霊香の平原
「お前がここを出ていってもう何年になる?」
「さぁな」
「里に落ち着く気は無いのか?選り取り見取りで引き手数多だぞ?」
「言うに事欠いて色仕掛けかよ……」
「発情年に帰省したんだからそう思われるのも無理はあるまいて。
で?どうなんだ?」
「うるせー」
「……はぁ、まあいい。
それで?連れの調子はどうだ?」
「うるせぇっての!」
「分かった分かった。
薬は一通り持ってきたから、何か足りなければ声を掛けろよ?」
――霊香の平原。
日の通り道から外れ、常に夜明け模様を維持する平原。
生活限域の外側に在りながらも、
周囲をサンビの谷に囲まれ、その深さのお陰か魔物の類いは一切寄りつかない。
古来よりこの平原で生き延びてきたのがヴォルフ族だった。
魔物は寄りつかずとも厳しい環境で在ることに変わりは無い。
食料を得るため幼き頃から魔物、魔獣との戦いを経験してきた彼らは、
調和と慈悲の心を深く信仰し、命のありがたみというものを真に理解していた。
それ故に、殊更ヒトに対しては親切を通り越して過保護となる事も珍しくない。
ヒトは弱い、だから守るのは当然――。
それを受け容れられなかった者が他ならぬゼントゥーラであった。
――ゼントゥーラ=ロウ・ストラ。
里や集落に居着かず、物資輸送や行商人として町から街へ渡り続ける。
彼には里を離れるに足る理由があった。
弱さを認めず、さりとて強くなろうともしないのがヒトという生き物だ――。
そんな奴を守るのも親切にするのも間違っている。
それが彼の理由であり、普段より苛立っている原因でもあった。
結局は自分も、他の皆と同じだったのだから……。
書き置きを見つけて――。
真相を確かめるべく、件の城塞都市へと赴き――。
そうして見た光景に、毛皮があれば全身の毛が逆立っていただろう。
あの剣士を追いかけたくなったのはそうなった後だった。
邪険に扱ったことを――。
ヒト嫌いの自分が示せる精一杯の優しさだったのだと。
そして、お前も同じだったんだなと……。
「よう。あいつの調子はどうだい?」
天幕から出て伸びをする小柄なエルフに、ぶっきらぼうに問いかける。
「まだ目を覚ましません。
調べられるだけ調べましたけど、魔法が効かないので殆どお手上げです。
恐らくは魔力切れに近い状態では無いかと……」
「あんたにも分からねえ事ってあるんだな?こりゃ驚きだぜ」
おちょくった筈が、アルアの目が伏せたままなのを見て自分の不器用さに呆れ果てる。
「遠巻きに見てたよ、あいつの戦いっぷりを……。
だから分かるんだ。
あんな大立ち回りしてまだ生き残ってる。
その内目を覚ますさ……、絶対大丈夫だ」
「はい……」
――ドラゴンとの決戦。
戦いを制したオルネアは気を失い、
そこへ追い打ちを掛けたのが再び熾った灰島の炎だった。
オルネアの元へ転移したアルアは、
移動用の魔法では炎に追いつかれると悟り、
転移に際しての工夫を求められる事になる。
灰でオルネアを覆うという解決法を直ぐさま導き出すが……。
充分な距離を移動できる魔力は既に無く……。
『――乗れッ!!』
此処で響くはずの無い声に心臓が飛び出るほどの衝撃を覚え。
声の主とは姿形が違うことに、危機的状況を忘れるほど感慨深く……。
「ゼントゥーラさんも成人……いや、成獣ですかぁ。
時が経つのは早いですねぇ~。
体格も二倍以上に膨れ上がって、筋力、持久力もそれ相応に。
でも、今維持していないところを見るに……やっぱり疲れますか?」
「そうなんだよ……。筋肉痛も酷くて仕方ねぇ」
「酷くても切り替えに慣れておかないと大変ですよ?
一度成獣になると身体がそれを覚えますからね。
今度運送料で文句言うときには気をつけないといけません。
激高した拍子に変身なんてしたら並の人は泡吹いちゃいますから」
「ヴォルフよりヴォルフに詳しいのやめろ。
何にも知らねえ自分が恥ずかしくなってきやがる。
……ところでお前、今何書いてるんだ?」
「成獣時のゼントゥーラさんの毛並みについてですけど?」
得意気に満面の笑みを浮かべるエルフを見て、頭を抱えて何処かへと消えていくゼントゥーラ。
それを尻目に『モッフモフ』と備考を付け足して天幕へと入り込む。
横たわるオルネアの胸に耳を当て、心音に乱れが無いことを
目視で顔色を伺い、一通り安心したところで……、――続きに取りかかる。
「全身の筋肉量と傷跡は触診で判明しましたし……。
全二十指の長さ、太さ、爪半月の大きさ、指紋、掌のマメの位置も測定完了……。
歯は健康、ただ左の奥歯に多少の摩耗有り……。
髪の毛の本数も数え終わりましたし、次は……。
――味、ですかねぇ?」
怖気というものは眠気覚ましに良く効くようだ。
オルネアの上半身が跳ね起き、
そのままの勢いで立ち上がって天幕外へと転がり出る。
その手にいつの間にか剣を握りしめながら……。
「よお、オルネア。起きがけで随分と血気盛んじゃねえか?」
天幕外で出迎えたのは、膨れ上がる身体を晒すゼントゥーラだった。
「……ゼン、トゥーラ?
此処は……」
「寝ぼけてっと死んじまうぜッ!?」
踏み込み、流動する体幹――。
血液が沸点を突破して顕れる闘気――。
放たれる両掌崩拳は音を越え、病み上がりの剣士に打ち込まれる。
雷鳴のような轟きが突き抜け、ひび割れるは剣士ではなくその後方。
めくれ上がる程に破壊される大地。
その衝撃を剣で受け、少しも動じることの無かったオルネア。
「やっと手合わせできたな?
……どうだい、オレの毛並みは?」
「肌触りが良さそうだ。
だが、いきなりは勘弁してくれ……」
不器用なりの誠意をぶつけたゼントゥーラは、機嫌を良くして喉を鳴らすのであった。
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