適当に動かされたキャラだということは読み手にも結構伝わるし、飛影はそんなこと言わないよという話

ようお前ら。今日は黙って俺の一般論に付き合ってくれないか。これはあくまで一般論だ。決して個別具体的な作品名タイトルを思い浮かべて喋っているわけじゃない。そこんとこだけよろしくな。


というわけで、『キャラの行動に納得できない時ってありませんか?』というお題を投じてみます。


前回の話で『キャラがストーリーに従属させられる』という話をちょっとだけしました。それってどういう状況なのかということと、なぜそれがいけないのか、という話です。


たとえば、クラスメイトからいじめられているキャラ――A君がいたとします。A君はクラスメイトに対して知略謀略の限りを尽くして復讐を企てますが、我らが主人公に完膚なきまでに看破されます。地に倒れ伏したA君に、主人公はこう言います。


「もうやめるんだ。復讐は何も生み出さないよ」

「うんわかった! やめるよ!」


ちょっと待てい、ってなりますよね?


極端な例でしたけど、つまりはそういうことですよ。


現実の人間は理由なく動くことも多々ありますが、創作物フィクションの登場人物が動くには理由や動機、背景が必要です。


感情が動かされるのにもきっかけが必要ですし、決断にはそれに足る事情が必要です。思慮深いキャラが短絡的な行動を取るには相応の切迫が欠かせません。かといって十分に考えた末の結論が支離滅裂では脳のネジが知らんうちに数百本抜け落ちたんですかってなりますし、短慮がウリの暴走機関車が急に金田一はじめもびっくりな推理を披露し始めたらコナン君の麻酔銃を疑わなければならなくなります。


創作者も面倒くさがりなので、ストーリーの辻褄を合わせるためにそういうことをやりたくなることがないわけではないんですが、そういうのをやってしまうと、続きを書くのが超絶しんどくなります。作者の都合で動かしてしまったキャラへの後悔が募って募って、止められなくなります。俺のキャラはそんなに馬鹿ではないし、飛影はそんなこと言わない。


まあそんな感じです。


今、偶然読んでる「よう実」の1巻に、とてもいいシーンがありました。


勉強しなければ退学になってしまいそうだけど、それでも以前に馬鹿にされたことが悔しくて、素直に「勉強する」と言い出せない須藤。その原因となった堀北から誠意ある謝罪を受けても、なお素直になれない。


そんな須藤が折れやすいように、主人公は馬鹿になって「この中で一番いい点とったやつが櫛田とデートできることにしようぜ」と言い出します。もちろん、本当に櫛田とのデートを餌に釣ろうとしたわけではなく、あくまでそういう馬鹿なノリに持っていくことで、須藤が折れやすいような空気を作ろうとしたわけです。そんな主人公の気遣いを感じ取った須藤は、ようやく折れることができました。


張っていた意地を取り下げるには相応の理由と「言い訳」が必要――血の通った、見事なやりとりだと思います。


理由や動機、背景のあるキャラの行動に、読み手は心を動かされます。


それとは逆に、適当に動かされたキャラであることも、読み手は敏感に感じ取ってしまいます。そう感じた瞬間、読み手の心はそのキャラと作品から凄い勢いで離れていきます。何万光年も離れてしまった読み手の心を取り戻すことは、その作品の中ではもう不可能でしょう。


合言葉は、「飛影はそんなこと言わない」です。


何度でも唱えながら、また創作頑張っていきましょう。飛影はそんなこと言わない。

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