ニホン人のお悩み相談

 夕飯の時間は神主さんの個人授業だ。ぼくが無理を言って、毎度相席をお願いする。こちらへのお礼の品は予備のボールペンだ。先生はこの無尽蔵文字製造機に歓喜した。


「これはほんとにすごいペンだ。ほとんど魔法ですよ」


 ナグジェの神官は羊皮紙の切れ端にナグジェ語をさらさら書いて、魔法のペンにうっとりした。


「それはニホンのズィーパンでは普通の道具です。決め手は小さい鉄の球と粘っこい墨ですね」


 ぼくは何度目かの科学的な説明を繰り返した。


「あなたの国の文明は高度ですね。ナグジェ人はこんなに小さい球を作れない」


「うーん、たぶんそれはチャイナ製ですが、ニホン人はたしかに器用です」


「たしかにそうです。不器用な人はあんな乗り物にうまく乗れません」


 この理知的な神主さんはぼくと同年代の渋い男前で、インテリで、学者で、冒険家で、祭司だった。もともと地方のヤンチャな青年だったが、各国を冒険して、巡礼にハマって、一から勉強しなおして、神官になった。


 そんな特殊な経歴は観光地であり交易地であり大都市であるナグジェの神殿の役職にはぴったりである。子供、巡礼、難民、旅人の扱いはお手の物だし、頭の切れは御覧の通りだ。唯一の欠点は議論好きで、しばしば理屈でやりこめようとするところだ。


「ところで、オズはどうなりましたか?」


 ぼくは尋ねた。


「オズ? それは『だれ』のオズです?」


 先生は聞き返した。


「もちろん、『ぼく』のオズです」


 所有形容詞をすっ飛ばしたぼくは苦笑いしながら言い直した。


「あなたは優秀です。オズ・・・そう、あなたのお国では『ヴィーザ』ですね」


「先生、その発音はアメリカでは通じますが、ニホンでは通じません」


「はいはい、タロッケス教授。あなたのオズはですね・・・」


 先生はだいたいこんな感じだ。普段の評価には甘さを見せしつつ、テストを細かくチェックするタイプである、きっと。


 このナグジェ人の言葉のように『オズ』はビザないしパスポートにあたる。非ナグジェ市民は基本的にこの書類なしでは就労や商売には関われない。種類は観光用、巡礼用、学生用、就労用、ビジネス用、外交用などがある。まさにビザ、ヴィザ、ヴィーザだ。


「・・・ほら、これはなんでしょう?」


 先生は机の下から手紙ぐらいの紙切れを取り出し、ぼくの前でひらひらさせた。


「オズだ! ぼくのオズ! ヴィーザ!」


「では、お代を頂けますか? 五スーンです」


「え、金を取るの? それはバスラの神の名にもとりません?!」


 ただ飯とただ宿に慣れたぼくは意外な要求に動揺した。


「もちろん、私は神の名のもとに活動します。しかし、この件は私の個人的な手助けです」


「払えませんよ。そもそも、外国人は許可証なしで働けない、お金を貰えない」


「托鉢は労働ではありません」


「あれは無理です。本職の方々が強すぎる」


「後払いという概念はニホンにありませんか?」


「え、後払いで構いません? 三スーンですっけ?」


「五スーンです」


 先生は散々に焦らして、羊皮紙の書類をぼくに寄越した。待望のナグジェの滞在ビザだ。手触りはなめらかで柔らかだ。色は薄いクリーム色、まんまの生の皮だ。


「観光用ですか?」


 ぼくはナグジェ語の表記を読んだ。


「はい、私の経験ではそれが最も一般的です。商人用や特別用の発行には時間がかかりますしね」


「ナグジェ市民じゃない外国人はこれで働けますか? 二ホンやアメリカでは観光用では働けませんが」


「働けますよ。昔、私はそれでいろいろやりました、引っ越しとかミカン農園の手伝いとか酒場の用心棒とか。もちろん、役所の事務員や宮殿の衛兵にはなれませんが」


「肉体労働や短期の仕事はだいたい大丈夫ですね?」


「ええ、今は秋の収穫期ですから、農家は人手不足ですよ。ぶどうがちょうど旬ですね」


 先生は酒を継ぎ足した。


「ほんとにここの人は酒を水みたいに飲みますよね」


「ニホン人は酒を飲まずして何を飲みます?」


「牛乳」


「牛乳!」


「でも、新鮮なものがなかなかこっちまで出回らない」


「あれは牧場の飲み物です。町の人はあれを飲み物とは考えません。チーズやバターの材料です」


「同じくニホン人は運転しながらエールやワインを飲みません。毎日の食事、喉の渇き、お祭り、お祝いの席、冠婚葬祭、すべてに牛乳をがぶ飲みします」


「腹の中でチーズができる・・・あ、ということは、タロさんはあのバイクを使って何かします? 運転って言いましたよね?」


「ユリオン・ヴィーツ」


「はい?」


「ユリオン・ヴィーツをよろしくお願いします」

 

 ぼくはズィーパン式に一礼した。

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