第2話 空の邪竜は地へ落ちた

「ん……ここは?」


 足元の騒音で意識を取り戻した白き竜は上体を起こした。


「ひゃっ……あ、クソ兄貴。この人、起きましたよ」


「わっ……おっ、おはよー。お兄さん。えへへ……」


 寝そべっていたシーラとラアナは慌てて立ち上がり何事も無かったように振る舞った。


「きゃっ……痛たた……」


 一方、反応が遅れ、急に動き出した二人にぶつかってバランスを崩したリューゲは白き竜の股間に顔から突っ込んでいた。


 ━━空の邪竜は地へ落ちた。

 だが、それは……それだけは地に落ちてなどいなかった。


「おぉっ……はぁ……」

 

 リューゲはうっとりして甘い声を漏らした。

 布が勢いで飛び去り、麗しきシスターの顔の前に天にも登る槍がそそり立っていた。


「はっ……これは……その……違います……違いますからね。私は……私はふしだらでは……」


 人間に疎い竜相手でもなければ痴女だと誤解されていたであろう状況に陥ったリューゲは、顔を真っ赤に染めて涙目になり、声を震わせながら身の潔白を白き竜に訴える。

 

(何だこいつ……違うとは、怪しい者ではないということか? どうやら俺様は人間に運ばれてしまったみたいだな。多少の違和感があるが……人化魔法は一応成功か。まあ生きていただけでも上出来だろう)


「おっ、起きたか。よお、兄ちゃん。大丈夫か? 俺はマキシム。兄ちゃんが倒れていたから教会まで運んできたんだぜ。おっと礼はいらないぜ。人っていうのは助け合うものだからな」


 シーラに呼ばれ戻って来たマキシムは際どい女物のビキニアーマーを着たほぼ全裸で歯をギラリと輝かせ、満面の笑みを白き竜に見せつけた。

 歯から反射した閃光が白き竜の寝起きの目を突き刺す。


(うわっ……何だこいつ!? とりあえず殺すか? ━━いや……まずは情報収集からか……あの転生者もそうしていたみたいだしな。ゴミの記憶を頼りにするのは癪だが……別世界から来てもなお、すぐにこの世界に適応していた転生者の真似していれば、まあ何とかなるだろう)


 マキシムにそこはかとなく殺意を抱いた白き竜に転生者の記憶が思い出された。

 白き竜は一呼吸置いて口を開く。


「えっと……俺様はヴァイルだ。よろしくなマキシム」


「おうよ。よろしくなヴァイル。━━あっ、ばあさん。珍しく朝早いな」


 ヴァイルと挨拶を交わしたマキシムは奥から出てきた老シスターのマカに気づき呼び掛けた。


「おやマキシムじゃないかい。久しぶりだね。見ない間に良い男になったねぇ。さっきから騒がしかったから目が覚めちまったよ。」


「お、だろ? それでな、ばあさん。ちょっと頼みたいことがあるんだぜ」


「ん? 頼みって孤児でも拾って来たのかい? ただ……もう孤児はここじゃ預かれないよ。王都に大きな孤児院が建てられたらしいからねえ。そっちで預かるってことになってるんだよ。って、なんだい?デカい子だね。うむ……デカい子だね……ほぉ~本当にデカいねぇ……」


(どこを見てるんだこいつ?)


「あの……マカさん? 一応は聖職者でしたよね? はぁ……どうしてここは変態ばかりなんですか……」


 リューゲは目を皿にしていたマカに軽蔑の眼差しを向け、溜息を吐いた。


「そうだよ。本当に聖職者なの? 変態」


「マカさん見損ないましたよ」


 リューゲの冷たい視線から逃れるように二人はどの面下げてマカを責め立てる。

 

「へ? 何言ってるんだい? 聖職者のセイは性欲のセイなんだよ。聖職者なんてのはねぇ。クソビッチかヤリチンのロクでナシしかいないんだよ。男、酒、惰眠これが長生きの秘訣だよ」


(言ってる意味はあまり分からないが……竜とは違い、人間は力の序列だけではなく年齢による序列もあったな。おそらく、この老いた人間が言ってることは大事なことなのだろう)


「なるほどな。覚えておこう。ん? ということはリューゲも……」


「いえ、ヴァイルさん、この人だけですからね! 少なくとも私は違いますからね。私も聖職者なのですけど、風評被害やめてくれませんかマカさん!?」


「あ……私は関係ないですよ。ここで育ったというだけで聖職者ではないので、その二人とは一緒にしないでくださいね」


「うん。私も違うよ。一度も祈ったことないしね」


 マカの戯言に巻き込まれたリューゲを二人は見捨てて自己保身へと走った。

 マカはリューゲの非難を気にもせずヴァイルに話し掛ける。


「ところで、お前さんはどこから来たんだい?」  


(どこからか……転生者の記憶では王がいる所へと行ったみたいだな。そこから来たことにするか)


「俺様は……えっと……そうだ。王ってのがいる所から来たんだ」


「王? 帝王様のことかい? てことは帝都出身かい?」

 

「そうだな。そうだった気がする。賊に襲われた時に頭を打ってしまってな。少し記憶が曖昧なんだ」


「そうか。それは災難だったな。俺は今から帝都に行く予定だったんだが一緒に来るかヴァイル? 俺は帝都へ行くの初めてだから、道案内してくれると助かるぜ」


「そうなのか。それなら俺様を連れて行ってくれないか? ただ……道案内は……その記憶も飛んだというか……」


「あの、それでは私も一緒に行って良いですか?その……布を買いに行きたくて……帝都には行ったことありますし、道案内なら私がしましょうか?」


 ━━ラアナにスカートを踏まれた状態で転んでしまったリューゲのシスター服は、まるでチャイナドレスのようにスカート部分が破れてしまっていた。

 それに気付いたリューゲはスカートを手で押さえ、恥ずかしそうに呟いた。


「布ってパンツでも破れたのかいリューゲ? まあ良いケツしてるからねぇ……」


 マカはリューゲの大きく柔らかいお尻を引っ叩いた。

 リューゲはマカの首を片手で絞め持ち上げる。


「少し黙っててくれますかマカさん?」


「えっと……じゃあ、頼むぜリューゲ。助かるぜ」


「リューゲも行くの?じゃあ私も行く。シーラはどうする?」


「私は遠慮しておきます。帝都は人混みが酷そうなので……」


「えー、行こうよ。帝都行ってみたくない? ね? ね?」


「うっ……分かりました……」


「ゲッホ。まあ気を付けて行ってくるんだよ。じゃあ私は二度寝させてもらうよ」


「そのまま永眠してくれても構いませんよ」


「マカは行かないの? 本当に朝に弱いね」


「この時間に起きてるのは本当に珍しいですからね。私も本当は寝てたいんですが……」


 マカは教会の奥へ戻って行った。

 マカが去ったのを確認して、好奇心とそれを上回る性欲に負けたリューゲはヴァイルの股間をチラチラと見る。


(こいつ、めちゃくちゃ見てくるな……まさか、俺の正体がバレたのか? 帝都の下りが不味かったか? いや、肉体は完全に人間のはずだが……)


「ん? どうしたんだ? そんなに見てきて」


「へ? あー、シーラが何かジロジロ見てたから私も気になって……それでシーラは何を見てたの?」


「え? ラアナ……あれ? おかしいですね。私はラアナがやけに熱心に見ていたんで何見てるんだろうって思っていたんですけど……本当は何を見ていたんですかラアナ?」


 リューゲと同じ場所をガン見していたシーラとラアナはまたしても罪を擦り付け合う。


「あ……すまない。リューゲに言ったんだ」


 二人に話し掛けた訳ではなかったヴァイルは困惑しながらリューゲを呼び掛けた。

 チラ見どころかガン見していた二人の少女もいたのにも関わらず、運悪くヴァイルと目が合ってしまっていたリューゲは焦って口を開く。


「え? 私なのですか? いや……えっと……その……ヴァイルさん服持ってないのですよね? 私が何か着れそうなものを倉庫から探してきますよ」


(服? そう言えば人間は裸を恥ずかしがる性質があったな。まあバレてなかったのなら何でも良いか)


「ああ……頼む」


「ヴァイルが着れそうなのあったけ?」


「どうですかね? でも、歴史ある教会らしいですし、修道服とか何かしらはあるんじゃないですか?」


「あっ、それなら荷馬車に俺の予備があるぜ。それで良いかヴァイル? 俺の家にならもっと色々あるんだが、悪いが家に寄る時間は……」


「急いでいるんだろう? 別に俺様は何でも構わないぞ」


「そうか。済まないヴァイル。それじゃあ、みんな行こうか」


「それは良かったです。マキシムさん、まともな服持ってたのですね」


「道案内を出来るって言ってましたけどリューゲさんは帝都に行ったことあるんですか?」


「はい。帝都には大聖堂がありますので割と頻繁に」


「頻繁にですか? あれ? でも、リューゲさんっていつ帝都に行ってたんですか? ずっと教会にいるような……?」


「あ……えっと……きちんと行ってますよ。マカさんと違って私はサボってないですからね」


「みんな。早く行こ行こ。帝都楽しみだねー」


 少女たちは能天気に馬車に乗り込む。

 魚と氷が入った樽からの生臭い臭いと冷気が溢れ出す、乗り心地最悪の馬車は帝都へ向けて走り出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る