第6話

 あのあとそのまま眠ってしまったのか、夜中に目が覚めた。


 顔をあげれば枕元に寄りかかって読書をしている千都さんがいる。


 起きたことを知られたくなくて、枕に顔を押し付けると頭を撫でられた。



「悪かった。……なんで泣いてたのか教えてくれ」



 なんでってそんなの…。


 知ってて聞いてくるなんて本当に酷すぎる。


 察しがいい人なんだから、私の言ってることがわからないわけがない。


 散々泣いたはずなのに、涙が溢れてきて枕を抱き寄せては顔を埋める。



「結愛…、なんで泣いてんだよ…」



 抱きしめられるように背中をさすられても、全然嬉しくない。


 辛さが増すだけなのに。



「勘違いじゃなきゃなんだけど、結愛、もしかしてさ」



 千都さんは私の隣に横になって体を抱き締める。


 そして耳元で囁くように言った。



「俺に他所に女がいるって思ってね?」


「ッ…!」



 顔を勢いよく上げた瞬間、手首を掴まれて仰向けに寝かせられる。


 腰の位置で跨った千都さんは私の顎を掴んで目を合わせさせた。


 顔が真っ赤になり、視線をそらすために瞬きをすれば涙が流れる。



「結愛、答えろ」


「……そんなに楽しいですか」


「ああ。楽しいな」


「最低──ッ!?」



 突然に唇が塞がれて、至近距離で千都さんは笑った。



「最低だよ。俺は。ヤクザやってるし」



 そうじゃないのに。


 千都さんの悲しげな顔に目がまた熱くなった。


 千都さんは最低なひとなんかじゃない。


 好きな人がいるのに私の返済のために結婚してくれた。


 私が好意を持ってるって知ってたから、だから。


 それがいまはくるしい。



「もうやだよ…」


「ん。やだな。…お前は優しすぎるよ、結愛」



 また泣き出した私のおでこに、千都さんは唇を落とした。


 そしてまた私は泣き疲れて眠ってしまった。


 今度は千都さんの腕の中で。



………



 それから2日目、私は千都さんに送られて喫茶店に出勤した。


 千聖くんが休みの日だから、昨日みたいなことがあったら助けてくれる人はいない。


 慎重に行動しないと。


 昨日と同じくらいにうるはくんは来るはずだから、開店準備をしながら作戦をたてよう。


 今日は千都さんが来た時の作戦も考えてた方がいいよね。


 そしたら昨日みたいなことにはならないはずだし。


…………


 来店のドアベルが鳴り、「いらっしゃいませ」と声をかける。


 視線を向ければ、どこか覚えのある女性がお子さんを連れて来店した。


 他の従業員が対応して彼女たちを案内する。


 その時、食器を片付けていた私のそばを通り、甘い香りが鼻をくすぐった。


 ……嗅ぎ慣れたあの、甘い、匂いが。



 ガシャンッ…!



 何かが足元で割れる音がしてハッとする。


 私の手にしていた食器が床に散らばっていた。



「申し訳ありません!」



 近くにお客様がいなかったのが幸いだった。


 ありえない、こんな初歩的なミス、ありえないよ!



 何してんのよ、ばか…!



「結愛ちゃん、私やるから裏行って」


「え…?」


しょうくん、連れてってあげて」


「はい! 結愛さん、行きましょう」



 何がなんだかわからず、翔くんに連れられて事務所に戻った。


 その途中、指に痛みが走ったことで自分がケガをしていたことに気づいた。


 事務所に入ると、ソファーに座らされて翔くんが救急箱を持ってしゃがむ。



「素手で触っちゃダメっすよー。って俺に結愛さんが教えてくれたでしょ」


「ごめんなさい…」


「何かあったんすか? なんか結愛さんらしくないっすよ」



 私らしくない。


 そんなのわかってる。でも、でもね。


 好きな人のこととなるとそれどころじゃなくなるの。



「結愛さん……」


「ごめ……ごめん、なさぃ…」



 涙が溢れて必死に手の甲で拭った。


 恋愛で左右されてるなんて社会人失格。


 わかってはいるけど、感情なんてすぐ整理なんてつかない。



「結愛さん、覚えてますか?」


「え…?」


「俺が結愛さんに告白したこと」


「あ…」



 そういえばそんなこともあったっけ。


 もう二年も前の話だけれど。


 まだ私が高校生の時の話だ。



「まだ俺、好きなんすよ。だからつけ込みたいんすけど?」


「ごめんっ!」



 勢いのまま何も考えずに言葉が出る。


 目の前には困ったように両眉を下げる翔くんがいた。



「前に言ってた好きな奴とうまくいったんすか?」


「……ううん。私の片思い」


「なら…」


「それでもごめん。どうしても好きなの。あの人のことしか考えられない」



 そうはっきりと口にした私の言葉に、翔くんは笑った。



「それでこそ俺の好きな結愛さんっすよ」


「……ごめんね、翔くん。気持ちはとっても嬉しい」


「俺の方こそ懲りずにすみません。まだ結愛さん以上の人を見つけてないんすよねぇ」



 私以上の人なんてたくさんいる。


 わたしには用意されていないハッピーエンドを受けるヒロインは、この世にたくさんいるんだ。


 翔くんにもきっとヒロインがいて、それはわたしじゃない。



「ありがとう、翔くん」


「いーっすよ」



 翔くんは私を安心させるように、ニッカリと笑った。


 この笑顔に何度助けられてきたか。


 翔くんに愛される子はとっても幸せなんだろうな…。

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