帰還、別れと誓いの言葉


――中央都市アーヴァンへ続く街道。

道行く人々が作り出す賑やかな雰囲気に、旅を振り返る剣士とエルフが加わる。



「この数ヶ月、長いようで短かったですね~。

体感五秒です」



「短すぎだろ……」



「それ程に濃密だったって事です。


キート町で冷たくあしらわれた時、

まさかゼントゥーラさんが極東まで駆けて来てくれるなんて思いもしなかったでしょ?」



「……確かに」



「リトヴァーク王に謁見した時も、

まさか騎士を力尽くで叩き伏せるなんて……」



「謁見の許可が下りるまでは数週間を要すると聞いていたからな。

それに……、その許可が降りたところを見たことが無いとも言われていた……。


傭兵上がりという事は知っていたから、

実力を見せれば話ぐらいは聞いてくれると思ったんだ」



「それであんな無茶を……。

でも、私に言ってくれれば謁見申請なんて簡単に取れましたよ?」



オルネアの歩みが止まる。



「…………は?」



「エルフ特権で要請すれば無視出来ないんですよ。

ヒトとエルフ間のラセト・オーベリア友好条約で、

特権での謁見申請はお互いに無視出来ないんです。


だから私が、会いたいでーすって言えば簡単に……」



深~く肩を落としたオルネアは暫くしてから歩き出す。



「お前の使い方の手引きが欲しいよオレは……」



「手引きですか!?今出しますね!」



背負っている大荷物を置いたので即座に否定する。

何百冊と取り出されたところで、その内容に例外処理が多いだろう事は想像がつく。



「一言に要約出来るんなら聞いてやらんでもない」



「そうですねぇ……ん~。

無駄な抵抗はしない、ですかね~」



「あぁぁ……」



諦めた様な情けない声を漏らすオルネア。



「ダンビートに寄れなくて残念でしたね……」



「仕方無いさ。

霊香の平原まで北上していたんだ。

あそこからでは遠回りになりすぎる。


元より……、

極東の灰島からだって寄る気なかっただろう?」



下手な口笛を鳴らして躱した気になっているアルアだが、

内心はサンザの肉料理を堪能したかったはずだ。

その証拠に、アーヴァンへ直行すると聞いてから零した愚痴は少なくない。


ダンビートの今後とケールの安否が気にはなるが……。

去り際の彼の背は此方を心配させるほど沈んではいなかった。


今はそれを信じる。



「ところで……。


……ヴァンレート君の、長老の口伝に答えはありましたか?」



問いに答えようとする素振りすら見せず、

オルネアは一人で歩いているかのように振る舞った。



霊香の平原を後にして数日。

何度かこうして探りを入れているが成果は無く……。


私でさえ聞き及ばない、口伝でのみ残存する神話の出来事。


そこにオルネアの答えが在るかもと云われれば、

何に於いても知りたくなって当然のことであったが……。


何故か――。

答えを得られないことで安心している自分が居た。


知らないことがあればどうしようもなく疼いていた筈なのに。


編纂の結晶であるが故に、幾度か思い当たる節はあった。


それは恐らく、オルネアという人物を構成する最も深い所に在るものだった。


初めて出会った城塞都市で。

破壊と炎が渦巻く中、悲しい顔で跪いていた事。


誰にも見せたくなかったであろう、野営中の独り言。


極東での決戦で感じたドラゴンの歪さと、

それを身罷るオルネアの言葉。



全ての謎と疑問の答えが、私の恐れも含めて、そこに在る。



「……アルア。

旅を共にするにあたって、お前が最初に言ったことを覚えてるか?」



暫く歩いた後、唐突に投げかけられた問いに間を空けず答える。



「貴方を書き終えたとき私は消えますので、と……」



「邪険に扱うわけじゃない。

始めの頃と比べて、お前への耐性は想像以上に高くなった訳だしな。


ただ、充分に理解できた筈だと言いたい。


それはオレの情報に対してではなく、ドラゴンとの戦いを経ての事だ」



――言葉を選んでくれている。


同時に、場の流れと雰囲気が私の望んでいない方へと傾くのを感じる。



「魔物や魔獣とは規模が違う。

ドラゴンを相手取っては何もかもが受け身になる他ない。


――あの炎から、お前を守ってやれない」



共に並び、歩いている。


地面を踏みしめる音が、装備と外套が擦れる音が聞こえる距離。

耳を澄ませば息づかいが、風を押しのける音すら聞こえる距離。


だというのに。


まるで別の場所に居るかのような。


どこまでも果てしなく遠い様な、そんな感覚だった。



私がここで告げるべき言葉などひとつしかない。



「分かりました――。


でも、依代を届けるまでは一緒に居させてください」



「ああ、勿論だ」



活気の衰えないアーヴァンが二人を出迎える。


普段なら屋台に直行するアルアだったが……。

食欲を刺激する香りも、それを彩る飲んだくれの喧騒も、

今はそのどれにも惹かれず何も記す気になれない。


抱える依代の重さと、それを覆う灰の感触だけに意識を集中させる。


そんな少しばかりの逃避も虚しく、

二人の歩みは王城の大階段に差し掛かっていた。



「……巻き込まれに来た、か。

オレにとっては懐かしいことだが、お前にとっては一秒経ったぐらいだったか?」



小さな頷きを返すアルア。

それを感じても、オルネアは敢えて普段通りに振る舞う。


そうして貰える事が今のアルアには有り難かった。



長い階段を一呼吸の内に上がりきり、

質素な城内では時間を誤魔化せるほどの物が無く。


正装で出迎えたリトヴァーク王からの労いの言葉は、

後に辛うじて記す余韻が残るだけであった。



「貴殿らであれば必ずや果たしてくれると確信していた!

都市国家全ての王に代わり感謝の礼を尽くそう。


――これでようやく、ヒトは前に進める」



「光栄だ、リトヴァーク王」



「召喚の儀の日時は追って知らせよう。

国を挙げての一大行事になる、是非とも立ち会って貰いたいのだが?」



「勿論だ。

旅の成果を見届けさせてもらおう」



王城を出て、

大階段を下って、

中央通りから正門までまだ距離があると思っていたのに。


気がつけば、既に外で。


私に向き合っている剣士が、微笑むでも、はにかむでもなく。

ましてや、寂しい、悲しいといった表情でもなく。



ただ其処に、龍を狩る剣士として佇んでいる。



「今生の別れって訳じゃ無い。

現に儀式はサンクレーネの月が上がる頃だ。

数週間後にはまた会える」



あやす様な語り口から、私はきっと今にも泣き出しそうな顔をしているのだろう。


それは決して、欲を満たせなくなるからと云った我が儘から来るものでは無く。


それは。


それは……。


この旅が、抑えることの出来ない衝動とは別の。


何もかもを留め置かないと狂ってしまう自分の。


その意思とは関係なく。


ただただ純粋に、一途に。



楽しいものであったからなのだろう。



狂気の奥に、苦しむ自分が隠れていた。

どうしようもなかった。

何もかもを記し、何処からも消えないようにしなければと。

そうしなければ私は狂ってしまうのだから。


それだけで、今の今まで生きてきた。

――生かされてきた。


でも。


心に焼き付いた痛みを、この旅の間は忘れることが出来た。


磨り減っていく筆先がいづれは指先に至り、

そのままこの身をも消し去ると思っていたのに。


そうなる事を忘れて、私は旅を楽しんでいたんだ。



そして、――まだ楽しみ足りない。




オルネアが立ち去って丸一日。


アーヴァンの正門で立ち尽くしたままだったアルアは、

辛うじて書を取り出してはいたが……。


何も書く気にはなれず、されどカッと目を見開く。


転移の呪文に口語詠唱で追加効果を付与して、

探すこと叶わぬ剣士の傍に姿を現す。



「約束だけは破らないと、そう期待していたんだがな」



こうなると予感していたであろう呆れた顔をアルアへと向けるオルネア。


咎める視線に込められた強き意思に、それでも真っ向からぶつかっていく。



「前提からして間違っていたので訂正しに来たんです」



「前提……?」



「ドラゴンの炎から……、明星を焼き尽くすが如き彼の熾烈な炎から。

私を守り切れないと、貴方はそう言いました。


——それが間違いです」



普段の捉えどころの無い陽気な雰囲気を、その一切を排して。

強く言葉を紡いでいくアルア。



その言葉の響きに、記憶の遙か彼方から、声が重なる。



「それなら」

『——いっそのこと』



「私を守れるぐらい」

『——私ごと守れるぐらい』



「強くなったらいいじゃないですか?」

『——強くなったらいいんじゃない?』




立ち向かうことを。


阻む壁を越えてその先に踏み出すことを。


迸る炎を影に、恐怖していたのかもしれない。


先に進むという事がどういうことなのか。


強く成るというのはどういうことなのか。


この身に炎を宿した時から、それを考えなかった日は無い。


毎夜ごとに、訪れてもいない未来に怯え……。


いづれは至る結末に、オレは恐怖していたんだ。


誰かを守り抜けるほど強く成ったと云うのなら。



それは……、奴を殺せる様に成ったと云う事なのだから——。



「その結末が変わらないのなら……」



最後の最期。


世界に融けゆく炎を見送る時に。


呆然と立ち尽くすか。


それとも。


力強く地を踏みしめ、奏でられる炎の音色を聞き届けるのか。



「そのどちらかだとしたら……オレは……」



——応えてやりたい。



記憶の奥底に沈んでいても、思い起こせば身体を貫くあの咆哮に。



応えなきゃならない——。




『お前を待っているよ。

地の底、天の果て、理の遙か先で……。


我が身に剣を突き立て、私の命を終わらせてくれる……


そのときを——』




目の前を埋め尽くす思い出が掻き消えると、

そこには必死な思いで胸を張るアルアが居た。


大事な書を地べたに捨て置き、

勢いよく投げ捨てられたであろう筆は地面に突き刺さっている。



此方も同様に、奮い立った意思と決意を示さねばならないだろう。



背の剣を抜き放ち――。

微かに響く鈍色に、心を重ねて、目前で構える。



「アルア……、いや。


アルエルア=アルファール。


我が名と共に在る限り。

其方そなたを守り、死を遠ざける事を此処に誓おう。


――このつるぎに懸けて」



世界を守る前に、まずはこの小さきエルフを守りきってみせよう。



強きことに恐れること無く。

葬ることに覚悟を抱いて。


使命を忘れて脱力せぬように。


いづれやってくるその時の為に。




――最期に振るわれる刃の、その切っ先を落とさぬように――。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る