神話
ヴォルフの里を一言で表すならば、刺激物の絶無、と表現できる。
夕焼けが過ぎ、色の抜けた薄明かりの空。
そよ風が運ぶ、吸い込むだけで傷を癒やす香り。
この里を構成する全てが癒やしを与え静かに佇んでいる。
「んなわけで、ここじゃ争いの一切は禁じられてんのよ。
特に里の中ではな。
平原の一部じゃ手合わせの広場とかもあるんだが……。
……よいっさ、ほいっさ、と。
だから別に、俺への罰に付き合わなくてもいいんだぜ?」
「いいや。
この場の雰囲気を即座に感じ取れていれば、剣を呼ぶまでもなかった。
原因はオレにも在る」
「そう言われるとますます俺の立つ瀬が無くなるんだが……」
「それに、身体の調子を確認するためにも少しは動かないとだからな」
戦いの余波で壊れた天幕。
気まずさで頭を掻くゼントゥーラとその修理に付き合うオルネア。
一応の罰則という体で修理に勤しむ二人だったが……。
二人を覗く周囲の目は、蔑みや排斥のような負の感情を宿してはおらず。
久しぶりに帰郷した若者へと向ける期待の目と、
風体からして只者では無いヒトへと向ける好奇の目と、
エルフと知りながらもその背の低さから子供と見間違う者ばかりだった。
「おい、そこの短足エルフ。おめーも手伝えや!」
「イヤでーす。それに短足じゃありませーん!
全体の割合で見れば足は長い方でーす。
こじんまりとした体型と言って下さーい!」
「おめーの気色悪い気に当てられたから、オルネアは気が動転してだな……」
「まぁ……そこは否定しない」
「否定して下さいよオルネアさん!
貴方の回復を心から祈っていたら、ちょっと漏れ出ちゃっただけで……」
「心配してくれたのは有り難いが。
物を喰いながら喋ってるところを見るに、本心は違うだろ?」
「ほんふぃんふぇすって。
(本心ですって)
ゴクンッ……、っふぅ。
道行く皆さん何故か私に食べ物をくれるんですよ。
だから次々口に入れていかないと手が塞がっちゃって……」
食に支配されて若干思考が鈍っているアルアは、その理由を深く追うのを辞めていた。
「ゼン、それに旅の方。長老がお呼びです、奥の天幕へいらしてください」
心底嫌そうな顔のゼントゥーラを先頭に長老の天幕へと招かれた三人。
深く重い香りが漂う天幕へ入り込むと、
老齢のヴォルフが髭を弄びながらそれを出迎える。
色褪せた灰色混じりの白髪。
全身を覆う白の毛皮。
所々黄ばんだ長毛は相応の年齢を思わせるが……。
その間から時折覗く鋭い目は、年齢を感じさせない程の闘気を含んでいた。
「ヒトが此処へ来るのは久方ぶりじゃて……。
それを孫が失礼をしたな。
許しは乞わん、好きに扱き使ってくれ」
「爺ちゃん!」
「長老と呼ばんか馬鹿たれが。
里長であるお前の父、儂の子でありながらアレの躾けも甘ったれたものよ……」
焚かれている香を胸いっぱいに吸い込み話を続ける長老。
「孫子の叱責にかまけて礼まで失するとこじゃった……。
儂の名はヴァンレート=ロゥ・ストラ。
霊香の平原、十二の部族を束ねておる。
よくぞおいで下さった旅の方」
「名はオルネア。こっちの小さいのは……」
「久しぶりですね!ヴァンレート君!」
「ふっふ……やはりそうじゃったか。
久しい匂いに当時が蘇っておったとこじゃわい。
――アルア姉ちゃん」
二人のやりとりに顔を見合わせるゼントゥーラとオルネア。
だが、事態を飲み込むのにさほど時間は掛からなかった。
既に何度もこういう場面に出くわしている。
「さぁて、積もる話も山々じゃが……。
お主ら三人に話があるんじゃ。暫し付き合って貰うぞ。
エルフの文献にはちょこっと書いてあるかもしれんが……、
恐らくアルア姉ちゃんも知らんことじゃろう」
「私が!?知らない事おッ!?」
「ふっふっふ……。仕方の無い事じゃ。
齢百を超える前にエルフの森を飛び出してしまったんじゃからな。
ゼン。成獣したお主にも伝えねばならないことじゃ。
しかと聞くがよい。
そしてオルネアよ。
剣を携えドラゴンを狩る剣士よ。
口伝でのみ伝わる遙か昔の事だが、
……お主の求める答えのひとつに……なるやも知れぬ」
"古の刻、星の頂点に四つの種族が上り詰めた"
"森と大地を愛し育むエルフ"
"調和と慈愛を爪と牙で支えるヴォルフ"
"空を見下ろし、彼方から世界を見渡すドラゴン"
"そして"
"どの種族からも愛されていた――ヒト"
"何にも秀でておらず、さりとて劣らず"
"しかして野心だけは持ち合わせ"
"多種族に染み渡ったヒトは"
"黒く、黒く"
"夜空から星明かりだけを消した漆黒を侍らせ"
"その黒は、やがて星を覆い尽くした"
"ヒトだけを生かす
"ヒトを除いた全てを喰らい"
"それでも喰らい足りぬ黒が、ヒトをも喰らい始めた刻"
"空が墜ちた"
"大翼を広げ"
"赤熱する鱗と"
"燃ゆる瞳を輝かせ"
"星ごと揺らす咆哮を上げた"
"問おう"
"ヒトを愛する者は何処に"
"森と地の奥底に"
"爪と牙秘める所に"
"我が燃ゆる瞳に"
"エルフは迫る黒を堰き止め"
"ヴォルフはヒトを影から制し"
"ドラゴンは溢れた黒色を灼き払った"
"代償として"
"白金の象徴たるエルフは身を捧げ続けなければならず"
"戦塵纏うヴォルフは剛力を削ぎ落とされ"
"ドラゴンの、その気高き魂を彩った暁は"
"黒に染まった"
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