やっぱり『推しの子』の最終回の感想は書いておこうと思った話
ちょっと間が空いちゃいましたねというか、別に『毎日更新』を自らに課してるわけでもないので、更新ペースは不定期という理解で一つ。
てか、『推しの子』終わっちゃいましたね。正直、色んな感想が出そうな最終回だったとは思います。このブログ(でもないけど)は創作論なので、創作論的に語りたいところではありますが、現状まだまともな分析はできそうもないので、「感情的に収拾のつかない文章」ってやつを書いておこうかと思います。
以下、ネタバレありのため、未読の方はブラウザバックお願いします。
読み終わって最初に感じたことは、「これがアクアの思い描いていた理想形なんだろうな」ということでした。つまりそれは、作者として「アクア」というキャラに与えたプロットの根幹という理解で、まず間違いないと思います。
アイを殺されて、幼いアクアが感情のままに綴った「ぼくのかんがえたさいきょうのふくしゅう」――それがこの筋書きだったのでしょう。
アクアというキャラの選択として、僕は大いにそれを尊重しますし、違和感はありません。
ただ、『推しの子』がどのくらい捻った企画だったのかを考えると、そこで落ち着かせてしまった判断には、少し思うところがないではありません。
たとえ「アクアの理想」がそうだったとしても、そこから捻ることは可能だったはず。それを「あえて」選択しなかったところに、「美しさ」を求める作り手のエゴを感じなくはないです。
そして、もう一点。
社会的制裁というダメージを、残されたルビーになるべく与えない形で、アクアの復讐は完遂されました。葬式で多少揉めたものの、概ねアクアの思い描いた通りに、彼女たちは立ち直り、また走り始めます。
ルビーは強い子だから、アクアの死も受け入れ、立ち直ってまた夢に向かって走り始めたよ。それはいい。
けどそれって、数コマで消化しきれるような思いでしたかね?
ルビーの心情変化を丁寧に描かないと、最後の笑顔がまるで張りぼてみたいに薄っぺらく見えちゃうんですよ。
「それが『アイドル』という嘘なんだ」というなら、それはその通りですし、作品全体に貫かれた芯として、そのエンドは確かに美しいと思います。
けどそこには、美しいエンドを目指してしまう創作者のエゴみたいなものが、見え隠れしている気がするんですよね…。
まとめると、
▼あれだけ序盤を捻った『推しの子』なのだから、アクアの描いた「理想のプロット」を捻る余地は本当になかったのか。それはある種の「予定調和」ではなかっただろうか。
▼仮に「アクアの理想」を阻めなかったとしても、「一生嘘をつき続ける」という道を選んだルビーの心情を、もう少し分厚く描くことはできなかったのか。
この最終回に物言いをつけるとしたら、この二点じゃないかと僕は思います。
『推しの子』は悲劇として描かれた作品ではなかったと、僕は思っています。最終回を見てなお、そう思います。
だからこそ、『理想のプロット』を貫いたら、読者の感情が置き去りになることぐらい、書き手はわかっていたはずです。
置き去りにするのであればせめて、自分で置き去りにした読み手の感情は、ちゃんと丁寧に着地させてほしかった。
そんなことを、思ってしまいました。
もちろん、だからといって、『推しの子』の作品価値が損なわれることはありません。不世出のクリエイターが作った当代一流の作品であることに変わりはない。
だけど、だからこそ、この大勢の人に愛された作品の終わりは、キャラクターの笑顔で締めくくってほしかった――そう思ってしまうのは、読み手のエゴなんでしょうか。
僕には答えが出せそうにはありません。
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