成就することがない想いの持ち主
三鹿ショート
成就することがない想いの持ち主
教室に戻ってきた彼女は、疲れたような表情を浮かべていた。
その様子と、校舎の裏側に呼び出されたということから、彼女の身に何が起こったのかなど、想像に難くない。
どのような言葉で愛の告白をされたのかと問うと、彼女は溜息を吐いてから、
「私の外見に心を奪われたということでした。上辺だけを好む人間と交際するなど、たとえ大金を積まれたとしても断ります」
その言葉通り、彼女は佳人だった。
腰のあたりまで伸びる黒髪は艶やかで、微塵の汚れも存在していない雪のように白い肌を持ち、意志の強そうな切れ長の双眸に加え、女性特有の豊かな双丘としなやかな肉体は誰もが羨むようなものである。
彼女が美しいことを、私が否定することはない。
だが、心を奪われるかといえば、そのようなことはなかった。
同時に、彼女もまた、私に対して恋愛感情を抱いているわけではない。
ゆえに、我々は、友情を築くことができていたのである。
いっそのこと、我々が交際しているという偽りの情報を流せば、彼女が無意味な愛の告白に悩むことも無くなるのだろうが、そのような状況を彼女は望んでいなかった。
その情報が思い人に伝わってしまうことを、避けたかったからだ。
思い人が自身に迫ってくるようなことは無いとはいえ、何時でも相手の想いに応ずることができるように準備しておく必要があったのである。
だからこそ、彼女が私を利用することはなく、私もまた、同じような理由で、彼女を利用することはなかった。
***
思い人について語る彼女の表情は、常に輝いていた。
そのような内容に一々感動していては疲れるだけではないかと思うこともあるのだが、彼女の幸福そうな表情を前にすると、私は黙って頷くことしかできなかった。
己が語り終えると、彼女は決まって私にもまた話を促すのだが、私が口を開くことはない。
何故なら、私が抱いている感情は、彼女のように純粋なものではなく、他者が耳にすれば顔を顰めるような欲望に塗れたものだったからだ。
そのようなことも知らずに、彼女は私が自分と同じような感情を抱いていると考えている。
その点に、引け目を感じてしまう自分が存在していた。
誰がどのような感情を抱こうともそれは自由なのだが、彼女の想いを聞いていると、己がひどく汚れた人間なのではないかと考えてしまうのである。
ゆえに、私は今日もまた、無言で彼女の話を聞き続けるのだった。
***
しばらく姿を見ていなかったために部屋を訪ねると、彼女の室内は空き巣狙いに荒らされたのではないかというほどの有様だった。
その原因は、分かっている。
おそらく、思い人の結婚式に参列したためだろう。
思い人が己以外の人間と愛を誓い合う様子ほど、この世で残酷なものは存在していない。
私は彼女に声をかけることもなく、部屋の掃除を開始する。
しばらく後、彼女もまた掃除を開始すると、小さな声で感謝の言葉を吐いた。
***
十数年後、私は透明な板の向こう側に座っている彼女と話していた。
何故彼女がこのような場所で生活することになったのかといえば、思い人の息子に手を出したことが理由である。
いわく、息子がかつての思い人の姿にあまりにも似ていたために我慢することができなくなり、年頃の人間が相手ならば、誘惑することで簡単に関係を持つことができると考えたらしい。
それを実行した結果、彼女は一時の幸福と快楽を得ることができたが、その代償として、全てを失うこととなったのである。
思い人に罵倒され、否定されたことで彼女の心は砕け、今では抜け殻のような状態と化していた。
しかし、私は彼女のことを責めようなどとは思わなかった。
何故、我々は、他の人間と同じように思い人を愛することができないのだろうか。
世間的に見れば許されることがない恋愛感情であるために、選んだ相手が悪かったと言われればそれまでだが、誰かに命令されたわけでもなくそのような感情を抱いたことが、それほどの悪なのだろうか。
彼女は、思い人以外の人間に手を出したために、このような場所で生活をすることになったのだが、思い人に対して実行していれば、結果は変化していた可能性も存在している。
だが、手を出してはならない思い人だからこそ、我々は苦しんでいるのだ。
思い人にとって最も近い存在であるにも関わらず、最も遠い存在ゆえに、我々は想いを伝えることができないのだ。
その苦しみを理解してもらおうなどと考えたことはないが、我々の苦悩を知ることなく単純に悪と断ずることは、間違っている。
私は彼女に別れを告げると、自身の思い人とその家族が待っている飲食店へと向かった。
「早く、あなたも孫の顔を見せてやりなさい」
笑顔でそのような言葉を吐く思い人に、私は何も答えることができなかった。
成就することがない想いの持ち主 三鹿ショート @mijikashort
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