『行脚』
照りつける日差し。
熱を持つ髪。
合間を抜けていく風。
涼を好み、良しとする心。
「そうだったな。歩くとはこういう事であった」
――アーヴァンより西の地。
大河川ヌフロゥドに架かるハイデンタット
街道を西へひた歩く――剣神。
道行く人々は、剣神の見慣れぬ装束に一時目を奪われている様だったが……。
まさかその人物が月を割り、
中央都市をも縦に割った張本人であるとは夢にも思っていないであろう。
文字通り――神域にまで研ぎ澄まされた闘気は、
仕舞い込んで姿を消した依代と同様、跡も形も無く。
異国の装束と、整った容姿に映える金の長髪が目立つだけの、
――ただのヒト、と成り下がっていた。
「ふむ……」
戦への欲が充分に満たされた今、ふと自身の姿へと感心が向いた。
傷一つない身体とは裏腹に、身に纏う装束はその全てが傷だらけで、
歩く度に端々から欠片が落ちていく。
斜めに切り落とされた
鎖骨辺りから垂れる
下の胸板は削り取られたように摩耗し、ひとつの裂け目がはっきりと穴を空けている。
思いを馳せる様に、
愛おしくその傷跡を撫でる。
暫くそうした後。
己の不格好を諫めるために店でも探そうとしたのか、道行く男に声を掛けた。
「すまないねぇ、全部売れちまった後なんだよ。
残ってたら売ってやっても良かったんだが……」
運良く商人に当たるものの、品は全て売り切れ。
さてどうしたものか、と途方に暮れる。
こと戦闘に於いては千手先を見通す彼だったが……、一度剣を収めればこの有様である。
魔女から叩き込まれた知識を頼りに、
自身が前戦へと向かう途中である事を告げると、
商人の男は少し考え込んでから道を示した。
「このまま西に進むとワズガヴァルドの領地に入る。
女王リンテンド・ワズガヴァルドの顔がそこらへんの看板に沢山出てくるから迷うことはなかろうよ。
向こう一帯は鉱山業が盛んでな、武具も他とはひと味違う。
街道沿いの都市国家には質の良い装備品が並べられてるよ。
前戦に出る前に、まずはそこに辿り着いてみることだ。
言っとくが、生半な覚悟と実力では赤土の地を踏むことさえ……って。
おーい!気をつけてな~!
日が落ちると魔物が出るぞ~!」
半ば引き留めるかのような語り口に余裕の笑みで応えた剣神。
再び西へと歩き出す頃には、
満たされていた戦への欲が静かに溜まりだしていた。
整備された道を過ぎ、警邏も疎らとなる頃。
隙さえあれば思い出すのは剣を持つ
恐れの只中であった筈の騎士達――。
死ぬと分かっていながら、それでも抜けぬ刃を掲げた者達。
吾が絶刀を――。
ひとつならず、九つも凌いで見せた稀なる剣士。
「ここへ降りて、まだ一日と経っておらん。
それでここまでとは……。
はっはっはっ。
剣客がこうも育っているとは夢にも見なかったぞ!」
期待と興奮。
僅かに垣間見せた戦気、血湧く戦への衝動。
西の街道に一瞬ではあったが奔った殺気に近い気配。
その気配に……。
愚かにも逃走を選ばず、歪んだ物欲を鳴らして迫る者がいた。
――夕暮れ。
真上へと上り詰めた太陽が地平に消え、それと同時に登り行くは割れた月。
乱れた理、乱反射する月光は理性無き魔物を強く刺激する。
「小鬼の類い、か……」
谷間の道端、大岩の影からそれは姿を現した。
緑の肌に生える奇妙なまでに細い四肢――。
歪んだ骨格、歪んだ瞳孔、歪んだ嗤い声――。
――ゴブリン。
ケタケタ笑いを不気味に響かせ、
略奪して得たであろう剣を、具足を、
見よう見まねで模倣した戦い方というモノを身に纏っている。
ゴブリン最大の武器、それは油断を誘うみすぼらしさに在る。
如何に人の武具を纏おうとも、その体は吹けば消え入りそうな程に華奢。
そこで生まれるのは慢心。
楽に踏み潰せるだろうという油断。
そうやって蹴散らそうと自信満々で踏み込んできた者を出迎えるのは、
――圧倒的な数。
「騎士の首を切りはしたが……。
やはり……肉を爆ぜさせねば、本調子も戻らぬというもの。
――刃は唯一、吾が手に在り」
振り払った手に顕れた、――絶刀。
乱れた月光を一身に受け止め、白とも青とも云えぬ閃きを放つ。
「どれ……。
吾が手ずから指南してやろう。
溢れる剣気を極限にまで抑えつけて、
剣神はあくまでも普通の刃として始源の刀を握り込んだ。
そして、身躱すことなど造作も無い攻撃をあえて刃で受け取る。
ゴブリンの滅茶苦茶な攻撃にそれでも独得の呼吸を感じ取って、
不適な笑みを浮かべると同時に切り捨てる。
その手に感じ取るは命を断った感覚。
皮に当たり、肉に入り、骨を割って命を蹴散らす快感。
切り捨てる歓びだった。
物陰から加勢してくる三十余りのゴブリン全てに、
対等に、平等に、
振るわれる刃に刃を合わせて、切って殺した。
「物足りんな、全く物足りん。
やはりヒトでなければ駄目か……」
微塵としたゴブリンの亡骸を
脳裏に浮かぶ願いの欠片に直ぐさま突き動かされる。
――燃やさねばならんか。
魔物の死体は他の魔物を呼び寄せる。
それを防ぐには燃やすのが一番効果的だ。
だが……。
手持ちには油も無ければ火を付けるための道具も無く、
剣神には魔法の素養も無かった。
またしても途方に暮れるのかと思った瞬間。
割れた月を透かして見るかのように始源の刀を掲げる。
「……起きているのだろう?
肉を裂いている間、嫌悪の気配が漏れ出ていたぞ?」
剣神の呟きに青と白の光を返す始源の刀だったが……。
滲む炎――。
燃え上がる刀身。
青を包み、白を弾き、赤を放ちながら顕現する――金。
赤熱する銀の髪は熱を帯びて
溢れる九つの尾は天をも焼き尽くす炎を従え。
獣の耳と妖しく光る瞳を剣神へと向けて……。
始源の刀へと宿っていた何者かは、暴虐を孕んだ笑みを浮かべる。
「小童が……よくも妾をぞんざいに振るってくれたな?」
刀から溢れ出した姿は一見するとヴォルフの女そのもの。
足を組んで中空に浮かび、剣神を見下ろすその瞳は獣の如く縦に割れ。
頬杖の指先からは兇悪なまでに研がれた爪が伸び。
頭頂部の獣耳と背後で揺れる九つの尾――。
それこそがヴォルフで在る事の証、且つ、それを否定する証そのものだった。
内包する力の規模と質。
それに比例した圧倒的なまでの存在強度は、剣神とさえ釣り合う。
「褒美じゃ。有り難く拝領せよッ――」
「――躾のなっていない獣だ」
剣神の足下、直下から吹き上がる炎――。
それを無視して振るわれる、絶刀――。
吹き上がった炎はゴブリンの亡骸を巻き込みながら周囲一帯を焼き焦がし、
放たれた剣閃は道に転がる大岩を両断するに飽き足らず砂へと変える。
舞い上がった火の粉と砂塵が落ち着く頃、訝しんだ表情で近づく二人。
差し向けられた炎を今度は黙って身に受ける剣神だったが……。
やはりその炎は剣神を焼かず。
振るわれる刃を黙って見過ごす獣の女は……。
自身の体をすり抜ける刃を心底気味悪がっていた。
「思うのじゃが……これは九分九厘……」
「嗚呼。
十中八九、あの魔女のせいであろうな。
ルファシアめ……中々にして味な事をしてくれる」
灼けぬ者も、切れぬ物も無い。
理の上に鎮座する二人を阻む物など本来であれば存在しない。
しかしその在り方は一人の魔女によって定義されたモノ。
限界など持ち得ない魔女が施した術。
そこに恣意的な振る舞いを感じない訳ではないが、
矛先を失ってしまったも同然の二人は一先ず溜飲を下げる事にした。
「先ほどは怒りもしたが、今の妾は大別して機嫌が良い方じゃ。
特別に名乗ってやらんでもないが、どうしたものかの?」
「獣に名など在るものか。
それが傾国を成した妖であるなら尚のこと……。
刀を介して吾らは一心同体。
嘘偽りの類いは即座に理解できる……筈……だが……」
分かりやすくふくれっ面を晒す妖。
何より、それが嘘偽りで無いことが刀を通じて流れ込む。
刀剣、刃在る物は全て。
その扱いに於いて剣神を凌駕する者は他に無い。
だが如何に剣神であろうとも、刃に宿った存在の扱いまではその限りではなかった。
窺い知れるのは……。
この妖が少し怒っているであろう事と、自身を表す名が在るという事。
剣神が言い放った通り始源の刀を通じて二人は一心同体。
どちらかが不調を来せばもう片方へ伝播するは自明の理。
――何故刀に宿っているのか?
――何故傷つけ合えないのか?
――何故依代だけではなく此奴をも担保としたのか?
――何故、獣を超えて、魔を超えて、妖へと至ったのか?
幾重も浮かぶ疑問を飲み込んだ剣神は、傾国の妖の名乗りを聞き届ける。
「灰に火と記し、
さて、お主の名も聞いておこうかの」
「吾が身に名など無い、好きに呼ぶがいい」
「嘘を云うでない――」
「何ともはや……。
……好きに選べ」
「大層な名ばかりじゃの~。
ツルギノカミ、カタナガミ、天剣、剣神、大御神、厳霊剣、布都御魂……。
偉そうなのは除くとして……。
おっ、良いのが在るではないか!」
「よりによって、か……」
「覚えやすく、発音しやすいからの。
これに決定じゃ!」
「獣には発音も覚えるのも難しい物ばかりだったからなぁ。
実に良い選択だろうて……」
「……――」
「――……」
暫し無言のまま睨み合った後。
日の落ちた街道を照らす炎の轟音と、虚しくも甲高い鈍色が響くのだった。
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