自転車のご相談は鍛冶屋へ
小雨の午後の運命的な出会いから一週間後、ぼくはナグジェの第八区へ訪れた。この界隈は市内屈指の商工業区域だ。店舗、工房、倉庫、銀行などが数多くある。とくに工作現場の物々しい音と水路の護岸の動力用の水車は八区の風物詩だ。
ぼくはベインの店を探しながら、軒先の商品や作業の様子を冷かして、当地の産業をじっくり見学した。
「小型の火器っぽいものは見当たらない? やはり、技術の水準は中世からルネサンスですかね? 暗黒時代やスチームパンクでないのはたしかですが?」
職業病的な時代考証は友人の登場で幕切れした。視線のさきの建物から出てきたのがベインくんだった。
「あ! 師匠、こっちです!」
若き店主はぼくを見つけて、元気な声で呼びかけた。彼の自転車の師匠は大げさな呼称にむずむずしながら、ゼロ丸のハンドルをそちらに切った。
「今日はいい天気だな。でも、この辺の空気はなんかきな臭い感じだな。気のせいか?」
「鍛冶屋が炉を使うからね。でも、今日はぜんぜん少し静かだよ。大半は休みだし」
ベインはフランクな様子で言った。
「きみのところは?」
「うちも休みですよ。週末はレデル工房の定休日です」
「へー、立派な店だねえ。この作業場は最高だなあ」
ぼくは羨望の眼差しで建物を眺めた。この若き友人の本拠は店舗、工房、倉庫の一体型の施設だった。屋号の『レデル』は彼の姓で、ベインは三代目の店主である。老舗のぼんぼん・・・という評価は当たらない。フリーホイールの構造を一発で理解した彼の目利きは本物だった。
レデル工房の構えは自転車乗りに非常に親切だった。平屋の店舗とオープンガレージ風の作業場が隣接する構造は自転車屋やオートバイ屋にそっくりだ。石畳の車道から軒下のフロアへのピットインがすごく捗る。
「こっちが店です」
若社長は店舗の扉を開けた。売り物は多彩だった。鍋や包丁などの調理器具、のこぎりや金槌のような工具、ナイフやサーベルみたいな武具等々の金物全般が冷やかし客の目を楽しませた。
「これはプレートアーマーってやつだな?」
ぼくはぴかぴかの甲冑の一式を見ながら呟いた。
「それはおれの祖父さんの力作です。安くしますよ?」
ベインは笑いながら応じた。
「いくら?」
「うーん、友達価格でこんくらいはどうです?」
社長の手がぱっと開いて、「五」が提示された。
「五スーン?」
「ははは、五ブーリです」
「ブーリ? ということは・・・五百万だあ!?」
ぼくは焦った。
「ゴヒャクマンダーってなに? で、どうです? お買い得ですよ?」
「買えんわ!」
「ははは」
「そもそも、こういう鎧は一点物の特注品だ。誰もが普通に使える鍋みたいな汎用品じゃない。だれかの専用の製品だ」
「ほう、博学ですなあ、師匠」
「で、これはどこのお殿様のご依頼の品だ?」
「いや、まあ、それは売りもんじゃなくて、ただの展示品でね。この平和な時代にそんなごつい鎧を注文する殿様がもういませんわ。良い出来だけどなあ・・・」
ベインはそう言って、鎧の肩のほこりを払った。
「典型的な不良在庫だな。これをよけて売り筋を置くのが正解だ。売り場面積は無限でないからな」
「それは無理だ」
「なんで?」
「母さんが嫌がる。母さんは祖父さんの娘だ。つまり、これはレデル家の思い出の品だ」
「お母さんはここにいないの?」
ぼくはきょろきょろした。
「母さんは家にいる。こっちにはたまにしか来ない」
「きっと美人だ?」
「なんでそう思う?」
ベインは聞き返した。
「きみが男前だから」
「はっ! 紹介しようか? でも、タロさんより年上のおばちゃんだぜ?」
「ぼくはぜんぜん構いません」
「物好きだなあ」
「ほかの従業員はいない?」
「通いの人と手伝いの人がいるよ」
「職人はきみだけだ? 人手は足りるか?」
「正直、ちょっと人手不足だ。代替わりのときにうちの兄弟子が独立しちゃってさ」
「なんか揉めた? 女性関係? 女か?」
ぼくは男前に詰め寄った。
「ただの独立です。それは前からの予定だったしね。でも、おれがおれのやり方で一からやれると思えば、この状況はそんなに悪いもんじゃない。新しい試みをことごとく毛嫌いする誰かさんももういないしね」
ベインは少ししんみりした。
「ふうん、老舗のぼんぼんもけっこう大変だな」
「あ! それを面と向かってはっきり言う? ぼんぼんは禁句ですよ、おっさん」
「はははは! このおっさんはまさにおっさんだが、若もんやぼんぼんには負けんぞ。十三区からここまで十分で着いた」
ぼくは胸を張って、ベルを鳴らした。
「ほんとに無茶苦茶な速さだな」
「いい近道を見つけた。明日から通えますぜ、社長?」
「検討します」
ぼくらは掛け合いをしながら、建物の奥へ進んだ。
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