第9話

 目覚ましが音をたてて、体を起こした。


 懐かしい夢を見たな、とため息をつく。


 隣を見れば千都さんはいなくて、扉の向こうからカチャカチャと音がする。



 千都さんは朝早くて、いつも朝食を作ってくれる。


 寝てるのかなって心配になるくらい、私よりも遅く寝て、早く起きていた。


 まぁ、私の心配なんて余計なお世話なんだろうけど。



「早く行こう…」



 今日も1日が始まる。


 いつもなら仕事に行ける!ってテンションが上がるけど、今日はお休みの日。


 一週間ずっと休みなく働くことはだめって言われちゃったから、行くことはできない。


 つまり今日は千都さんとずっと一緒ってことだ。


 憂鬱なような、嬉しいような…気持ちがぐちゃぐちゃでほんと嫌になる。


 こんな気持ちから早く『さようなら』をしたい。


 早く家を出たい。


 早く千都さんから離れたい。



 そんな気持ちを抱えたまま、私はベッドを降りた。



……



 朝食を食べ終えて、ソファーで外の景色を眺める。


 高層階のマンションの一室。景色がとてもいい。


 さすが千都さんだなぁって思う。


 若いのにこんなマンションを買えるなんてすごい。



「結愛」



 名前を呼ばれて、視線を向ける。


 後ろを振り向けば千都さんは私を背後から包み込むように腕を回して、顔を覗かせた。



「今日、何したい?」


「え…?」


「休みだろ? なんかしたいこととか、行きたいとことかねぇの?」



 そんなことを聞かれるのは初めてだった。


 てっきり家にいるものだと思ってたから、驚きに瞼をぱちぱちとさせる。


 だって二人で出かけるとかしたことなかったから。



「千都さんは…?」


「俺に聞くと一日中ベッドの上だぞ」


「ッ……」



 あごをなぞられながらそう言われて、それがどういう意味かを察してしまった。


 私のことなんて好きじゃないくせに、いつも甘い声でこういうことを言う。


 まるで恋人同士の戯れみたいだけど、実際はそんなことがなくて…。



「行きたいとことかねぇ?」


「……じゃあショッピングしたい」


「ああ、行こう」



 お給料から少しだけ使ってもいい、かな。


 借金返済しなきゃだけど、このまま家にいたら恥ずかしさでたまらなくなりそうだし。



「準備出来次第、行こうな」


「うん」



 そう頷いて、私は寝室へと向かった。


……



 千都さんの車に揺られて向かったのは、ここらへんで一番大きなショッピングモールだった。


 こういうところを知らなさそうなのに、ショッピングって言ってここに来るなんて千都さんは意外と庶民的なのかも。


 デパートだったらどうしようかと思ってたからちょっと一安心。



 平日でもお客さんが多くて、私は久しぶりのお店に少しだけわくわくしていた。


 ショッピングなんて久しぶりでとっても楽しみ。


 一番目に目についたコスメコーナーに自然と足が向かったとき、肩をぐっと引っ張られた。



「あ……」



 そういえばそうだった。


 友達と来ているわけじゃないんだから、コスメは違う…よね。



「ごめんなさい…」


「なにが? あそこに行くんだろ?」


「でも…」



 気まずくてうつむいたとき、千都さんが「ああ…」と口にした。


 そして私の右手をとって、指を絡ませるようにつないだ。



「ゆき──」


「引き留めたのは手繋ごうと思ったからだ」



 耳元でそう言った千都さんに顔が一気に熱くなった。


 つながる手に汗が一気に噴き出す。


 千都さんと手をつなぐことが初めてで緊張と恥ずかしさでいっぱいになった。


 それがなぜか手に集中して、つながる手が汗ばむ。


 それがとっても恥ずかしくて、私は離そうと試みた。


 だけど手はさっきよりも強くつながり、歩き出した千都さんを見上げて反対の手で袖をつかんだ。



「あ、の…手、やっぱり…」


「ヤダ」


「やだって…」


「ほら行くぞ」



 結局離すことができずに、コスメコーナーへと足を進める。


 汗が止まるように願ったけど、その願いは叶わず…あふれるばかり。


 そのとき、ふと冷たい感触があってつながる手元に視線を落とした。



「え……?」



 するとそこには、普段していない指輪がはめられている。


 見覚えのある指輪に心臓が高鳴った。


 自然と足が止まってしまった私に千都さんが問いかける。



「結愛? どうした?」


「……ゆびわ」


「今更かよ」


「え…?」



 千都さんはつながる手を引き寄せて私の耳元でまた囁いた。



「今週はずっとつけてたんだけどな。もちろん昨晩も」



 その言い方に顔が一気に熱くなった。


 千都さんは笑いながら私の手を引き、歩き進める。


 だけど私は恥ずかしさに顔をあげて歩くことができなかった。


 けっこんゆびわ。


 贈られたものだから私はつけていたけど、千都さんは結婚式以来つけていなかったから、もうないものだと思ってた。


 だけど、そっか。


 持っててくれたんだ。


 どうして今日つけてくれてるのかわからないけど、とてもうれしい。


 今日だけはわたしだけの千都さんでいてくれる気がした。


 それがとてもとってもうれしい。



(…やっぱり好き…だよ…)



 私はひそかに千都さんとつながる手に、ちょっとだけ『ぎゅっ』として握り返した。



 今日だけは私の『旦那様』でいてくれるはずだから。

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