ドライブ、ドライブ、ドライブ
レデル家の自社物件の奥まった区画、そこが鍛冶屋の真骨頂だった。炉、ふいご、金床、ハンマー、やっとこ、水桶、砥石などなどのステキな工具の一個師団がぼくらを迎えた。
そのツール類のなかでぼくの心を一際に捉えたのは裏手の水路側の壁に設置された大きな装置だった。
「水車ドライブだ」
ぼくは棒と紐と歯車の複雑な伝動装置を見ながら呟いた。
「タロさんはおれのことを言えないよな。機械を見るあんたの目はちょっと病的だよ」
ベインは言った。
「このシャフトやギアはきみのお手製か?」
「おれや親父や祖父さんの合作ですね。おれが作ったのはそこのギザギザだったかな?」
「どのギザギザだよ。じゃ、金属加工は得意だ?」
「まあね、鍛冶屋だしね」
「じゃ、おまえはこれを作れるか?」
ぼくはゼロ丸の後輪のギアを差した。ベインは仁王立ちになり、ギザギザをにらんだ。
「そう、それだ! この作りは明らかに異常だ。歯が左右対称でないし、形が一つ飛ばしで違う。こんなめんどくさい加工になんの意味がある?」
「変速のしやすさのためだったかな?」
「このチェーンもそうだ。ただの単純な輪っかの繋ぎじゃない。小さいピンと小さいプレートの集合体だ。一体、これが何個ある?」
職人は律儀にチェーンのコマを数え始めた。
「百八だったかな?」
「頭が痛くなる。これを作れるのはどんな技術者だ? まさか、タロさんの自作じゃないよな?」
「ぼくはただの乗り手だ。作り手は別にいる」
「その人を紹介してくれ。おれは店を閉めて、修行に行く」
「ニホンは世界の果てにある。ぼくが無事に帰れるかさえ分からない」
「じゃあ、そこからあんたはどうやって来たの?」
「気合と根性で」
「うーん、そのへんが嘘くさく聞こえるな」
ベインは疑惑の眼差しをこちらに向けた。
「嘘じゃないさ。ゼロ丸の走行性能は馬や馬車をゆうに越える。ぼくらが本気を出せば、世界の果てまで行けるさ!」
ぼくはゼロ丸の肩を叩きながら啖呵を切った。
「たしかにそいつの性能は化け物だ。この柔らかい車輪も意味不明だ」
職人はゼロ丸のフロントタイヤをにぎにぎした。
「きみはこのギアやチェーンを作れるか?」
「作れますよ」
ベインはぼそっと言った。
「ほう? 強気だな」
「作れますが、作りません」
「金にならないから?」
「そのとおり。ほかの仕事を休んで、その制作だけに完全に集中すれば、一年か二年で作れます。作ってみせます」
「じゃ、頼む」
「うーん、タロさんはおれの一年分の給料を払えますか?」
社長はふと経営者になって、現実的なことを言った。
「そんな金を払えるやつがせせこましい使い走りのバイトをするか? ぼくは助言しか出来んぞ」
「うーん、おれも商売人だからなあ。本業をほったらかしには出来ないよ」
「じゃ、どうする? 諦めるか?」
「そうねえ・・・おれは試作には『市販品で近いものを作れないか?』と考えますね。たとえば、このくそややこしいチェーンを何かで代用できないか?」
ベインはチャリのドライブから水車ドライブのローラーとベルトに目を移した。
「ベルトドライブね。シンプルな形状だ。大昔のオートバイのドライブはこれだった。でも、革は濡れると滑るし伸びる。湿度や温度ですぐに劣化する。結果、掛かりが浅くなる」
「はあ、そのあたりの知識はやたら専門的ですね」
「ぼくのおすすめはシャフトドライブだ。この水車ドライブの構造、これを小さくすれば、まんま自転車に使える」
ぼくは水車のシャフトの流れを指で辿りながら言った。
「うーん、構造はそうだ・・・問題はコストだ・・・」
若き店主は神妙な面持ちになった。
「じゃあ、大将、現実的な路線で行きますか」
ぼくは若社長の思考から現実的なそろばん勘定を取り除くために一枚のメモを取り出して、ベイン突き付けた。
「ん? なに? 台車?」
ベインはメモの図面を怪訝に見つめた。
「これは『ドライジーネ』だ。二輪の乗り物、バイクの源流だ」
「ドライブがないけど?」
「ここにまたがって、地面を蹴って進む」
ぼくは図面のサドルを指でとんとんした。
「うえ! 構造が一気にしょぼくなった・・・」
職人はへこんだ。
「それはきみの色眼鏡だ。二つの車輪を縦に並べる発想が凡人の頭に閃くか?」
「何で三輪じゃないの?」
「車体が嵩張るし、重くなる。三輪は凡人の発想だ」
「むう」
「二つの車輪で自立して自走できることを世に知らしめたのがこれだ。しかも、発明者は職人や鍛冶屋じゃない。素人が自力で作った」
「へえ?」
玄人はその言葉にぴくっと反応した。
「そして、このキックバイクは初心者や子供の自転車への練習台として愛用される。このナグジェに自転車を広めるいしずえには最適の機械だ。さて、凄腕の鍛冶屋さん、あなたはこれを作れますか?」
「そうね・・・一か月」
若き職人は図面や水車やゼロ丸をあれこれ見た後でぽつんと言った。
「聞いたぞ?」
「うん、言っちまった。ああ、うまく乗せられちまった! でも、あんたの話はもっともだ。ゼロ丸はおれの手に負えんが、このドライジーネはどうにか・・・なに、この薄い紙?!」
ベインはそこでようやくメモ用紙の薄さに気付いて目を丸くした。この若き好漢の株がぼくの中でまた一つ上がった。
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