ファンタジック街道一人旅
現地時間七月×日、午前の橋探しライドがスタートした。土手の上からの目視では橋や地続きの島らしい地形は地平の果てまで見つからなかった。
一方、水上の船舶の往来は非常にさかんだった。小さな釣り船から大型の貨物船までが頻繁に行き交い、『密航』という怪しい発想を無一文漢に与えた。
しかしながら、非常手段の実行は時期尚早だった。時空は違えど、人々の営みは変わらない。当地の女子のシルエットはぼくの好みに非常にマッチする。空気はきれいで、景色はのどかだ。数日の放浪で野垂れ死にやしない。正味、切迫の危機感はない。
「ヨーロッパ貧乏ツーリングだな」
ぼくはのんきに呟いた。そう、実感はまさに『欧州チャリンコぶらり旅』だった。これは庶民サイクリストの憧れの一つだ。ぼくも何度か漠然と計画を練ったりしたが、何とこれが飛行機代とフライト時間なしで実現した。片道切符のミステリーツアーだが、儲けものだ。この機会を利用しないのはナンセンスだ。
現時点の最大の気掛かりは「うちの部屋の窓を閉めたか?」だった。こういうのどかなサイクリングではそういう小さなことがぽこぽこ浮かび上がり、ぽこぽこ消えて行く。つまり、なべて世は事も無しに平和だった。
ぼくの推測ではこの地の文明レベルはぼくらの歴史のヨーロッパの中世からルネサンスに相応する。陸上の移動手段は徒歩、馬、馬車だ。郵便馬車の巡航速度はジョギングペースに留まる。一日の行動範囲はせいぜい数十キロだ。これはベテランの自転車乗りにはそう長い距離ではない。
そして、宿や駅は住民や旅人が動ける範囲で道中に点在する。現地の主要な交通手段より広く速く動けるぼくらはポイントからポイントへ容易に進める。このライドはイージーだ。
この見立てのとおりに駅っぽい集落や宿場は数キロの間隔で途切れなく点在した。その他の大部分は野原か耕作地だった。整然とした黄緑の区画は田んぼでなくて麦畑だった。たしかに前夜の街ぶらで米っぽい食い物は見当たらなかった。パン派にはけっこうなことだった。
石畳の街道はお昼過ぎに交通のピークを迎えた。十五分に一回は袖の触れ合い、すれ違いがある。馬車や荷車は石畳を進み、旅人や歩行者は側道のダートを歩く。ぼくはこちらを走りながら、歩きの人を都度に避けつつ、快適なライン取りを心掛けた。
人々の反応は一様だ。発見、茫然、凝視のループである。ぼくは笑顔と挨拶でそそくさとやり過ごした。何度か現地の言葉で呼び止められたように思ったが、トラブルを避けて、完璧に無視した。さいわいだれもこの脚神速の未知の神器に付いて来れなかった。この街道の王者の栄冠はタロッケスとゼロ丸に輝いた。
平和な時間は不意に終わった。前方に一騎の人馬が見えた。太々しい乱雑な風貌が遠目に知れた。直感的に『ごろつき』という不穏な単語が頭に浮かんだ。
案の定、先行の徒歩の人がそのごろつきから何かの嫌がらせを受けて、道を大きく外れて、小走りに駆け去った。
ぼくはやや怯みながらも、騎士道とライダーのプライドを呼び覚まし、天下の公道から退かず、毅然と走り続けた。もちろん、俗説に従って、左のきわきわに寄った。
まもなく、二人の騎士は一騎打ちの間合いに到達した。ぼくはわざわざ立ち止まって、ジェスチャーで道を譲った。しかし、相手はこれを無視して、ぼくの方へつーと流れ、行く手を遮った。
「じゃ」
ぼくは小さく言って、右側へハンドルを切った。途端、相手の左腰の立派な剣の鞘が目に入った。片手用のサーベルか何かだった。おっさんのプライドは砕け散って、足がすくんだ。
ごろつきは低い声で何か言った。これまでたびたび耳にした現地の「それは何ですか?」のようなニュアンスだったが、馬上からの横柄な一言は脅迫にしか聞こえなかった。あちらはライダー、こちらはライター、語呂は似るが、目線の高さは天と地だ。
「チャリ、チャリ」
ぼくは馬上を軽く見上げて、紳士的におだやかに応じた。他方、ごろつきは態度を弱めず、威圧的な泥のような声で罵り、にやっと笑った。非常に侮蔑的な失笑だった。
「ああ? うちの愛馬がおもちゃに見えたか? うちのゼロ丸を馬鹿にすなよ。しばくぞ?」
ぼくは無意味な発言を堪えたが、つい心中の本音が顔に出てしまった。いつしか二人のライダーはばちばちの睨み合いの状態になった。
不穏な沈黙がしばらく続いて、ついにごろつきの手が剣の束に伸びた。この動作が目に入った瞬間、例の走馬灯タイムが発現して、周囲の光景がスローモーションになった。これは人体の不思議で、すごい潜在能力だが、絶体絶命のピンチの裏返しだ。なにか良い手はないか?!
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