………何かご不満でも?」

「間尺があわんな」

「間尺、ですか?」


「あれは、でどうにかなるようなモノではなかった」


 あれというのが何なのかは、レイラには見当がついたが、伊藤には解らなかったらしい。そういえばこのことは『別室』の生き残りには伝えていたので、なんとなく満鉄調査部にも伝わっていたと思っていたのであるが。そうではなかったのか。

 そもそもからして、レイラは「あれ」というのを見ていない。

「…………あの、何キロ四方にも渡って届いて聞こえたという、霊的な叫び声の主のことですか?」

 伊藤は少し考えて言った。

 内務省から話が伝わっているのかどうかは不明だが、その存在については知っていたらしい。彼のいう幾原という術者の調査の結果だろうか。

(だけど……その幾原さんも、あれが欠伸だということまでは調べられているはずもないか)

 あの女仙人がそう言った、というだけのことであるが。

 その存在について、ちゃんと情報を共有すべきだろうかとレイラは少し悩んでいたが。

「そうだ」

 軽く言ってくれた王様は、さらに。

「寝ていただけで、俺を寄せ付けなかった」

 とんでもないことを告げてくれた。

「寝ていた、だけ……?」

「存在の規模が巨大なモノが、しばしば起こすことだ。眠りの中、俺が近ずいてるのに気づいたので、わずか意識を向けた―――それだけで、俺は吹き飛ばされた」

 なんでもないことのように語るか、レイラは愕然と腰をあげかけ、伊藤は目を丸くして彼を視ている。

「失礼ですが、それは、つまり、あなたとそれには、その、目も合わせることすらできない力の差があった……ということですか?」

「まあ、そうなるか」

 そう言いながらも、王様はどうしてか笑った。

「――それだけの力の差があって、それでも勝てる目算があるんですか!?」

 レイラは、自分自身でも思ってなかったほどに声を荒げた。

 この王様がどういう存在かは解らないが、それでもこうして同行したのは、あの女仙人がこの人の脅威を認めていたからであり、そして彼女自身も、この人を得体の知れない、まさに切り札の如きものだと信じていたからである。

 なのに、ここで、こんな風にひっくり返されてしまっては――

「勝つか負けるかなど、やってみないと解らんが、俺以上の適任は、少なくとも日本にはおらん」

「…………それは、」

 そうなのであろう。

 勝てるか勝てないかなどは解らないが、恐らく内務省は先の見えない事態に最大戦力を派遣したのだ。彼以外に適任などは元より存在しないのだろう。

(勝てるか勝てないかは解らないけど、やるしかないのなら、やるだけか――)

 どのみち、自分にできることはこの人の補助だけである。

 それをすると自分が決めたからには、そのための全力をかけるしかない。

「なあに」

 


 などと、謎掛けのような言葉を口にした。

 レイラも伊藤もそれで黙り込んだ。

 そして。

 どう評価したものか、伊藤は溜息混じりに。

「眠っていたということは、その、あれというのがどういう存在かは解りませんが、眠るか起きるかする生き物であるということですか?」

「生き物ではない」

 王様は即断した。

「欠伸一つで何百人もの死者を眠りから呼び起こすモノが、生き物であるものかよ」

 聞くだに、常軌を逸した存在であるかのようだ。

 伊藤はそれを聞いてどう判断したものか。

「つまり……その、あれというのも死者の類であると、その可能性があると?」

 と聞いた。

 王様は鷹揚に頷いた。

「そうなるか」

「どうにも状況が見えませんが、眠ったまま応戦し、眠ったまま去ったということは……そのあれというのは、何か棺のようなものに入れられているのではないでしょうかね?」

(あ、それは、そうかも……)

 レイラはハッとして顔をあげた。

 王様の話を聞いていたら、なんだかそのように考えるのが正解なように思った。

 棺ではないとしても、何か人間の身体を入れるに相応しい容積のある箱か何かに違いない。

「…………昨日から満鉄の輸送便にかけられた荷物を調査しましょう。あるいは、その女の足取りを追えるかもしれません」

 そういって電話に手をかけた伊藤であるが、少し話していたところでノックがあった。

 緊急の報告があるという声がした。

「入ってもよろしいですよ」

 伊藤はまだその時は落ち着いていたが。

「幾原女史が、遺体で見つかりました」

 という報告に、呆然とした。

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