見えない。

𠄔狄⃝ ت ‎

見えない。


 寝たきり。

 一か月前は、一緒に出掛けていたのに。

 悲愴。彼女は微笑みの中に、汲み取ってほしそうな悲愴感を滲ませる。私には、それが分かるよ。

「調子、どう?」

 彼女は微笑む。けれど、決して元気とは言わない。言葉の一つもない。なにか言ってよ。持ってきた飲み物を小さな机の上に置いて、座面の低い椅子に腰かける。――個室。異様に静まり返って、淋しい。昔は、私よりも元気に、大袈裟に喋ったのに。

 でも、無理はよくないもんね。今は、ちょっとだけお休みしよう。

 どうでもいい――天気のこととか、今日あったこととか、他愛もない話を振りかける。

 きっと、きっと――。

 喋っていても、会話にはならなかった。彼女は微笑んで、頷くだけ。でも、それだけで綺麗だった。私よりも、ずっと、ずっと、綺麗だった。血の濁り具合が違うのかな。それとも、心の純粋さ? 教えてほしいな。

 声が、聞きたい。

 ――検査が始まる。ストレッチャーに乗せられる彼女。無気力で、活気はなかった。涙で滲んで、よく見えないよ。


 一週間後、彼女は変わらず、口の一つも利かなかった。私も変わらず一人語りをする。

 きっと、きっと――。

 ある日、きっと、が、叶った。彼女は口をパクパクさせる。息のできない魚みたいに。

 血の気の引いた唇。カサついて、あの日交わした口づけの痕跡はまるでない。それでも、彼女は懸命に無言で訴える。

 髪を掻き分けて耳を寄せる。痩せこけても、蒼白でも、綺麗だな。……どうしたの?

「――もう、楽にして」

 …………。

 ……あれ、また君が見えないよ。涙の邪魔の先。彼女は、確かに微笑みを見せている。楚々たる微笑み。ここにも、悲愴が隠れてる。

 分かったよ。私には。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

見えない。 𠄔狄⃝ ت ‎ @dark_blue_nurse

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画