第6話
次の日の午前は、休日であることを利用して商店街のケーキ屋に行く。僕が「師匠」と呼んでいるそこのパティシエさんは、今日は時間がありそうだ。熊みたいな大柄の身体を、ショーケースの向こうにある小さな椅子に乗せて何かを書いていた。
僕がドアを開けると、嬉しそうに顔を上げて僕を出迎えてくれた。が、僕がひどい顔つきをしていたからだろう。キッチンで焼き菓子を焼いている奥様に声を掛けて、お店の隅にある、小さなテーブルと椅子を出してくれた。
「真純ちゃん大丈夫かい? お菓子作りに失敗したとか、学校でいじめられたとか……」
そう言って、机の上に紅茶とお店のチョコレートケーキを一つ出してくれた。
僕は師匠に促されるがままに座り、紅茶を一口飲んだ。それから、ケーキを一口頬張る。チョコの甘くて苦い風味と、ナッツの風味が美味しい。今年のチョコレートケーキはナッツのペーストが入っており、香ばしさとうまみが増している。師匠のケーキは一番だな、と改めて思う。
紅茶とケーキの力を借りて勇気が出た僕は、昨日の出来事を話した。師匠は優しく相槌を打って聞いてくれる。僕の話が終わると、ちょっと待ってなと言ってレジカウンターの向こうに消える。そこから先ほど作業をしていたタブレットを引っ張り出して、検索エンジンを立ち上げた。
「真純ちゃんは間違ってねぇと思うけど、神尾先生も間違ってねぇと思うんだわ」
そう言って師匠が見せてくれたのは、一つのチョコレートプリンの画像だった。いつものプリンの形から、昨日作ったような四角い型のものもある。見た目は普通のチョコレートプリンのようだが、断面の画像を見ると何かが中に入っている。
「これはな、『ボネ』っていうイタリアのプリンだそうだ。プリンの本体にはココアとインスタントコーヒーが入ってるんだよ」
師匠がタブレットを操作して、レシピの書かれたサイトを見せてくれた。そこによると、イタリアの郷土菓子らしい。純ココアとインスタントコーヒー、それから洋酒の入った大人向けのドルチェ。さらに特徴的なのは、中に「アマレッティ」という軽い食感の焼き菓子が入っていることだ。
「え、じゃあイタリアンプリンは二種類ある……?」
「というか、コンビニで見るようなイタリアンプリンは日本発祥で、ここ数年のお菓子らしいぞ。俺も知らなかったなぁ」
ということは、僕と作家先生の認識の差があったということのようだ。僕のミスでも、作家先生の勘違いでもなくてほっとする。
いろんなサイトでレシピを見ると、様々なレシピが見つかる。インスタントコーヒーを使わないものから、「アマレッティ」を使わず、代わりにマカロンを使うレシピもある。けれど、「アマレッティ」が入っているレシピの方が断然多い。
「アマレッティと言ったら、ここら辺では買えねぇな。ビターアーモンドも日本ではなかなか手に入らないし……」
「ビターアーモンドがないなら『アマレット』って言うお酒や、ビターアーモンドエッセンスを使うように書かれてますけど……そんなものないですよね?」
師匠は首を横に振った。そもそも師匠のお店は、普通の町のケーキ屋さんだ。変わった物を置くことはそうそうない。代用にはビスケットやマカロンが使えるが、作家先生のイメージは絶対にアマレッティのを使う方だろう。
僕たち二人は悩みに悩み、うーんとうめき声を出すしかなかった。
とそこに、思いがけない救世主がやってきた。
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