第2話(時間通り)

「サリだって紙の本を読んだことはないよね?」

 するとサリは、「そうだ」と微笑む。「本を持つ手も、ページをめくる指もなかったからね」

 如何にも。彼女は身体を持たずに生まれた。

「いい時代だ」彼女も自分の(手袋を着けた)手を握って、開いて、「うん」と頷いた。

 そしてトムもまた手を握って、開いて、「良い時代だね」同意した。

 かってサリは、トムに往路の〈歌う船〉にならずに済んだよ、と云ったことがある(そして、トムはその意味を訊ねそびれた)。船は新天地へ人々を運ぶと、新世界の空の上で、小さな欠片ひとつまで資源となる(だから、そうならなくてよかったと、トムは思う)。

 バンは静かに停止し、一拍の後、再び走り始めた。窓の外の様子は、郊外のそれに変わった。目的地はもうすぐだ。

「考えてくれた?」トムは彼女に訊ねる。

 サリはゆっくりと首を曲げ、「うん?」

「夏至祭り。花火」

「うん、そうだね」とサリ。「たぶん」

 トムは急かさない(自分を戒める)サリを急かさない。彼女を急かさない。でも、──

 この胸の奥・循環機ポンプの作動音は何だ。

「トミー?」ふいに彼女が云う。「もしキミのことで何か訊かれたら」彼女は自分の胸をトントンと叩き「〝ここはブリキの心臓です〟って応えるんだよ」

 そんなサリにまたトムはポンプの作動音を意識した。「うん」どうにか応えた。

 程なくバンは速度を落とし、僅かに傾いで曲がって停った。静かに駆動音が消える。ふたりは降りる準備をしながら、「ねえ、サリ」彼は相棒に呼びかけた「華氏って、なに?」

 彼の疑問に彼女は「ファーレンハイトのことだ」と、にこっり微笑む。「温度の単位」

 ふたりは座席から立ち上がって、サリの準備を待って外に出る。

 彼女は帽子は前後ろにして全身を白い防護ポンチョ(外套)で覆い、その上に透明でドーム状のヘルメット(防護帽)をすっぽり被った(サリは以前それを〈金魚鉢〉と、皮肉っぽく表現した)。トムはその場で回転する彼女の姿を確認し、ポンチョの裾を少し引っ張って直した。

 中年女性の姿をした補佐形代アクトレスが玄関を開け、手を引いて顔を白いマスクで覆った小柄な(そして上品そうな)老女と共に、ふたりを迎えた。

「時間通りね」老女は云った。

「わざわざ、ありがとうございます。ご無理、なさらず」サリは云い、そしてふたりは丁寧におじぎをし、声を揃え、「よろしくお願いします」

「こちらこそ」と、老女は応える。

 サリは用意されていた回収用の収納箱バンカーズ・ボックスをそっと丁寧に開けた。中には色とりどりの絵本が丁寧に収まっている。

「〈ちいさいおうち〉、〈ねないこだれだ〉、〈はらぺこあおむし〉……〈ぐりとぐら〉」サリは顔を上げ、「いいですね」嬉しそうに笑い、再び、「〈おしいれのぼうけん〉、〈ひとまねこざる〉、〈ちびくろさんぼ〉」表紙を愛おしそうに触り、「懐かしい」

「ええ、そうね」老女は微笑む。「母から受け継いで、娘に読んであげたの」

 トムは、二人の言葉に(どこか)湿ったものを感じたのは、自分の感知器センサの問題でないと思う(彼女の孫娘は早々に見切りをつけ旧世紀を飛び出し、新世紀へ入植している)。

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