第5話

 それから麗くんが合図をしたのを見計らって、私は「トイレ」と近くにいた同僚に言って持ち場を離れた。


 そっと裏口にまわった時、千聖くんに腕を引っ張られて開けかけた扉を閉められる。


 口を塞がれ、壁に押しつけられる形になり心臓が高鳴った。



「ちさとくん…?」



 この先にはうるはくんが待っているのに、私を救ってくれるかもしれないのに。


 ──どうして。


 やっぱり千聖くんと千都さんは知り合いなの…?


 絶望に胸が染まろうとした時、勝手口の向こうから声がした。



「あれ? お前一人?」



 その声は千都さんのもので、心臓がドキッと鳴る。



「一人で来たんだから帰るのだって一人に決まってるだろ。それじゃあ俺は戻るから」



 麗くんの足音が遠のき、私は肩から力を抜いた。


 もし千聖くんが止めてくれなかったらと思うとゾッとする。


 この様子じゃいつまでたっても近づけないかもしれない。


 そんなの嫌だよ…。



「もう行ったかな…」



 千聖くんはそう言って体を離した。


 千都さんの気配なんて最初から感じなかったのに、いなくなったことまで察することができるなんて…


 千聖くんってすごいな…。



「だめだよ。安易に行動に移しちゃ」


「ご、ごめんなさい…。でもどうして?」


「何が?」


「どうして千都さんに見つかったらダメなんて知ってるの? 千聖くんは千都さんとどういう…」



 迫るようにそういうと千聖くんは困ったように笑った。


 そして



「俺は霧島きりしま千聖だからね」



 その瞬間、前に教えてもらった千都さんの双子の弟の存在を思い出した。


 病弱だけど今は仕事をしていて、家を出てから恋人と同棲をして生活をしているという弟さん。


 それが千聖くんだったってこと…なんだ。



「じゃ、じゃあ私のことも知ってるの?」


「うん。千都に嫁いだって聞いてるよ」


「じゃあどうして今、助けてくれたの?」


「千都にはバレたくないのかと思って」


「その通りだけど、でも兄弟なのにいいの?」



 そう問いかけると、千聖くんは私の鼻をツンっと人差し指でつついた。



「友達、助けちゃダメなの?」


「あ…。ううん。ダメじゃない。ありがとう」



 最後に千聖くんは「うん」と言って、仕事に戻って行った。



…………



 仕事が終わって、千都さんの運転で霧島家とは別の場所に向かった。


 この一週間、私たちが住むのは千都さんが所有するマンションの一室。


 運転中、千都さんは無言でマンションについても口を開くことはなかった。


 だけど、



 ダンッ───



 家にあがろうと靴を脱いだとき、私の動きを止めるように両腕が私を囲って壁についた。


 顔をあげれば、今までに見たことのないくらい殺気を出していて、背筋に寒気が走る。


 なんでそんなに怒ってるのか。


 今の今まで気づかなかった。



「……逃がさねぇよ」


「え…?」


「今更、家を出ていくなんて許さねぇからな」



 急になんでそんな話に……。


 そもそも私なんか家にいないほうがいいに決まってる。


 そしたら千都さんだって彼女さんに毎日でも会えるわけだし…。


 ……あぁ、そうか。


 忘れてたわ。


 わたし、借金の肩代わりにされたんだった。


 わたしが霧島家に引き取られたことで、親と縁を切らされて、若頭と結婚して借金帳消し。


 それがいまのわたしの立場だった。



「もしわたしが霧島家を出たら、借金はどうなりますか」


「てめぇに全額キッチリ払ってもらうに決まってんだろ」



 ……そっか。


 ケッコンしたから、帳消しになったんだった。


 忘れてた。忘れてた。忘れてたよ。



「……わかりました」


「は?」


「全額払うので、わたしを家から出してください。おねがいします」



 そう口にした瞬間、千都さんは私の首を勢いよくつかんだ。


 絞められてはないけど、押さえつけるようにされ、ゴクリと唾を飲む。



「許さねぇ。絶対にそんなことさせねぇ」


「で、も…ゆきとさんだって…」


「俺がなんだよ!」



 なんでそんなに傷ついた顔をしているのか。


 辛いのは、傷ついてるのは、わたしなのに。



「好きなひと、いるじゃないですか」



 涙ながらにそういうと千都さんは目を見開いて、私の首から手を離した。



「いたらなんだよ」


「ッ……」


「それでお前が出ていく理由になんのかよ」



 あぁ、しっぱいした。


 これじゃあ告白したみたいじゃん。



 顔が真っ赤になるの感じる。


 目に涙が浮かぶのを感じる。



 こんなのつらくて、かなしくて、くるしくて、つらい。



「なんで泣く……」


「触んないでよ!」



 千都さんの手を払って、私は寝室へと駆け込んだ。


 ベッドに潜り、枕に顔を押し付けて泣きじゃくる。


 しっぱいした。失敗したよ…!


 こんなつらい片思いなんてもういやだ……!!

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