『面白ければなんでもOK』は罠だと思ってる

前回の続きです。


『面白い』とは何か。


深淵な問いですね。

明快に答えられる人はそんなには多くないと思いますし、僕も無理です。


https://note.com/mi_muramatsu/n/n9c85f2c3d7ea


前回紹介した記事の中でも、いくつか事例とともに紹介されていますが、ほぼほぼ間違いなく言えるだろうと思うことが、一つだけあります。


それは、


「『面白い』は人の数だけ存在する」


ということです。


「面白ければなんでもOK」


こんなことを言ってる人もいましたよね。


けど、この言葉って実は、盛大な『罠』なんじゃないかと思うこともあるんですよね。


突然ですが、僕はNTRが好きです。


NTRといっても、カクヨムによくある「NTRからのざまあ」モノではなく、恋人を屈強なオラオラ系男子に寝取られ、枕を濡らしてむせび泣くエンドを迎える、あのつらくやるせない方のジャンルです。


NTRの『面白さ』とはなんでしょうか。一言で言い表すのは難しそうですが、あえて言語化を試みると、「大切な人を寝取られ生じた無力感によるマゾ的な快楽」みたいなことなんじゃないかと思います。


また、心中モノも好きなんですよね。この世の全てから見放された二人が手を携えて海の藻屑に……もうたまりません。


さて、一旦落ち着きまして。


これから書く作品で、何億人もの人々を魅了しなければならないとして、これらのジャンルの『面白さ』は、どのくらい多くの人に伝わるでしょうか。


もちろん、伝わるとは思います。

それらのジャンルの作品は存在していて、実際に多くの人を楽しませているのですから。そのジャンルを好む人からしたら無二の逸品にすらなるかもしれません。


だけど一方で、その『面白さ』に興味がない人からしたら「きもっ」の一言で終わりかもしれません。


『面白ければなんでもOK』なら、NTRの『面白さ』だってアリでなければなりません。


けど実際には、NTRという『面白さ』を選んだ時点で、それを好まない人を盛大に振り落としてしまっています。


『面白ければなんでもOK』という言葉の落とし穴は、こういうところにあるんじゃないかと、個人的には思います。


『面白さ』は人の数だけ存在しますが、多くの人に刺さる『面白さ』は良くも悪くも最大公約数になってしまう面は否めません。


もちろん、技術や実力があれば、針の穴を通すような『面白さ』を万人に対して受け入れさせることもできるでしょう。そういう作品も世の中にはたくさん存在しますし、名作だっていくつもあります。


だけど、そういう作品が『エンタメ』の範疇にいられるかどうかは、結構微妙だと思います。


もし、『自分の作品の面白さがなぜ伝わらないんだ!』と嘆いている人がいたら、自分の作品の用意した『面白さ』が何で、それは万人に伝わり得るものなのだろうか、というのを、一度振り返ってみてもいいんじゃないでしょうか。


ラノベ界隈において『NTR』が純粋なNTRではなく、『NTRからのざまあ』として流行っているのには、それなりの理由があるんですよね。


ちなみに僕は、NTRと心中好きが高じて、その二つをごった煮にした作品をラノベ新人賞に出したことがありますが、結果はお察しでした笑


『面白さ』に関する話は、もうちょっと続きます。

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