夜明けのセルフディスカバリー

東の空がようよう白くなりゆき、月がぼんやりかすんだ。ぼくはうとうとから目覚めて、河原に再訪した。水辺はすでに盛況だった。町人が水汲みや洗濯に励み、釣り人が桟橋から糸を垂らす。


 朝の川はぬるめの水風呂くらいの水温だった。水質はそこそこ、口当たりはナチュラルだ。しかし、これを一気にがぶ飲みするのはやや不安である。


 ぼくは深みまでざぶざぶ進み、全身を清めつつ、肉体の具合を確かめた。打撲、捻挫、擦傷は群雄割拠だが、重大な損傷は全く見当たらない。アラフォーの中肉中背のボディだ。

 

 朝風呂の次は朝飯だ。メインはチョコ、おかずは葉っぱである。喉と舌はそこそこ喜んだが、胃袋は納得しなかった。最後のまともな食事は昨日のお昼のマルゲリータだ。なんでたろすけ氏はデザートを付けなかったか? ティラミスがまぶたの裏に浮かんだ。


「ゼロ丸くん、おまえの腹具合はどうだね?」


 ぼくは愛機の電動アシストユニットのパネルを操作して、リチウムイオンバッテリーのエネルギー残量を見た。電池のゲージは八十五パーセントだった。これは安全圏だ。アシストの使い方、重量、風向き、地形などで実数は変動するが、腹八分は健全である。


 とはいえ、現状はデジタルネイチャーには絶望的だ。充電器からコンセント、変電所から発電所まで電気のインフラの一切合切が存在しない。今やこの大容量バッテリーは巨大な使い捨て電池でしかない。いずれの日にか、ただの重し、数キロのデッドウェイトになる。不死鳥のようには復活しない。

 

 かつまた、スマホも同じ危機に直面する。こちらのエネルギー残量は二十九パーセントだ。これはおそらく一両日中に切れて、完全無欠のスマートぶんちんが誕生する。もちろん、モバイル通信やGPSは入らない。


 一旦、電気の問題から目をそらして、アナログな所持品を確認しよう。

 

 携帯工具

 携帯空気入れ

 替えのチューブ

 充電ケーブル

 ボールペン

 メモ帳

 チョコレート

 タオル

 鍵類

 財布


 現金は一夜で紙くずになってしまった。札束のすすり泣きが聞こえる。そして、これをぺーパー代わりにする勇気と覚悟はまだ沸かない。そうか、タオルがあるし!


 アナログな実用品は小金になりうるが、文房具を手放すのはジャーナリズムに反するし、工具類を売るのは自転車道にもとる。


「チャリを売る? それは絶対にありえない。騎士や武士が馬や刀をほいほい売りますか? ぼくらは二つで一つだ。なあ?」


 ぼくは相棒の肩を撫でた。ゼロ丸が「押忍!」と答えたように思えた。


 マウンテンバイクを手放さないのは自転車乗りの意地だけではない。自転車はこの中世風の異世界では高等技術のかたまりだ。とくに空気入りタイヤとボールベアリングは車輪の性能を飛躍的に向上させる。この二つの大発明で馬車、台車、戦車、滑車、水車、風車などなどの回り物が爆発的に進歩する。極論、この一台で産業革命が始まってしまう。富の源泉を手放すのは愚策だ。


 スマホはさらに魔法のようなアイテムだが、この世界の職人や学者の手に負えない。そもそも、持ち主が構造や作り方をちゃんと説明できない。半導体の作り方を空できちんと説明できるのは技術者くらいだ。ぼくはできない。デジタルとアナログには絶対的な次元の壁がある。


 空気入りゴムタイヤやボールベアリングはこの限りでない。精度はピンキリだが、構造はシンプルだ。たぶん職人や技術者は理解できるし、一定の水準で再現できる。で、この二つが完成すると、近代型のホイールが誕生する。産業革命だ。


「そうだな・・・馬車のメーカーにこいつを提供する。見返りにロイヤリティを貰う。か、特許を取って、自前で作る。タロッケス式ベアリングとヤダム式チューブとしよう。商標はゼルマールだ。ぼくは大金持ちになって、末永く幸せに暮らし、平日から気ままにチャリでぷらぷらする。はっはっは」


 胃袋はぐうと不平を漏らしたが、脳髄はこの偉大な計画にぐらぐら沸き立った。これを絵に描いた餅としないためには職人、学者、技術者と出会わなければならない。とにかく、そう、街だ、都だ、大都会だ。


 ぼくは決意を新たにして、船着き場を見に行った。詳細な料金は不明だったが、金銭のやり取りは見受けられた。天保山の渡しみたいな無料のサービスではなかった。そして、当然のごとく日本円は通用せず、おっちゃんに突っ返された。


 目の前の川幅は五百メートルほどだ。泳いで渡れるか? たぶんぎり行ける。では、二十五キロの自転車と一緒に渡れるか? 絶対に無理だ。


「よし、今日のライドは橋を探すサイクリングだ。行くぜ、相棒!」 


 ぼくはゼロ丸の尻をぺしぺし叩いた。

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